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Archive for the ‘未分類’ Category

私はながら族

15 10月

一つの事だけするのはもったいない
  私はラジオやIpodは大好きだ。出張の電車の中では,資料を見ながらでもIpodで音楽を聴いていた。畑でも、一人でいるときはIpodで音楽を聴きながらやることが多い。また、事務所で数学のホームページを作っているときには、ラジオを聞きながらの作業である。

  日曜大工や雪囲いをするときにもラジオは不可欠だ。時々音楽が入るので、Ipodは使わないことにしている。いろんな情報が入手できる。自宅では、朝ドラと大河ドラマを家内と見るとき以外は、テレビを聴きながら作業をすることが多い。

  時には、全く画面を見ないでドラマを聴いているときもある。それでも、何となくストーリーはわかるものだ。私の場合、「ながら族」になる最大の理由は時間がもったいないからである。

 しかし、さすがに、プールでは“ながら族”にはなれない。そこで、プールでは知らない人とでも、楽しく会話したいと思っている。今日は、午前11時頃市営プールへ泳ぎに行った。というよりも、まず最初は大きく足をあげてプールの中を前進したり、「後歩き」をしたりした。そして少し泳いだ。

  サウナの中で、インストラクターの女性といっしょになった。気軽に挨拶してくるので、こちらも話しかけた。私は、プールと聞くと、一つだけやりたいことを思い出す。それは、フラダンスチームを作れないかということだ。

  市教委勤務時代には、フラダンスを市民大学の講座に取り入れた。私の家内にぜひとも受講してくれと頼んだものだ。私自身はフラダンスをしたいのではなく、ハワイアンバンドを作り共演したいだけだ。

  いつかはハワイアンバンドを作れないかと思って、時々ハワイアンギター(スティールギター)の練習している。何よりもボケ防止になるのではないかと思っている。

  せっかく「ハワイアンバンドを作るなら、フラダンスチームと共演したい」という夢を、見知らぬ水泳のインストラクターと話したりした。これが実現できるかどうかは五分五分だろう。

我が家のキウイ(左:今年、不作。右:昨年、豊作。)

    昨日も今日も、国会中継を聞きながらの数学のホームページ作りであった。野党は、与党の揚げ足をとろうと一生懸命である。与党は総理以下、揚げ足をとられないよう防戦一方だった。「こうすべきだ」と提案するよりは、「何でそんなことをした。謝りなさい。」という調子で、時々質疑が中断していた。

 「ながら族」の最大の武器は、ラジオである。時間を2倍に使っているような気分になれるし、役立つ情報も少なくない。「ながら族」ではやっていけないのは、歌作りである。さすがに、曲作り(歌作り)では、よけいな音があると集中できないからである。

  それから、家内作業するときは、イヤホンを使うIpodは使わないようにしている。せいぜい2人が聞けるラジオだけである。コミュニケーションがとれないからである。それに、相手が気分を壊すおそれがあるのでイヤホンを使うことは避けている。

  今、このブログもテレビを聞きながら書いている。画面は殆ど見ていないが、だいたいのことは理解できると思っている。これからも、私の場合、「ながら族」は続くであろう。

(日記:午前中、数学のホームページ作り。途中で歯科医院へ。午前11時過ぎから家内と市営プールへ行く。午後4時までホームページ作り。午後4時から家庭菜園作業。)

 
 

ものは考えよう

14 10月

自転車に乗ってみて
  テレビを見ていたら、“何歳になっても筋肉は鍛えられる”ということを放映していた。そう言えば、高齢者の筋肉トレーニングもあるし、肩や膝や腰などの手術をした人達、人口関節を入れた人達は、リハビリと称して様々な筋肉トレーニングが行われる。

 また、“貯筋”という言葉まである。最近それを実感している。

  晴れた日や荷物のない日は自転車で事務所へ通っている。行きは殆ど下り坂で全く楽だが、帰りは多少の坂がある。最初は6段変速の6レベル(速いが重い)で自宅へ向かい、途中で3(中位の速さで中くらいの重さ)に変速し、最後の坂は1レベル(最も遅いが最も軽い)に変速していた。

  ところが、変速機を切り替えるのを忘れて坂でも3で登れるようになった。そして今は、変速しないで帰宅している。最初は負荷がかかって無理だと思っていたが、今はその負荷に耐えられる。いいトレーニングになると思っている。

  自転車より車の方が遙かに楽だ。しかし、車ではトレーニングができない。負荷を面倒臭いと考えるか、トレーニングと考えるかだ。トレーニングと考えれば、負荷がかかっても、今鍛えられておるんだと思うことができる。子のは考えようだ。

『農事法人かたせ』に預けてある我が家の田んぼには転作のために植えたソバが今花盛り。

家庭菜園作業はストレス解消
  最近、数学のホームページ作りが面白くなっている。そして、スケジュールを考えると、午前中だけでは想うように進まないと考え、午後3時まで頑張ることにしている。しかし、近いところにある画面ばかり見ているので、目が疲れ、肩が凝る。

  気分転換にハワイアンギターを弾いたり、オカリナを吹いたり、三味線を弾いたりしている。しかし、ホームページ作りに夢中になっていると、そんなことも忘れてしまう。そんなとき、家庭菜園の作業をするととても気持ちがよい。緑が目に入るし、遠くの景色を見ることもできる。

  面倒臭いと想っていたこともある作業だが、今は最高の気分転換になっている。同じ姿勢で長時間いることは身体にはよくない。晴れた日に外へ出て汗をかくことは、ダイエットにもなり、眼を休めることにもなる。作業服を着て外へ出るとほっとする。

    今や、面倒くさいと思っていた作業が最高の気分転換になっている。ほんとうにものは考えようだ。デスクワークをしたら、外へ出て何か作業をしたり運動をしたりすることは、バランスという観点からもとてもよいと思えてきた。

(日記:午前6時前に起きて、雑草や枯れ木や野菜の古株を燃やした。その後、帰宅して朝食。午前中、そして午後3時まで数学のホームページ作り。午後3時より家庭菜園作業。今日は、トマトのビニールのおおいを外したり、トマトの古株を処分した。)

 
 

家庭菜園終盤戦

13 10月

虫との戦い
  今年はいつもより、熱心に家庭菜園での野菜作りに取り組んだ。今は、少しずつ、3回に分けて植えた大根が、順番に少しずつ大きくなり始めている。人より遅く植えたので、第一期生?には小指ぐらいの大根がなっている。第二期生はすぐり菜ぐらい、第三期生は今芽が出たところである。

  もう少し早めに始めればよかったと反省している。ところで、悩みの種は、青虫である。放っておくと、どんどん葉っぱを食い尽くすのである。かといって、単純に殺虫剤を散布するわけにもいかない。それは、順に“すぐり菜”にして食べるからである。家庭菜園の敵は虫たちである。

  黒マルチをした穴に、5粒ずつ種を播き、一本ずつ取り去っていくのである。4本立て、3本立て、2本立てと間引きながら、食卓を飾るのである。小さいうちは、ゆでて鰹節をかけてお浸しに、少し大きくなれば、アゲといっしょにみそ煮にして食べるのである。

  そして、もっと大きくなれば、“ゴーヤチャンプル”ならぬ“大根葉チャンプル?”にして食べるのである。従って、簡単に殺虫剤をかけるわけにはいかないのである。そのために、葉っぱに所々穴が空いていることもある。

  チョウチョはとても可愛い。しかし、青菜に卵を産み付けるのである。そして卵がかえり、青虫になり、菜っ葉を食い荒らすのである。私の家庭菜園では絶対に作らない作物がある。それは、白菜とキャベツである。それらは、虫の大好物のために、殺虫剤が欠かせないからである。

家族を楽しませてくれた我が家の野菜達(上左:トマト、上右:巾着ナス=漬け物にすると美味しい、下左:オクラ、下右:ゴーヤ=チャンプルとジュースにして楽しんだ。)

来年に向けて
   ナスはまだ少しずつなり続けているし、秋ギュウリもまだなっている。しかし、他のものは終盤戦を迎えている。夏は、食卓にのる野菜の殆どは家庭菜園で採れたものである。

  家庭菜園で使った、竹や杭や棒などを小屋に片づける時期である。枯れた豆やキュウリやトマトやナスなどの枝はコンポストに入れて肥料にするか、燃やすかのどちらかである。燃やすと煙が出るので、畑の近くの人達から嫌われかねない。

  昔は気兼ねせずに燃やすことができたが、今は周囲に住宅地が多くなり、容易に燃やすことができない。これから採れる野菜は、大根や野沢菜やかぶなどに限られてしまう。思えば、今年の夏は本当に暑かった。畑に川から水を汲み上げるのが日課であった。

  家庭菜園は、私にとっては一石三鳥位の値打ちがある。気分転換ができ運動になる。安全な野菜を手に入れることができる。成長を見る楽しみがある。
今年は、家庭菜園の周囲をコンクリートの枠で囲んだ。来年は、周囲をきれいにしながら、家庭菜園を楽しみたい。

 今日は、家内に紫蘇の実を採ってもらった。紫蘇の実は、佃煮にして保存しておくのだ。プチプチとした感触がうれしい。自家用のキューチャン漬けにも使える。そのままおかずにしても美味しい。

(日記:午前中から午後3時までホームページ作り。足、腰、目が疲れる。午後3時から、家庭菜園作業。気分転換には最高だ。午後7時より、事務所にて和太鼓練習。最近一人メンバーが増えた。レパートリーを増やして慰問活動やイベントに出演してみたいものだ。私の役目は、篠笛。)

 
 

変化に富んだ一日

12 10月

息子達に新米を送る
  『農事法人かたせ』に田んぼを預け、米作りが終わって、田んぼの持ち主に新米が配られた。我が家でも、この新米を横浜にいる息子の家族に送ることにしている。今日は、息子達に送る第一便の米を精米した。

近くの精米所で新米を精米する

  そこで、新米と同時に、孫達が喜びそうなお菓子類、我が家で採れたサツマイモ、カボチャ、キュウリ、そしておかきなどを梱包して、郵便局で送った。これだけの作業のために、午前中一杯かかった。明日の午前中に着くという。新米のおいしさを孫達んに味わってほしい。

『津軽じょんから節』の練習
 午後4時より『津軽じょんから節』の個人レッスン。絶対ここんな難しい曲は弾けないと思っていたが、どうにかこうにか、最後まで弾けるようになった。しかし、とてもではないが、人前で弾くとなるとまだまだだ。現時点では譜面をなぞっているだけだ。それでも、一通り弾けるようになったことは収穫だ。

  『津軽じょんから節』を練習することによって、創作民謡を作るための参考になったことが一番嬉しい。また、今、創作準備をしている『津軽じょんから節』をモチーフにした演歌づくりに大いに役立つと思っている。

  三味線を弾くときに、ギター演奏の癖が出て、バチをうまく扱えないのは困るが、それでも、わずかながら、進歩していると思っている。3年ぐらいしたら他人に聞いてもらえる域に達するだろうか。少なくとも脳の訓練になっていることは間違いなさそうだ。

『おどり隊ひらり』との合同施設慰問
  10月22日に大野市のデイサービス施設へ慰問をする予定であった。その打ち合わせを午後5時半からするつもりでいた。ところが、当日急に用事が入って参加できなくなった。この慰問は、『おどり隊ひらり』のメンバーから誘われたものだ。

夏祭りの郷土芸能発表で「勝山よいとこ」をおどる『おどり隊ひらり』の皆さん(於:ゆめおーれの野外ステージ)

  退職したら是非やりたいと思っていたことの一つに施設慰問がある。施設入所者のために何かをするというのではなく、施設入所者の前で、私達が何かをさせていただくというのが私の考えである。日常味わえない緊張感や充実感を味わうことができると思っている。感謝すべきは慰問する私達である。

  午後5時半頃、『おどり隊ひらり』のメンバー2人が私の事務所へやって来た。10月22日の大野市の施設での慰問活動に私は出演できなくなったが、今後の活動について話し合った。彼女たちは、「勝山へ来る観光客の前で歓迎の踊りをやってみたい」とも話してくれた。

  また、いろんな踊りをマスターして多くの皆さんに喜んでもらいたいとも言っていた。彼女たちの活動を応援したいと思っている。私の“民謡復活の運動”から生まれたこのグループに、今後大いに期待したい。

  私は、慰問では夫婦で参加するつもりでいた。「ふるさと」や「赤とんぼ」などの童謡や唱歌を家内が歌い、私は、「ギター」、「オカリナ」、「ハーモニカ」、「三味線」など種々の楽器を使い、伴奏や独奏をしたいと思っていたのである。

  今回は流れたが、機会を見つけて今年中には、慰問活動をしたいと思っている。この中で、創作の演歌や民謡も披露できたらと思っている。見て下さる皆さんの状況に合わせてプログラムを考え、楽しい時間を過ごしたいと思っている。

(日記:午前中、新米を精米して、孫達家族へ送付。午後1時より数学のホームページ作り。午後4時より『津軽じょんから節』の個人レッスン。午後5時半より『おどり隊ひらり』と打ち合わせ。)

 
 

完成するか?ホームページ!

11 10月

千里の道も一歩から
  今日も朝から、数学のホームページづくりに励んだ。一人の教員と二人の生徒が登場するホームページで、黒板やノートが画面に登場するのだが、そのノートのページづくりに予想外の時間がかかった。パソコン上でノートの紙を表現し、その上に数式を書く場面作りに2時間ぐらいかかった。

毎日奮闘しているホームページ『数学は読解だ!』の「数学B」の「数列」の「ヒン」トの部分。

 物事をやり始めると、きちんとやらなければ気がすまない性格なので、変なところに時間がかかることが少なくない。でも、わずかでも前ヘ進んでいる限り、いつかはゴールに近づくだろうと信じて取り組んでいる。

  時々不安になることがある。「これが高校生の役に立つのか」という不安である。膨大な時間を使って作ったものが、誰の役にも立たないというのではさみしい気がする。

  誰かの役には立つだろうと思って、毎日、半日はホームページづくりに取り組んでいるが、時々このような不安に襲われることがある。

  でも、自分の本職は、辞めても数学教員であるという軸足だけはしっかりしておきたいと思う。数学があるから、童話作りもあり、演歌作りもあるのだと思っている。数学があるから、家庭菜園の作業があり、絵を描くこともできるのだ。

  何とか、今月中には一部でも完成させて、モニターとして高校生に見てもらいたいと思っている。そして、率直な意見をもらいたいと思っている。このホームページを作っているときは、教師魂に火がつくような感じだ。

  昔、学校や役所に勤めていたときのような気分で、朝、家を出て事務所に向かっている。ホームページ作りなどで事務所へ向かうときは、退職しないで今も現役でいるような気分だ。

(日記:午前中、数学のホームページづくり。午後、家内と末娘と3人で、福井の長女の家へ出かける。3時間ほどしてから、末娘を福井駅まで送って、そのまま北谷へ。今日は、いつも世話になっている北谷のY君(息子の同級生)と「あきよし」で焼き鳥を食べながら話す約束がしてあったからだ。彼のおかげで、パソコンのトラブルや新しいソフトの購入、インストールなど様々な面で世話になり、どうにかホームページなどパソコンの作業ができているのである。いろんな人達の世話になり、パソコンを活用している今日この頃である。)

 
 

新作民謡を郷土民謡にできるか?

10 10月

銭太鼓練習用DVDの作成
  4時頃から、集会所で新民謡『片瀬豊年ばやし』の銭太鼓振り付けのため映像撮影を行った。片瀬のS君に手伝ってもらって、銭太鼓のバチの振り付けを撮影するのだ。そのために先ず衣装を付けてもらった。

  そして、ハイビジョンが撮影できるというデジカメで、部分部分の撮影を行った。1曲を5つの部分に分けてそれぞれ解説しながら撮影した。最終的には、ナレーションを入れて、誰もが練習できる自習用の銭太鼓振り付け映像を作るつもりで撮影した。

  何度かミスしたために、その都度取り直し、最後は、全曲通してバチを振った映像、1、2番通してバチを振った映像なども撮影した。これを編集して誰もが自習できるDVDにしようと思うと、まだまだかなりの時間がかかりそうだ。

今年の秋祭りで初披露した新作民謡『片瀬豊年ばやし』に合わせて銭太鼓と女踊りを披露する区民有志

  退職プロジェクトの一つとして、映像編集技術の習得も考えているが、今のところそこまで手が回らない。ただ、ソフトはアドビ社の映像編集を持っているし、パソコンを新しくしたのでいつでも環境だけは揃っている。

  今のところ、同じアドビ社のホームページ編集ソフト『Dreamweaver』を使えるようにするだけでいっぱいいっぱいだ。また、来週から自由時間は全てこの方面に時間を費やすことになるだろう。

  銭太鼓の映像教材を作ったら、今度は女踊りの映像も作りたいと思っている。この頃、みんな忙しいので、ある程度は自宅で練習できる環境を設定しておかないと、広まりもしないし、興味を持ってもらうこともできない。

(日記:午前中、今年収穫した米をカントリーから運んだ。今年の米には少しだけ愛着がある。それは、春2回、秋2回、それぞれ田植えと稲刈りの仕事に出たからだ。早速、身内に送った。その後、新作民謡普及のためのCDづくりを行った。娘が大阪から帰省していたので、昼食後、絨毯を敷き、こたつも設置した。まだ、こたつを使うことはないだろうが、準備だけはしておくことにした。午後4時からは、新作民謡普及のためのDVDを作るための映像撮影を行った。)

我が家の軽トラックでこれから食べる新米をカントリーから運搬

 
 

予想を超えた時間がかかる大仕事

09 10月

牛歩の如く一歩ずつ
    最近、毎日、数学のホームページづくりに励んでいる。高校の数学は、普通高校では、「数学Ⅰ」「数学A」「数学Ⅱ」「数学B」「数学Ⅲ」「数学C」の6科目の中から、コースによっていろいろ選択している。

   例えば、文科系に進学するコースの生徒は、「数学Ⅰ」「数学A」「数学Ⅱ」「数学B」を選択し、この中から入学試験が課せられる。また、理科系の生徒は全科目を履修することになっている。

  大学入試の数学は、各大学が共通のセンター試験と大学または学科毎の記述試験の2つを受けることになったいる。今、私は、「数学Ⅱ」から「読解編」と「基本例題の解法編」の2つの講座をインターネットで開講しようとしている。

 「数学B」の中の単元の一つである「数列」から作業を進めている。数列に、基本例題を16問取り上げ、それぞれ、3人の登場人物が会話を交わす構成になっている。この会話のレベルが、「ヒント1」、「ヒント2」、「ヒント3」とあり、この会話を聞きながら、高校生に自分の頭で考えてほしいと願っている。

  さて、この3人のキャラクターだが、数学があまり得意ではない男子高校生、数学が得意な女子高校生、そして、これらの会話を進める私(いなかもん)である。答えを教えるというよりも、会話の中から自分の頭で考えてほしいと願っている。

 さて、現在の進捗状況だが、ようやく、「数列」16問中の2問が終わったところである。先ずは、「数列」をなるべく早く完成させ、今年中には「数学B」を完成させたいと思っている。

 先ず、「数列」が完成したら、モニターとして高校生に見てもらい、改善を重ねたいと思っている。数学全部が終わるのは数年はかかりそうである。しかし、始めなければ何も完成しないのである。苦しくて、楽しい作業である。

  数学のホームページを制作するに当たって、最も苦労することは、数学ではなく、ホームページの制作技術である。さらに、数学の問題や解法を説明しようとするとが、記号が簡単には入力できないので困惑している。

 そこで、画像処理をしているが、これがとても時間がかかるのである。正に、“千里の道も一歩から”ということわざがあるように遅々として進まない。しかし、止まらずに歩けば前へは進むだろうと考えながら、疲れると『津軽じょんから節』を弾きながら気分転換を図っている毎日である。

(日記:午前、午後とも、数学のホームページづくり。時々、気分転換に三味線練習。今日は本当に肩が凝った。夜、大阪から末娘が帰ってきた。)

 
 

平日に露天風呂

08 10月

退職者の集い
  数日前、退職仲間の会『勝山市長和会』の誘いを受けて、山中温泉への日帰り旅行に参加した。午前9時頃、近くの待ち合わせ場所へ集合し、途中で会員を集めながら、丸岡の竹田地区を通って山中温泉へ向かった。

   今日の目的地は山中温泉『花つばき』であった。宿へはいる前に、『こおろぎ橋』で下車し、『鶴仙渓』を見ながら川に沿って歩き、『あやとり橋』まで散策した。天候もよく、渓谷は紅葉には早かったが、豊かな水と川沿いの木々の緑がとてもきれいであった。

「こおろぎ橋」をバックに川岸に立つ。豊かな水と周りの木々の緑が目に沁みる。

  午前11時に『花つばき』には入り、早速風呂に入った。私は三種類あるといわれる温泉のうち、「湯畑」と言われる川沿いの露天風呂に入った。ここは混浴である。ただし、男は、腰から下を、女性は胸から下を専用の布で隠してはいるのだ。

 「湯畑」は、養魚場のいけすのようにいくつかのコンクリート製の露天風呂が並んでいる。せせらぎの音を聞きながら、風呂に入っていると忙しい日々の生活を忘れてくつろぐことができた。

   風呂の後、総会があり、懇親会が始まった。高齢者の元気な姿を見れば「自分もあの年齢までは元気でいたい」という勇気が湧いてくる。持病を持っている人もいる。これからは、何よりも健康が大切だと感じた。

  釣りに熱中している人、テーマを決めて研究している人、農作業に没頭している人、それぞれが自分の人生を豊かに生きていると感じた。私も、持論の「これからは、自分の物差しで、自分の合点のいくように生きていきたい」と話した。納得する人もいた。

山中温泉『花つばき』の露天風呂「湯畑」でくつろぐ会員達(右端が私)。

  宴会の後、3時に宿を出て、4時頃勝山に着いた。久しぶりに普段会わない人と会えてよかった。これからも、このような会には積極的に参加したい。高齢化社会の生き方の一つに、“健康のためにも、できれば日中の時間の40%は家から外に出た方がよい”と言われている。納得できる生き方だ。

  この会に参加して、これからも、自分流で豊かに生きたい、そんなことを確信にした一日だった。“地域のため、家族のため、そして、自分のため”に明日からも、肩に力を入れずに生きていきたい。

 
 

久々に自転車に乗って思うこと

07 10月

自転車で事務所へ
  私は、晴れた日には自転車で事務所へ通っている。ここ何年か使わずに放置していた折りたたみ自転車を物置から取り出して使用している。安物の自転車ではあるが、一応は変速機が付いている。  6段変速だ。

    行きは、下り坂なので殆どペダルを踏まなくても、事務所へ行くことができる。問題は帰りだ。やや登り坂になっているので、6レベルから5,4,3、2,1と変速してようやく自宅へ帰るのだ。特に、弱っているなあと思うのが、膝である。

  元々立ってする仕事だったので、立っていることはそんな苦ではなかった。ソフトボールや草野球ではキャッチャーや3塁を守ることが多かったが、膝が痛むことはなかった。しかし、自転車で坂道を登ると膝が弱っていることがよくわかる。

60歳で“50肩!?”に
  若い頃は身体的なことは勢いで何でもやれた。高校教員時代にも、ハンドボール投げやベントプレスでは生徒にそんなに負けることはなかった。相撲も生徒ととった。身体を動かすことには、結構自信があった。少なくとも、運動部の顧問をしていたときまでは運動能力はまあまあだと思っていた。

    しかし、その後は、身体は衰えるばかりであった。市教委へ務め始めた10年前にはキャッチボールもできた。同年代のものに比べるとそんなに肩は劣ってはいないと思っていた。

    ところが、数年前から、猛烈な肩の痛みに襲われた。60歳になってからの“50肩”だ。手を後へ回すこともできず、キャッチボールは夢のまた夢となった。手は上がらないので、ソフトバレーさえ夢のまた夢だった。運動は全く無理になってしまった。

  しかし、2,3年前から少しずつ肩の方は改善してきた。7割方は戻ったと思っている。「小学生とならキャッチボールができるのではないか」と思うまでによくなってきた。一度誰かとキャッチボールをしてみたいものだ。

家庭菜園の作業は心身の健康には最高(春の耕耘作業)

 若いときのように鍛えることはできないかも知れないが、少しは筋肉を鍛えなければならないと思っている。家内のリハビリに合わせてプール通いも再開したい。運動能力もさることながら、頭の方も心配である。この頃、物忘れが多くなったように思う。運動能力以上に物忘れの方が心配だ。

  若い頃なら気にも掛けなかったことに、気配りしなければならない年齢になってきた。少なくとも、昭和の“いざりぐるま”である自動車ばかりに頼るのではなく、自分の足で行動したいものである。毎朝、ラジオ体操、股上げ、スクワット、腹筋は欠かしたことがないが。

(日記:午前9時前から、昼食を挟んで午後3時まで、数学のホームページづくり。コンピュータ言語に苦労する。午後3時より、家庭菜園を耕し、野沢菜、春菊、大根の種を播く。)

 
 

始まりの終わり

06 10月

足かけ5年間の童話教室
  平成18年、図書館長兼務を機会に、勝山でも創作活動を広めたいということで、市民大学のリニューアルと共に童話講座を開講しました。講師には、県内児童文学の第一人者である藤井則行先生(福井新聞“おはなしトントン”の選者)をお願いしました。

    藤井先生とは、かつて勝山高校でいっしょに仕事をさせていただいた関係から年賀状を交換させていただくなど関係を続けておりました。そこで、厚かましくも講師をお願いしましたところ快く引き受けてくださいました。

    一人でも多くの人にこの講座を受けていただくことを望んでいました。私も、この講座の受講生として、楽しく先生の童話講座を受講して参りました。そして、童話作家の作品を解説していただいたり、全国童話コンクールの受賞作品を解説していただいたりしました。

    また、毎回の講座の終了時期には、受講生の作品を教材にして、改めるべき所などを指導していただきました。先生のこの講座のおかげで、私も毎回童話を書かせていただきました。この講座の受講生でなかったら童話を書くことなど全くなかっただろうと思っています。

  藤井先生は、忙しいお身体でありながら、私達の作品に対して丁寧に添削してくださいました。この講座を一度だけ受講した人、数回受講した人、毎回受講した人などいろんな方々が童話を書く楽しさを味わうことができたのではないかと思っています。

市民の皆さんに市民大学の『童話講座』開講を知らせる自作のポスター

(仮称)勝山童話研究会を作りたい
  そして、昨日をもって5年間の童話講座の全てが終了しました。前回の講座を私は都合により欠席しましたが、受講生の中の何人かの方が、「勝山市でぜひとも童話の会を作りたい」と話し合ったとのことでした。そして、事務局も引き受けるとのことでした。

 そして、昨日の講座の後、受講生の有志が私に「童話の会の代表になってほしい」と話されました。私も、ぜひとも、勝山に童話の会を作りたいと思っていましたので、もし私でよければ喜んで引き受けましょうと返事をしました。

  昨日をもって、5年間続いた市民大学童話講座は、生涯学習課の意向もあって修了しましたが、勝山に童話創作のともしびを灯し続けたいと思っています。創作の楽しさを次世代に伝えていければと思っています。

  県内にも5つぐらいの童話創作の団体があるそうですが、勝山もその中に加わることができればと思っています。そして文化レベルの高い町になればと願っています。

   今年中に会の在り方を考え、3月までに会員を募集して、4月から活動を始めることができればと仲間内で考えているところです。一月に一度か、二月に一度童話の会を開き、年に一作か二作の童話を書くことができればと思っています。そして、年に一度は機関誌を発行できればと考えているところです。

(日記:数学ホームホームページづくり。午後は、家内の見舞い返しを買いに福井へ出かける。途中で産業支援センターへより、本を借りる。また、本屋で田原総一朗氏の『デジタル教育は日本を滅ぼす』を買う。その後ショッピングをして見舞い返しをしながら、帰宅する。夜、横浜にいる孫達とパソコンで顔を見ながら話す。)