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Archive for the ‘未分類’ Category

情報過多の時代

04 12月

書く者の立場で変わる
  私たちは、新聞や様々な書籍など活字になった情報に対しては、それが真実であるかの如く受け取りやすい。しかし、新聞を二紙以上購読してみると、よく分かる。

  A紙では重大であると捉えている問題でも、B紙では取り上げもしなかったり、小さな記事で済ませている場合が多い。新聞社の立場で記事の取り上げ方が全く違うからである。読み比べて、自分の頭で考えないといつの間にか洗脳されてしまう危険がある。

  また、物事を考える場合でも当事者として考えるのか、傍観者として考えるのかによってずいぶん異なる。傍観者はただただ批判さえしていればよいのだから気楽なものである。

 やはり、一定の年齢になったら、浮き草のように立場をはっきりさせずに批判ばかりしていないで、自分の立場をはっきりさせて前向きの意見を述べなければと思う。
 
 一定の年齢になると、建設的な意見を述べるよりも、批判的な意見を述べる人は多い。それでは前向きの行動につながらないばかりか、やる気のある人の足を引っ張りかねない。

  最近、ホームページ『ウィキリークス』によってアメリカを始め世界の外交文書がネット上を飛び交っている。何が真実かを見極めることは困難である。今後は、本音で語り難い世の中になりそうだ。情報公開と逆行しそうな部分もある。

  ※ウィキリークス:政府や企業の内部告発情報を一般から募集、公開するインターネット上のサイト。ジュリアン・アサ   ンジ氏が中心となり2006年に活動を開始した。現在は12か国以上の800人超が運営に関わっているとされる。

  インターネットの情報は、新聞や雑誌やテレビとは異なり、活字も映像もあっという間に時間や国境の枠を超えて世界へ広がっていく。

  このごろつくづく思う。ものにはすべて表と裏がある。プラスの部分とマイナスの部分があるのだ。情報の海におぼれながら、世界はどこへ向かうのだろうか。(少し大げさかな)

『片瀬豊年ばやし』は余興で終わるか、それとも郷土芸能として残るか(片瀬の新穀感謝祭で)。

(日記:午前中数学のホームページ作り。事務所の部屋で家内が締太鼓の防音のためのパッドを作ってくれている。太鼓の練習で困ることは騒音が出ることである。特に、練習中の音は近所迷惑になるからだ。午後も作業を継続。途中で、大根とカブをとる。私は.漬け物がなければ食事をしたような気がしないというほど、漬け物好きだ。家内は夜、さわらび会の会合に出かけた。新年の余興も考えるという。)

 
 

地位が人を育てる

03 12月

人を育てるために
 自分のことしか考えられなかった人間がある地位を得て、急に活躍することはよくあることである。

 教員の世界で言えば、教頭や校長などの管理職になると、大丈夫かなと心配するような人でもそれなりに以前と比べて視野が広がり、他に指導できる人間になるから不思議である。

 また、昨日まで学生だった者が教員になったとたんにそれらしく振る舞うから不思議である。周りから「せんせい、先生」とおだてられ、すっかりその気になって自分の力を過信するのは困ったことではあるが。

 教員免許は、教員になれる資格があると言うだけで、本当の教員になれるかなれなかはいかに自ら学ぶ気持ちを持ち続けるかであろう。

  PTAの役員でもそうである。学校や子供のことをあまり考えなかった者が、委員長や会長になると立派な挨拶をし、教育に関心を持つから不思議である。

  もっとも、私も、子供のおかげで親にしてもらったようなものである。妻のおかげで夫に、そして男にしてもらったようなものである。

 こう考えてくると、人はどのようにも育つように思われる。置かれた環境、立場によって、考え方まで変わり、それが行動にも影響を及ぼすのである。

 しかし、こうした立場や役職の中には、失われるものもある。いつまでも、会長でもあるわけではないし、いつまでも社長であったり、いつまでも先生であるわけでもない。

   しかし、いつまでも昔の名前で人前にしゃしゃり出て周囲のひんしゅくを買う人がいるが、そうはなりたくない。辞めてもなお“役職風”を吹かす者は鼻持ちにならない。

  地位を離れたら、その立場で肩の力を抜いて人生を送ればよいではないか。少なくとも私はそう思う。

 全ての地位を退いてなお渋く光る人間がいるが、それこそ本物であろう。間違っても“昔の名前”では生きたくない。せっかくの人生だから。

 今私たちが為すべきこと、それは、『若者にこそ、彼らに相応しいポジションを与える』べきではなかろうか。『彼らに相応しい活躍の場を与える』ことではなかろうか。

『数学的帰納法』の説明のために今日描いた“ドミノ倒し”の図(数学ホームページより)

(日記:午前中はもっぱら数学のホームページ作り。午後1時頃から久々にプールへ行く。プールの中を歩き、泳いだ。ジャグジー風呂で80歳過ぎのおばあさんから話しかけられる。今なお、子供の送り迎えもやっているという。素晴らしいことだ。その後、再び、ホームページ作りに没頭する。基本例題16問中15問はだいたい完成した。今月中には一部公開したい。夜は9月に放映された『龍馬伝』のビデオ3回分見る。)

 
 

“任せること”……論理的であること

02 12月

部下に任せられる組織を作るのは上司の責任
 昔の上司には、部下に向かって、「思い切ってやれ、責任は俺が取る。安心してやってみろ!」と言ったタイプが多かったということを時々聞くことがある。

  一見、度量がある上司のようにも見えるが、これには前提がある。安心して任せられる部下がいる場合か、そのように部下を育てている場合である。

 先日、テレビを見ていたら、それでも、最終結論は社長ではなく、社員というカリスマ的経営者H氏についての番組が放映されていた。

  しかもこの経営者は、破綻したリゾートやホテル・旅館等を次々と再生させているというのである。次々と実績を上げているのである。

   “社長でなく、社員が決定を下す”にも前提があり、この前提に私たちが、学ぶことが非常に多い。それは、結論に至るまでの過程を非常に重視していることである。

  例えば、旅館の経営再建の場合には、下足番、料理人から仲居さん、支配人に至るまで、全ての職員が平等に意見を言える場を設定していること、そして、出される結論が論理的である(ロジックがしっかりしている)ことをH氏が要求していることである。

  思いつきでは駄目だということである。過去の客層を徹底的に分析させ、どの層に一番焦点を当てるべきか、そして、その層にどのようなサービスを提供すべきかを全職員が一丸となって徹底的に話し合うことを要求しているのである。

  こうして、導き出された結論に対しては異議を挟まず、任せきるということであった。H氏が納得するだけの結論を導き出せば、安心して現場に任せられるということであろうし、全責任をH氏が引き受けるとのことであった。

  そうでなければ、数十億、数百億の赤字を抱えた企業を次々と何社も再建できるはずがない。『任せること、信じること』とは、任せられるだけの社員を育てる仕組みを具体的に作っていることである。

  漠然とした目標ではなく、説得力のある結論、論理的な結論を部下が出せるよう職場環境の整備に努めていることであろう。

  そのために、一般的に行われているピラミッド型の組織を廃し、フラット型の組織(小グループを作り、グループリーダーは自ら申し出る)を作って、一人一人の職員の能力を十分に発揮させる仕組みを作っていることも特筆すべきであろう。
 
 事を為すのは人であり、人こそ最高の財産であることを私たちは今一度認識し、人を信じて彼らに活躍の場を与える組織を作ること……、私が最も参考になった部分である。とても有意義な番組であった。

(日記:午前中数学のホームページ作り。途中で歯医者へ行く。午後も3時頃まで作業を継続。午後3時過ぎから事務所の資料の整理や掃除をする。モノがあり過ぎてストレスがたまる。捨てるモノがあるとほっとする。午後7時半より、『片瀬豊年ばやし』の練習。突然、出番ができたためだ。12月11日に市の教育会館で披露することになったのだ。)

 
 

まさに“白山”

01 12月

白く輝く聖なる山
  午前7時半に家を出て、2ケ月に一度の定期検診のため済生会病院へに出かけた。血液や尿の検査があり、毎回結果が出るので一喜一憂だ。

  幸い、今日はわずかではあるが成績はよかった。途中楽器屋へ寄ってオカリナの合奏曲集を買い、気分をよくして外食をして、帰路についた。

九頭竜川の向こうに白く輝く聖なる山“白山”(12月1日午後1時35分 小舟渡と保田の中間点の九頭竜川沿いで撮影)

 今日はとても素晴らしい天気だった。上志比辺りに来たところ眼前に白い山が浮かび上がった。白山だ。

  「写真を撮らなくっちゃ」と小舟渡側から帰宅することにした。このポイントから私が撮影した写真が、今年発売された『文藝春秋』の三屋祐子さんのエッセイに添えられている。

  この山を眺めて暮らすことのできる地区に住む人たちがうらやましい。

ホームページホームページ『みんなの白山』
  思えば、今から3年前、私が顧問を務める『勝山郷土研究会』の若者達が子供夢基金の支援を得てホームページ『みんなの白山』を作ることになった。

  彼らは、十数回に渡り白山周辺を取材してまわったのだ。越前・加賀・美濃の3禅定道へも何度か出かけて写真を撮影したりした。

  私も、何度かこの取材に同行した。また、白峰始め県内各地のポイントから白山の写真を撮ることにも同行した。そして、白山の魅力をあらゆる方面から知ることができた。

 やっぱり白山は素晴らしい山だ。多くの人たちを魅惑するだけの歴史を持っている。周辺に豊かな恵みを与え、多様な動植物を育んでいる。

  特に、白山の雪解け水は、九頭竜川、手取川、長良川、庄川などを通して福井、石川、岐阜、富山の各県に注ぎ、米作りを始め、流域の人たちの生活に大きく関わっている。この白山を開いたのは福井県生まれの泰澄大師であるとされている。

 また、3県6市1村で「霊峰白山と山麓の文化的景観」をテーマに世界遺産登録を目指しているのだ。我が勝山市では、その中心は、泰澄大師が開いたとされる平泉寺である。

 今日、白山の神々しい姿を見て、ホームページ『みんなの白山』制作の頃を思い出した。是非とも、多くの人たちのこのホームページを見てもらいたいものだ。

ホームページ『みんなの白山』です。
   http://haku-san.com/

(日記:午前中定期検診のため済生会病院へ。午後ヤーコン掘り。4時頃から数学のホームページ作り。)

 
 

時代はどこへ向かうのだろうか?

30 11月

モノがない分“想像力が育った時代”
 今の世の中は、私たち60歳前後の世代の子供時代に比べると比較できないくらい豊かになっている。豊かになったと言っても、それは“モノ”に関してだけであって、豊かになったとは必ずしも思えない。

  我々の子供時代は、モノに関しては極端に少なく、今とは比べものにならないほど質素な生活であったように思う。しかし、それが貧しかったとは思わなかった。

  ざっと考えただけでも、肉などは年に二回しか食べることはなかった。(一度は農作業の最終日、臼すりの日、もう一日は大晦日であった。)

  また、車などはもちろんなく、一家に一台、自転車がルだけであった。(そもそも子供自転車など存在もしなかった。)そのために、子供達は、俺これ創意工夫をして大人の自転車にチャレンジしたものだ。

  私に地区では、自転車の乗り方には“さんまた”、“中また”、“大また”と三段階があった。自転車の車体の三角部分に右足を入れて乗るのが“さんまた”、自転車の座席に座らず、車体の辛抱に座って乗るのが“中また”であり、これは身体が小さくてペダルに足が届かないための苦肉の策であった。

  ようやく足が届いて自転車に乗ったのが、“大また”であった。しかしながら、いつでも自転車を使えたのではない。父親が会社から帰ってきた後のわずかな時間にしか自転車を使えなかった。

  自転車を借りるためには、その代償として自転車を磨くことを求められた。自転車のスポークの一本一本をぼろ布で磨いたものだ。テレビなどもなかったし、いわゆるゲーム機などは存在もしなかった。

  モノがない分、創意工夫をしてあらゆることにチャレンジしたものだ。これは、遊びだけではなく、技術の習得についても同様であった。地区の仲間とは様々な行事を通じて遊んだりしたものだ。

 モノがない分、豊かな経験があったと思っている。しかし、その頃育った者は親になって、子供達に苦労をさせまいと一生懸命働いた。

“豊かな時代”になったとは言うけれど
 数十年前と比べると、物質的には比較にならないほど豊かになった。しかし、その結果、どうなったであろうか。人間が劣化しているのではないだろうか。

  近年、子供に対する異常な犯罪が頻発している。一見普通に見える(実は普通ではない)者が突如として凶悪事件を起こすのである。その度にその対策がは検討される。

 しかし、子どもたちの安全を守ることが非常に困難な時代になってきている。それは、異常な犯罪者だけではなく、普通の大人が、突然異常な犯罪を起こす可能性がどんどん増えている。

 子供は年をとれば、大きくなれば大人になるのではない。子供を持てば親になるのでもない。大人になったり、親になるには、経験したり、習得しなければならないものがたくさんあるように思う。

  子供を大人にする仕組みとして大きな役割を果たしてきた「地域社会」や「家庭」が崩壊している。子供のまま大きくなった「オトナ」がどんどん増えている。

 個人も、集団も、国家も不信感を持ったまま歩みを続けている。日本海周辺は今や危険な地域になってきている。その中で、今さえよければと言う刹那的なオトナが増えている。

  今まで社会は、ある種の信頼関係の上に成り立っていた。しかし、いつ何が起こるかわからない時代になりつつある。特に異常な犯罪が増加しているように思えてならない。世の中が二極化してますますそのスピードが速まっているように思う。

 今後ますます防犯カメラは普及するだろう。“人を見たら犯罪者と思え”と教えなければならない世の中になりつつある。さぞかし住みにくいだろう。不信感に満ちて寒々として世の中では、更に次の犯罪者を産み出しそうである。

  今の世の中が“子どもたちにとってはどうか?”ということを大人達は真剣に考え、子どもたちの成長の妨げになるモノを大人達がこれ以上作り出さない、示さないことが大切ではなかろうか。

 私たち大人が、“モノを作ること”と“人をつくる(育てる)こと”を混同しているうちは、人と人とが信頼し合える世の中をつくることは困難であろう。

 今の世の中のシステムや大人達の言動、そして自由の横行が、次の犯罪を産み出す予備軍を育てることにならないよう私たちは、勇気を持って変えるべきところは変え、守るべきところは守り、規制すべきところは規制すべきではなかろうか。

  自由とは、責任を伴って初めて意味を為し、権利とは義務を伴って初めて論じることが可能になることを自覚すべきであろう。つまるところ、子供の問題は全て大人の問題であると私は思っている。

(日記:午前中、雪囲いの最終コースである植木の雪囲いをした。午後も作業を継続した。太陽が出ていてとても気持ちがよかった。2時頃から6時頃まで事務所で数学のホームページ作り。夜は8月頃の『龍馬伝』を見る。薩長同盟成立の頃の話であった。今なら、信じられない大事件だ。と言うよりも犯罪として扱われるだろう。龍馬達はまさに生きていると感じて行動していたのであろう。)

 
 

あかおやま

29 11月

子供達にほしい“あかおやま”
  子供達にモノを教える時にいつも思うこと。それは“あかおやま”。

   あ 挨拶
   か 感謝
   お 思いやり
   や 約束
   ま マナー

 教わる立場の者は、指導者に出会った瞬間に挨拶をすべきである。私自身も、なるべく日々の生活でも挨拶をするよう心がけているつもりである。子供達を見ていると、このような感覚が鈍いように思う。

 教える者はいつもそれなりの準備をしているものである。見えないところでいろいろ苦労をしているものである。現代っ子は恵まれ過ぎていて、すべてのもを当たり前に思っているのではないか。感謝の気持ちを持たない者は学ぶ資格がない。

 相手はどう思っているのか、相手の立場でモノを考えられる人間になってほしい。相手を思いやる気持ちがなければ、相手から信頼されることもないだろう。相手から得るものも少ないだろう。今は、相手の話を聞けない者が少なくない。

 約束を守らないような者は信頼されることはないだろう。約策を守らない者は社会に出たら誰からも相手にされないだろう。時間を守る、ルールを守る、いろいろ守るべきものがあるはずである。
 
 マナーを守れない人間は多い。マナーを身につけていない者は決して他人から信頼されないであろう。自分だけではなく、家庭の信頼をも失うであろう。

 今日は、久しぶりに中学生に話した。現役時代(「高校教員)にも、いつも部活の生徒達に話したことである。自分をコントロールできない子供がいるようである。損する性格である。

オカリナ教室の初舞台は村岡の「わいわいクリスマス」(ちらし)

(日記:午前中、数学のホームページ作り。午後、北部中学校で和太鼓指導。その後、ホームページ作りを継続。4時から、オカリナ教室の教材作り。7時頃、ようやく練習用のCDを作り上げた。午後7時半から、オカリナ教室。少しずつ、進歩しているようであった。自宅でも時々家内と練習するが、複数の人間と練習すると楽しいものである。)

 
 

新穀感謝祭と農舎落成式

28 11月

今日は新穀感謝祭
  午前6時半起床。午後7時に集会所へ行く。今日は、『農事組合法人かたせ』の農舎の落成式と祝賀会、そして恒例の収穫感謝祭があるのだ。そのための、準備として「そば打ち」と「餅つき」があるのだ。

私も先輩に教わりながらソバ打ちを体験

  私は、壮年会のメンバーとして、そば打ちの手伝いをするのだ。最初にそば粉をこね、のし棒で大きく広げてそばを切るのだ。ほとんどやったことのない私だが、先輩達の教わって、挑戦した。

  少しずつコツがわかってきた。しっかりそば粉をこねないと、その後の作業に差し支えることがわかった。どの作業も手抜きは許されないのだ。なかなか面白かったが、汗をかくほど暑くなった。

農事組合「法人かたせ」の農舎落成式で挨拶する親泊安次農林部長

  その後、10時から農舎で落成式が行われた。農業者の高齢化と後継者不足のため、「農事法人かたせ」を組織して集団で農業に取り組んできた。しかしこれにも、担当者の高齢化や種々の問題が潜んでいる。

  また、農業は地域に対してどのような意義があるのか、いろいろ考えなければならない。そろばん勘定では、米以外ほとんどが今のままでは採算が合わないという。

  しかし、生き甲斐農業もあるのではないか、このあたりを考え直さないと、農業は成り立たなくなるのではないか。農の持つ力をもう少し見直さなければならないのではないか。そんなことを考えながら、落成式に参加していた。

   その中で、新しい地区の郷土芸能『片瀬豊年ばやし』が披露された。しかし、残念ながら、CDがうまく作動しなくて練習の成果を十分実力を発揮できないまま終わってしまった。全く残念であった。

  それでも、練習したことは無駄ではなかったと思う。今後も、いろんな場所で披露しながら、改良を重ねて地元に定着するものを作り上げていきたい。

(日記:午前7時から午後1時過ぎまで農舎の落成式と祝賀会・収穫感謝祭のために準備やアトラクションを行う。午後1時半過ぎから4時まで数学のホームページ作り。その後、アメリカ人女性に和太鼓を教える。新しいメンバー二人が加入し、全部で4人になった。少し和太鼓らしくなるだろう。)

祝賀会を兼ねた収穫感謝祭で『片瀬豊年ばやし』を披露する区民有志(私たち夫婦も出演)。

「片瀬豊年ばやし」を披露
 その後、集会所で祝賀会を兼ねて収穫感謝祭が行われた。ソバやぜんざい、里芋の煮っ転がしなどが酒やビールと共に振る舞われた。参加者はそんなに多くはなかったが、様々な年代の区民が集まった。

 
 

「人間信頼の感情を育てる」

27 11月

今も古くならない言葉
 私が、赴任した二つ目の学校で恩師N氏と出会った。私の定義では、恩師とは私が教わった中で心から尊敬できる人である。

  この、N氏が、校長の頃、学校目標に『人間信頼の感情を育てる』というのがある。人は信頼に足る存在であることを実感できるように子どもたちを育てることが大切だという。

  昨今、この逆をいくような国家や個人が多い。自国の利益のみ、あるいは、自社の利益のみを求めて行動する人は本当に多い。これで、この先、国家や企業が生きのびていくことはできるのだろうか。

  これで、世界に平和が訪れるというのだろうか。国家が率先して他国を非難する教育を推し進めて、果たして、自国の利益になるのだろうか。

  他国を、他社を、他人を信頼することができる気持ちを子供のうちから、育てておかなければいつになっても、この狭い地球上で人は争い続けなければならないだろう。

  この人は信頼できる。この人のためなら骨身惜しまず働くことが出来る。私たちはそんな人間を何人持つことが出来るだろうか?国を越えてもそうだ。役職を離れてもそうだ。

  今はどちらかというと、個人の権利ばかりが優先され、自由という名の下に、金さえあればよい、地位(権力)さえあればよい、儲かりさえすればよい、能率さえ上がればよい、……という人がどんどん増えてきている。

  世の中の価値判断がお金や地位や能率で為されるようになり、自分中心、自国優先になってしまった。経済優先、物質的豊か優先の今の世の中では、ヒーローとは、「いかに金を稼ぐか?」、「いかに大金を動かすか?」になってしまっているように思われる。

  こうした社会は、常に悲しい犠牲を余儀なくされるのではないか?絶え間なく起こる紛争または戦争、頻発する異常な事件、勝者・敗者と二極化する社会、人命よりも利益を優先する異常な耐震強度偽装事件……。まだまだ続くだろう。

  今時、正義とか信頼という言葉を使うと、甘っちょろいと言われるかもしれない。しかし、こうした言葉を取り戻さない限り、世の中には平和も心の豊かさも訪れはしないであろう。

 40年前に『人間信頼の感情を育てる』を学校目標とした恩師の言葉は、私の中では今も常に新鮮である。

寒い中ですくすく育つニンニクの苗(食用のニンニクを植えた)。

(日記:今日は朝から晩まで事務所にこもって数学のホームページ作りを行った。数学講座をホームページ上で展開しようとなると、数学の記号入力のために、本当に時間がかかる。やっていることはとても楽しいが、風邪気味でもあり、本当に疲れた。末娘が大阪から帰ってきた。子供が大きくなるということは、自分が年をとることだから、うれしくもあり、ちょっと悲しい。)

 
 

家族会議のすすめ

26 11月

家族のコミュニケーションを図るために
  一昨日だっただろうか、例によって、ラジオを聞きながらホームページ作成の作業をしていたときだった。あのバレーボール選手だったスポーツキャスターの大林素子さんがご主人とラジオに出演していた。

  夫婦のなれそめや日常生活についていろいろ語っていた。とても、さわやかで明るい夫婦だった。その中で、「同感だ」と思ったことがあった。それは、「二人で家族会議をやる」ということだった。

  私も家族会議賛成派だ。息子達にも、「家族会議をしよう」と、話しかけ、話し合いを持ったこともあった。息子達も、時には、友人と二人で会議をしているようであった。

  夫婦二人だから、いつでも何でも話せるではないかと思うかもしれないが、それはどちらかがそう思っているだけ、実際にはコミュニケーションは図られていないと思う。

  ここで言う会議とは、“テーマを持って話し合う”ことだ。将来設計や金の使い方、休日の使い方、生き方などについて意見を交換し、方針を決めることは大切だと思う。

  大林さんもそのようなことを語っていた。むしろ、アナウンサーの方が「二人で会議?」と驚いていた。コミュニケージョンとは双方向に想いを伝えることであり、忙しい日常生活の中では簡単ではない。

  きっちりと時間をとってやるべきだと私は思っている。ラじオを聞いていて、家族会議を大切さを何人の人が理解できただろうか。はなはだ疑問である。

集会所での銭太鼓練習(今日の写真ではない)

(日記:午前中、数学のホームページ作り。午前11時から歯医者。本当に時間がもったいない。午後も、作業を継続。途中で、家内とオカリナのセッション(実際はそんな格好のいいものではない)。日曜日に農舎新築落成式が行われ、その後祝賀会があり、兼ねて収穫感謝祭がある。そして、そこで、村の新しい芸能『片瀬豊年ばやし』が披露される。今晩は最後の練習会だ。歌、銭太鼓、女踊り、いずれもかなり上手になってきた。)

 
 

最近の生活サイクル

25 11月
 だいたいできた生活リズム
  退職して8ヶ月が過ぎようとしている。この間だいたいの生活サイクルが決まりかけてきた。一日のうち4~5時間程度は、私の本職だった数学に関わることに時間を費やしている。 

  そして、2~3時間は、家庭の仕事(家を守るための仕事、家庭菜園や雑事)を、そして週に何時間かは、地域に関わることに時間を費やしている。また、月に二回『津軽三味線』を習っているために、一週間に何時間かは三味線の練習をしている。

  そして、頼まれて『オカリナ教室』を事務所で開いているために、楽譜やCDなど教材の準備などに時間を使っている。家内もオカリナ教室に参加しているために、食後などには二人でオカリナのアンサンブルを楽しんでいる。

  また、外国人に請われて和太鼓を教えている。残念なことは、上手になった頃に、帰国することだ。それでも、国際交流と英会話の練習だと思って続けている。

  今年も、この8ヶ月間の間に、3曲歌を作った。初めて作った地区の歌『片瀬豊年ばやし』は、村の活性化を祈って作ったものだ。

  私の起床時のスケジュールはいつも決まっている。朝は起きると新聞を読みながら、マッサージ機で身体をほぐし、ラジオ体操、股上げ100回、スクワット100回、腹筋30回を欠かさず行っている。これは、よほどでない限り休まず続けている。

  数学に時間を費やしすぎているために、創作活動があまりできていないが、冬になったら、創作活動に時間を費やしたい。童話や紙芝居、映像編集などに時間をかけて作品を作ってみたい。書きかけの小説も完成させたい。

我が家で『片瀬豊年ばやし』の歌の練習をするTさんと付き添いの奥さん(この歌の女踊りをする)。 

(日記:午前中は風邪のため夫婦で病院へ。その後、少しだけ雪囲い。午後は、数学のホームページ作り。途中で家庭菜園の片付け作業。そして、夜は7時半過ぎから、9時過ぎまで歌の特訓。と言っても、私が歌を歌えるわけではない。次の日曜日の収穫祭に、私の作った『片瀬豊年ばやし』を歌ってくれるTさんに、歌に入るタイミングなどを指導。今日末娘が大阪から帰ってくる。)