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Archive for the ‘未分類’ Category

遅れてやってきた正月

12 2月

雪と戯れる
  正月には仕事で帰省できなかった息子が家族を連れてやってきた。休みを取って4泊5日でやってきたからには、こちらは正月のつもりで対応することにした。

童心に返って遊ぶ息子の家族

  今日は雪になるとの予報でったが実際にはとてもよい天気になった。孫達はソリとスキー、息子はスノーボード、私はスキーと片瀬オリジナルのソリを持って雁ヶ原スキー場へ出かけた。

  最初は、孫と一緒にソリを楽しんだ。息子達家族も2台のソリを連結したりしながら童心に返ってそれを楽しんだようだ。途中で休息をとり、孫のスキーにも付き合った。

  途中で息子はスノーボードを、私はスキーを楽しんだ。久々のスキーであった。脚力が弱っているなあと痛感した。20歳代、30歳代とは筋力などはずいぶん弱ったようだ。

  今から鍛えるわけにもいかないが、弱まるスピードをゆっくりしたいものだ。日々、柔軟体操や筋力アップのためにせめて週1回はプールへも行きたい。

ゲレンデの端にある雪山で遊ぶ孫達

  帰り際に、子ども達が最も夢中になったのは、ソリやスキーではなく、スキー場の端に積まれた雪山から滑り下りることだった。もう一回、もう一回と何回も雪の山に上り下りした。

  考えてみれば、子どもが夢中になることは、必ずしも大人が考えるようなものではないかもしれない。既成のおもちゃを子ども達が喜ぶだろうと思っても、子ども達はすぐ飽きてしまって空き缶は空き箱などに夢中になることが多いものだ。

  我が家の孫達も、動かない(危ないので電源を切ってある)ウオーキングマシーンを電車に見立てて遊んでいる。いくつもメーターが付いているからだ。

  とにかく、子ども達は一日中、ソリや雪山遊日などに夢中になって、勝山の冬を楽しんだようだ。私自身も、孫達のおかげで、スキー場へ足を運んだために、いろんな人に会うことができたし、スキーをすることもできた。

親子でソバ打ち競演!?
  正月の年越しソバのつもりでソバを打つことを決めた。息子が半分、私が半分、最初から最後まで責任を持ってソバを打った。息子の嫁と家内はおろしを作ったり、天ぷらをあげたり、している。

親子でそば打ちを楽しむ

  みんな喜んでくれたので、ソバの打ち甲斐があった。どうも、水加減などは、何度も打っているうちにわかることかもしれない。素人の私には、マニュアル通りではうまくいかない。

  やはり、色々やっているうちに、マスターできることかもしれない。習うより慣れろだ。そば粉などがあれば、私は何とかソバを打てるなあと思った。これからも、機会あるごとに、ソバを打ってみたい。

(日記:午前中、雁ヶ原へ出かける。午前中、宗教行事で道場へお参りしていた家内も、昼食時に合流。午後も、スキー、ソリ、スノーボードなどを息子や孫達と楽しむ。夕方、息子とソバ打ち。孫達も喜んで食べてくれた。夜、息子に、パソコンの設定などを頼む。充実した1日であった。)

 
 

孫達の帰省と「ふるさと」

11 2月

雪のふるさとへ
  息子の東京勤務で孫達が横浜へ移ってから一年数ケ月が経過した。長期に休みには帰省していたが、今年の正月は息子の嫁と孫達が帰省しただけであった。

  しかし、今日は息子も含めて家族4人が帰省することになった。私は、家内と一緒に12時過ぎの白鷺で到着する孫達を 福井駅へ迎えに出かけた。朝から、今日はとてもよい天気だった。

  福井駅で孫達を合流し、福井市内で昼食をとり、ショッピングをして勝山へ向かった。孫達は、我が家の周りの雪を見てとてもうれしそうだった。息子夫婦も孫達も勝山で育っているので、勝山はやはり「ふるさと」と感じているのであろうか。

いつもの階段を下りてくる孫達一家(福井駅)

  ところで、今の子ども達に「ふるさと」はあるのだろうか?年々地域は、子ども達との関わりをなくしているように思う。自宅と学校の往復。そして、習い事で自宅と教室の往復。

  子ども達の日々の生活は、とても忙しい。そして、地域との関わりは非常に少なくなってきているように思う。子ども達は地域が「ふるさと」であるというよりも、我が家が「ふるさと」になっているようだ。

  最近は、「我が家あって故郷なし」のような状況になっているのではないかと思われる。子ども達は、昔と比べると、日々の生活の中で、近所の人たちとの関わり、地域で取り組む行事へ参加する機会は非常に少なくなってきているようだ。

  地域は、今、過疎化に悩んでいる。そこへ、豪雪だ、豪雨だ、熊の出没だとマイナスの要因が続いている。地方では安全・安心に暮らせない状況になっていると思っている思う若者は少なくないだろう。次の世代が、地域を捨てて都会へ出たがる傾向はこれからも続くであろう。

  今の私にできることは、この勝山でできることを孫達にいっぱい経験させてやりたいと思う。ちょうど、鮭が故郷の河川のにおいをいっぱい身につけて大海へ出て行くように、私たち夫婦は孫達に故郷のにおいをいっぱい身につけてやりたいと思う。

  いつか故郷へ戻ることを期待するのではなく、心に故郷を持つようになってくれればそれでいいのだ。いつも暖かい故郷を心に持ちながら生活してくれればと思いながら、今回の帰省でも孫達と楽しく過ごしたいと思う。

(日記:午前中、家の整理。昼頃、孫達を迎えに福井駅へ行く。福井で昼食をとり、勝山へ。少し休んで、大野での息子達の買い物に付き合う。私は、例によって、本屋で「高校数学の参考書(旺文社)」と「知的余生の方法(渡部昇一著)」と「週刊誌」を買う。久々に賑やかな夕食であった。)

 
 

整理整頓

10 2月

DVDで情報管理
  今日は、事務所での数学のホームページ作りを止めて部屋の整理整頓をすることにした。身の回りのものとは、私には二種類のものがある。一つは身の回りにある数々の品物。

  もう一つは、とりためたビデオである。こちらの方野整理には意外と時間がかかる。というのは、先ず録画したモノの不要な部分をカットしなければならないからだ。民放の場合にはコマーシャルが入っているのでこれらをカットしなければならない。

  コマーシャルの部分を探し出してカットするのはかなり時間のかかる作業だ。特に、NHKの『クローズアップ現代』は、毎朝新聞を見て「今日の内容は何か」をチェックしている。そして、興味ある番組は録画予約をすることにしている。

  録画した『クローズアップ現代』の中で最も新しいものでは、昨日の『ワンピース』だ。これは漫画だそうだが、今の世相を反映して超ヒットしている作品だそうだ。

  「無縁社会」なる言葉はかつてはなかったが、今や定着してしまった言葉だ。この漫画を私は見ていないが、「無縁社会」の中だからこそ大ヒットした作品になったそうだ。

  このほか、『クローズアップ現代』では、『飛び出せ!異能』、『断捨離』、『週末ファーマー』、『プロボノ 新しい社会貢献』、『買わない消費者増加中』などをDVDに焼いた。

  また他の番組では『役所改革』、『隙間時間活用術』、子ども達へボランティアの参考になるだろうと『腹話術』、『人形劇』、『紙芝居』なども焼いた。また、『我が青春のエレキサウンド』などの音楽番組も焼いた。

何かの役に立つだろうとDVDに焼いたテレビ番組

  音楽は、車での旅行中に役立つ。面白い番組がない場合には音声を聞きながら旅ができるからだ。焼いたあとは、ラベル印刷もしなければならない。いずれも、数分の時間がかかるので部屋の整理をしながらの作業となった。

  それにしても『断捨離』は私の願いだが、愛着のあるものを捨てるのはとても勇気のいることだ。一気に捨てたいが毎回少しずつしか捨てることができない。

  何も、ない部屋って本当にあこがれる。書籍、資料、衣類、楽器等々、モノが溢れている。どれにも愛着があって捨てきれない。モノのない時代に育っただけに“断捨離”は本当に難しい。

(日記:午前、午後とも部屋の整理。DVDを焼きラベル印刷をしながらの作業だった。午後4時から市営プールへ行く。少し泳ぎ、たくさん歩いた。サウナで汗を流した。午後7時頃から横浜に住む孫達とスカイプ(テレビ電話)。息子の嫁と孫達は正月に10日ほど帰省したが、息子は仕事で帰れなかった。その息子達が明日4泊五日で帰って来るという。私たち夫婦にとっては孫達と会えるうれしい日となる。一緒に風呂へ入り、一緒に寝ることができるからだ。)

 
 

時間の使い方

09 2月

時間の使い方
  退職してまもなく一年になろうとしている。自由時間は比較にならないほど増えた。しかし、やることはそれには比例していない。現役時代も帰宅してからかなりいろんなことができたと思っている。今は、無駄な時間がかなりある。

  あと一ヶ月半で一年が過ぎる。旅行など、現役時代にはできなかったことがたくさんできたし、ゆったりした時間をもつこともできた。時間がたくさんあると無駄な時間の過ごし方もあったように思う。

  やはり、「一年の計は元旦にあり」ではないが、年度初めには短期的な計画、中期的な計画、長期的な計画を立てておきたいと思う。何事も願わなければできないだろうから。

  何事も、意志がなければできないだろう。しかし、「あれもしたい、これもしたい」といろんなことに手を出しすぎたようだ。ここ数年、まだまだいろんなことに取り組めると思って来たが、必ずしもそうではないと思うようになってきた。

  平成23年度は、いくつかに的を絞って、時間を有効に使いたい。もちろん、旅行や家庭菜園や地域のことにも時間を使いたいが、これはというものにも集中的に取り組みたい。

  そんな中で、時間はそれほどかけられないだろうが、片瀬の特産物作りに取り組みたいと思っている。歳をとると先が見えてあきらめてしまう人が周囲には少なくない。「無理や」、「うまくいかんやろ」という台詞をよく聞く。

  また、歳をとると、自分のことだけで手がいっぱいになり、仲間で何かをするということが苦手な人が多くなる。そんな人たちに声をかけながら、一人でできること、仲間でできること、色々考えながら時間を有効に使い、充実した生活を送りたい。

(日記:午前、午後とも数学のホームページ作り。1時間おきに、事務所の排雪作業。今日は終日雨だった。ずいぶん雪が減ったように思う。夜は、例によって家内と録画した『てっぱん』を見る。ここ1ヶ月で3ヶ月分の録画を見て、今日、ようやくすべての録画を見終わった。明日から、本番の放送を見ることになる。)

 
 

音楽制作環境充実のために

08 2月
久々にハード購入
 私の趣味の一つは「歌や曲作り」だ。パソコンを使って音楽制作のすべてを行っているわけだが、そのためには、高品位の音源(ハード)とこれを操作するソフトが必要だ。
 
  今使っているハードは三代目だが、十年ぐらいは使い続けているだろう。今日、インターネットで購入したのは、ローランド社製の『Mobile Studio Canvas』だ。宅急便で手に入れた。
 
  これまで使っていたハードの進化したものだ。これまでのハードは、広辞苑ぐらいの大きさだったが、今度のものは、小型のノートパソコン並の大きさだ。
 ノートパソコンと一緒に持ち運べば、本格的な楽曲制作やレコーディングができるというのがこの機器の売りだ。どこででも音楽制作ができる優れものだ。
  この機器は、ハードウェア音源の利点を活かし、コンピューターの能力に依存するソフトウェア音源を使用しない制作環境も実現できるので、ネットブックなどの超軽量のパソコンでも高度な音楽制作を行うことができるというのがうれしい。
 
   また、生の演奏活動に使えるというのもうれしい。キーボードで演奏すれば、あらゆる楽器の音色を出せるのもうれしい。特に表現力を要する「バイオリン」、「トロンボーン」、「尺八」の演奏に対応しているというのもうれしい。

音楽制作の強力な助っ人「モバイル・スタジオ・キャンバス(ローランド社製)」。上が機器で下はパソコン上の画面。

  問題は、これを使いこなせるかだ。これまでの機器もそうだったが、機器の持っている能力の1割も使っていなかった野ではないかと思われる。機器は、どんどん進化していくのに、使う私の能力は機器の進化について行くどころか、退化しているのではと思われる。

  話は変わるが、今の若い人たちがうらやましい。私たちの若い頃と比べると、いろんな機器が周囲に溢れている。創作環境が整っているのだ。しかし、ゲームなど、受け身的なものも昔とは比べものにならないくらいに出回っている。
  問題は、どちらに向かうかだ。受け身的なゲームなどに時間を使うか、それとも、創作的なものに機器を活用するかだ。企業の戦略に乗ってもっぱらゲームなどに明け暮れているのは悲しい。
  私に言わせれば、「今や、携帯電話もどんどんパソコンに近づき、コミュニケーションツールにしてはサービス過剰で、ゲーム機の様相を呈している。大の大人が24時間おもちゃを持って歩いているように見えなくもない。」
 新しい機器を手に入れてわくわくしている。新しい機器になれるのは、いつのことになるかわからないが、一日も早くこの機器を使いこなせるようになって、いろんな曲を作ってみたい。
(日記:午前中、久々に数学のホームページ作り。合間に、事務所の駐車場の排雪作業。午後も、作業を継続。やっと普通のぺースで生活できるようになった。)
 
 

大相撲問題から見えてくること

07 2月

構造上の問題
  ニュースなどを見ていると、大相撲の問題が連日放送されている。「八百長はだめだ」という意見が多い。全く同感である。しかしながら、それだけでは永久に八百長はなくならないであろう。素人ながらそう思う。

  大相撲の世界が八百長を生む構造になっているからだ。この構造事態にメスを入れない限り、八百長はなくならないと思う。「八百長はだめだ」と言っているだけでは根本的な解決にならない。

 たとえばの話だが、苦労してようやく「十両」に昇進した力士がいたとしよう。ようやく、月給がもらえ、関取と言われる身分になったのである。身の回りの世話をする「付け人」も持つことができる。

  羽織、袴を着用することができ、曲げも、大銀杏に変わる。世間からも、ふるさとからも、ようやく一人前の力士として認められたのである。しかし、もう若くはない。

  結婚して家族を持つようになる。ここで「幕下」へ戻ったのでは、生活が成り立たなくなる。月給がなくなるからだ。なんとしても、「十両」の地位を守らなければならない。せめて8番は勝たねばならないということになる。

  すでに勝ち越している相手から、せめて1勝を貸してほしいとなる。そこに、助け合いが生まれる。「八百長」という形での助け合いだ。貸す方もいつかは自分も借りなければならない日が来るだろうと、誘惑に負けて助け合いが始まる。

  素人の私が見ていても、普段とは違うこの「1勝」という大切な勝ち星があるように思う。この1勝さえあれば事態が変わるという大切な1勝だ。

  「あと1勝で優勝」、「あと1勝で勝ち越し」、「あと1勝で大関に昇進」、「あと1勝で横綱に昇進」、「あと1勝で幕内在位20場所(親方の資格が得られる)」、「あと1勝で十両以上在位三〇場所(親方の資格が得られる)」……という大事な1勝があるように思われる。

  この1勝さえあれば陥落しないという1勝もある。あと1勝さえあれば関取から陥落しないという天国と地獄の境目にある1勝もある。十両の下位にある者には地獄の手前のような地位だ。今の家庭を守る1勝だ。

  そこに、人情が入り込む余地がある。情が入り込む余地がある。不正が入り込む余地がある。このような相撲界の構造を変えずして「八百長、八百長」と騒ぎ立ててもどうしようもない。八百長問題は、人の弱さに起因する悲しい出来事だ。

  相撲界は認めたがらないようだが、これまでも八百長はあったように思う。この問題をどのように解決するのかわからないが、共通する問題は、勝負の世界以外にもあるように思われる。

  八百長問題は、決して相撲界だけの問題ではない。あらゆる世界にあるように思われる。教員の採用試験にまつわる不正問題が数年前にあった。多くの県で問題になったのだ。これも八百長のような事件だった。

  どのように、相撲界が解決するのかわからないが、構造的な部分にまでメスを入れなければならないであろう。無責任に他人を非難するだけではなく、自分の問題として、見守りたい。

(日記:午前中、オカリナの楽譜作成。午後、北部中学校で和太鼓の指導。その後も、楽譜書き。夜、村岡公民館で、オカリナ教室。3月15日の幼児施設も訪問の練習をした。)

 
 

御法事で道場へ

06 2月

道場で一日過ごす
  今日は、御法事の法要と戦没者慰霊の法要が村の道場で行われた。午前9時半より読経が行われ、その後説教が行われた。市内の法勝寺のお寺さんが招かれての説教だ。

  途中で、奥さんが描いたという紙芝居も使いながらの説教であった。子供の時代は、娯楽が少なかったせいもあり、何かと道場へ出かけたものである。

  昔は、読経の最中は、いろりで子供達が集まって話したり、米ふかしやかち栗を食べたりしながら楽しい時間を過ごしたものである。

  説教の時間になると道場の片隅で話を聞いていたりした。この道場は、映画や幻灯を見たり、園芸などをやる文化センターのような役目を持っていたのである。

  今日集まった年代をみると、一番多いのが70歳代、続いて60歳代、50歳代となっていた。若者の寺離れが進んでいるように思えた。

資料を使って説教をする法勝寺の住職さん(於:片瀬三屋道場)

  子供達は、寺へ出かける用事がないだろうし、娯楽の多い今の時代は、子供達にとっては魅力ある場所になっていないように思う。寺で楽しい思いをした世代は、今や50歳代以上である。

  午後も、参加した。戦没者慰霊の法要があった。この村から戦争に参加してなくなった人は、20人あまりであった。神社から日の丸を振った村人に送られて戦地へ出かけて行ったそうである。そして、生きて帰れなかった人たちである。

  戦争を始める人、負けが濃厚でも止めない人、これは政治家であり軍人であったであろう。一般人は補給も十分でない南方などで相手の攻撃や病気に倒れてしまったのだという。

  少しずつ、戦争が風化していくようである。誰もが平和を望んでいるだろうし、誰もが家族の幸せを祈っているのだが、戦争はこの世からいっこうになくならない。

  説教を聞きながら、戦没者の名前を聞きながら、若い命を戦争のために失った人たちの無念さを思うとき、やりきれない怒りと悲しみがわいてきた。

(日記:午前9時半から昼をはさんで午後5時道場で過ごした。説教の途中で、他の宗教の話も出た。帰宅後、童謡のCD作り。ようやく、午後10時前にCDだけはできた。楽譜印刷までには至らなかった。明日の練習は楽しみだ。)

 
 

終日童謡編曲

05 2月

幼児施設慰問に向けて
  二週間に一度オカリナ教室を開催している。と言っても、私は、オカリナが上手なわけでも何でもない。頼まれてオカリナ教室の世話をしているだけだ。

  今や、楽器屋にはたくさんのオカリナ曲の楽譜がある。しかし、その多くは、独奏用のものである。十人近くの者が同じパートを吹いていたのではあまり楽しくない。
 
  やはり、合奏でなければ面白くない。歌でいえば、多数の人間が全員で斉唱しているようなものである。やはり、合唱の方がはるかに楽しいと思う。

  同じように、オカリナ演奏についても同じだ。二部合奏、あるいは3部合奏にした方がはるかに楽しい。しかし、思うような楽譜を入手することは困難だ。

  そこで、我流ながら自分で編曲することになる。3月中旬に幼児施設を慰問そることになっている。幼児の前で難しい曲を演奏しても、子供達は喜ばないだろう。

  そこで、今日は、月曜日の練習のために、童謡の編曲作業を行った。幼児の喜びそうな、手踊り付きの曲やテレビでおなじみの曲を選んだ。

  これまでも、子供の喜びそうな曲を演奏してきた。「さんぽ」や「となりのトトロ」だ。今回は、これらに加えてさらに曲目を増やした。

◇あんぱんまんマーチ
◇童謡組曲◇
 ・むすんでひらいて
 ・大きな栗の木の下で
 ・犬のおまわりさん
 ・かえる(輪唱)
 ・げんこつやまの

 終日編曲したが、伴奏や練習用のCDを作るまでには至らなかった。明日中には終えたい。楽譜とCD作りを完成させたい。

  そろそろ歌を作りたくなった。「拉致被害にあっためぐみさんとその家族の無念さ」を歌にできないかと思う。このような理不尽なことが起こることは非常に残念である。

  しかしながら、私に何ができるかとなると、全く非力である。せめて、歌で訴えられないかと思う。生身の人間を拉致するなんてあってはならないことであり、許せない行為だ。

  しかし、歌にすることは簡単ではなかろう。簡単でなくても、やろうと思わなければ何も始まらない。めぐみさんの両親のことを思うと、何かしなければと本気で思う。

(日記:午前、午後ともオカリナの『童謡組曲』のCD作りに取り組む。肩と目が限界だ。夜は、例によって『てっぱん』を見る。ようやく、録画も1月の半ばになってきた。その後、家内とオカリナ練習。)

 
 

連日報道される相撲界の不祥事

04 2月

八百長はあったのか
 連日、相撲界の不祥事が報道されている。携帯による八百長問題だ。パソコンもそうだが、メールを消したつもりでも、かすかに痕跡が残り、プロの手にかかればデータを復活させることができるのだ。

  連日報道されるこれらのニュースを聞いていると、そこからいろんなものが読み取れると思う。元力士なる人物が「八百長はあった」と連日証言している。

  一部の力士であろうが、これまでも八百長が続いてきたように思われる。「風が吹けば桶屋が儲かる」式の推論が成り立つように思われる。

 1.大風で土ぼこりが立つ
 2.土ぼこりが目に入って、盲人が増える
 3.盲人は三味線を買う(当時の盲人が就ける職に由来)
 4.三味線に使う猫皮が必要になりネコが殺される
 5.ネコが減ればネズミが増える
 6.ネズミは桶を囓る
 7.桶の需要が増え桶屋が儲かる

 ニュースやコメンテーターの話を聞いていると、「相撲取りになれば八百長をする」式の推論が成り立つように思われてしまう。悲しいことだ。コメンテーターの意見をまとめると次のような流れになってしまう。

 1.相撲取りになったからには、いずれは家族を食べさせなければならない。
 2.家族を食べさせるには月給を受け取れる「関取(十両以上)」にならなければならない。
 3.猛練習をして関取になったからにはその地位を守らなければならない。
   ※ 「関取」といわれる「十両」以上と、それより下位の「幕下」以下では雲泥の差だ。
   ※ 十両(関取)には一〇〇万円あまりの月給が支給されるが、幕下は、
       場所ごとにわずかな手当があるだけだ。
   ※ あるコメンテーターによれば、人間と動物ほどの違いがあるという。
       待遇ばかりでなく、着るものから髪型(ちょんまげ)に至るまで大きな差がある。
   ※  関取には身の回りの世話をする「付け人」が付くが、幕下以下は付け人になるだけ
       である。
 4.その地位を守るには、常に勝ち越さなければならない。
   ※  新たな若手が出て来て勝ち続けることは簡単ではない。
   ※  将来を約束される親方になるにも、幕内なら20場所、十両なら30場所以上
     勤めなければならない。しかも、親方株は非常に高価である。
 5.そこで、関取の地位を守るために、互いに助け合って星の貸し借り(八百長)を行う。

という構図ができるのだろうか。八百長は悪であって許されることではない。相撲界の仕組みそのものを改めなければ同じようなことが繰り返されることになりかねない。

  一部の公務員が、自分達の将来を考えて、自分たちの天下り先を懸命に確保しようとしているのに似ていなくもない。どうこの事件の幕を引くのかわからないが、悲しい事件である。

(日記:午前中、歯医者へ行く。その後、側溝に排雪をしながら『数学のホームページ』作り。午後は、ホームセンターで一輪車を買ってきて、車庫の前の凍った雪を側溝へ捨てる。作業の合間に、オカリナ教室のために幼児の歌を編曲。夜は、例によって家内と『てっぱん』を見る。かなり身体を動かした一日だった。)

 
 

ようやく平常ペース

03 2月

平常ペースに戻る
  今日は青空が見えて、春が一歩近づいた感じだ。ここ一週間ほどは、自宅の除雪作業が忙しくて、事務所の駐車場の除雪をする時間がなかった。

 そのために、事務所に用事があるときは、歩いて出かけた。しかし、昨日から、急に天候がよくなったので、今日は先ず事務所の駐車所の除雪を行った。何とか、一台は駐車できるスペースを確保した。

  その後、久々に事務所のパソコンの前に座って、『数学のホームページ』作りを再開した。時々、水路へ雪を投げ込みながらの作業だった。

  退職者にとっては、生活のペースを確立することが大切だと思う。毎日毎日出たとこ勝負では不安定だ。やはり、一日に一定時間は『数学のホームページ』作りをやりながら、いろんなことに取り組みたい。

  しかしながら、昨年はあまりにも、ホームページ作りに時間をかけすぎたと思っている。今年は、二日、『数学ホームページ』作りに取り組んだら、一日は創作活動に時間を使いたいと思う。

  高校数学の授業に出なくなってから、12年が過ぎた。しかし、その後数年間は、末娘の大学進学につきあったり、知り合いの高校生に数学を教えたりして、何とか数学の勘は維持できたが、ここ数年は全く数学の指導から離れている。

  退職を機会に再び数学に関わるようになった。ただ、今日まで、福井へ出れば必ず本屋へ寄り、数学の参考書などを購入してきたので、完全なブランクはなかったと思っている。

  何よりも、数学に関わっていることは楽しい。これからも、数学をコンパスの中心にして、種々の活動に取り組みたいと思う。ようやく、平常ペースに戻って、落ち着いた一日になった。

我が家の恵方巻きの巻き寿司。鰯を添えて食べるとよいらしい。これ一本でお腹がいっぱいになった。

(日記:午前中、事務所の除雪をしながら『数学のホームページ』作り。午後も作業を継続。夜は、節分で恵方巻きの太巻きを食べる日だ。幸福を祈って、南南東を向きながら家内と二人で無言で太巻きを食べ、鰯を食べた。少しずつ、春が近づいてくるようだ。
 恵方巻きとは、巻き寿司である理由は“福を巻き込む”からで、切らずに1本まるごとかぶりつくのは“縁を切らない”という意味が込められているそうだ。また恵方とはその年の干支に基づいて決められる縁起の良い方角のことで、今年2011年は南南東(丙)だった。)まずはスタンダードな恵方巻きの作り方です。)