RSS
 

Archive for the ‘未分類’ Category

天災に対する備え

14 3月

想定を超える災害規模
  次々と地震や津波に関する情報が明らかになる。地震・津波・原発と重大な天災や事故が重なって日本はまさに危機的な状況にある。

  これらに対処するのは簡単ではなかろう。多くの人の命が失われ、町も破壊された。戦争中と同じような悲惨さである。現地に出向いての支援もあるだろうが、しばらくの間、ライフラインのしっかりした安全な地へ迎え入れることも必要ではなかろうか。

 家をなくした人、身寄りをなくした人、避難場で不自由な人たちの状況をテレビで見ていると、 我が家でも、一家族や二家族、または、子ども達を迎え入れても良いと思うが、これも簡単ではなかろう。

  不便な地域で生活支援をするよりも、戦時中のように疎開することが必要ではなかろうか。町そのものが破壊してしまって住宅も田畑も道路も病院も商店もなくなってしまっているのだから。

  今のままでは、人々が健康を損なう可能性は十分になる。今こそ、政治が前例のない方法で国民を守る番だ。協力者はいくらでもいると思う。

  緊急事態が発生すると、本当にほしいときに、必要なモノが手に入らない。皮肉なことだ。先ずは、情報を伝達する大切な機器である電話や携帯は全く役に立たない。

  普段は自由に会話のできる携帯電話も命が危機にさらされている重大な場面では、通話不能になる。または、電源がなくて使用不能になるのだ。

  災害が発生した時にこそ必要なモノがことごとく役に立たないのだ。この地震でなくなった人たちの無念さを考えるとやりきれない気持ちになる。

  決してこの人たちの命を無駄にしてはいけないと思う。次の世代に向けて、今回の地震や津波から得た教訓を伝えなければならない。

  町のあり方も、根本的に考える必要がある。従来の考え方ではない、安全で安心できる町を作るために、国民の知恵を結集するときだ。

子育て支援センターでの演奏に向けて練習するオカリナ教室の皆さん。

(日記:午前中『数学のホームページ』作り。11時頃、Yさんが、11時半頃U君が事務所へ遊びに来る。2時過ぎまで、昼食もとらずに話し込んだ。楽しい時間であった。午後も、3時頃から作業を継続。夜は、オカリナ教室。新曲と共に、明日、子育て支援センターで演奏する曲の練習をする。帰宅すると、ニュースは地震関係ばかり。自分に何ができるのか、考えたい。)

 
1 Comment

Posted in 未分類

 

一日も早い復旧を

13 3月

一日も早く被害者の救出を
  テレビや新聞の報道を見る限り、信じられない巨大地震と津波が襲ったようだ。先ずは、生存者の救出を急いでいただきたいし、一人でも多くの人の命が救われることを祈りたい。

 あまりのひどさにコメントのしようもない。普段、何気なく当たり前のように使っている電気や水、食べ物、そして、車や携帯電話、冷暖房、風呂やトイレなどは、ひとたび災害が起きれば、どれも使えない。

  当たり前とはいうものの、何も起こらないということは、やはり非常に恵まれているのだということを感じないわけにはいかない。感謝しなければならない。

  それと同時に、災害になれば個人の力では何もできない。普段から、隣近所が助け合い、防災については自分のことだと思って備えを十分にしなければならない。

  テレビで、被災者の方が語っておられたことが特に印象的だった。 「家に戻らず、とにかく避難しなければならない。」という言葉に実感がこもっていた。

  今回の被災者の中には、家へ戻ったために津波にのみ込まれた人も少なくなかったようだ。今回の事故以前には津波警報で高台などに避難していた人が語っておられた。

  「いつも非難していたが逃げる必要がなかったので、ついつい今回ものんびりしていて津波に襲われた」と語っておられたが、「だまされても、やはり、避難を優先すべきだ」とのことだった。

  このような状況の中では、娯楽番組を見る気がしない。被災者の方々は、これから非常なご苦労をされるのだろう。町が消えてしまった方々は、これから先、町の再興に何年かかることだろう。

  画面を見る限り、戦争で爆撃にあった町のようだ。これは、国家の非常事態でもある。つい先日まで、国民を放り出して政局に明け暮れていた議員の皆さん方も、ここ当分の間は、災害復旧に全力で取り組んでもらいたい。

  また、家を失った子ども達は、今後どうするのだろうか。相手が望むなら、落ち着くまで子ども達を預かりたいくらいだ。とにかく、被災者の方々には、一日も早く平穏な日々がおとずれることを祈りたい。

「ばあちゃん所へ来たら帰らなければならない。バイバイ、孫達!」

(日記:午前中、『数学のホームページ』づくり。午前中、長女が子ども(孫)達を連れてやって来た。午後は、短時間ではあったが、久しぶりに日曜大工を行った。あまりの惨事になんとなく浮かない一日だった。)

 
 

自然の猛威

12 3月

想像を絶する大惨事
  テレビは朝からずっと地震関係のニュースだ。画面で見る限りは想像を絶する大惨事。「町が壊滅的な状態になっている」とのレポートが多い。

  地震も大変だが、津波はそれに勝るとも劣らない大きな被害をもたらす。地域によっては、役場そのものがなくなってしまい、被害を把握するどころではない。

  そのため、町によっては、住民の安否がつかめない。火災があちこちで発生しているが、道路が寸断していて、消防車や救急車さえ現場に到着できない。津波が運んだ様々なものが道路をふさいでいるからだ。

  おまけに、原発が事故を起こして、それ自体が問題であるのに、電気を生み出すこともできない。水や電気はいまや生きるために不可欠なものだが、それがストップしているのだ。

  まさに生き地獄の状態だ。しかも、今回は、広範囲に被害が出ている。生き埋めになっている人も少なくない。しかし、重機も被害を受け、道路が寸断されていて、現場へ行けない。

  天災はいつどこで起こるかわからない。今の私に何ができるだろうか。何かをせずにはいられない。今は、私のようなど素人には手を出せないだろうが、そのうちに私でもできることがあるかも知れない。

  何かできる機会があれば、ぜひとも参加したい。一日も、早く復旧することを願うが、粗大ごみと化したさまざまなものを片付けるだけでも、大変なことだ。

  あまりのひどさに、かける声も見つからない。今こそ、「オールジャパン」でこの災害に対処しなければならない。官民上げて、対処してほしい。今の自分に何ができるかを真剣に考えてみたい。

(日記:終日、編曲作業。テレビで見る地震と津波と原発の災害に恐怖を感じる。いつどこで、どんな災害に遭うかは分からない。夜、オカリナ教室。子育て支援センターでのアトラクションの練習。)

 
 

大地震発生

11 3月

わが子達にも影響が
  東北地方で大地震が発生した。ちょうどこの頃、私たち夫婦は、買い物のために福井へ出かけた。ラジオからは地震に関する情報が繰り返し流されていた。

  福井へ到着すると、親戚から子ども達の安否を尋ねる電話がかかってきた。そのうちに、東京へ転勤したばかりの娘からメールがきた。

  新宿のビルの42階にいた末娘からのメールでは、ひどい揺れで死ぬかと思ったほどの恐怖だったらしい。また、目黒区にいる息子は、交通がストップして、今日は横浜の自宅へ帰れないらしいとメールが来た。

  横浜にいる息子の嫁と孫達は、幼稚園の「卒園児を送る会」が終わって帰宅しようとグランドの側を歩いている最中に地震にあったらしい。相当長くして振動してい手怖かったとのことだった。

 こんな時には、携帯や普通電話はほとんどつながらないのだ。横浜ではガスはストップし、水も十分ではないそうだ。

  肝心なときに電話や携帯が役に立たなかったのは、あの美山や福井地区を襲った大豪雨の時にもそうだったらしい。我が勝山市でも、そんの経験から電柱にスピーカーをつけた防災無線放送を備えたのだ。

  机上で考えた防災体制が本番に役立たないことは少なくない。もしも、今自分の地区が地震に襲われたらどうするだろうか。慌てふためいていただろう。

  今のうちに、どこへ逃げるか、水や電気が止まったらどうするかを考えておかなければならないだろう。食事はどうするのか。冬なら暖房はどうするのか。

  我が家でも、電気を使う暖房やIHはほとんど役立たないだろうと考えて。カセットコンロや電気を使わない型の古いストーブも残してはあるが、まだまだ防災には非力だ。非常食ももっと考えなければならない。

  帰宅してテレビを見ていると、想像していたよりもはるかに大きな地震であり、被害も大きかったようだ。余震も、続いているらしい。まだまだ油断はできない。

  このところ、地震がよく起こる。今回の地震を教訓に、防災に対する意識を高め、備えをもう一度見直さなければならない。

(日記:午前中、家内と二人で例によって事務所へ出かける。私は、『数学のホームページ』づくり。2時頃、昼食をとり、福井へ買い物に出かける。後でわかったことだが、この後、東北地方で大地震が発生したのだ。メールをやりとりするのだが通信状況はきわめて悪かった。福井のショッピングセンターでは、家内と別行動を取り、私は楽器屋と本屋で時間を過ごす。オカリナ教室のために、NHK朝ドラ「てっぱん」の主題歌“ひまわり”の楽譜を買う。その他、本屋で「iPhoneアプリ」の本と「野菜作り」の本を買った。途中、東京にいる娘や息子達と地震に対するメールを送った。思うように通信できなかったが、全員が無事であることがわかってよかった。)

 
 

キャラクターの力

10 3月

ゆるキャラブーム
  最近はいろんなところで自治体などのキャラクターを目にすることがある。まちの特徴を表したものや特産品をキャラクターにしたものなど様々なものがある。

  人気のキャラクターは、様々な分野で利用され、経済的にも大きな力を得ている。そして、ゆるキャラのコンテストまで開かれている。人気のキャラクターは各地に招かれている。

  我が福井県にもキャラクターはあるが、まだ全国級ではないようだ。勝山市の「チャマゴン」や「チャマリン」もまだまだローカルスターに留まっている。

昨日、今日、作ったカレーパンマンとレアチーズだそうだ。

  最近、家内が幼児のために作っている漫画の「アンパンマン」もすごいパワーを持っている。 幼児には絶大な人気を得ている。

  おもちゃを始め、教材や衣類などにも利用され、アニメや映画やミュージカルにもなっている。そして、アンパンマンの仲間は今も次々と増えている。

  絵は誰にでも描けそうなくらいにシンプルだ。しかし、子どもの心をがっちりとつかんでいるようだ。悪役のバイキンマンもいるのだが、憎めないキャラクターになっている。

  ド素人の私が、気の利いたキャラクターを作れないかと思うのだが、絵が描ければいいというものではない。素人がネット上でキャラクターを作っても、どのような活躍の舞台を与えられるかが問題だ。

  デズニーの「ミッキーマウス」や「ドナルドダック」、手塚治虫の「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」など世界的なキャラクターもあるし、ゲゲゲの鬼太郎のようにまちの観光に役立つキャラクターもある。

  さて、私のような者にキャラクターを作る資格があるだろうか。どんなキャラクターを作り、どこで活躍させようとするのか。無理なことではあるが、可能性は0ではないと思っている。

  ネット上で、発表する機会はある。アニメキャラクターに人口音声(初音ミクなどのボーカロイド)で歌を歌わせることは可能ではないか。しかし、これには音楽の能力が必要だろう。

  今作っている数学のホームページにキャラクターを作り、「セオリー」を歌わせることも可能ではないか。こんな夢のようなことを考えているだけでも楽しい。昔、漫画家志望だったときの残り火がまだ身体の中に残っているようだ。

(日記:午前9時過ぎに、家内と二人で弁当を持って事務所へ出かけた。途中で、昼食をとり、午後6時過ぎまで、事務所で過ごした。私は、ホームページ作り、家内はアンパンマンキャラクター作り。いつか、これらのキャラクターが、子ども達への歌や読み聞かせ、紙芝居などに活用できるといいな。)

 
 

学力向上というけれど

09 3月

教科書が厚くなる
  「ゆとり教育の見直し」が叫ばれ、教科内容が増えた。教科書が厚くなり、子ども達は消化不良になるのではと心配する教職員も少なくない。

  日本の子ども達の学力が国際的に比較して低いということが「ゆとり教育」から「学力向上」へ舵をきった最大の理由だ。

  ところでこの「学力」だが、何を意味するのだろうか。ペーパーテストでは測れない学力もあるはずだ。単なる知識の詰め込みで高得点を取ったからと言って学力があるとは思えない。

  1から10まで大人の指示に従って学習して、点数を取ったからと言って学力があるとも思えない。受験術を習い、得点が良かったからと言って学力があるとも思えない。

  豊かな感性の育つ子ども時代に、創造的によく遊び、様々な体験をし、よく働くことによって将来、知識が知恵に変わるのではない。知識のみでは今の世の中をよりよく生きていくことが困難ではないか。

  人はそれぞれ皆異なる。同じ価値観の人間を多数輩出しようとしても、世の中を良くはできないだろう。持ち味を活かし、「学ぼうとする意欲」を持たせることが大切だ。

  学ぼうとする意欲は、ペーパーテストでは推し量りにくい。今の時代は、学ぼうとすれば何でも学べる時代だ。しかし、「学ぼうとする気持ち」を持てなければ、何にもならない。

  「学ぼうとする気持ち」は、「学ばされ続ける」状態から生まれにくいように思う。私のこれまでの経験では、本人が学ぼうと思った時が一番学力が伸びるのだ。

  どんなに御馳走や栄養のある食事を並べて、「健康になるからさあ食べなさい」と急かしても、本人に食欲がなければ身につかない。せいぜい甘やかせて肥満児にするだけだろう。

  頭でっかちの理屈っぽい人間が世の中に増えても、社会はよくならないだろう。それどころか、学力向上を言い過ぎて、一つの方向へ子ども達を向けすぎても、全てが成功するわけではなく、かえって二極化を招きかねない。

  豊かな経験を持つ者が、知識を得れば,それらはいつしか知恵になったり、さらに学ぼうとする意欲を持つことにつながるのではないか。たとえ狭義の学力でも、結果として身についていることは大切だが、それだけを目指して豊かな経験を軽視するのは考え物だ。

  知識も含めて人間力を高める教育を目指すべきではないか。知識一辺倒は、二極化を招き、決して社会のプラスにはならないと思い。

  今日の結論。よく遊び、よく学べ!

(日記:午前中、家内と事務所で過ごす。私は、『数学のホームページ』づくり。家内は人形づくり。午後も作業を継続。時々、オカリナ練習。メロディー作り。午後7時半より、事務所でオカリナ教室。練習の合間に、子育て支援センターでのボランティアに向けて、当日の演出などについて話し合う。)

 
 

オールジャパンでやれないのか?

08 3月

大切なのは何?
  昨年の退職以後、テレビでニュースを見たり、ラジオを聴くことが多くなった。国会討論なども見るようになった。しかし、いつも悲しくなることが多い。

  野党は与党の政策に対して、ほとんどの場合、非難するだけである。相手の弱点を責め立てるだけである。これでは、日本の信頼は得られないであろう。

 この苦難の時に、知恵を寄せ集めて“オールジャパン”でよりよい政策を立案できないのか。壮大な無駄を行っているように思われる。

  年金の問題では、大臣を辞めさせることだけに集中しているように思われる。これでは、与野党が入れ替わったら、この逆になるだけであろう。非難の応酬ではどうしようもない。

元々、同じ政党の中でも意見の異なることは少なくないと思う。まして、野党とは意見が異なるのは当たり前である。意見の異なった部分を各政党間でよく議論し、最も良い方向にまとめていくことはできないのだろうか。

  もはや、国民不在で自分さえ良ければという狭い了見の政治家が多すぎるように思われる。年金問題でも、担当の厚労省が頭をひねり、各政党が知恵を寄せ合い、議論を尽くして、国民の納得できる方向へ進めることができないのだろうか。

  責任者を追求しているだけでは、この問題は解決できないのではないか。国のことを考えるよりも、自分のこと、自分の党のことしか考えられないようでは、政治不信は高まるばかりであろう。

  信頼できない者が考えた政策を支持できるだろうか。国民の6割が支持政党なしという政治不信の中で、これから先、日本はどこへ向かっていくのだろうか。

  増税なんてとんでもないと思う人も少なくないであろう。日本よりもはるかに、税の高い国があるが、政府を信頼しているからできることだろう。

  コメンテーターの意見を待つまでもなく、“オールジャパン”でこの難局を乗り越えてほしい。今や、政治不信はピークに達しているように思われる。

  私たち自身も、政治に関心を持ち、誰が、どの党が日本をよりよく導いていくのかをよく考え、来るべき選挙には、自分の貴重な一票を行使しなければならないと思う。

 今の政治にどんなに不満があっても、今の政治家は、全て私たち国民が選んだのだということを忘れてはならないと思う。そのためにも、政治に関心を持たなければならない。 

(日記:午前中、ハワイアンの練習用バンドカラオケをつくる。ハワイアンギターを練習するためのものだ。午前10時過ぎに事務所へ行き、『数学のホームページ』づくり。事務所で昼食をとり、午後も作業を継続。時々、ギターの練習、メロディー作りなどを行う。家内は、終日事務所で人形作り。)

 
 

選択音楽授業『和太鼓』最終日

07 3月

自分との戦い
   昨年、春のことだった。退職記念の旅行で九州へ向かった。霧島神社あたりを通過しているとき、勝山市から電話が入った。「生徒達に和太鼓を教えてもらえないだろうか」という北部中学校のS校長から携帯に電話があった。

  「講師などはしない」と決めていたが、和太鼓であることと週一回ということで引き受けることにした。授業に参加するのは、中学3年生女子16名。これまで、たくさんの子供達に和太鼓を教えてきた。

北部中学校音楽室での最後の和太鼓授業。

  地元の子供達はもちろんのこと、勝山高校、福井農林高校、県立盲学校、九頭竜ワークショップの入所者と職員、遅羽の子供やその保護者、北郷の子供達、……。そして、一般企業の大人達の余興としても教えてきた。

  しかし、学校の授業としては初めてであった。子供達は、初めてにしては、予想よりはリズム感があった。しかし、和太鼓はリズム感がよければいいというものではない。

制作中のアンパンマン一家

  リズムとフォームが一体になっていなければならない。手を伸ばす、体重を移動する、視線、リズム、強弱など、いろんなものが一つになり、打ち手のすべてが心を一つにしたとき聴く者に感動を与えることができるのだ。

  しかし、中学生達の多くは、しっかり手足を伸ばすなど、フォームをよくすることは苦手だった。このあたりを十分指導できなかったのは、指導者としては、残念だった。

  どうしても、羞恥心を捨てられないのだ。「太鼓教えるのではない。」、「和太鼓教えるのだ。」そんな気持ちで1年が過ぎた。そして今日は最終日だ。授業50分のうち、最近練習していた「昇竜」を、そして、残りの10分間は最後のメッセージを伝えた。

贈ることば
  中学生達に次の言葉を贈った。

  ・知恵無限
  ・DREAM & ACTION
  ・毎日パワー
   そして、
  あかおやま(挨拶・感謝・思いやり・約束を守る・マナー向上)

ノートパソコンで孫達とスカイプ(テレビ電話)

 (日記:午前中、事務所で『数学のホームページ』づくり。午後、北部中学校で今年度最後の和太鼓指導。その後、事務所でホームページ作業を継続。家内は、アンパンマンのキャラクター作り。果たして、幼児達は喜んでくれるだろうか。時々、ハワイアンギターの練習とメロディー作り。
  夜、孫達とスカイプ。レオタードに着替えて新体操や歌を披露してくれた。)

 
 

さがし物

06 3月

人生のかなりの部分が「さがしもの」
  私は“断捨離”の逆の人生を歩んでいるように思える。モノに愛着が強く、モノを見ると、「いつか何かの役に立つのではないか」と思ってしまい、捨てられずにいる。

  モノが多いために、どこへしまっておいたのか、忘れてしまって、さがすのに苦労をする。人生のかなりの時間を「ものさがし」に費やしているように思われる。時間の無駄だ。

  ここ数日間、さがしていたモノは、「ハワイアンギターのスティールバー(金属棒)とピック」だ。これがないと、楽器があってアンプがあっても演奏のしようがない。必死にさがしたが見つからない。

  ハワイアンギターは事務所にセットしてあって、スイッチさえ入れれば演奏できる状態にしてある。アンプもフットペダルもエフェクターも全て接続してあるのだ。「どこへ行ってしまったのだろうか。」いくら捜しても見つからない。

  ほしいときに見つからないのでは、「ない」に等しい。自宅も含めて捜し回ったがどうしても見つからない。この頃は、置き場所を確認してモノを置かないと、見つからないことが多い。

事務所の机でアンパンマンキャラクターを作る家内。幼児の施設への慰問に役立つかと思っての作業だ。

  思い出すのにとても時間がかかる。ここ数日間、捜していたスティールバーなどがようやく見つかった。ネームランド用のテープやマニュアルを入れる箱の中のマニュアルの下に隠れていたのだ。用が済むと、適当なところへ置く癖がある。

 そのため、思い出せなくなるのだ。時間を無駄にしないためにも、日曜大工の道具や各種機器のマニュアル、パソコンソフトのマニュアル、様々な本などを整理して置かなければならないと思っている。

  保存しておいた大概のモノはほとんど使うことがない。捨ててもいいようなモノが多い。

  しかし、まれに、役立つことがあるのだ。例えば、ハワイアンの教則本や楽譜(編曲してあるモノ)などは、今も役立つことがある。

  本の裏表紙を見ると「’63.6.7」と書いてあった。48年前の本だ。昨日買ったハワイアンの本の著者は、私が48年ほど前に買った本の著者「佐藤 信」氏の次男の「佐藤 実」氏であった。

  そんな昔の本まで保存しているのだ。今日、その本を出して見てみた。今も役立つ部分が多い。こんなことを経験するとますます捨てられなくなる。

  一方では、整理するたびに、少しずつ捨てるモノがあると、気持ちよくなる自分がいる。何度かこのようなことを繰り返しているうちに、少しは整理ができるであろう。

(日記:午前中、『数学のホームページ』づくり。かにも、事務所で一緒に過ごした。今日は、二人で弁当を持って、この事務所へ来たのだ。ラジオを聞きながら二人でそれぞれの作業を続けた。夜『江』を1回分見る。その後、BSで歌を聴く。歌の作り方に感心する。)

 
 

まだまだ勉強

05 3月

福井へぶらり
  久々にショッピングで福井へ出かけた。プールで使う私たちの水着を買うためだ。所期の目的は早く達した。それぞれがお気に入りの水着を買った。

  家内が商品について伺うと男性の社員が快く応じてくれた。しかし、この男性、どこかで見たことがあるなあと思いながらにいた。店内放送で「元プロ野球の広瀬選手が店内におります。……。」と放送があった。

  改めて、広瀬選手に挨拶した。そして、いくつかお聞きした。毎週、土日にはこの店におられるらしいとのことだった。また、少年野球などの指導もするとのことだった。

  この広瀬選手だが、その昔、あのユウちゃんが入団した「日本ハムファイター」の主将で、1番、遊撃手、ベストナインとゴールデングラブ賞に輝いた名選手だったのだ。

  非常に腰が低く、笑顔でお客さんの相手をしておられた。一塁へのヘッドスライディングなどで闘志溢れるプレイが持ち味で、攻守に活躍した人気選手だったとは思えないくらいだ。小さな子どもにはキャッチボールのコツを教えておられた。

難しい歌作り
 例によって、途中で家内と別れて店内では30分あまり別行動をとることにした。私は一目散に楽器屋へ向かった。そして、3冊の本を買った。『よくわかる作曲の教科書』、『よくわかる作詞の教科書』、『HAWAIIAN UKULELE METHOD』だ。

  作曲に関する本はたくさん持っているが、1冊目の本は、和音についてわかり易く書いてあったからだ。2冊目の作詞の本もいくつか持っているが、メロディーに歌詞をのせることなどが具体的に書いてあったからだ。

 3冊目のこの本もいくつか持っているが、私の好きな曲の「ウクレレ・ソロの楽譜」がたくさん載っていたからだ。この夏には、フラダンスとハワイアンバンドのコラボをできないかと夢のようなことを考えている。

 それにしても、歌作りに関しては勉強することがたくさんある。自宅から福井へ向かう途中、車の中で、絢香のCDを聴きながら、それらの曲の楽譜を見ていた。歌作りについて感心するところが多かった。

  譜割り、言葉の使い方、和音のつけかたなど、色々参考になることが多かった。まだまだ勉強が足りないと思った。これでは時間がいくらあっても足りない。

(日記:午前9時過ぎから午後2時近くまで、『数学のホームページ』作り。その後、昼食を食べてショッピングに福井へ向かった。夫婦で水着を買い、その後は自由にショッピング。買った本の内容を早く見たくて、ベンチに座りながら本を読んでいた。夜、NHK『平成22年のど自慢チャンピオン大会』を見た。チャンピオンはブラジルの日系三世の男性だった。歌はとてもよかった。また、歌も素晴らしかった。選曲もよかったのだ。いい歌を作りたいという思いを強くした。)