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Archive for the ‘未分類’ Category

好きな道で生きることは

24 3月

友達の友達、来る
  先日、友達のAさんから電話がかかってきた。ブレイクダンスの中村剛さんを連れて事務所へ来るということだった。彼は、全国的にも名の売れたブレイクダンサーで日本代表チームの一員として世界大会にも出場しているのだ。

 また、先日、東北・関東大震災のチャリティーイベントとして、JR福井駅西口広場では「チャリティーパフォーマンス~今、できること。」が開かれたが、企画したのが、ブレイクダンスインストラクターの中村剛さんだったのだ。「被災地に今必要なのはお金。ダンスを見てもらって心が動いたら募金してもらいたい」との思いから仲間に開催を呼び掛けたとのことだった。

 福井新聞ニュース http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/society/27030.html

 私は、ブレイクダンスのなんたるかもよくわからないまま、勝手にこんなものだろうと決め込んで、午前中は勝山のメロディー、「しっちょうめ(左義長で使われる曲の一つ。北陸三大祭りの一つ、三国まつりでも使われている)」をロック調に編曲しようと必死に取り組んだ。

YouTubeで自分のダンスの映像を示して説明してくれた中村剛さん。

  12時を回ってようやく部分的に完成した。早速CDに吹き込んだ。彼らとは午後1時に会うことになっていたので、昼食を食べる間がなかった。それでもCDを持って事務所へでかけた。

  Aさんと中村さんは、約束通り午後一時頃、事務所へやってきた。話していて、彼は、ダンスを広めたいという強い夢を持っていることがよくわかった。

 途中、YouTubeで彼のダンスを見せてもらった。こちらが度肝を抜かれるような激しいダンスだった。驚いてしまった。

  しかし、勝山にいながら、ダンスで飯を食べていくことはかなり困難である。20代後半の彼には若さや時間が十分あるが、ダンスだけで生活するのは勝山では困難である。

  ダンス教室も開いているが、生活できるほどの収入はないという。考えてみれば、好きなことだけで生活することは大変なことだ。作家志望みたいに、生活の糧はアルバイトで稼ぎ、自由な時間は小説を書きまくるというように生活できるだけの最低限の収入を確保しなければならない。

  それでも夢を追いかけたい。そんな気持ちが身体からほとばしっていた。私も、高校時代は漫画家になりたくて一生懸命漫画を描いていたが、途中で夢を諦めざるを得なかった。

  若い人たちが、自分の夢を追いかけることはかなり大変なことだ。それでもプロを目指すか、セミプロで頑張るか、趣味にとどめるか、夢を諦めるか。いつかは、選択を迫られるだろう。

  3人で、色々話し合った。夢を持ち、それに向かって歩み続ける若者を見ていると、エネルギーをもらえる。3人で話しているといろんな企画を思いついた。私にできることは応援したいと思う。

(日記:午前中は、編曲作業。午後は、ブレイクダンス・インストラクターの中村剛さんとAさんと事務所で会う。色々語り合った。夢も話し合ったが、現実の壁に突き当たっている悩みも聞いた。頑張ってほしいと思う。)

 
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国民総幸福量(GNH)

23 3月

幸福の尺度
  国民の豊かさを表す指標として「国民総生産(GNP=Gross National Product)」や「国内総生産(GDP=Gross Domestic Product)」が使われてきたが、はたしてこれらの指数で国民の豊かさが測れるだろうか。

  これらの指標に対して、最近、「国民総幸福量(GNH=Gross National Happiness)」が脚光を浴びている。

  このGNHとは、1972年にヒマラヤの小国、ブータンのワンチュク国王が提唱した「国民全体の幸福度」を示す”尺度”である。GNPなどのように、金銭的・物質的豊かさを目指すのではなく、精神的な豊かさ、つまり幸福を目指すべきだとする考えから生まれたものである。

  なぜこのような考えに至ったのかは、おおよそ想像することができる。1960年代から70年初頭にかけて、ブータンでは先進国の経験やモデルを色々研究したそうです。

  その結果、「経済発展は、南北対立や貧困問題、環境破壊、文化の喪失につながり、必ずしも幸せにつながるとは限らない」という結論に達したというのだ。(私も、近年の日本を見ているとその通りだと思うことが多い。)

  そこで、GNPなどで表される物質的豊かさを追い求めるのではなく、人々の「幸せ度」を増やすことを目指すGNHという考えを打ち出すことになったそうです。

  ところで、人は何によって幸福を感じるのだろうか。それは、国によっても異なる。

  日本では、どちらかと言えば、個人が恵まれることに重きを置いているのに対し、ブータンでは、家族や隣人などと仲良く暮らすことに重きを置いているように思われる。

  ブータンでは、家族も、友人も、近所の人とも仲良く、いわば地域が一つの家族のように支え合っているそうだ。 経済的な発展一つとっても、日本や欧米では「自由な競争」を尊ぶが、ブータンでは「国民が等しく恵まれること」を目指すということで、一部の人間のみが恵まれる社会をよしてはしないようである。

   GNPでは、およそ日本の20分の1のブータン王国の国民の95%が「自分は幸福と感じている」そうだが、目指すものが異なればそうなるのかもしれない。

  ブータンの首相の言葉、「幸せとは、今、自分が手にしているものに感謝すること」も、意味深い言葉である。次から次へと「モノ」を追い求める私たちには、耳の痛い言葉であろう。

  私の子ども時代は、一家に1台しか自転車がなかったが、今、大人の人数だけ車のある時代だ。電化は際限なく進み、エネルギー不足を補うためにどんどん原子力発電所を作り続ける。ひとたび、事故が起こればパニックになるのだ。

  ブータンではないが、モノを追い続ける生活スタイルを少しは改め、あるモノに感謝してもう少しゆったりと暮らせる社会を作らない限り、世の中は豊かで平和にならないような気がする。

  誰のために、24時間店を開け続けなければならないのだろうか。コンビニも深夜は休めばいいのではないのか。エネルギーの無駄遣いではないのか。

  モノを作り続け、モノを買い続けなければ持続しないような社会はどこかおかしい。電話もなかった昔が、テレビもなかった昔が、必ずしも「今より不幸な社会」ではなかった。むしろ、逆であったかもしれない。 

  豊かになるにつれて、貧しい時代にはなかった「無縁社会」なる言葉が生まれるのはどこかおかしい。よくよく考えてみると、ブータンの社会とは、昔の日本そのものではなかろうか。

  「GNPではなく、GNHを目指す」と公言するブータン国王こそ、21世紀のリーダーであるかもしれない。実際、世界を動かす100人の一人に選ばれているのだ。 物質に対する欲望を少しは押さえ、心の豊かさを目指していきたい。

孫と家内が時間の経つのも忘れて「アンパンマン遊び」。

(日記:午前中、家や車庫や事務所にある古いパソコンを引き取ってもらうために大野へ行った。広告に無料とあったからだ。本当に助かった。午後、編曲作業をしたり、孫と遊んだりして、のんびりと過ごした。夜、家内と孫が家内の作ったアンパンマンなどを使って「アンパンマン遊び」をしていた。)

 
 

今こそ政治の出番

22 3月

被災者が希望の持てる明確な復興計画を示してほしい
  まだ救助を求めているかもしれない被災者の救助と避難している人たちの支援に全力を尽くしている最中だが、被災者の人達が一番気になるのはこれからの生活ではなかろうか。

  特に、復興可能な範囲での建物や道路の損壊ならば、ある程度の時間が経てば少しずつ復興できるだろうが、まちそのものが瓦礫と化した地域ではそうはいかない。

  根本的な都市計画に基づいて復興させなければならない。しかし、地域によっては、地方自治体や県の能力を超えているように思われるところが少なくない。

  肉親を失い、復興までの道筋を描けない人が多いだろう。幸いにも、避難することができた人たちも、将来のことを考えると、同様にこれから先のことに明確な考えを見いだせないのではなかろうか。

  今こそ、政治が、これらの人たちに、明るい復興計画を示し、それに向けて進まなければならないように思う。政府の強力なリーダーシップに期待すると同時に、被災地の復興には、被災に遭わなかった人たちも、それ相応の負担を覚悟しているように思われる。

  高校野球のテーマではないが、「頑張ろう!日本」を合い言葉に、今こそ全国民が一丸となって傷ついた日本の復興に頑張りたい。

  それには、政治がリーダーシップを持って、復興の青写真を描き、被災者が勇気戸希望の持てる復興計画を示してほしい。明日に希望を持てる計画ならば、全国民もこれを支持すると確信する。

(日記:午前中は、孫達と過ごしながら冬の除雪道具を片付ける。午後1時半より、越前大仏の研修道場で「門前町の活性化」についての話し合いがあった。今年一年の行事についての意見交換が行われた。その中で、今回の東北・関東大震災の被災者の方々の避難の場所として門前町を考えているとの話も出た。)

 
 

大震災を後世に伝えるには

21 3月

子ども達へのメッセージ
  私は、市民大学講座で、福井新聞の「お話とんとん」選者の藤井先生から童話の書き方を教わった。教わったから童話が書けるというものではないが、以前よりは少し書きやすくなった。

  今回の大震災に対しては、専門的なことは学者や公的な機関が分析して、新たな防災計画に反映して下さるだろう。専門的なことは学者の先生にお任せするとして私には何ができるだろうか。

  私としては、今回被災しなかった子ども達もふくめて、自然災害の恐ろしさを伝えたいという気持ちを持っている。しかし、これは簡単ではない。

  今から40数年前にも、青年部の機関誌か何かに、童話の形で言いたいことを書いた覚えがある。私ごときの者が、直接、論文調で災害の恐ろしさを伝えることは困難であろう。

  そこで、童話の形にしたらどうなるだろうか、今日は時々考えた。そして、童話の骨組みだけは考えた。果たして、小学生が読める童話にすることができるかどうかは私のつたない文章能力にかかっている。

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 『よわむし進左(しんざ)』
  あらすじは、以下の通りである。

  海沿いの村に、進左と言われる一人の男が住んでいた。進左は、船大工であり、年老いた両親と嫁と二人の子ども共に漁師町に住んでいたのだった。

  進左は働き者ではあったが、村人からは「よわむ進左」、「臆病進左」、「意気地なし」などとあまりうれしくない言い方で呼ばれていた。

  ある日、この村にちいさな地震が起こった。例によって進左はいつものように、年老いた両親を急かし、嫁の美代と共に二人の子ども達の手を引いて丘の上にある神社をめがけて走り出したのだ。

  しかし、わずかにさざ波が起こっただけで津波は来なかった。丘を下りて船大工小屋へ戻る進左に向かって村人達はめいめいに悪口を浴びせた。

  「進左はよわむしだなあ、あんな小さな地震で逃げ出すなんて」
  「度胸なしだなあ、進左は。あんな地震で家族共々逃げ出すなんて」

 「進左の嫁の美代も美代だ。弱虫の亭主を持って気の毒だ。いっしょに逃げ出すなんて」
 「やつの親父も情けない。弱虫の息子を止められないんだから」

  今や、進左の家族は、村の者から笑い者にされていた。しかし、進左は気にしなかった。見るに見かねて嫁の美代が進左に向かって真面目な顔で訴えた。

  「あなた、地震の度に高台の神社まで逃げ出すのを私は悪いとは思いませんが、小さな地震の時には少し、様子を見たらどうですか。村の皆さんが私たちに向かってなんと言っているか知っていますか」

  進左は、頷きながら聞いていた。そして、言い聞かせるように嫁の美代に向かって話し出した。その顔はいつものように穏やかであった。

  「私の考えをまだお前はわかってくれないのか。私は、小さな地震が来たから逃げ出しているのではない。小さかろうが大きかろうが、私には関係がないんだ。地震が来たときにいち早く避難できるように、いつも本気で非難の練習をしているんだ。家族の命を守るには、普段から大津波が来たと思って本気で行動しなければならないんだ。せめて神社までは避難できる体力が必要だということを家族のみんなにわかってほしいからだ。言いたい人には言わせておきなさい。避難訓練に津波の大小は関係ない。」

  その後も、進左は、地震が起こる度に、家族を伴って高台の神社まで駆け上っていたのでした。村のほんの一握りの人たちは進左と行動を共にしましたが、大部分の人たちは進左のことを陰では「よわむし進左」と呼んでいたのです。

  さて、今日も、地面が揺れました。いつもよりは、少し大きく揺れたようですが、新座の家族はさながら大津波が来たかのように急いで高台の神社へ避難しました。

  そして、いつものように高台の神社から沖を見ていました。今日は、いつもとは様子が違います。進左は気が気でありませんでした。沖には白い煙のような者が横一線に立ち上っています。そして、ゴーッと言う不気味な音が響いています。どうやら今度は本物の大津波のようです。

  進左は気が気でありませんでした。丘の上から、
 「大津波が来るぞー!早く逃げろー!!」

  進左の声は、ゴーという大津波にかき消されて村人には届きませんでした。大津波はどんどん小さな漁村に近づいて来ます。そして、頼みの綱の防波堤を乗り越えました。

  最早、進左の声は波音に消されて誰にも届きません。……。
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 物語の展開はだいたいこのようなものです。ここで、進左は決死の行動に出ます。果たして、一つの物語としてまとめることができるかは、私の筆力ですが、自信は全くありません。

  でも、私なりに、文章にできないかを考えていました。「災害は忘れた頃にやってくる。普段からの備えが大切だ。普段の心構えが生死の分かれ道になる」ということを、説明ではなく、読者に気がついてもらえるかどうかがこの物語の生命線です。

手を振って福井駅の階段を下りてきた孫達。

(日記:午前中、自宅で『涙そうそう』の編曲作業。午前10時半に福井駅へ向かう。横浜から、息子の嫁と孫達が帰ってくるからだ。福井駅では、いつものように孫達が手を振りながら、改札口手前の階段を下りてきた。自宅には福井の孫達もいて、一日、賑やかであった。途中で横浜の孫が、習っている新体操も見せてくれた。みんなで楽しく食事ができた。孫とはいっ

4月から1年生になる孫が音楽に合わせて新体操を披露してくれた。

しょに風呂に入ることもできた。風呂の中では最初から最後まで家内と3人で「しりとり」をしていた。)

 
 

人の温かさ

20 3月

普段は感じない人の温かさ
  私たちは、普段、自分や家族だけで 生きているつもりでいる
  でもそれは そう思っているだけかもしれない

  いろんな人に支えられているのだ
  今 いろんなところで 人の温かさがみられる

  被災者の人たちは いろんな場面で涙を流しておられる

  肉親を亡くした悲しさに 涙を流す人
  探していた肉親に会えて 涙を流す人

   自宅を失って 涙を流す人
  働き場を失って 涙を流す人

  一方では 人の温かさに触れて 涙を流す人も少なくない

  献身的な医療活動に従事する 人たちの温かさに触れて
  ボランティアの 温かさに触れて 

  他県(山形)から たっぷり山形牛の入った暖かい芋煮を振る舞われて
   「避難所で 初めて温かいものをいただいた」と 感謝で涙を流す人

   中学生の献身的な奉仕活動に 感謝の涙を流す人
   原発での命がけの消火活動に 感謝の涙を流す人   

    あちこちで いろんな形で涙を流す人がおられる
  誰もが 心の奥底には 優しい心が宿っている

  ふだんは あまりの忙しさに 他人を思いやる「心のゆとり」をなくしている
  「心の温かさ」や「他人を思いやる心」を 封印したまま生活している人も少なくない

   もっと もっと 自然体で「やさいさ」を表現できたら
  世の中は もっと もっと 明るく 暮らしやすくなるのでは

  今 日本中に 「人の温かさ」が 満ち溢れている
  被災者の皆さん方には  一日も早く 元気になっていただきたい

   多くの人たちが 被災地の皆さん方を 支えているし
   今後も 支えようとしているのだから

(日記:午前10時半より集会所で「片瀬区の総会」が開かれた。いろんな意見が出て、午後2時までかかった。その後、昼食を食べながらの懇親会。特に、総会では、若い人たちが率直に意見を述べていたのがよかった。今は、世代交代の時期だろうか。前例踏襲ではなく、前例改善を図りながら地区の活性化に努めて行かなければならない。今日、福井の娘が子どもを二人連れて我が家へやってきた。明日は、横浜の孫達もやってくる。急に我が家も賑やかになる。うれしいことだ。 )

 
 

人はみんな繋がっている

19 3月

 みんなこの星に生まれた仲間  

    普段は 自分一人で生きているように思っているかもしれない
  実は みんなつながっている

  親子や身内だけがつながっているのではない
   全ての人がつながっているのだ 普段は気が付かないけれども

  人は誰でも 困った人を見ると 何とかしなければと思う
  震災で被害を受けた人を見ていると 自分が何かできるかと 真剣に考える

  普段は 厳しく非難しあったり 厳しい競争をしている 国と国も
  困難なときには 心から援助を申し出る仲となる

  単なる競争相手であって 憎むべき相手のように思うけれども
  いざとなると 手をさしのべる仲なのだ

  国と国は 繋がっている
  地球に住むみんなは 見えない糸でつなげっている
 
  東北の人たちと 東京に住む都会の 人もつながっている
  福井に住む私たちとも つながっている

  人は いつ どこで 誰のお世話になるかわからない
  ふだんは厳しい競争社会に 住んでいるけれども

  この星に住むものは いざとなれば 
  困った人に 助けの手を差し伸べる仲間なのだ

  普段は 誰ともつながっていないように思うけれども
  誰かがいつも後ろに 控えているのだ

  そう思うなら ふだんから お互いが心を開き
  仲良くできないだろうか いがみあわないで

  私たちは みな「宇宙船地球号」という
  小さな星の上で 奪い合い 傷つけあっている

  たまたま時を同じくして  この船に乗り合わせているだけ
  人類の歴史に比べたら ほんの一瞬だけ乗り合わせいるだけ
 
  何があっても この星から逃れられないのに
  いざとなれば 助け合う仲なのに

  困った人を助けるのは 誰のためだろうか
  困った人のためで あるように見えて
  実は 自分のためではないのか

  勇気をもらっているのは 被災しなかった 私たちではないのか
  私たちが 気付かせてもらっているのではないのか

  みんな つながっていることを
  この世に たくさんいる人たちと つながっていることを

  私自身が この地球に生きている  証として
  何かお手伝いをさせて もらえないだろうか 被災者の人たちの

(日記:午前9時から午後1時まで、『数学のホームページ』づくり。午後は、編曲作業。そして、部屋の片付け。捨てるものがあるとうれしい。被災者の皆さんのがんばりを見ていると、勇気をもらうことができる。自分も頑張らねばと思う。パソコンの中のファイルも整理。40数年前に作った曲も出てきた。「森のある町」というタイトルで作詞は同僚のWさんだった。市の音楽会にも発表した曲だ。懐かしい。懐かしがっているから整理は遅々として進まない。)

 
 

大震災の影響

18 3月

震災の影響はこれから
  今回の東北・関東大震災は、原発事故も加わって大惨事になっている。私たちは、これらの情報をもっぱらラジオに頼っている。

  今日初めて、宮城県塩竃(釜)市に住むYさんの家庭に電話で話すことができた。塩竃市は仙台市の隣に位置し、Yさんは仙台高校の校長で今年退職することになっていた。

  実は、Yさんは、今から20年余り前に文部省の海外研修(約1ヶ月)でいっしょにヨーロッパやアメリカを旅した仲間である。Yさんは高校の教員だったが通訳として参加していたのだ。

  その後、ずっと年賀状を通して交流を続けていたのだ。20数人で旅をしたのだが、何となく彼とは馬があっていたように思う。

  私が電話をした午前中は、Yさんは不在であったが、奥さんから色々話を聞くことができた。幸いYさんのお宅は高台にあり、津波の被害は免れたが、海岸沿いの住宅は全滅とのことであった。

  また、Yさんの勤務校は、避難所となり、地震の日からずっと学校に泊まり続けて対応しているとのことであった。本当に大変であったと思う。

  夜、そのYさんから電話がかかってきた。今日初めて自宅へ帰れたとのことだった。震災の情報をいろいろ聞かせていただいた。

  チリ地震での津波も経験していたそうだが、今回の津波は、それらとは比較にならないほど大きなものであったという。まさに地元のものでも想定外であったということだ。「1000年に一度の大災害だ」と述べておられたのが印象的だった。

  生徒の中にも、親を亡くしたものがいるとのことであった。幸い、彼の勤務校も、高台にあるので津波の被害は受けなかったそうだ。

  これからの町の復興は大変であるとの感想を持った。いつか、再会を果たすことを約束して電話を切った。震災がより身近なものとなった。

苦難の道はこれから
  今日の朝のテレビで、ある被災者が、「これからのことを思うと不安になる」と述べておられたが、肉親をなくした人、家屋をなくした人、働く場を失った人、漁船や漁具を失った漁師の皆さん、……、こうした人たちが平常の生活に戻るのはいつのことだろうか。

今、被災者の皆さんに勇気を与えているアンパンマン。その仲間であるこきんちゃん(左)としょくぱんまん(右)。

  新聞に、書かれた論評の中に、ガソリンや電気に「復興税」を上乗せする案が出ていたが、
私個人は賛成である。

  災害が未曾有の大惨事である以上、その対応もそれ相当の覚悟を持って実施しなければならないであろう。なぜならば、たまたま今回は自分に災難が降りかからなかっただけのことである。

  天災や人災は、いつ、どこで、誰の身の上に降りかかるかわからない。時と場合によっては、自分が被災者であったかもしれないのだ。自分が助けられる立場であったのかもしれないのだ。

  自分が肉親を失う立場であったのかもしれない。そう思うとき、多少の不便は我慢しなければならないと思う。被災者の皆さんのためになることならば。

(日記:午前中、事務所で『数学のホームページ』づくり。午後は、“断捨離”のつもりで、不要なものを整理した。まだまだ、すっきりとはしないが、これからも続けていきたい。)

 
 

“非常事態”に備えるための“省”の設置

17 3月

非常事態に対応するために
  我が日本では、これからも、天災や人災で「非常事態」が起こるかもしれない。これらに対応するために、専門の「省」または「庁」があってもよいのではなかろうかと思う。 

  今回のような異常事態が発生した場合には、「非常事態省」のリーダーが、全体を掌握しながら人命救助を最優先に、医療チームや工作チームなどの特殊部隊と連携しながら、全体を指揮することができるのではないか。 

  また、情報収集チームは、現在とは全く異なる回線による情報網を確保し、直ちに、作戦本部に情報を送り、次の指示を出すために役立てるのだ。 

  今の携帯やインターネットは何もない穏やかなときしか使えない。先の福井大豪雨の時にも、机上で考えたの情報網はほとんど役立たなかった。 

  先ずは、情報収集をしながら人命救助を最優先させ、救助した人、避難すべき人、救急医療を要する人などを、選別し、直ちに行動に移す。 

  その後も、食料や医薬品、衛生品、日用品など救援物資の輸送を円滑にするための輸送路の確保を行う。当然、これらの車両が通行する道路を確保するために、交通規制を行うのだ。 

  また、これらの車両には、燃料を優先的に回し、いち早く災害に対処するのだ。また、避難所からの情報を常に入手し、何が必要かを把握して確保する。 

  このように、非常事態に対処するために、日頃から、訓練を行い、あらゆる場合を想定し、それなりの権限を持って迅速に対応しなければ救える命も救えない。 

  災害と言っても、自然災害からテロや伝染病、治安、サイバー攻撃など様々なものがあろうし、想定外のことも起こりうる可能性はある。誰かが専門的に、取り組まなければ救える命も救えない。 

  今回の「東北・関東大震災」から、いろんなこを学び、亡くなられた方々の無念さを思うとき,残された私たちは今回の大震災から多くを学び、次の世代へつなぐ責任があるのだ。 

  今の私たちが謳歌している平和な生活を少しは見直さなければならない。私たちは、際限のない欲望を少しは押さえ、限りある資源を有効に使いながら、少なくとも、無駄は省きながら生活しなければならないであろう。 

  それと同時に、地方の人たちが、食料、エネルギー、きれいな水や空気など様々なものを大都会の人たちに提供しているのだということを多くの人たちは認識したことだと思う。 

  また、このような非常事態の中で、詐欺が横行したり、自分さえよければと買い占めに走る人が多くいるのは悲しいことである。 

多くの国民に勇気を与えているアンパンマン(右)。左はおこわちゃん、中はみるくぼうや。

(日記:午前中、部屋の片付け。まだまだ、あまり使わないようなものがある。少しずつ整理して捨てたい。事務所近くの福井新聞勝山支局へ心ばかりの義援金を届けた。午後は、事務所で、ラジオを聴きながら「数学のホームページ」づくり。ラジオからは、震災情報やニュースの合間に、リスナーのメッセージも入る。そんな中で、「アンパンマンの歌に励まされた、感動した」という声が多かったと伝えていた。そして、今日も、アンパンマンの歌が流された。自分の身を削って人助けをす

卒園式のあった孫とウェブカムで対話。もうすぐ会える。

る姿が多くの人たちの心を打ったそうだ。また、避難している子ども達にも勇気を与えているとのことだった。歌の力は大きい。夜、横浜に住む孫とウェブカム。今日は幼稚園の卒園式だった。パソコンの前で卒園証書を受け取る様子を再現してくれた。息子の嫁によれば、横浜では豆腐や納豆、乾電池、トイレットペーパーなどかなりのものがないとのことだった。) 

「アンパンマンの歌」の歌詞
 http://takoweb.com/~mebi/text/2006/anpan.php

 
 

雪の中での救出作業

16 3月

今、自分にできることは
  多くの国民が、「この災害に対して自分には何ができるか」を考えておられるのではなかろうか。災害は、いつ,どこで起こるかわからない。他人事ではないからだ。

  「何かしたい」と多くの人たちが考えていることだろう。間接的にできることとしては、省エネであったり、買い占めに走らないなどは当然心がけたいことだ。寄付などにも参加したい。

  直接的なこととしては、時期が来たら、高齢者の方々の家屋などの後片付けや避難所の清掃活動などに出かけたいとも思う。ただし、自分の年齢では、迷惑になりはしないか心配だ。

  今すぐできることとしては、避難を望む方に我が家の部屋をお貸ししたいと思う。子どもさんを預かってもよい。しかし、これは、個人で発信するわけにも行かない。

  そういう機会があれば、率先して手をあげたいと思う。外国人をお泊めしたように。少なくとも、あたたかい食事とお風呂だけは自由に使っていただけるのではないかと思う。

  今回の東北・関東大震災は、単なる災害というよりも、国難であり、有事であると思う。災害に遭わなかった者も、いつ自分に降りかかるかわからないのだから、他人事ではない。

  東京の生活を支えるために、福島の原発がこれまで役立っていたのだ。今回、誰もがそのことを認識したと思う。東京が率先して電力の節約に当たるのは当然であろう。

三月中旬だというのに雪が降った。(今日の勝山市片瀬、矢印は我が家)

  本県にもたくさんの原発があるから、他人事ではない。安全性については、再度総点検が必要であろう。机上の安全対策だけでは、有事には対応できない。

  それにしても、大震災でも大変であるのに、原発事故まで加わって、まさに日本は、戦争並みの混乱状態である。指導者は、今こそ「知恵」寄せ集めてこの難局を乗り切ってほしい。

(日記:午前中、『数学のホームページ』作り。午後は、午後は音楽研究。夕方、久々に、風呂へ行く。)

 
 

幼児の前でオカリナ演奏

15 3月

童心に返って
  今日は「子育て支援センター」でのボランティア活動に参加。『わくわくボックス』にオカリナ隊の一員として夫婦ともに出演。午前10時頃に、地場産セーターにある「子育て支援センター」へ行き、先ずはリハーサル。

子育て支援センターで「アンパンマン」を演奏するオカリナ隊。

  そして、午前10時半より『わくわくボックス』本番。最初は大型絵本の読み聞かせ。ギターで即興的に音楽をつける。

  次は、メンバーが手遊びの指導。「かえるのうた」、「むすんでひらいて」、「大きな栗の木の下で」を幼児とその保護者といっしょに楽しんだ。私はギターで伴奏。

幼児といっしょに「大きな栗の下で」の手遊びを指導するメンバー。

  その後、オカリナで、「となりのトトロ」、「アンパンマン」、そして、アンコール曲として「さんぽ」を演奏した。私はみんなとオカリナを演奏する。

  今日の『わくわくボックス』では、そろいの衣装でメンバーといっしょに、童心にかえって楽しく過ごすことができた。終了後、メンバーが一室に集まり、お茶を飲んで解散。

  オカリナがなければ、このメンバーとは集まってオカリナを演奏したり、お茶を飲むこともなかっただろう。出会いとは不思議なものだ。当たり前のように仲良く、楽しく過ごすことができた。

読み聞かせ(後ろの二人)に合わせて即興的にギターを弾く私。

  帰宅して昼食をとり、我々夫婦とメンバーのSさんが福井の「湊公民館」へ向かった。「オカリナの体験とミニ演奏会」があるというので見学するためだ。

  我々とは、形状の異なるオカリナを使っていたが、参考になることが多かった。今後の「オカリナ教室」で生かせることもあり、はるばる福井まで見学に出かけた甲斐があった。

東北・関東大震災について
  今回の大震災は、日本の歴史始まって以来の大惨事だ。従って、その対策も、従来の考え方で延長ではなく、“超法規的”と言うか、“前代未聞”の対応でなければならないと思う。政府のやり方を非難する前に、政府によりよい方法を進言すべきである。

  地震や津波などに対する防災や原子力関係の学者も、これまで予測できなかったことを大いに恥じ、解説ばかりをしていないで、現地に入りよく勉強して、新たな対応を研究してほしい。

(日記:午前中は、「子育て支援センター」での『わくわくボックス』にオカリナ隊で出演。午後は、福井の「湊公民館」での「オカリナ体験教室とミニ演奏会」の見学のために福井へ出かけた。参考になることが多かった。オカリナに縁のある一日だった。)