大用水の清掃
今日は私の集落の川をきれいにする日だ。午前9時に集会所へ集合して、大人はゴミ袋を、子ども達は魚を捕るための網やバケツを持って、近くを流れる勝山大用水の清掃を行った。
私は、最初から、ズックを履いて出かけた。ほぼ全員が長靴であった。それは、深い所では長靴の丈をこして水が入るからだ。越前大仏辺りからハシゴで川に下りて空き缶などを拾った。子ども達は、川の中で魚を捕まえていた。
川の両岸は、護岸ブロックが積まれ、川には水草が茂っていた。そして、歩くたびに泥が舞い上がる汚い川であった。ビニールや空き缶がたくさん捨てられていた。上流に行くと、膝を遙かに超す深さになった。長靴の連中は誰も来ず、私と魚を追い掛けてやって来た子ども達だけであった。
そのために、たくさんの缶を拾った。用水の中にこんなにたくさんの缶があるとは情けない。誰かが捨てたのだ。缶の中の泥を捨ててごみ袋に入れるのだが、中で何かが暴れる音がした。私達が「ビシ」と呼んでいた、黒っぽい魚であった。
それにしても、川は汚れているなあと思った。とても泳げたものではない。これは何も大用水ばかりではない。九頭竜川の本流でも、昔と比べるとずいぶん汚れている。川のイベントで、何度か泳いでみたが、泥が舞い上がり、視界が悪くなるほど汚れていた。
清流九頭竜川どこへ
昔は、今と比べれば川はきれいであったように思う。それは、上流にダムがないために、雨が降ると一気に水かさが増えて、増水した流れが川の汚れを流し去ったからだ。そのわかりに、洪水はたびたび出て家屋が流されることは当たり前であった。
しかし、その後、九頭竜川の上流にダムができて水量をコントロールするようになってからは、洪水が起こることはほとんどなくなった。一度だけ、河川敷のグラウンドが大水で流されたことがあるが。
特に勝山は、途中で発電のために水を取っているために、夏場は水が少なく、川は汚れているのだと思う。九頭竜川のごみ拾いで多く見かけるのは、農業用マルチである。あちこちの石矢木に引っかかっているのである。
かつてのきれいな川を知っているものにとっては、川の汚れは本当に気になるものである。清流は思い出の中にしか存在しないとは寂しいものである。今の子供たちは、それが当たり前であるように思っているのかもしれない。子供たちが泳げる川にすることは、困難なことだろうか。
(日記:午前中、川の清掃。午後、事務所でDreamweaver CS4を使ってホームページ制作作業。夜、さつき苑の夏祭りに出かける。家内達が、ボランティアで芸能発表。知っている人とたくさん出会う。)