盆踊りシーズン開幕
午前9時に商工観光課のTさんと今年の夏祭りの「盆踊り」についてどうするかを話し合った。私にとっては、いよいよシーズン開幕だ。
ここ数年間、私は盆踊り復活に力を入れている。かつては、盆踊りといえば、若者から高齢者までが地域の祭りで踊っていたのだ。
以前(私の小学生の頃)は、地元の人達が音頭を取りながら神社などで素朴に踊っていたものだった。しかし、田舎にも近代化の波が押し寄せてきて、流行歌や他県の民謡を踊るようになっていったのだ。
誰もが、これらに飛びついて、地元の素朴な民謡は廃れてしまい、音頭取りなども出番がなくなり、いなくなってしまった。
しかし考えてみれば、おかしなことだ。山形県の花笠音頭や新潟県の佐渡おけさ、福岡県の炭坑節など他県の民謡を地元の人達が踊っていることに誰も違和感を感じなかったのだ。
そして、今、それらも廃れてしまい、盆踊りはほとんどの集落から消えてしまったのだ。
このような風潮に流されずに、自分達の地域の民謡を大切にし、踊り続けた地域は全国にいくつかはあったのだ。
「郡上踊り」、「おわら風の盆」、「花笠音頭」、「阿波踊り」……など、あげればかなりある。これらの地域は、自分たちの地域で育てた民謡を大切にし、決して目移りすることなくこれらを大切にしてきたのだ。
「なければ作ろう」精神で
そして、今、それらはその地の郷土芸能として燦然と輝いているのだ。
自分の地域になければ作ればいいのだ。他国のものを参考にして新しく、作ればいいのだ。郷土芸能は、大なり小なり互いに影響し合っているものだ。
しかし、他国の「丸写し」は、認められない。丸写しは、余興ではあっても「郷土芸能」にはなり得ないのだ。
地元に伝わるものを大切に守り続ければいいのだと思う。不都合があれば、時代に合わせて変えればいいのだと思う。
しかし、今や世界は狭くなっている。無国籍になりかけている。文化も食べ物も、地域性をなくしつつある。国内を旅をすると分かるが、家も地域性がなくなり、至る所に、何とかハウスなるものが並んでいる。
世界中がパソコンやipadを持って同じようなゲームを楽しみ、世界中が同じような3D映画や3Dテレビを楽しむ時代が来ている。
こんな時代だからこそ、老いも若きも、男も女も楽しめる「盆踊り」は、復活させる意義があると思っている。
今年も忙しくなるだろう。伴奏隊、踊り隊、歌い手、いろんな人にお願いし、練習会を開きながら、ここ2ヶ月あまりは多忙になりそうだ。
今はただ、踊りに参加する人、踊りを見に来る人が少しでも多くなるように頑張るのみだ。
(日記:午前中、夏祭りの打ち合わせ。午後、日曜大工。その後、パソコンで泰澄大師物語の絵本制作作業。)