中学女子の和太鼓
北部中学校の選択音楽で、週に一度、和太鼓を教えている。和太鼓は、譜面通りにリズムが叩けるだけでは、見ている人に感動を与えることはできない。太鼓を叩いているときはもちろんのこと、叩いていないときも姿勢は大切だ。もちろん叩く姿勢も重要だ。
しかし、このことを生徒達に伝えることは簡単ではない。しっかりとした構えで叩かなければいい音が出ないし、見た目にも美しくない。少し難しい場面になると「できない」と考える者は多い。「できる」か「できない」ではなく、「やる」か「やらない」で決まるのだ。
太鼓を始めて最初の時期よりはみんな上達している。ここから先、さらによくするには、生徒達がしっかりしたフォームで「やろうとする」か「しない」かだ。なんとか今週末までには、しっかりしたフォームで叩けるように指導したいと思う。
私の「津軽じょんから節」
実を言うと私はこれまでも「津軽じょんから節」を弾きたいと考えていたのである。そして、昔担任をした生徒(今は校長)から「津軽じょんから節」の楽譜をもらったが、「こんなものはとても弾けない(できない)」と長い間あきらめていたのだ。
しかし、このブログを通して知り合いになった河間氏にお願いして8月より「津軽じょんから節」を教えていただくことになった。譜面をいただいて弾いてみると「とてもこんなものは弾けそうにない」と思ってしまった。それもそのはずだ。基礎を勉強しないでいきなり応用問題を解くようなものだからだ。
特に、最初の1、2回は苦しかった。無理なことをやっているなあと思う。覚えは確実に悪くなっているし、手も動きが悪い。しかし、ここ1週間は時間を見つけては毎日少しずつ練習していたのだ。無理だ無理だと思っていた部分が、少しずつ弾けるようになっていくのだ。
まだまだだが、進歩を感ずることができるようになった。やろうとする気持ちがあれば、練習も真剣になり、少しずつ進歩していくのだ。できるかできないかを考えるよりも、やる気があるのかないのかを自分に問うべきだと思う。
村の銭太鼓
今日も銭太鼓の練習があった。始めて練習しに来た者が言う。
「これはとてもできん。難しい」
と。そんなときこう答えることにしているl。
「一日でできたら、そんなことは値打ちがないやろ。練習しなけりゃ上手くならないことをやっているから値打ちがあるんや。誰でも最初はできんのや。できないのが当たり前なんや。」
結局、ここでも「できる」か「できない」かではなく、本人が「やる」か「やらない」かだ。本気になれば、人はかなりのことができるのだ。しかし、それができないのは、簡単にあきらめてしまうからだ。自分自身を“できない人間”と決めつけてしまっては自分自身に申し訳がないことになる。
自分自身を信じて、とにかく毎日すこしずつでもやってみることだ。わたしの「津軽じょんから節」でも、“少しできる→できたところもできなくなる→できないところを繰り返す→できるようになる→……”と言う繰り返しで進歩するのだ。
「なせばなる、なさねばならぬ何事も、ならぬは人のなさぬなりけり(上杉鷹山)」に通じることだ。
(日記:数学ホームページの研究。午後2時より、北部中で和太鼓指導。午後4時より河間氏に「津軽じょんから節」を教えていただく。夜7時半より村の銭太鼓練習。)