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今役立つ数々の参考書

01 9月

「あっ!太鼓の先生だ!」
 ある時、忘年会で温泉へ行ったことがあった。風呂に入ろうとして廊下を歩いていたら、他校の若い先生とすれ違った。その瞬間、彼の口から出た言葉は次のようなものであった。

「あっ!太鼓の先生だ!」

  確かに、高等学校文化連盟では、長年和太鼓に関わってきた。従って、彼がそう思うのも無理はない。「私が一体何の教科の教員だったのか」、知っている人と全く知らない人に二極化している。子ども達もそうだし、地域の人達やまちの人達も音楽関係の教科を担当していたのだろうと思っているようだ。

 しかし、私自身は、先ずは数学の教員だと思っている。役所の若い職員がある時、中学生の娘の質問を持って私の部屋へやって来た。私は、彼が帰宅して娘にしっかり説明できるように丁寧に教えた。

今年の夏祭り、一番右が私。これでは太鼓好きのおじさんと思われてもしかたがない。

「数学の話になると生き生きしますねえ」
と彼は言ってくれた。数学となると、口数が多くなってしまい、ついつい力が入ってしまう。私は思う。本職があって、趣味や特技があるのだと。

 しかし、数学について、まちの人や近所の人達と話し合う機会は皆無である。そう言えば、現役の数学教員だったある時、こういうことがあった。息子を病院へ連れて行ったときに、耳鼻科の医者が高校数学について質問してきたのである。一次変換の問題であった。

  次の患者が待っているのに、一生懸命数学について説明していたのである。先生は喜んだようだ。しかし、こういうことは滅多にないことである。そこで多くの人達から太鼓の先生といわれたり、音楽の先生かと言われたりするのも無理はない。それはそれでいいのである。

今生きる数々の数学参考書
  私は、本屋へ寄るのが大好きである。家族と買い物に出かけたときには、本屋で待ち合わせることにしている。そして、高校の数学教員時代から最近まで、本屋へ寄れば必ず数学の参考書売り場へも出かけて、どんなものがあるのかを調べて、買い求めたものである。退職しても同じである。

  なるほど上手く書けた参考書だなあと思うものもあれば、“この程度の内容でも出版できるのか”と驚いたりもする。何か自分のためになると思えば、必ず買い求めたものである。そんな参考書ががかなりたまってきた。

   今、自分が最もやりたいと思っている、ネット上での『数学講座』開設に当たって、これらの参考書を読み返しているが、参考になることも多い。これらの材料を自分流に解釈して、少しでも数学の苦手な高校生諸君の役に立てれば幸いである。今は、買っておいてよかったと思っている。

 今日は、午前中、数学講座開設のための作業をした。ホームページ制作の腕は未熟ではあるが、何とか、自分の思うことを表現できたらと思っている。私の願いは、解法を覚えて答えを出すことではなく、与えられた文章なり数式などから自分の力で解法に必要な情報を読み取り、それらを利用して解くための方針を自ら見つけ出すことにある。

 解法を説明し、覚えさせて、答えを出すというやり方は、点数をとることは出来ても、将来の生き方としては、いささかさみしい気がする。常に上司の指示に従って、言われたことだけやる生き方では、時代は切り開けないのではないだろうか。生き甲斐も持てないだろう。

太鼓チームの反省会。若い人達の話が聞けてこちらも楽しくなる。これまでは、ほぼ全曲私が創作してきただけに「新曲を作ってみたい」という彼女たちの申し出を嬉しく思う。

(日記:午前中、数学ホームページづくり。午後、テレビやパソコンのディスプレイを数台持って無料で受け取ってくれるという臨時の店へ出かけた。しかし、条件が合わないということで、全て有料だった。予想通りであった。その後、小屋の整理。廃物を軽トラに積んでゴミ処理センターへ。午後7時より和太鼓チームの反省会。若い娘達と楽しいひとときを過ごすことができた。 )

 
 

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