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平和は遠し……

26 2月

福井新聞学芸欄「論考2015」より
今日の福井新聞を読んでいたら、学芸欄の論考2015『イスラム国人質事件~「テロとの戦争」袋小路』に考えさせられた。「イスラム国の振る舞いは残虐で恐怖をあおる。誰もそれを放置したいとは思わないだろう。だが、まずなぜこのような集団が国家的規模を備えて生まれて しまったのか、その過剰な暴力性は何なのかを考えてみなければならない。」とある。

そして、戦争と犯罪の違いについても述べている。戦争は何人、人を殺しても罪にならないのだろうか。法によって裁かれることはないのだろうか。戦争の異常さは、勝者であれ敗者であれ筆舌に尽くしがたい。

勝者だからといって正義であるとは言いがたい。今の状況は自然に生み出されたものではないだろう。突き詰めれば、今の状況は人の欲が生み出したものではなかろうか。国家と国家の戦争は行われ難くなったが,「テロと戦争」はこれからも続いていくのではなかろうか。

勉強の後の会話が楽しい。「卒業生を送る会」で全校合唱の指揮者をすると嬉しそうに話してくれた。平和の時代がいつまでも続いてほしい。

勉強の後の会話が楽しい。「卒業生を送る会」で全校合唱の指揮者をすると嬉しそうに話してくれた。平和の時代がいつまでも続いてほしい。

今日のコラムの最後の部分を味わいたい。
「……。世界を恐怖から解放するのは決してそれに輪をかけた暴力、つまり「戦争」であってはならないだろう。むしろいかにして戦争の構図を排除するかを考えなければならない。さもなければ世界は業火のような暴力の混迷のなかに沈んでゆく。それがこの十年に及ぶ「テロとの戦争」の教訓である。」

世界は、この文章を書いた「哲学者 西谷 修氏」の心配するような出口のない暴力の応酬に追い込めれていつもでも「テロとの戦争」という名の戦争を続けていくのだろうか。国内では株価がどんどん上がる一方で、心の荒廃が進み、異常な事件が連続している。これが、誰もが望んだ豊かな世界なのだろうか。どこかがおかしい。

(日記 午前中は数学。午後は、音楽の時間。ウインドシンセの練習。むかしなら、あっという間にできるようなことが今は、とても時間がかかる。午後7時から「爺ちゃん勉強」。国語の勉強は難しい。)

 

 
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