作る価値があるのか
今、数学の参考書を作ろうとしている。かける時間は膨大だ。しかし、田舎者の私(“いなかもん”は私の創作時のペンネーム)の私が作ったモノを誰が読むのだろうか。
「作る価値があるのか」と自問自答することがある。私の手元には百冊以上の参考書がある。そして、今でも買い続けている。どれも似たり寄ったりで新鮮みはそんなにない。
そうしたモノの仲間入りをしても何の価値もない。ただ、それらと似たものを私が作る意味もない。高校生の役に立って、今までにないものを作るとなると簡単ではない。
私の作っている参考書は基本中の基本となる“重要例題”で作られている。それぞれ例題の直後に、高校生と私の会話を挿入している。文字だけでは、読みづらいだろうと思って高校生6人の顔を入れている。
6人のキャラクターが語る重要例題についてのコメントが一つの売りのつもりでいる。それと、最後のまとめとなる“セオリー”(それをごく短くまとめた5・7・5の単文)が売りのつもりでいる。ヒントなども付けているが、これはどの参考書にもある定番のものだ。膨大な時間がかかっているが、高校生達に少しでも役立てばと思って取り組んでいる。
(日記 終日、参考書作り。横浜の孫達は息子の嫁の実家へ。昨日の午後やって来た福井の孫達は、家の中を元気に駆け回っている。夏休みの我が家は賑やかである。)