政府の少子化対策で子どもが増えるのか
少子化は将来の国の存亡に関わる大問題だとの認識は誰もが持っているように思う。高齢者は増える一方で、それらを支える働く世代は減る一方である。年金は破綻するだろうし、国の経済発展も望めないだろう。様々な予測でも、地方は衰退するどころか、消滅の危機さえあるとの予測が出ている。
国でも少子化担当大臣を設け、少子化対策を進めているが成果はほとんど見られない。国の対策で果たして少子化化が改善されるだろうか。いつも思うことだが、国会での少子化担当大臣の答弁を聞いていると、そんなことで本当に少子化が改善されるのかと思ってしまう。
そもそも、「子どもがたくさん生まれた時代」とはどんな時代だったのだろうか。私の周辺を見ると、男性は働きに出て、家庭には女性や高齢者(祖父母)が家事や農作業をしていたように思う。子どもたちは、兄弟や地域の異年齢の子どもたちと接し、地域の高齢者などが見守る中で育っていったように思う。子どもをみんなで育てたので、かつては「子育て」という言葉もなかったのではないか。また、車やテレビ・洗濯機などの電気製品もなく、生活レベルはそんなに高くはなかったように思う。このような環境の中では、子どもの一人や二人、増えても家計にはそんなに影響がなかったのではなかろうか。
ところが、今は子育てのベースとなる家庭や地域社会が弱体化し、あるいは崩壊して、子育ては大変な作業である。子どもを預かる保育所や児童館があればよいというような単純なものではない。核家族の中ではこうした施設があれば子どもを安心して育てられるものではない。
日本は世界でもまれな残業大国である。特に男性は残業が当たり前である。このままでは女性だけで安心して子育てなどできるはずがない。この点を改めることではなかろうか。その上、女性の社会進出が望まれているが、労働力不足を補い、低賃金で長時間残業を女性にも求めているのではなかろうか。女性の男性化と言えなくもない。こうなると、家庭が子育てを放棄せざるを得ない時代になるのは必然ではなかろうか。このような状況でたくさんの子どもを育てることなどできるはずがない。よほど本気にならないと移民に頼るしか道はなくなってしまう。
(日記 機能で、ようやくこの夏やるべき課題は終わった。残るは個人的な課題のみである。午前中はもっぱら数学。午後は久しぶりに昼寝。その後も、数学。あっという間に一日が終わってしまった。夕方、福井の孫達は帰って行った。代わって横浜の孫達が戻ってきた。久しぶりに孫(長女)と川になって寝た。)