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よみがえる青春

09 11月

藤子・F・不二雄ミュージアムにて
長男宅でのんびりと目を覚ます。午前11時に長男の家族5人と我々夫婦が『藤子・F・不二雄ミュージアム』へ行くことになった。すでに切符も勝ってくれていた。

高速で1区間を経て川崎市にあるミュージアムへついた。藤子不二雄氏は、富山県出身の藤本弘氏と我孫子素雄氏二人が一つのペンネームで作品を描いてきたのだ。

後に、二人は別れて藤本弘氏は、藤子・F・不二雄氏として独立して現在に至っている。それまで、よくも二人で一つの作品作りができたと感心するばかりである。

二人は、それまで「お化けのキュウタロウ」や「ドラえもん」など数々の作品を生み出した天才的な漫画家ではないかと思う。ミュージアムには、たくさんの漫画が展示あれ、原画なども展示されていた。

鉛筆での下描き、ペン入れ、下描きの鉛筆を消して墨汁による墨入れ(ベタ塗り)、そしてネーム入れ(セリフを写植で貼り付ける)など、私が中学高校ですべてを投げ出して漫画に取り組んでいた時代が鮮やかに思い出された。

10年先輩の藤子氏(二人)は成功し、私はテレビの出現とともに漫画を描くことを断念した。テレビの出現とともに、当時10冊あまり発行されていた月刊雑誌は、すべて廃刊になるような時代だったのだ。

私を指導してくれた漫画家のYY氏(貸本漫画を中心に時々月刊雑誌にも描いていた)も手塚治虫氏らの言に従って漫画家を辞め、広告会社を作ったりした時代だった。

今日のミュージアムを見ていて、そんな私の青春時代を鮮やかに思い出させてくれた。ミュージアムを見ているうちに、私の体の奥底で眠っていた漫画魂がムクムと沸き上がってくるのを感じた。

今さら私は漫画家にはなれない。能力的に無理だし、年齢的にも無理だ。しかし、漫画の周辺を楽しむことはできる。ミュージアムで若き日の血が騒ぎ出したことだけは間違いない。

(日記 午前11時より孫達と『藤子・F・不二雄ミュージアム』へ行く。過ぎ去った青春時代の血が騒いだ。長男宅で2泊目の夜を迎える。)

 
 

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