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Archive for 8月, 2013

市民活動センター『納涼祭』

31 8月

地元片瀬に銭太鼓が出演
  今日は、片瀬にある『旧地場産業振興センター』が役割を終えて『市民活動センター』になって、初めての納涼祭りだ。地元片瀬としても、近くへ市民活動センターがやって来たということで、片瀬郷土芸能を披露することになった。

納涼祭のステージで銭太鼓を演ずる片瀬銭太鼓保存会のメンバー。

納涼祭のステージで銭太鼓を演ずる片瀬銭太鼓保存会のメンバー。

  午後4時頃、メンバーが集会所へ集まり、市民活動センターへ向かった。午後5時過ぎ、オープニングとして、創作郷土芸能、銭太鼓『片瀬豊年ばやし』の特別バージョンを演じた。

  普段は、銭太鼓の途中に『にわか芸』を一つ挿入するのだが、今日は特別バージョンとして、二つの『にわか芸』を挿入した。1曲15分間の芸だ。

  無事演ずることができた。まだまだ芸を磨かなければならないと思う。それでも、男女13名が一つのことに打ち込むことには意味があると思う。

  この銭太鼓のおかげで、私たちは、練習や本番でかなり一緒に集まることが多い。集まれば、会話が生まれる。普段はあまり話をしない人とも仲良くなることができた。

最初のにわか芸『米俵で力比べ』の一場面。俵を差し上げているのは私。

最初のにわか芸『米俵で力比べ』の一場面。俵を差し上げているのは私。

  来月の秋祭りに向けて、新しい『にわか芸』を付け加えられたらと思っている。今、構想を練っているところだ。短期の練習で効果の上がることはないかと考えているところだ。

  それにしても、久々の舞台で楽しかった。後は、後継者の育成だ。今度は、子どもバージョンを作れたらと思う。1年かけてチャレンジしてみたい。

(日記 午前中は、事務所の整理整頓とパソコンなどのコードの整理。事務所でも再びインターネットが可能になった。午後2時頃から、40数年前に担任をした生徒(58歳)が訪ねてきた。いろんな話題で話が弾んだ。40数年前に逆戻りした感じだ。時間を忘れて楽しい時間を持つことができた。午後4時から準備して、『市民活動センター』の納涼祭に我が片瀬の銭太鼓『片瀬豊年ばやし』が出演した。久々の舞台で楽しかった。最近忙しかった

2番目のにわか芸『餅つき』の一場面。

2番目のにわか芸『餅つき』の一場面。

が、これで一段落した。) 

 

 

 

 

 

 

 

曲の途中でもちまき。お客さんも喜んでいたようだ。

曲の途中でもちまき。お客さんも喜んでいたようだ。

 
 

郷土芸能第二弾

30 8月

PAシステムゲット
  片瀬伝統の銭太鼓を新たなものにして3年が過ぎた。今年度、宝くじの基金を得て、放送設備や郷土芸能の鳴り物、浦安の舞衣装一式などをいただくことができた。

  これで、銭太鼓をどんな場所で演じることになっても、放送設備はワイヤレスマイクを含めて5本を使うことができるようになった。村の祭りを盛り上げるために、色々役立てることができる。

 明日は、市民活動センターの『納涼祭り』だ。そのオープニングを飾って私たち、『片瀬銭太鼓保存会』が出演することになった。今日は久々の練習。

久々の銭太鼓練習。これに、二つの芸を加えるつもり。明日が楽しみだ。

久々の銭太鼓練習。これに、二つの芸を加えるつもり。明日が楽しみだ。

 放送設備が手に入ったので、練習も一段と気合いが入った。明日は、久々の出番だ。それにしても、この小さな村で、このような芸が続いていることは不思議だ。

 問題は、後継者育成だ。若者や子どもたちを育てなければならないと思っている。今やっている16名はこれからも続けるとして、新たなメンバーに引き継いでいかなければならないと思っている。

(日記 午前中は、明日の出番のCD作り。朝から編曲に取りかかって午後3時までかかった。ようやく、歌詞も一部変更して、CDを作った。その後、事務所で、宝くじで頂いた備品の写真撮影。午後7時半から、明日の出番のために創作郷土芸能『片瀬豊年ばやし』の練習。新たな放送設備も入って、気持ちよく練習できた。)

 

 
 

稲刈り補助員

29 8月

秋晴れの下で
  『農事組合法人かたせ』の稲刈り補助員当番の日だ。だいたい、2回は割り当てが回ってくる。今日はその日。組合では2台のコンバインを持っている。2班に分かれて作業。

  私は、大きい方の機械についた。私の班は40歳代のオペレーターに補助員は3人。年齢は、70歳代二人と69歳。そのうち二人は軽トラで籾をJAのカントリーへ運ぶのだ。私もその一人。

 コンバインでは刈りきれない田んぼの隅は稲刈り鎌で刈るのだ。子どもの経験が生きる。全く経験のないものはどうだろうか。コンバインのタンクに籾がいっぱいになると軽トラを横付けして軽トラに設置してある袋に流し込むのだ。

  全て機械化されているので、ありがたい。もしも、私の子供の頃なら、稲刈りをして、脱穀し、それを籾にするまでにはかなりの工程があった。

  稲を刈ったら、株の上にのせておいて、午後それを裏返しにしながら束ねるのだ。夕方は、それらを道まで運び荷車で稲架まで運ぶのだ。そして、籾や藁が乾燥したら、自宅へ運び脱穀機で籾にするのだ。

 その後も、乾燥機または天日で籾をを乾燥させるのだ。天日の場合、コモを敷き、その上にむしろを敷いてもみを乾燥させるのだ。雨でも降ろうなら大変だった。今は、乾燥はJAで行うのだ。

 作業はほとんど機械化し、ほとんどが男性の仕事になってしまった。昔は、女性の仕事が多かったが、今は、逆転してしまった。午後5時半に作業は終わった。話をしながらの作業はとても楽しかった。

(日記 午前8時から午後5時半まで稲刈りの助手。午後6時半過ぎより久々の『爺ちゃん勉強』。午後8時より、遅羽公民館で和太鼓の練習。前半は子どもの練習。後半は大人の練習だった。結構忙しい一日だった。)

 
 

ブラック企業

28 8月

人を消耗品として扱う会社
  NHKラジオを聴いていたら、今日は『ブラック企業』がテーマだった。種々の法律に抵触する可能性がある営業行為や従業員の健康面を無視した極端な長時間労働(サービス残業)を従業員に強いたりする会社らしい。

 近年、問題になっている。最近では国会でも取り上げられている。ブラック企業には労働集約的な体質の企業が多く、そういう意味ではとにかく多くの人手を必要としている会社である。

  50人ほしければ、100人採用し、過大なノルマを課して選別していくのである。労働集約的な体質の企業においては、「代わりはいくらでも入ってくる」という考えを持っており、末端の従業員とは使い捨ての消耗品も同然の存在でしかない。

 晴れて学校を卒業し、会社に入ったと思ったら、予想外の展開。厳しいノルマや長時間労働、サービス残業などの一方的な企業利益を求められ、社員は全くの消耗品かモノ扱いである。

 人のやりたがらない仕事・割に合わない仕事や理不尽な仕打ち、不可解な人事考課、低賃金などに苦しめられ、やがて肉体・精神ともに疲弊し破綻をきたし、死に至ることさえあるのである。

 名前の通った企業でもブラック企業と称されるものはあるらしい。「アベノミクス」どころではない。死ぬか生きるかの瀬戸際で働く若者が少なくないのである。

 こうした企業にはまっとうな労働組合も存在しないか、御用組合しかないのである。組合を諸悪の根源のように思う人も少なくないが、いざというときには必要なのである。

 今後も、利益主義、能率主義が続く限り、人がモノとして扱われる時代は続くだろうと思う。悲しいことだ。理不尽な働きを要求された士農工商の時代に帰るような昨今である。

「カイマナヒラ」の練習をする太鼓のメンバー。仮称「ハルコマハワイアンズ」である。

「カイマナヒラ」の練習をする太鼓のメンバー。仮称「ハルコマハワイアンズ」である。

(日記 午前午後とも、宝くじの補助金で購入した物品の整理。午後7時半より、フラダンスの練習。以前に野向のNさんから電話がかかってきた。「誰かフラダンスを教えてくれる人知りませんか」と。ちゃんとした講師は県内にいくらでもいる。ただし一定のお金はかかるが。Nさんの頼みなので、結局私が実験的に引き受けることになった。といっても、助手が必要だ。太鼓の仲間が助手を務めてくれることになった。今日はその練習。来週の水曜日に『フラ教室』のデモンストレーションがあるのだ。変なことを頼まれてしまった。後の祭りであるが、ハワイアンギターを弾けることだけはうれしい。)

 
 

断る理由

27 8月

三つの言葉
  どのようなことであれ、他人にものを頼まれたら次の三つを言えば、簡単に断ることができる。他人から何を求められようと。

  「忙しい(時間がない)」、「金(資金)がない」、「人手が足りない」の三つだ。私が言いたいのは、人に物事を頼まれたとき、断る理由等考える必要がないということ。問題はどうしたらできるかだ。

 頼まれたことを実行するのは、簡単ではない。「最初の時間がない」だが、もしも、部活の強豪校に「あなたが方は部活だけに一生懸命にならないで、毎日短時間でも奉仕活動をしたらどうか」と言ったらどうなるだろうか。

 直接言うか言わないかは別にして、相手から「何をバカなことを考えているのか」と思われるだろう。ところがこれを実行している学校がある。

 今夏甲子園で優勝した前橋育英高校だ。寮の周辺のゴミ拾いをするのは日課らしい。優勝した日の翌日も、メンバーはホテル周辺で日課のゴミ拾いを行ったという。

  また、こんな話もある。 大会中、宿泊先ホテルの従業員が「部屋がきれい」と褒めていた。寮では選手たちは『部屋の乱れは心の乱れ』と普段から言っているらしい。

 『野球部じゃなくて掃除部』という冗談があるくらいらしい。いつも楽しそうで、上級生は偉ぶらず、率先して掃除をしているとのことだ。

 「練習が休みの月曜日には、近所の草むしりなどもしているらしい。『地元に愛されるチームにしたい』という思いがある」というのだ。

 忙しいというのなら、いくらでも断れる。問題は、やる気と監督や選手の想いだろう。彼らは、もし甲子園で優勝しなくても、大きな物を部活動で得ているように思う。

  きっと、野球の神様が見ていたのかも知れない。私も現職時代、よく後輩達に言ったものだ。「もしもやった方がよいというのなら、断る理由を探すのではなく、どうしたらできるかを考えることだ」と。難しいことだが。

秋の家庭菜園作業開始。先ずは、大根を植える場所を耕した。

秋の家庭菜園作業開始。先ずは、大根を植える場所を耕した。

(日記 午前中、大根を植える場所を耕した。秋の大根は本当に美味しい。小さい頃は、「すぐり菜」をおひたしにすれば美味しい。少し大きくなったら、アゲとしっよに「味噌煮」にすれば最高だ。大きくなったら、おでん、大根の煮染め、焼き揚げおろし、漬け物、インスタントキムチ。午後は、『爺ちゃん勉強』の計画表作り。その後、事務所の片付け。久々のハワイアンギター練習。午後7時から、第1回目の猪野瀬文化祭実行委員会。その後、区長会。結構忙しい一日だった。)

 
 

priority

26 8月

限られた時間の中で
  この頃、プライオリティー(=priority:優先順位)について考えることがある。自分個人について言えば、やりたいことは山ほどある。やらねばならないこともある。

  時間が無限にあるのなら、やりたいことの全てにチャレンジすればいいだろう。しかし、体力的にもきつくなり、時間も限られた中で何かをやろうとすると、やはり優先順位を考えざるを得ない。

 友禅順位の低いものは、後回しにするというよりは捨てなければならない。そのかわり、優先順位の高いものについてはじっくり時間を掛けて取り組みたいものだ。

  これを、政治の世界についても同様に考えられる。優先順位の高いものから取り組んでもらいたいと思う。国家の思う優先順位と国民の願う優先順位が必ずしも、一致していないように思う。

  地方都市は、過疎化、少子高齢化が進んでいる。そんな中で、行政がなすべきことは何だろうか。やるべきことはたくさんあると思う。

 やるべきことの中から、優先順位の高いものから実現してほしい。そんな中の一つに“若者の働く場の確保”を私は願っている。

  ただし、若者の働く場と行っても、二通りの考え方があると思っている。一つは、若者の働く場を行政なり第三者が作ること、もう一つは、若者自身が働く場を作ること(創業)だと思っている。

  後者は、そうしたことができやすい支援が必要であろう。当市でも、インキュベート施設を作ったが効果はどうだっただろうか。

  安倍内閣も、プライオリティー(優先順位)をよく考えて着実に実践してほしいと思う。全ての国民が潤う施策はなかろう。影の部分も忘れないでいただきたい。

(日記 午前中は、休養。午後は家内と二人で秋ジャガの植え付け。法人で借りた畝を耕し、種芋を植えた。同じジャガイモでも春のものとはかなり異なる。特長を生かして料理に使わなければならない。)

 
 

統治機構の欠点

25 8月

指導者の責任
  午前中、体調不良のため何気なくテレビを見ていたら、NHKBS3チャンネルで『零戦』について番組を放映していた。途中から見ることになった。

 一時期、米軍機より性能のよかった零戦だが、その後アメリカは新型機を開発した。新型の米軍機は零戦よりもはるかに性能がよく、守備にも強かった。現場から零戦の改造の要求があったが、退けられた。

 撃墜される零戦が増加し、最後には、空中戦で戦うのが無理な状況になっていった。そして、爆弾を積んで敵艦に体当たりする神風特攻隊が多くの日本の若者の命を犠牲にしていった。

 誠に悲惨な状況だった。20歳に満たない若者が米戦艦に体当たりする姿は戦争の悲惨さを象徴する何ものでもなかったように思う。人も爆弾の一部として扱われたようなものだ。 
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  番組を途中で見たのでその後、以前に録画しておいたNHKスペシャル『終戦 なぜ早く決められなかったのか』を見た。

 敗戦から68年を迎える太平洋戦争。その犠牲者が急激に増加したのは、戦争末期だったという。勝敗はとっくに決していたにもかかわらず、なぜもっと早く戦争を終えることができなかっただろうか。

  戦争末期の日本の歴史観を塗り替える貴重な資料が、第二次世界大戦当時の機密書類が保管されているイギリス国立公文図書館の資料の中に残されていたのだ。

  日本のヨーロッパ駐在武官が東京 に送った暗号電報だった。その中には、当時の日本政府が知らなかったとされる「ヤルタ会談でソ連は対日参戦を約束した」との情報が書かれていたというのだ。

 会談で、アメリカ・イギリス・ソ連の間で密約の形で取り決められていたため、この情報を事前に日本が掴んでいたら、終戦はもっと早かったと言われている。実は、日本の上層部はこの情報をつかんでいたのだ。

  その上、強硬に戦争継続を訴えていた軍が、内心では米軍との本土決戦能力を不十分と認識し、戦争の早期終結の道を探ろうとしていたことがわかってきたのである。

  1日でも早く戦いを終える素地は充分に出そろっていながら、そのチャンスは活かされていなかったのである。もしもそれらの情報が生かされていれば、日本各地への爆撃、広島・長崎の原爆、シベリア抑留などが避けられ、三〇〇万近くの尊い命が救われたのではなかろうか。

 日本の統治機構の欠陥が大切な情報を生かせなかったという。国の指導者の決断は重い。経済だけで国会議員を選んでもよいものか。選ばれたからには、自ら率先してこの国のために働いてもらいたい。

 今日の福井新聞の一面は『集団的自衛権へ新法』である。特に若者達にこの国の政治や行く末に関心を持ってもらいたいと思う。

(日記 終日、自宅で過ごす。終戦時のテレビを見て悲しくなると同時に腹立たしくなる。情報を分析し、これらをもとに正しい判断のできる国の指導者が望まれる。戦争継続かどうかを判断していた軍部や国の責任者の中では重要な情報は隠され、内心は戦争を止めたいと思っていても、そのように発言できなかったようだ。統治機構の欠陥と、彼らに真の勇気がなかったのではなかろうか。まだ、戦争の総括はなされていないのだそうだ。福島原発の総括がなされていない。高校では、現代史はあまり熱心に教えられていないのでは……。)

 
 

夏休みが終わる

24 8月

横浜の孫達が帰る
  8月3日の早朝、車で孫達がやって来た。息子は、車を置いて新幹線で横浜へ戻った。そして、一昨日の午後、再び新幹線で帰省し、今日、車で家族五人が帰っていった。

三女とは「たかーい!たかーい!」もできるようになった。

三女とは「たかーい!たかーい!」もできるようになった。

  この間、忙しかったのと、体調を壊していたので、孫達の相棒をじゅうぶんすることができなかった。残念である。昨年は、爺ちゃん勉強と称して算数や国語の練習、そして音楽と称して歌の練習などもできた。

 今年は、そんなことはほとんどできなかった。昨年の夏休みと異なるところは、昨日で1歳と7ヶ月になった3女が私たち夫婦と仲良くできたことだろうか。春に横浜へ出かけたときには、タッチはできてもだっこはできなかった。

 その後、ウェブカムで顔見知りになっていたので、私達夫婦を「じいじ」「ばあば」と認識していたことだ。子どもたちは年々大きくなる。それに反して私たち夫婦は、年々高齢化していく。

三女は家内ともすっかり打ち解けた。春とは大きな違いだ。

三女は家内ともすっかり打ち解けた。春とは大きな違いだ。

  そのことを認識して行動しないと、いけない年齢になったようだ。今、私自身が考えることは、「無理」と「背伸び」を止めることだろうか。

 慌てずに、「生涯現役」を目指して一歩ずつ、前へ進んでいくことではなかろうか。今夏、体調を崩して特にそのことが気になった。

(日記 体調不良。終日、休息。文藝春秋を読んでいた。午前10過ぎに、次女が東京へ戻って行った。そして午後9時過ぎに、東京で働く息子の家族が住居のある横浜へ戻っていった。私の夏休みが終わったような気分だ。昔、私が高校の頃、あこがれていた東京で、次女と長男が働いている。夢は世代を超えて実現するものなのだろうか。複雑な気分だ。心の中では、まだまだ老いてはいられないと思う。早く身体を治さなくっちゃ。)

家族そろって夏休み最後の食事。明日からはまた二人きりになるのだ。

家族そろって夏休み最後の食事。明日からはまた二人きりになるのだ。

 
 

盆踊り復活

23 8月

平泉寺の皆さんの取り組み
  途中で、平泉寺のSさんが来た。明日の祭りで盆踊りをするという。平泉寺は盆踊り復活を目指している。一昨年、平泉寺で踊りの講習会を開いたが、今では自分たちでできるようにあった。

 ところが、1曲だけ忘れてしまったということで、今日私の家へやって来た。原案で、図を描き、踊れるまで指導した。平泉寺には、盆踊りの最後経験者がいて復活させようとしている。うらやましいことだ。

 明日晴れることを期待している。彼らは、町民運動会でも踊っているのだ。これは素晴らしいと思う。子どもから大人までが、一つのことにと取り組むことはとても素晴らしい。

 私も勝山市で盆踊り復活を目指してここ数年取り組んできた。平泉寺の皆さんの取り組みには大いに期待している。今やらなかったら経験者がいなくなって復活は困難だからだ。成功を祈りたい。

(日記 朝、病院へ。レントゲンと血液検査。風邪らしい。薬を処方してもらって帰宅。その後は、もっぱら寝床で休養。昼日中寝床にいるのは、久しぶりだ。健康が一番大切だと言うことが分かる。今年の夏休みは、孫達と余り遊ぶことができなかった。悔いが残る。これからの時間の使い方に十分注意しなければならない。)

 
 

『親鸞聖人物語』

22 8月

平泉寺公民館で初演
正月以来制作を続けていた創作紙芝居『親鸞聖人物語』が昨日完成し、今日は平泉寺の高齢者サロンで上演することになった。

『親鸞聖人物語』を始めるに当たって一言挨拶。

『親鸞聖人物語』を始めるに当たって一言挨拶。

 会場が大きいのでパワーポイントで演じることにした。紙芝居にしては、少し長かったかもしれない。40分かかった。 脚本や演じ方に改善の余地があると思った。回を重ねて少しずつ、完成度を高めていきたい。

(日記 午前中は平泉寺公民館での高齢者サロンに呼ばれて、紙芝居、歌、踊りを行った。会場の皆さんからも色々聞かせていただいた。双方向で楽しめたと思う。今日は体調がよくなかった。帰って休息。)

 

 

家内と二人で実演中。

家内と二人で実演中。

 

 

 

 

 

 

 

 

参加して下さった皆さん。顔なじみが多い。

参加して下さった皆さん。顔なじみが多い。