RSS
 

Archive for 6月, 2013

渇き

30 6月

歌作りに飢えてきた
  最近、畑に出る時間以外は全て創作紙芝居の絵を描いている。おかげで。眼は疲れるし、腰は痛くなてきた。今テレビでは音楽をやっている。ここらで歌作りをやりたいと思う。

  しばらく歌作りから離れていると、のどが渇くように「歌作りに対する渇き」を覚える。かといって上手く作れるわけではないが、何となく、歌を作ってみたい気がする。

  これまで途中で投げ出した歌もある。これらを完成させたいし、全く作ったこともない分野の歌を作ってみたい気もする。できるかどうか分からないが、洋風のものを作ってみたいとも思う。手元のギターがさみしそうである。

  これは、歌以外のことでも当てはまるかも知れない。毎日同じモノを食べているとどんなに好きなものでも、食べたくなくなる。私にはこのような経験がある。

  カレーもたまに食べるととても美味しいが、毎日食べると飽きて嫌になる。人間とは贅沢なことを望む存在かも知れない。とにかく、毎日絵を描いていると、少し他のことをしたくなる。のんびり温泉へも行きたくなる。

ようやく完成した紙芝居のタイトル画面。

 頼まれて明後日大野で演ずることになった『はげっしょ鯖』の紙芝居が終わったら、少し紙芝居以外のことをやってみたい。そして、最後に苦労して作っている創作紙芝居『親鸞聖人物語』の仕上げにかかりたい。

  幸いなことに、紙芝居で作った作品は、全て自作の絵本にすることができる。これはぜひともやっておきたいことだ。勝手なことを考えながら、ブログを書いている。

(日記 終日、絵を修正しながら創作紙芝居『越前大野・はげっしょ鯖物語』の絵の印刷。修正しながら印刷しているので午後9時までかかった。途中、横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。)

 
 

健やかに育て、子どもたち

29 6月

子ども達の前途に幸あれ
  大野市の誓念寺・中野保育園で園児の保護者に話をさせていただく機会を与えられた。感謝の気持ちでいっぱいだ。自分の想いを話すことができるのは、私にとってはとてもうれしいことだ。

  昨日も書いておいたが、幼児の保護者に向かって一番話したいことは、「子どもには無限の可能性がある」ということだ。分かっているようで日々の生活に追われてそのことを忘れてしまいそうだ。

  私たち大人は、よかれと思いながら、子どもの成長する機会を奪っていることがある。子ども達の先回りをしていろいろ手を打つことだ。そのため子ども達の出る幕がなくなることだ。

  何かを教えるときには、考える機会を与えず、ああしろこうしろと指示を与え続けることだ。例えば、少年野球などの練習を見ているとなぜそうするのか、なぜそれはいけないのかを子どもが考える前に、叱って矯正させることだ。

大野市の中野保育園で、園児の保護者に話をさせていただく機会を得た。充実した時間を持つことができた。

 子どもたち自身が自ら考える機会を保証してやることが大切だと思う。私もずいぶん沢山の授業を参観してきたが、考える機会を与える指導者と説明や解説が多くて子ども達に考える時間を与えない指導者に二分されるように思う。

  そして、後者の方が素晴らしい指導者だと信じている人も少なくないようだ。子どもが小さければ小さいほど、その教育には慎重でなければならない。幼児期は、子どもたちの根っこを育てている時期だから。

 また、言葉で指導できることと、背中でしか指導できないことがあると思う。夢を持つことなどは、子どもに向かって「夢を持て」と言っても、そうなるものではない。そう願った者が夢を持って日々を送るのが近道だと思う。

  そういう意味では、保護者の皆さんに、「それぞれ夢を持って,前向きに生きて下さい」というのも、私の一つのメッセージだ。その背中によって、子どもたちが前向きに(夢を持って)生きていくことを願うばかりだ。

 とにかく、楽しく充実した時間を持つことができた。本当は、保護者の皆さんといろいろ話し合いたかった。時間の都合でそれができなかった。「いつか、園児の前で創作紙芝居をさせて下さい」と主任保母さんにお願いして保育園を辞した。

(日記 午前10時前に自宅を出て、大野市の誓念寺・中野保育園へ出向き、保護者の皆さんを前に、子育てについて話す時間を持たせていただいた。午後は、7月2日に行う紙芝居の絵を描いた。午後7時から参議院議員候補者滝波氏と語る会に出席。)

 
 

保護者に何を伝えるか

28 6月

保護者へのメッセージ
   かつて同じ仕事をさせていただいた大野市の方から、保育園で保護者に何か話をしてほしいと依頼された。その日が明日だ。子どもの保育園時代は、子育てにとっては最も大切な時期ではなかろうかと思う。

  子どもが小さいうちは、親は何でも自分の思い通りになると考えがちだ。子どもは親の付属物かであるかのような錯覚を起こしやすい。しかし、子どもはれっきとした一人の人間なのだ。

  明日、保護者の皆さんに伝えたいことは以下の様なことだ。パワーポイントで絵を示しながら話をしたいと思う。

 先ず、大前提として私は次のように考えている。
   「子どもには無限の可能性がある」
   「子どもは幼いが劣ってはいない」
   「大人は無意識に子どもの成長の機会を奪うことがある」
   「継続は力なり(毎日パワー)」

 そして、本題は、
  1.ことばの力
  2.家族の役割
    (1)家族の一員
    (2)手伝いと役割分担
  3.背中での指導

などだ。3では、夢を持つこと、マナー向上、子どもの学力向上などは、親の姿勢(背中)が大切であることを訴えたい。いかにユーモアを持って話すことができるか、また、何か一つでも保護者の心の中に残ることを伝えられるかが私に課せられた課題である。

(日記 午前中は、明日の保育園での話の資料作り。パワーポイントを使って話したいと思う。午後は、2時間ほどカボチャの支柱作り。カボチャの蔓が畑の中を這い回らないようアスファルトの上に竹の枠を作った。ここへカボチャの蔓を導くのだ。帰宅してから、再び、資料作り。もっとはやく資料を作っておけばよかったと思う。)

 
 

ホッとする一日

27 6月

第4木曜日がくると
  毎月第2、第4木曜日には、自主的に『かたせ瓦版』を発行している。第2木曜日はA4換算で2ページ、第4木曜日はA4換算で4ページ(A3二つ折り)分だ。

  特に、第4木曜日の方がスペースが大きい分苦労する。区民の皆さんに何を伝えるか、どう伝えるかが私にとっての課題だ。好きに何でも書けばよいのなら楽だが、そうもいかない。

  少しでも、明瞭な印刷で区民の皆さんにお配りしたいと思い、コンビニの白黒コピーを使っている。原稿はカラーだが、経費がかかるので配布するものは白黒だ。

昭和の子供。何をしているかおわかりだろうか。

 毎月、第二木曜日の分は、2日前後、第4木曜日の分は3日前後で仕上げている。なるべく写真を使おうとしているが、写真がない昔の記事の場合には挿絵を描いている。今回も、昔の子供の生活を取り上げたので2枚の絵を描いた。

 毎回、木曜日の午前中にコピーし、市の配布物と共に、各班長宅に届けている。この瞬間が最もホッとする瞬間だ。従って私には第4木曜日の夕方が最もスッキリした時間だ。

 絵を描くと言えば、第4木曜日には子ども達のために『違い探し』の絵も描いている。季節にふさわしい絵を描き、7カ所だけ違った部分を作っている。大人の人にもチャレンジしてほしい。脳トレには最高だと思っている。

  午前中で、瓦版から開放された。しかし、これは好きでやっていることなので編集そのものは苦痛ではない。他にやりたいことが沢山あるので時間を取られることが惜しいだけだ。

(日記 午前中は、『片瀬瓦版作り』。その後、童話を一遍仕上げた。午後は、久々に畑仕事。藁を切り、ショウガにかけ、さらに土をかけた。ショウガは湿気を好む作物だ。ムシムシする状況を作り上げた。その後、ひまわりの支柱作り。) 

我が家の家庭菜園に植えてあるキウイとイチジク。今年も実りそうだ。

 
 

産みの楽しみと苦しみ

26 6月

和太鼓選手権に向けて
  『第2回福井県和太鼓選手権』に向けて、曲作りをしなければならない。午後は、和太鼓の曲の構成を考えていた。自分たちのいくつかのレパートリーからこれはという部分を取り出して一曲に仕上げるのだ。

  口で言うのは簡単だが、いざとなると難しい。午後いっぱい太鼓のことを考えていた。強いところを出そうと思ったら、その直前に弱い部分を作るとより強調される。強弱、緩急、動と静、振り付け、いろんなことを考え、6分間に込めなければならない。

  午後7時から太鼓練習。今日は、集まってきたメンバー四人と曲の構成などについて話し合った。そして、振り付けなどをいっしょに考えた。次週までには、曲の構成を考え、骨組みを完成させたい。

メンバー四人と振りの研究をした。後一ケ月ちょっとで本番だ。(於:山児童館ミニスタジオ)

  そしてメンバーと一緒に、曲を完成させたい。創作だけに無限の可能性がある。その中から、メンバーの技量などを考えて早く曲を完成させ、練習に取り組みたい。

  曲を作ることは、楽しみでもあるが産みの苦しみもある。完成したときには、満足感が得られるが、それまでは試行錯誤の日々が続く。どうせやるからには悔いのないように頑張りたいものだ。

(日記 午前中は、明日発行の『かたせ瓦版』の編集作業。午前中でようやく完成した。午後は、和太鼓の曲作り。っご6時から横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。午後7時から午後10時頃まで和太鼓の練習。今日は曲の構成や振りについてメンバーと話し合い、練習した。)

 
 

健全野党の育たない不幸

25 6月

自民圧勝は終わりの始まりか
  東京都議会選が自民圧勝のうちに終わった。投票率は低かったが、自民党の候補者59人、公明党の候補23人の全員当選した。選挙前まで、第一党だった民主党は、54議席から15議席に激減し、第4の政党に転落した。

 前回の衆議院選挙、今回の東京都議選は自公圧勝のうちに終わった。というよりも、野党の惨敗のうちに終わった。東京都民は、選択の余地がなかったのではなかろうか。

  ぶれなかった共産党が8議席から17議席へと議席を倍増させ第3党に躍り出た。組織がしっかりしている共産党が議席を倍増させたということは、自民党では困ると思う人たちが、他の野党を選べず共産党に流れたのではなかろうか。

  一方、石原元知事(日本維新の共同代表)のお膝元で日本維新は惨敗した。橋下共同代表の発言もさることながら、自民党とかなり方向性が似ているため、選選択肢なり得なかったのではなかろうか。まだ、自民党がましだと思ったのだと思う。

 特に野党には、信念のない政治家が多いのではなかろうか。かつて、野党第1党として存在感を示し続けていた社会党も権力によろめいたのか自民党と組むことによって(信念をぐらつかせて)見る影もなく衰退してしまった。

 投票率が低かったのは、選挙前から結果が予想できたこと、選択肢がなく、無力感を感じていたのではなかろうか。有権者は、信念のない野党議員では国政をまかせられないと思ったのではなかろうか。選挙のたびに右往左往しているからだ。

  さて、圧勝した自民党だが、よほどしっかりした舵取りをしないと崩壊の始まりになりかねない。終わりの始まりになりかねないということだ。国民に消費税増税という痛みを求める前に、自ら身を切るといったはずなのに、根本的な議員定数の見直しをできないでいる。

 謙虚に国民の意見を聞き、自らを律する厳しさがなければ、いつかは国民の信を失いかねない。もはや対立相手のいなくなった自民党の最大の敵は自分自身にあるのではなかろうか。

 おごれる者は必ず衰退するというのは世界の歴史が示している。ブレーキのない車に乗っているようなものだ。健全野党というブレーキは、特に排気量の大きい車には不可欠だ。当然分かっておられるだろうがドライバーはスピード狂?なので事故が起きないか心配である。

(日記 今日はもっぱら『かたせ瓦版』作り。4ページのうち2ページしか編集できなかった。夕食後、家内とウオーキング。朝から晩までパソコンにしがみついていたので、肩はがちがちになった。これではだめだと思いつつ、やることが多すぎてこうなってしまう。何とかしなくっちゃ。)

 
 

失われていく地域のよさ

24 6月

時代は進むが
  終戦後、60数年が経過した。まもなく70年だ。時代は進み、生活環境もずいぶん変わった。私の生きた時代は、正に日本が物質的にどんどん豊かになっていく時代だった。

  昔は、一家に一台しかなかった自転車。今は、大人の家族の数だけ車があるといっても過言ではない。一家に1台ラジオがあるだけだったのに、家族の数だけテレビがあるようになった。それも映りのよいハイビジョンテレビだ。

  かつては、冷蔵庫も洗濯機もなかったし、水道もなかった。炊飯器も、ガスも電子レンジもなかった。煮炊きも風呂も全て薪だった。何をするにも時間がかかった。しかし、その中で人と人との交わりがあったように思う。スローライフというやつだ。

  娯楽のあり方もずいぶん変わってしまった。昨今は、自ら作り出したり考え出したりして楽しむよりも、業者の作ったものを使って楽しむ方向に変わってしまった。人間が受け身的になってしまった。

  世界中が同じゲームで遊ぶような時代になってしまった。今後こうした傾向はますます強くなるだろう。こうした傾向が強まるにつれて地域のよさはどんどん失われていくように思う。

  今や、人も、モノのように消耗品として扱われているように思う。人間はいろんな世代に混じって社会を作るのが最も自然ではなかろうか。地域の少子高齢化、限界集落……と、高齢者のみが増える状態は不自然ではなかろうか。

 東京都議選で自民党が圧勝した。民主党は惨敗。国政選挙もこのようになるのだろうか。地方の衰退をどうしようというのだろうか。いつも、置き去りになるのは一般大衆であるような気がする。地方の人間であるような気がする。

  次は参議院選挙だ。健全な野党が育たないと、日本にとっては、不幸になるような気がする。歴史に学べば、一党独裁が世の中を正しい方向へ導くのは非常に難しいように思う。

創作紙芝居『越前大野はげっしょ鯖物語』の一場面。

(日記 午前中から、紙芝居の絵描き。ようやく創作紙芝居『越前大野はげっしょ鯖物語』の絵を描き終えた。後は、脚本を作ればよい。夕方6時から横浜の孫との『爺ちゃん勉強』。その後、家内とウオーキング。忙しい一日だった。)

 
 

敬老会に参加して

23 6月

人ごとではない
  今日は、猪野瀬地区の敬老会だ。午前9時に猪野瀬公民館へ出かけた。最初は準備。玄関に紅白幕を取り付けたりした。そして、午前10時半から講演。家族が認知症になった場合どう対処すればよいかについて話と寸劇があった。

みんなで『勝山小唄』。

 講演の内容は、一言で言えば、認知症になっても、感情は衰えていないというか、強く当たれば強く反発し、優しく対処すれば優しく応対するそうだ。対応の仕方もさることながら、自分が患者になっても困るなあと思った。

 午前11時半頃から、市長、県議、市議を来賓に迎えて式典。その後、会食、そして余興。招待される高齢者は76歳以上だ。参加された高齢者の皆さんを見ていると、懐かしさがこみ上げてくる。

  一緒に、市民大会のソフトボールに参加した人、一緒に相撲を取った人、いろんな関わりのあった人などがおられた。いずれも私の先輩だ。皆さんは何を生き甲斐に生きておられるのだろうか。この地区は半数が農家なので、それぞれ畑仕事をしておられる方は多い。

 それ以外には、何をしておられるのだろうか。市街地に住む人は何をしておられるのだろうか。一人暮らしや老夫婦の二人暮らしの方もかなりおられるようだ。健康で高齢化するならよいが、そうでない場合には困るだろうなと思う。

『勝山小唄』に挿入したおかめ・ひょっとこ踊り。

 また、自分なら何をしているだろうかと考える。76歳以上になっても、まだ創作意欲はあるだろうか。身体が、ある程度不自由になるのは仕方のないことだが、意欲の減退は困る。

 敬老会も、今はそんなに他人事ではないように思える。複雑な気持ちで、式典に参加していた。一緒に会食させてもらいながら、いろんなことを考えていた。参加した皆さんの健康とご多幸を祈るばかりだ。

(日記 午前9時より敬老会の裏方として参加。昼食後のアトラクションに家内達『さわらび会(食生活改善推進員)』は楽しそうに踊りを披露していた。2曲のうちの1曲『勝山小唄』は40数年前に私が企画し作曲したものだが、新しい振り付けにし、彼女達に踊ってもらった。途中で「おかめ」や「ひょっとこ」のお面を付けて楽しく踊ってもらった。もう一曲の『マツケンサンバ』は家内が指導したもので、賑やかに楽しそうに踊っていた。終了後、後片付けをして帰宅。その後、1時間、紙芝居の絵描き。その後、家庭菜園でトウモロコシが風で倒れないように支柱を立てた。変化に富んだ一日だった。)

華やかに『マツケンサンバ』。頑張ったよ、おばさん達。(前列中央は家内)

 

サプライズで花束贈呈。メンバーのNさんのご主人が自宅の花で作った花束を持って登場。会場を盛り上げてくれた。

 
 

それって「当たり前?」

22 6月

「当たり前」と盲信していないか?
  世の中で行われていることに、私達は何の疑いもなく「当たり前だ」と思っておかしく思わないことが沢山あるように思う。まもなく、参議院選挙が行われる。あの公約がそうだ。

  選挙が終われば、先送りされることが多い。役所などでは「検討します」と言ったら、ろくに検討もしないで先送りしてしまうことが多い。国民に負担を求める前に、議員の方も身を切るということで議員定数減を議論していたが、なかなか実行できない。

  TPPも自民党は一見反対であるかのようなコメントを出していたが、あっという間に交渉入り。何が起こるのかは、ほとんど国民に説明しないままだ。国民はだまされてしまう。それが政治家にとっては「当たり前」だろうか。

  政党とは、過半数を取ればよい存在なのだろうか。「格好良く国民の声を聞く」と言うが、いつどこで国民の声を聞いたのだろうか。声を聞くどころか、「やらせ」が実に多かった。

 世の中、いろんな面で「当たり前」で見過ごしてしまうことが多い。しかし、よく考えてみると、私たちの「無知」を良いことに、勝手にどんどん物事を進めてしまっているように思う。原発も知らぬ間に政治家も学者も電力会社も含めて「ムラ」ができていた。

  しかし、東日本大震災でそのことが表に出た。電力料金も、必要経費+αを国民負担としていた。どうしようもない、大事故になったが、担当者の無責任な言動が表に出た。国民をなめることが当たり前だったのだろうか。

  復興予算も、復興と無関係なところでどんどん使われている。震災復興のことを気にせず、自分の自治体さえよければと行動することが当たり前なのだろうか。政府も、マスコミで問題になって、少し慌てているように見える。

   お寺とのご縁で「親鸞聖人物語」を紙芝居化しようとしている。よく考えてみれば、数限りなく唱えているお経の「正信偈」には何か書いてあるのだろうか。「仏説阿弥陀経」には、「観無量寿経」には何が書かれているのであろうか。

  分からないのが「当たり前」なのか、「分かろうとしないのが当たり前」か。とにかく、何も分からずに聞いている。お経とはそんなものだと決めてかかっている。この際、分からないのが当たり前ではなく、少しは勉強して理解したいと思う。

 とにかく、「当たり前」を口実に、問題から逃げていることが世の中にはあまりにも多すぎる。これでは、世の中はよくならないのではなかろうか。我々国民も少しは物事に関心を持たなければと思う。「それって当たり前?」と考えて。

(日記 今日は朝から紙芝居の絵を描くと決めた。終日絵を描いていた。途中の午後4時から1時間だけは、『親子太鼓』の練習をしていたが。今日のノルマは2枚だったが、1枚半しか描くことができなかった。明日があるさ。まっ、いいか。)

 
 

半夏生(はげっしょ)鯖

21 6月

創作紙芝居『越前大野・はげっしょ鯖物語』
  おかしな行きがかりから、創作紙芝居『越前大野・はげっしょ鯖物語』を作ることになった。大野へ勤めている知り合いから頼まれたからだ。頼まれたことに対しては「いや」とは言わない(言えない?)性格なので、自分で自分を忙しくしてしまう。

  とはいうものの、頼まれたとき引き受けるかどうかの判断基準ははっきりしている。「忙しいかどうか」よりも、「面白いかどうか」だ。いくら好きなことでも度が過ぎるとストレスになってしまう。

  さてこの鯖物語だが、確たる資料がないのだ。それならそれで勝手に解釈してやればいいだろうと思って気軽に引き受けた。最初にフィクションだと断っておき、もっともらしく創作して、演じればいいと思っている。

創作紙芝居『越前大野・半夏生(はげっしょ)鯖物語』の一場面。

  半夏生に、鯖を食べるのは、我が村にもずっと伝わっていた。そして、我が家では今でも半夏生鯖を食べている。昔はこのときだけは、一匹の鯖をもらい、2、3日かけて食べたものだ。

  最近では、最初は焼き鯖で食べ、残りはネギをたっぷり入れ、煮て食べるのだ。生の鯖を煮てもそんなに美味しくはならない。焼いた鯖を煮るから香ばしくて美味しいのだ。

 鯖はいろんな食べ方がある。「鯖のなれ寿司」もあれば、「焼き鯖寿司」もある。私は、やっぱり「焼き鯖」をそのまま食べるか、焼き鯖を煮て食べるかだ。

  ここ半月ほどの間に3回出番がある。なんとなく紙芝居作りに追われている。(退職者が)こんなに忙しいはずではなかったのにと思いながら、紙芝居の絵を描いている。今日から、2枚をノルマに絵を描き続けたい。

(日記 今日は、用事がなく、雨も降っているので創作日和。しかし、寸暇を惜しんでパソコンに向かっている。楽しいが、目と腰は疲れる。何とか2枚のノルマだけは果たしたい。しかし無理のようだ。)