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Archive for 4月, 2013

上丹生『冒険広場』を見学して

20 4月

川沿いのきれいなまち
 今日は、米原市の上丹生のkプロジェクトのみなさんによる『冒険広場』が始まる最初の日だ。家内と一緒に、先ずは高速道路で米原へ向かった。インターを下りたら数キロで上丹生だ。自宅を出て2時間ほどで到着した。

今日は冬に逆戻りしたような寒い日だった。しかし、チュウリップは満開であった。

 昨年は、私も勝山市の『上丹生チュウリップ祭り』の視察研修に村の知人から誘われて参加していたのだが、上丹生のKプロジェクトの皆さんを全く知らなかった。しかし、その後に事務局のTさんとメル友になった。

 そして今日まで、沢山のメールをいただき、まちづくりに関して沢山のことを学ばせていただいた。また、これまでに、Tさんや代表のYさんの動画も見せていただいていたので、今日お会いしたときには、懐かしい人に会ったようだった。

 上丹生のチュウリップは、綺麗に咲いていた。グランドではゲートボールをする人達がいて、山菜の天ぷらをする人達、ピザの準備をする人達、黙々と木片を切ったり釘を打ったりする子ども達、斧で丸太割りに挑戦する子ども達、……。

 上丹生の広場のシンボルとなっているツリーハウスで遊ぶ子ども達、それぞれが自由に過ごしていた。今回は『冒険広場』の初回だそうだが、この広場が今後どのように発展していくのだろうか。

『冒険広場』の一コマ。

 家内から聞いた話だが、「子ども達が帰ろう言わないので、私も一緒にいます。他の所へ行くと、子ども達が帰ろうと言うので困ります。」とのことだった。黙々と木片と格闘する子ども達に、子どもらしさを見た。

 付き添っていたお母さん達も、一生懸命だった。これから、この『冒険広場』が定着することを祈ると共に、この会を主催するKプロジェクトの皆さんには頭の下がる思いがした。ご活躍を祈りたい。

(日記 午前6時起床したのに、もたもたしていたので、自宅を出発したのは午前8時になってしまった。午前10時過ぎに、上丹生へ着いた。Kプロジェクトの皆さんに挨拶し、しばらくして家内と二人で川に沿って地区を散策した。水はとても綺麗だった。橋が400m程の間に十数本かかっていた。この風景の中でいろんなことができると思った。帰宅前に、YさんやTさんと話をさせていただき、楽しい時間を持つことが出来た。午後7時半から『爺ちゃん勉強』で今日は「音楽」。小三の孫の創作したダンスを二人で熱演。毎週週末は歌と踊りの発表の日と決めた。 )

川沿いに上丹生を散策。どの家も掃除が行き届いていて綺麗だった。

上丹生のシンボル的なツリーハウスの前でKプロジェクトの皆さんと記念写真。

今日の『爺ちゃん勉強』は「音楽」。

 
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バランス感覚

19 4月

バランスは車の両輪
  「私は文系だ」、「私は理系だ」という言い方がある。しかし、中身を見ると、数学や理科が得意であったり、苦手であったり、国語や社会が得意であったり、苦手であったりすることで決めている場合が少なくない。

  同じような言い方に、「自分は体育系だ」、「自分は文化系だ」というのがあるが、決めつけるのはよくないと思う。どちらであろうと、両者のバランスが必要だからだ。

  私は数学の高校教員だったが、自分では理系の人間だとは思っていない。文系も大好きだからだ。同様に、パソコンなどの扱いや論理的な思考のできる理系科目に強い文系教員も知っている。

 今月販売の『文春(5月号)』にも興味ある記事が書いてあった。安倍首相の理論的支柱であると言われているイエール大学名誉教授の浜田宏一氏と数学者の藤原正彦氏の対談の中にあった。
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藤原-世界的な業績を残された岡潔という数学者は、「日本人が数学が得意なのは、俳句があるからだ」とおっしゃった。たとえば、「荒海や 佐渡に横たふ 天の川」などは、目の前の荒海から宇宙まで考えを飛躍させている。こうした感覚を幼少期から俳句で訓練されているので日本人は想像力や創造力が豊かなのだ、というようなことを書かれていました。
  彼は、変わった学者で、二十代末にフランスに3年間留学したときにはほとんど論文を書かなかった。帰国後、「これから私が為すべき分野がわかった。そのためにまず松尾芭蕉を一門の俳諧を全て調べないといけない。」といって芭蕉研究に取り組むのです。 その後、20年かかって、多変数解析函数論という分野の世界三大難問を全て一人で解いてしまった。……。」
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 オリンピックでは体育的な競技である体操やフィギュアスケートなども、芸術的な素養が必要だろうし、論理的な思考は分離両方の知識によって磨かれるのではなかろうか。

  たまたま、教科で文理に別れているだろうが、両者のバランスがとれていないとどちらも伸びないような気がする。バランスと言えば、教科ばかりではない。

  デジタルとアナログのバランス、右脳と左脳のバランスのとれた発達も大切ではなかろうか。知識と知恵のバランスも大切だ。知識だけなら、ネットで十分だろう。知識を生かすには知恵が必要だ労使、知恵を働かせるにも一定の知識は必要だろう。

  子供にとっては、『みんなと遊べること』と同時に、『一人で遊べること』も同様に大切だ。一人で遊べない子どもは、大きくなったとき、家にじっとしていられなくて、友人宅を泊まり歩くことになりかねない。

 かといって、一人でしか遊べないようでは、社会性が育たず、将来社会へ出ても仲間と協力して仕事に取り組むことは困難であろう。車と同じで、人間はそれなりにバランスが取れていないと、よりよい成長は望めないような気がする。

(日記 午前中、依頼された原稿を書く。〆切りは月曜日なので、今日の内に完成させ、メールで送付した。自分にとっては珍しい速さだ。家内が急かしてくれたおかげだ。午後は、音楽一辺倒。編曲や楽譜作り。夕方までかかった。)

 
 

久々のデスクワーク

18 4月

時間のかかる編曲作業
    久々のデスクワーク。区の役員をしていると、いろんな書類が送られてくる。その都度、それらに対応していたのでは自分のやりたいことができなくなってしまう。そこで、いくつかやるベきことがまとまったら、一気にやることにしている。

 今日の午前中は、事務処理に充てることにした。まとめてやらないと、毎日気にかけていなければならないことになる。今日は田んぼをすると決めたら、他のことは一切やらないように、これと決めたことをすることにしている。

 時間の使い方によって、気分よく暮らせるかどうかが決まる。やるべきことのチャンネルをうまく切り替えることは大切だ。昔は「たばこ」がチャンネル役を果たしていたことがある。

 「この1本を吸ったら、何々を始めよう」、「この1本を吸ったらどこどこへ行こう」と、やることを切り替えるたびに「たばこ」を吸っていた。今は、「たばこ」を吸わないので、「コーヒー」や「お茶」がその役割を果たしている。

  今日は、朝からデスクワークと決め、これまでたまった書類を整理し、農協へ行って各種団体に配る補助金や区や森林組合の固定資産税などもおろしてきた。

  事務処理は、午前中で終わり。午後は、久々の編曲作業。復興支援ソング『花は咲く』をオカリナ用に編曲した。市販の楽譜は2種類持っているが、ピアノ伴奏も含めてその通り弾いても素人の耳にはよく聞こえない。そこで、自己流で編曲作業。

 聴きながら、演奏しながら、少しずつ編曲していくのだ。午後1時頃から始めてたった1曲編曲するために午後5時過ぎまでかかってしまった。ようやく、伴奏用の編曲ができた。早速、家内と二人でオカリナを演奏してみた。楽しいが時間のかかる作業だった。

(日記 午前中は、区の事務処理。午後は、編曲作業。午後7時から、『社会福祉協議会』の総会、続いて『フレッシュいのせフォーラム』の総会。結構、忙しい一日だった。)

 
 

芋とショウガとうまい米

17 4月
「片瀬の特産」植え付け完了
  今日の作業目標は、里芋都ショウガを植えること。里芋は、家内の実家で種芋を貰ってくれば、それを専用の穴開け機を使って黒マルチの上から穴を開けて植えればそれでよいのだ。 

片瀬特産のショウガの植え付け。片瀬のショウガ、現在人気上昇中。

  ショウガの方は、すでに植えるための畝は耕してはあるが、改めて有機肥料である牛糞堆肥と米糠燻炭を入れて耕した。最後に、畝立て機を使って畝の中央に溝を作り、そこへ肥料を入れて平らにした。 

 ショウガの方は、健康によいこともあって少しずつ注文が増えているらしい。これまで、法人は米と里芋だけを作ってきた(転作ではソバや麦も作ってきた)、ショウガは個人に任せていた。しかし、今年は組合でもショウガを作るという。 

  個人的にショウガを作ってきた人も今年は、量を増やすという。私は、原則として自家用だけなので今年も、昨年と同じ量を作り、親類や友人に送るつもりだ。 

  里芋も同様だ。しかし、他の人たちには、頑張って沢山作って貰いたい。私の願いは、片瀬の里芋、片瀬のショウガ、片瀬の米がブランド化することだ。私は応援団で良いと思っている。 

  創作郷土芸能の『片瀬豊年ばやし』は、組合の応援歌、コマーシャルソングであると言っても過言ではない。ただし、応援団といえども、実際に自分で作らなければ人に勧められない。 

通りに面したところに置いてある我が家の花々(上・中)。事務所の花(下)。

 そんなわけで、里芋とショウガを浮く李初めて今年は3年目だ。栽培法はいろいろと村の人に聞いてはいるが、最後は、自分流を考えたいと思って、少しだけ工夫している。怖いのは病気と虫などの被害だ。立派に育つことを願いたい。 

(日記 朝は早めに行動開始。今日の目標は、サトイモとショウガを植えることだ。午前中でだいたいは終わった。午後1時より市の招魂社奉賛会の監査。帰宅して農作業を継続。結構疲れた。午後7時半より『じいちゃん勉強』 算数・国語、そして本読み。 ) 

ウェブカムによる遠隔『じいちゃん勉強』。動画も音声もしっかり入るので近くにいるように会話が出来る。

 
 

今しかできないこと

16 4月

タイミング
 自分の生活の中で、今しかできないというようなことがいろいろあると思う。子どもたちの小さいうちにいろんな所へ連れて行っておくと、その感動はいつまでも残ると聞いたので、多少はそのようにしたつもりだ。

 また、子供の受験期には、少しは子どもたちのために役立っておきたいと思った。というのは、私は高校の数学教員だったからだ。十分ではないとは言え、大学受験期には3人の子供の数学の面倒を見ることができた。

 これは教える方もさることながら、習う方もその気にならないとうまくいかない。そういう意味では、まあまあうまく事が運んだと思っている。その三人も大人になってしまった。

 今度は、孫達の子供のうちに、何かを教えておきたいと思う。それはかならずしも、勉強ばかりではない。5人の孫のうち、一番大きな孫は、今年小学3年生だ。先ずは、音楽に興味を持ってもらいたいと思う。特に、歌を歌うことが好きになってほしい。

  夏休みには、『じいちゃん勉強』と称して、ほぼ毎日音楽(歌を歌うこと)と算数の勉強を一緒にした。しかし、普段はこの孫は横浜で暮らしているのだ。そこで、遠隔『じいちゃん勉強』を始めることを、長男と相談した。

 こうして、昨日から、ウェブカムを使って横浜と勝山の間で、『じいちゃん勉強』を開始した。主に算数と国語、そして、音楽などを楽しくやりたいと思う。そのうちに、こちらが教えたくても、教えられない時期が来るだろうから。

昨日、軽トラックいっぱい購入した六呂師高原の牛糞堆肥を堆肥枠の中に入れた。これで、1年間有機肥料をたっぷり使える。昨日、直接堆肥が地面につかないように堆肥枠に底を付けた。これで堆肥に水が入ることはないだろう。

 後で、後悔しなくても済むように、可能な限り『じいちゃん勉強』を続けたいと思う。今のところ、孫の中で学校へ通っているのは、一人だけだ。この勉強は、孫達だけでなく、私の勉強にもなっている。認知症予防に少しは役立つのではと思う。

  今しかできないことは、自分自身についてもあるだろう。例えば、時間のかかる創作活動や旅行などもそうだろう。地域活動もそうだろう。身体を鍛えることもそうかもしれない。動けなくなってからでは遅いのだから。

 そう思うと、若い連中が、ゲームなどに熱中していたり、ペーパーテストの勉強のみを勉強と考えているのはどうかと思う。若い感性を磨くことはいっぱいあるのだから。

(日記 午前中、市長のお母さんの葬儀に参列。午後は、勝山市区町連合会理事会に出席。少しだけ発言する。帰宅したのは午後3時半。着替えて家庭菜園作業を開始したのは午後4時。午後7時頃まで、昨日車に積んで置いた、牛糞堆肥を堆肥枠に移し替えた。明日は、生姜を植えるために有機肥料をたっぷり入れて田んぼを耕すことと、里芋を植える予定だ。そのために肥料や米糠燻炭、耕耘機を車に積み込んで帰宅した。)

 
 

家庭菜園デー

15 4月

段取り八分
  注文しておいた「ショウガ種」が届いた。そろそろショウガを植えなければならない。ショウガは我が片瀬の特産の一つだ。かつては、片瀬のショウガと言えば、里芋と共にこの界隈ではそれなりのブランド力を誇っていた。

  かつてNHKののど自慢が勝山市で行われたことがある。以前ののど自慢では、歌が始まる前に、その地区の特産物などを紹介するコーナーがあった。勝山でののど自慢では、そこで片瀬の「ショウガと里芋」が紹介されたと記憶している。

森林組合で購入した端材に家内が防腐剤を塗ってくれた。

  今は、「芋とショウガとうまい米」を合い言葉に「かたせ」をブランド化しようとしている。さてそのショウガだが、私は、法人の畝を借りて栽培しているが、今年は3年目だ。それまでは、家庭菜園で細々と栽培していた。

 ショウガを植えるには改めて田んぼを耕さなければならない。耕すためには有機肥料を沢山入れたい。有機肥料は六呂師高原牧場の牛糞堆肥を使いたい。牛糞堆肥は一度に一年分(軽トラック一杯)を購入するので堆肥置き場がほしい。

 一昨年、堆肥枠を買ったが、直接アスファルトの上に設置したので底の方に雨水が入り困った。そこで、今年は堆肥枠に底を付けることに決めた。底は、杉のコア(端材)を使いたい。

  そのためは森林組合の製材所へ行かなければならない。木材を手に入れたら、堆肥枠の底に使うために、木には防腐剤を塗っておきたい。というように、逆算すると、何から始めなければならないかがはっきりする。

防腐剤を塗った木材を使って堆肥枠(左)の底を作った。上にはふたをする。これで、堆肥に雨水が入り込まないだろう。

 今日は、家庭菜園作業に徹すると決めた。朝食後、森林組合へ出かけてコアを買った。コアはだいたい幅13cmあまり、厚みは10cm弱。長さは4mあまりだ。

  軽トラックに乗せるために、現場で約2mの長さに切ったが、木を切るよりも、息の方が先に切れてしまった。ようやく、家庭菜園横へ運び、家内に防腐剤を塗ってもらった。ここまでの作業で昼になった。

 食後、直ちに作業再会。そして、購入した木で堆肥枠の底を作り終えたのは午後4時過ぎ。急いで、大野市の六呂師高原へ出かけ、牛糞堆肥を購入した。帰着したのは午後5時過ぎ。

 夜は用事があるので、作業はここで終わり。堆肥は軽トラックに積んだまま車庫へ入れておいた。さらさらの完熟堆肥なので臭いは殆どしない。今日はかなり疲れた。しかし、これからは、ふんだんに有機肥料を使うことが出来る。

  ようやくショウガを植えるための段取りが出来た。後は耕して牛糞堆肥と自作の籾殻燻炭を入れて、少しの化成肥料を入れ耕せばよいのだ。明日以降の作業だ。充実した1日だった。

(日記 朝から晩まで堆肥枠の底を杉のコア(端材)で作った。その後、大野市の六呂師高原へ行き、牛糞堆肥を軽トラ一杯購入してきた。夜は、ウェブカムを使って横浜の孫娘の『じいちゃん勉強』。今日は、主に国語の復習を行った。)

 
 

桜の下で銭太鼓

14 4月

親鸞聖人ゆかりの寺で
  親鸞上人ゆかりの寺であり、浄土真宗・中興の祖「蓮如上人」ゆかりの寺でもある『大谷山興行寺(永平寺町)』の春祭りに、私たち銭太鼓保存会が招待された。私の村の7割ぐらいはこの寺の門徒だ。私は別の寺の門徒だが。

『片瀬豊年ばやし』を演ずる保存会のメンバー。

  今日は晴れていて春祭りにはうってつけの日だった。直前三日の練習で今日の舞台に臨んだ。午前11時に車に分乗して、興行寺へ向かった。この寺には樹齢400年あまりの「しだれ桜」があるのだ。

  地域の人の話によると、「一週間遅かったのう」と言うことだった。確かに「しだれ桜」の大木は、すでに花が散り葉桜になりかけていた。舞台の背景にある小さな別の「しだれ桜」は満開であった。この寺に到着すると、ハープと琴の演奏が行われていた。

  その後、私たちの出番となった。普段は別々に演ずる2曲を1曲にまとめた特別バージョンで演じた。一つは「餅つき芸」、もう一つは「米俵芸」だ。私も、普段は「お面」を使うのだが、今日は忘れてしまって素顔で演じた。

『片瀬豊年ばやし』の挿入芸「米俵による力比べ」。

  うららかな春の太陽の下、まだ残る桜の花の咲く木の下で、気持ちよく、楽しく演ずることができた。まだまだ年季が入っていないが、少しずつは郷土芸能らしくなってきていると思っている。

  来月は、福井市の木田神社の大祭で演ずることになっている。オリジナルにしてから、三年あまりが経ち、あちこちから声がかかるようになった。自分で作った曲なので、臨機応変に出番に合わせて歌詞を変えたりすることができる。

  今日も、この寺を歌詞の中に入れて、2回歌った。東日本大震災復興ソングの「花は咲く」ではないが、季節が巡れば、何があろうと花々は咲くのだ。そんな花のけなげさ、強さに私たちは学ぶことが多いのではないだろうか。楽しく充実した一日だった。

(日記 午前10時半、集会場に集まり少し銭太鼓の練習をして、車に分乗して永平寺町の「興行寺」へ向かった。春祭りに、私たち、銭太鼓保存会が出演するからだ。午後12時半頃、桜の木のそばにある特設ステージでいつもの『片瀬豊年ばやし』を演じた。楽しく演技をすることができた。帰宅して、勝山の弁

上段は、『片瀬豊年ばやし』の歌い手(家内他二人)と女踊りの皆さん。下段は「餅つき芸」のスナップ。

天河原の桜を見に、家内と二人で出かけた。帰宅して、家庭菜園へ。エンドウやイチゴなどに追肥した。午後5時半から孫達とウェブカム(テレビ対話)。明日から始める遠隔家庭教師!?『じいちゃん勉強』の打ち合わせ。今のうちに、孫達の勉強を応援できればと思っている。少しでも孫達の役に立てば、私としては本望だ。果たして、どうなることやら。楽しみではある。)

締太鼓を叩くのは私。全ての写真を私のカメラで興行寺の若様が撮ってくださった。感謝。

 

勝山の桜の名所、弁天桜で。

 

『じいちゃん勉強』のパソコンテスト。横浜に住む孫が国語の本を読んでくれた。近くにいるような臨場感があった。

 
 

一人一アクション

13 4月

年に一度ぐらいは
  他人から、何かを頼まれたり、提案されたとき、それを断る理由は簡単だ。次の3つを話せばどんなことでも簡単に断れるであろう。どんなにやれば良いと思うことでも、面倒な場合には簡単に断れる。

 ・時間がない。
   ・金がない。
 ・人(仲間、協力者)いない。

  やる値打ちのあることなら、それよりも「どうしたら、できるか」を考えた方が、人生、生きがいを感じて生活できるのではないだろうか。人生、面白いのではないだろうか。

  今日は、我が地区の『各種団体合同会議』を行った。各種団体長と区の役員が一堂に会して、区の問題を考えるのだ。今日は、どちらかと言えば、集まった皆さんに、区の現状をお伝えし、問題意識を持って貰うことが中心だ。

  その中で、『一人一アクション』を提案した。「忙しい中、沢山の時間をかけてほしいとは言わない。しかし、年に一度ぐらいは地区のために何かしようではありませんか」と。

  「どんなに忙しくても、年に一で緒ぐらいは区のために出来ることがあるのではないか」ということで、話をさせていただいた。時間をかけたり、区の行事を増やす事を願ってはいない。

  区のために出来ることをそれぞれが見つけることを願っているのだ。例えば、

「区の行事(祭り・区民運動会など)を盛り上げるために、どんなに些細なことでも、出来ることはやってみる。」
「自分の屋敷周りをきれいにし、花を植えるなどして、表を通る人に心地よさを感じて貰う。」
「各行事に於いて、子ども達に活躍の場を与えるよう配慮する。」
「地域を盛り上げる活動を作る。」
「地区の歴史、風俗、習慣などについて関心を持つ。」
「仲間と協力して“生きがいビジネス(私の造語。金儲けよりも、生きがいを中心としたビジネス)”を考える。」

  これらは、決して他人のためになるのではない。回り回って自分のため、自分の家族のためになるというとを理解してほしかった。人と人との絆が出来ると思った。

親子太鼓の練習。最後のポーズ。「イヨーオ!」

  また、6月2日に行われる区民運動会について、参加者全員から意見を求めた。何のために区民運動会をするのか?幼児から、高齢者までが集まるこの運動会でのバーべキューのあり方は?

 色々参考になる意見をいただくことが出来た。今日集まった意見を生かしながら、区民が心から楽しめる運動会にするにはどうしたらよいかを考えたい。誰もが気軽に意見の言える開かれた地区にしたい。そんな想いを持ちながら、会をすすめた。

(日記 午前中は、区の『各種団体合同会議』の資料作り。午後1時からは、「農地水管理のための水路や道路の点検作業。」水田は、水あってものだ。水路の管理は稲作には不可欠だ。あちこち見て回って帰宅した。午後4時から『親子太鼓教室』。団体打ちの練習の後、個人打ち(左義長太鼓)を練習した。午後7時半から区の『各種団体合同会議』。今日は、主に、「区に何かを求める前に、区に対して何が出来るかを考えてほしい」ということを伝えたかった。後半は、区の役員による委員会。午後10時頃までかかった、慌ただしい1日だった。)

 
 

「カルタ」でまちづくり

12 4月

上丹生「思い出カルタ」
  私のメル友、米原市上丹生のTさんから『上丹生・思い出カルタ』が送られてきた。素晴らしいオリジナルカルタだ。Tさん達はまちづくりグループ『Tプロジェクト』のメンバーだ。みんな仕事を持ちながらまちづくりに頑張っている。

  「カルタ」の中身を見て驚いた。昭和20年から30年当時の暮らしや生業、習慣や遊びがいっぱい詰まったカルタだ。私の経験したことが沢山詰まったカルタだ。とても懐かしい。

  おそらく、上丹生の人たちも、このカルタを介して親子や孫達と会話が弾むのではないだろうか。カルタのいいところは、何度も繰り返せることだ。歌も同じだ。しかし、書かれた文章は、そんなに何度も繰り返して読むことはないだろう。

  このカルタの中を見ていると、昔のことが鮮やかに蘇ってくる。そのいくつかをあげてみる。

 ・移動(巡回)映画は大きな楽しみだった。    ・川の近くを沢山のホタルが飛んでいた。
 ・蚕を飼う家があった。               ・竹馬など手作りの遊び道具がいっぱいあった。
 ・人糞は大切な肥料だった。            ・ポン菓子屋がやってきた。
 ・川で泳ぎ、寒くて岩に抱きついたこと。     ・テレビは勝山市全体でも2台しかなかった。プロレスは楽しみだった。
 ・隣の人が飼っていた鶏をさばくのを見た。   ・風呂沸かしは子供の仕事。水汲みは重労働。もらい風呂は当たり前だった。
 ・昔は燕を入れるために鍵をかけなかった。    ・除雪車がないので大人が通学路を開けてくれた。
 

上丹生のTさんから送られてきた上丹生『思い出カルタ』。

  いただいたカルタの内容の8割以上は、私が経験したことであった。ここに書かれていることのほとんどは、今の子どもたちは知らないだろう。昔は成長や季節に合わせていろんなことを工夫しながら、家族が力を合わせて暮らしてきたのだ。

 子どもたちも、しっかりとした家族の一員であり、役割を持っていた。してもしなくてもよいような“手伝い”ではなく、家族の一員としての“役割”を持っていたのだ。年齢に合わせて家族の中での役割が変わり、大人へと成長していったのだ。

 今の子どもたちは、役割を持たず、「家族の一員」と言うよりも、「客人」として扱われていることが多そうだ。決して幸せなことではないだろう。人生の最後には、一つ間違うと「モノ」として扱われかねないのだ。人間、「いいとこ取り」はないと思う。

(日記 午前中は、もっぱら、紙芝居の絵描き。一枚の絵に10人余りの人物が登場すると大変だ。午前中で二人ほどしか描けないので一場面に数日かかることもある。それでも「毎日パワー」でコツコツやっていればいつかは仕上がるものだ。夕方、銭太鼓の練習用のCDと歌詞作り。一回の出演のために1番だけオリジナルの歌詞を作った。午後7時から銭太鼓の練習。少し気合いを入れて練習した。)

創作紙芝居『親鸞聖人物語』の制作中の一場面。未完成。背景は仮置き。

 
 

仕事は大勢で

11 4月

農事組合の初仕事
  午前6時半、農舎前集合。今日は、『農事組合法人かたせ』の苗運びの日だ。10人余りが軽トラックに乗って農舎を出発。JAの倉庫へ向かった。各車に芽出しした苗を積み込み、農舎横のビニールハウスに運んで並べた。

  多少腰が疲れる作業だったが、約1時間半で終わった。疲れる作業は、多くの人数で一気に短時間でやるのがよい。昔から、「仕事は大勢で、美味い者は小勢で」と言われるように、沢山の者が短時間でやれば早く終わる。

  短時間なら、私たちでも何とか作業ができる。1人で作業をしている場合は、終わるまでは、どれだけ時間がかかっても止めるわけにはいかない。集団で取り組むメリットだ。

  私の村には、自分一人なら米作りをできない者が沢山いる。しかし、こうして組合を作ることによって何とか耕作放棄地にならずにすんでいる。また、農機具なども高性能のものを数台買えばよいので経済的だ。

 

JAで購入した苗を農舎横のビニールハウスへ運んで並べた。田植えまでにハウスの中で大きく成長させるのだ。

 年配者は自分のできる作業にだけ参加すればよい。私にとっては、今日は組合の初仕事だ。米作りは、こうして組合で行っているが、野菜などは自分のペースで作っている。

  みんなで作業することのメリットは、仲間同士がコミュニケーションを図れることだ。作業中、あるいは休憩時間にいろんなことを話し合うことができる。現役時代には時間が取れず、区民のみなさんとは挨拶を交わすことしかできなかった。

  区民が協力して米作りを行うことは、昔なら当たり前だった。「結(我が地区では“い”と呼んでいた)」によって、隣近所が助けたり助けられたりしながら農作業を行っていたのだ。今の組合の仕事も昔の「結」と似たところがある。

  いよいよ農作業が本格化する。声をかけられて作業に出ることは、私にとっては生きがいに繋がっている。声をかけられたとき、いつでも応じられるよう元気でいなければと思う。

(日記 午前5時半起床。6時朝食。午前6時半に組合の農舎前に集合して苗運び。午前10時より鹿谷公民館へ出向き、おばさん達に『銭太鼓の指導』。新曲の練習を始めた。午後は、紙芝居制作。一日があっという間に終わってしまった。)