体験の大切さ
辞書などには、「食わず嫌いとは、ある食べ物に対して否定的な固定観念を抱き、口にする前にその食べ物を拒絶すること」とあるが、私が述べたいのは、食べ物についての話ではない。
どんなことでも、「やる前から否定的な見方をして、最初から興味を示さなかったり、拒否する」者が少なくないということだ。これは集団活動においても同様だ。
我が勝山市では、いろんな団体の活動が低調になっている。動員などが多かったり、会合が多かったりするために、多くの人から敬遠されて、連合婦人会などの連合体は、市からは姿を消し、町からも、ほとんど姿を消してしまった。
地区からも姿を消してしまったところが少なくない。婦人会の場合は、幸い我が片瀬地区には残っているが、活動は低調だ。こうした活動が、何のためにあり、何ができるかをいっしょに考えたいと思う。
ボランティア的な団体もそうだ。会合に参加するのが面倒だということで、団体があっても参加しない者もいる。しかし、こうした団体に参加し活動してみると、いろんな仲間ができる。一緒にいろんなことに取り組むことによって結びつきが強くなり、仲間との楽しい交流が始まるのだ。
どんな活動でもそうだが、前向きに取り組めば、充実感もあり、いろんな仲間ができると思っている。仲間が多ければ、人生が豊かになると思っている。始めから、面白くないとか、面倒だと拒否的な態度で臨むのは、「食わず嫌い」と同じ精神状態ではなかろうか。
貴重な体験の機会を自ら放棄していることになる。老いも若きも、地域や職場やボランティアなどの活動に積極的に取り組んでほしいと思う。きっと、最初考えていた以上に、充実感を得られるのではないかと思う。「食えばうまい」のである。
(日記 昨日までの三日間は『かたせ瓦版』発行のために、多くの時間を費やした。昨日の夕方、それらから解放された。事務的なことはたくさんあるが、今日は一日絵を描くと決めた。午前中は、『親鸞聖人物語』の絵を一枚描いた。午後は、童話の紙芝居の絵を一枚完成させた。紙芝居の絵を描くときには、いろんなポーズの絵が必要だが、家内にポーズを取ってもらい、それをデジカメに撮っている。そして、それを元にして絵を描いている。今日は天神講。床の間の天神様に、「焼きガレイ」お供えし、孫達は賢くなることを祈った。そして、夜はそれをいただいた。我が家では、こうした行事は必ず行うことにしている。季節の変化を味わい、生活に潤いが出ると思っているからだ。)