大人へのプログラム
今日は成人の日。朝から、成人式に関するニュースが流れている。今日成人式を行うのは主に都会のようだ。県内の成人式は、ほとんどが昨日だった。それは、成人式のために、都会から帰省して参加するためには、昨日の方が都合がよいからだ。
成人式の後に、同窓会をする者も少なくない。そうした場合、月曜日に成人式では、それらに参加できない。このような地方の事情を考えると成人の日は日曜日の方がよい。
そうなると、移動のための月曜日は、何か名目でを考えて祝日にすればよいのではなかろうか。ところで、成人の日と言っても、果たして20歳のどれだけが大人としての自覚を持っているだろうか。
かつてのように、中学を卒業すれば就職したり青年団に入って地域の行事に積極的に参加していた時期は、社会人としての準備が早くからスタートしていたように思う。今は、向学心を持って大学へ進む者はそんなに多くないように思う。
頭でっかちにはなっているが、社会人としてはまだまだ未熟ではなかろうか。学校生活を謳歌している者が多い。50年前の若者と比べると知識の量は格段に増えているかもしれないが、社会人としての自覚や知恵は逆に少ないだろう。
選挙権を18歳から与えてはどうかという意見があるが、逆に22歳以降にした方が実態に合うのではないかとも思える。文字通り20歳を大人(成人)への入り口にするには、子供時代の節目節目で大人への階段を登るためのプログラムが必要ではなかろうか。
学校は残念ながら、そうしたプログラムを提供するのが困難である。逆に、今は家庭の教育力が低下しているために、学校は学業の他に「しつけ」など家庭で行うべき教育も引き受けているのが現状だ。
さて、この大人へのプログラムだが、これを考えるのは地域の人間の務めでなかろうかと思う。大人の背中が、子供の成長に大きな影響を及ぼすからだ。地域は、学校とは異なり算数や国語を指導する必要はない。
その代わりに、地域の歴史を伝え、地域の行事を一緒に行い、共に働くことによって、地域への誇りと愛着心を育てなければならない。いずれは地域を担っていかなければならない存在だからだ。
「子育て」は、家庭だけでできるものではない。家庭を含めた地域の力、学校の力が両輪のごとく、働いてはじめてなし得るものだと思う。しかし残念ながら、地域の力もまた低下している。
結果的に、子どもたちは、なかなか大人になりきれずにいるのではなかろうか。今の時代、知識は、少しぐらい遅れても身に付けることができる。おまけに、昔と比べると30歳以上長生きするようになっている。人間もじっくりと育てなければならないのではなかろうか。
人間も促成栽培では、本物になりにくい。若者には、少しずつ社会に興味を持ち、社会の一員としての勤めを果たしてもらいたい。そのためにも、私たち大人の責任はきわめて重い。
(日記 「東京や横浜は雪」とのニュースが朝からずっと放映されている。どういうわけか、勝山はほとんど雪が降らない。ありがたいことだ。午前中は、親鸞聖人の紙芝居の絵を描き、午後は自作の童話の絵を描いた。隣では家内が久々に手芸をやっている。二人で机を並べてテレビを聴きながらの作業だ。春はまだ遠い。)