今も覚えているカルタの一文
人は、一生のうちで記憶力のよい時期があるのではないかと思う。この時期に覚えたものは、一生覚えているような気がする。小・中・高の時期がそれに当たるのだろうか。私は、その頃に覚えたことや、あったことを今でも鮮明に覚えている。「いろはかるた」もその一つだ。
「いろはかるた」
・犬も歩けば棒にあたる
・論より証拠
・花より団子
・憎まれっ子世にはばかる
・骨折り損のくたびれ儲け
・下手の長談義
……
・安物買いの銭失い
……
・門前の小僧習わぬ経を読む
……
・京の夢大阪の夢
今、考えるといろんな「ことわざ」が含まれていたことが分かる。落語の一節も覚えたことのことの一つだ。
「柳亭痴楽の落語の冒頭の一節」
「東京娘の言うことにゃ サノ言うことにゃ
柳亭痴楽はいい男 鶴田浩二や錦之助
あれより ぐーーんといい男
痴楽とならば何処までも 水平線の果てまでも
とこいとやせぬ てなことを夢に見て
しみじみ泣いた 夜ばかり
私も人の子 男の子 ピーチクパーチク喋れども
失恋ばかりで 夢去りぬ
彼女ほしいと来てみれば ここはトルコのまち外れ
男のもてるウシュクダラ 二枚目気取りで歩いたら
ベッサメムーチョでアイラブユウ
ホイ来たチョーさん待ってたと グッと彼女を抱き締めりゃ
とたんにポロポロ籾の殻 枕を抱いていたのです 痴楽つづりかた狂室 」
浪曲師「寿々木米若」の「佐渡情話」の冒頭
佐渡へ佐渡へと草木もなびく
佐渡は居よいか住みよいか……
と共に、その美声がよみがえる。特に、親父が米若の大ファンだったので私も浪曲を好きになったものだ。この他、島崎藤村の「千曲川旅情の歌」やいくつかの漢詩も自然に口から出ることがある。
また、何かの雑誌の付録だった「理科の学習カルタ」でコペルニクスが「地動説」を説いたことなども記憶に残った。「いろはかるた」で覚えたことがその後もずっと記憶に残り、学習にも役だった。
そんなことを考えると、カルタにすることは意味のあることかもしれない。とくに、言葉にリズムを付けると記憶を再現しやすいのだ。特に、若いときほどいつまでも記憶に残るのだということが自分の経験からよく分かる。
さて、私は何をカルタにできるだろうか。米原市のTさんの年賀状を見て、何でもカルタになるなあと思った。私は、子供の学習的なことも、健康に関することも、高校の数学さえも「カルタ」にできるのではと思った。
試しに、平泉寺物語の絵を何枚かカルタ風に編集してみた。絵は、たくさんストックしているので材料に事欠かない。問題は、いかにリズミカルな言葉を付けるかだ。何とかなるだろう。その気になれば。今年もまた忙しくなりそうだ。
(日記 今日は正月。朝寝から一日は始まった。息子は、仕事の都合で家族4人を勝山へ残して一人で横浜へ帰っていった。入れ替わりに、長女の家族4人がや
って来た。いっしょに食事。その後、長男の娘のA(小2)が仕切って学習発表会のようなことをした。のんびりとした時間が過ぎていく。正に正月だ。)