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子供時代の思い出

17 1月

かき餅と鳥かご
  今日は、家内と二人で「かき餅」を作ると決めて作業を始めた。エビ入りの「かき餅(できあがりはピンク)」、海苔入りの「かき餅(薄緑色)」、そして豆入りの「のし餅(四角く切って焼いて食べる)」を作った。

今日作った「かき餅」と「のし餅」。

  子供の頃は、たくさんの「かき餅」を作り、天井から吊してあった。かき餅が乾燥するとかけらが落ちることもあった。しかし、それとは別に、お腹が空くと下から衣類等を投げつけてわざとに「かき餅」を落とすこともあった。

  落とした「かき餅」をポケットに入れて遊びながら食べたものだ。もちろんそのまま食べるのでとても堅かったが、空腹には勝てず、お腹を満たすことはできた。考えてみればその頃は誰もがお腹を空かしていた。

  もしかしたら、今はかき餅を作る家庭も少なくなっているだろうか。この「かき餅」だが、油で揚げて食べるととても美味しい。しかし、油で揚げるのは簡単でない。家内はこれを揚げるのが上手だ。大きく広がるのだ。

  今日作った「かき餅」だが、数日したら薄く切って紐で吊しておくのだ。そうすればいつでも揚げて食べることができるからだ。私にとっては市販の菓子よりもはるかに美味しい。

  餅つきの合間に、紙芝居の童話の絵を描いた。今日は捕まえた雀を入れる竹製の鳥かごの絵を描いたが、これには多少の思い入れがある。私たちの子供の頃には、「かすみ網」や「鳥餅」で小鳥を捕まえてそれらを飼うことが流行っていた。

捕まった雀と鳥かご。現在描画中。背景は借り置き。

  当時は、主に、「ヤマガラ」、「ひわ」、「うそ」、「めじろ」などを捕まえた。それと同時に、鳥かごも作ったのだ。先輩達に習って、真竹を切り、細かく割って、「ひご抜き(細い竹の丸棒を作る道具)」で「竹ひご」を作ったのだ。

  「竹ひご」は二種類作った。鳥かご本体を作るためのものと、竹の枠に「竹ひご」を止める「止め釘」用のものだ。今も自宅には当時使った「ひご抜き」が保存してある。二度と使うことはないだろうに。

  それに「錐(きり」も持っていた。竹が割れないように穴を開けるための「三つ錐」だ。先端が三つに分かれている錐だ。これも自宅のどこかにあるはずだ。この錐を見ても、今の子どもたちは何のための道具か分からないだろう。

  村には「竹藪」はたくさんあるが、ほとんどが「孟宗竹」だ。工作に向いている 「真竹」がほとんどないのだ(一軒のみ)。今日は、半日かけてパソコンで鳥かごを描いたが、実際とは「鳥かご」の組み方が少し異なっているがやむを得ない。

  昔を思い出すことが2つあった。1つは、かき餅作りで、もう一つは鳥かごのことだ。「虫かご」ぐらいなら作ってみたい気もする。いろんな技術が自分までは伝わったが、自分の子供には伝えられなかった。まして孫ならなおさらだろう。

(日記 午前中は、かき餅作り。作業の合間に、紙芝居の絵を描いた。午後も絵描き作業を継続。午後4時に自宅を出て娘の住む福井へ家内と二人で孫の守りに出かけた。今日は福井の娘宅で宿泊。二人とも働いているためにいつも早く幼稚園へ行く孫達も明日はのんびりと幼稚園へ連れていってやりたい。)

 
 

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