昔は村の文化センター
今日は、村の道場で「御正忌」が行われる。浄土真宗の開祖「親鸞聖人」のなくなった日に行う法会のことだ。参加者は、「御燈明料」を持ってお参りするのだ。そして、参加者全員で「正信偈」を唱えるのだ。
そこで、私は、親鸞聖人の紙芝居を作ることを決めたのだが、今はまだ全く描き始めていない。何とか、お参りした者が理解できる程度に紙芝居かしてみたいと思っている。しかし、いつ完成するかは全く分からない。
二つのお経を聞かせて頂いた後、「ぜんざい」が振る舞われた。おいしい白菜の漬け物とたくあんも出された。参拝した皆さんと話しながら、おいしくいただくことができた。
昔は、この「御正忌」は、「しちにっつあん」といい、子ども達も、「米ふかし」やみかんや「かち栗(栗を茹でて糸で数珠状につないだもの)」などを持参してお参りしたものだ。子供にとっても楽しみだったのだ。
この道場だが、私の子供時代には村の文化センターを兼ねていた。また、児童センターのような役割を果たしていたように思う。仏事には、子どもたちも参加し、読経の間は、いろりの周りで雑談したりトランプをしたりしていた。
そして、説教が始まると後ろの方で来ていたのだ。道場へ行くのは楽しみの一つでもあった。また、「巡回映画」も上映されたし、村の演芸大会なども行われた。
夏休みには、子どもたちが集まりトランプをしたり、勉強したりしたものだ。今の住職が若い頃、ギターを弾いたりして聞かせてくださった。他にもギターを弾く若い衆がいて、中学生の私もすっかりギターの虜になった。
ここでの経験が、ギターを始めるきっかけとなった。今、村には集会所があるがこのような役割は果たしていない。道場の果たした役割は大きかった。村の人たちの交流の場であり、楽しみの場であった。
楽しみが個人的なものになり、テレビやゲームなどが普及して、お寺へお参りする子供は皆無になった。我が家でも、正月だけは、子供も含めて全員でお寺へお参りして一年が始まる。
しかし、その他の行事には大人の私たちが参加するだけになってしまった。昔行われた様々な行事がなくなり、人と人との交わりがどんどん減ってしまい、代わって、「過疎」、「孤食」、「お一人様」、「孤独死」など、かつてはなかった言葉が生まれてきた。
道場に集まるのは、かつて道場へ出かけた経験のある人がほとんどだ。道場の暖かさを知っているからだろうか。道場の方も、若い人たちが集まる場として変化を遂げなければならないのかもしれない。
(日記 午前中、道場での「御正忌」に参加。午後は、電気屋でパソコンの付属品を買った。)