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Archive for 9月, 2012

実りの秋……芋とショウガと旨い米

20 9月

実りの秋に感謝
  今日は、『農事組合法人かたせ』の稲刈りで、私は当番として一日「稲刈りの補助員」を務める日だ。「稲刈り補助員」は、オペレーターがコンバインで刈り取った稲が籾になっているので、それを軽トラで法人の農舎まで運んで乾燥機に入れるのが役割だ。

今日は肉体労働日。愛車の軽トラで籾運び。

 今日使っているコンバインは古くなっているので、所々刈り残しができる。それを刈り取るのも私の役割だ。晴れたり曇ったりしていたが結構暑い一日だった。今日刈り取ったのは「直播き」の『アキサカリ』だった。直播きは、水管理が難しそうで、雑草対策が大変だと思った。

  直播きの田んぼ3枚が今日のノルマだった。稲刈りは4時に終わった。その後、家内と二人で法人から借りている田んぼへ行き、祭りに使う「里芋」の試し掘りを行った。ついでに、祭りに作る「ます寿司」のためにショウガも掘り取った。

  生姜も里芋も私の大好物だ。自分で使う(食べる)以上に里芋や生姜を作っているが、全て親類や知り合いにプレゼントすることにしている。これも、もしかしたら「かたせ」をブランド化することにつながっているかもしれない。

 “芋と生姜と旨い米”は、我が片瀬のキャッチフレーズだが、今日は偶然にもこの三つに関わったことになる。「片瀬」と聞いたらこの三つを思い出していただけるように、「かたせ」をブランド化したいと思っている。

  夕方、銭太鼓『片瀬豊年ばやし』の餅つきバージョンの歌詞を考えた。午後8時から『片瀬豊年ばやし』の練習。今日初めて新しい「餅つき芸」を挿入したニューバ

片瀬の特産物生姜の収穫。私の大好物だ。今年もまあまあのできだった。

ージョンを練習した。祭りは、土曜日。果たして上手くいくだろうか。心配ではあるが楽しみでもある。

(日記 午前8時から午後4時まで法人の稲刈りの補助員。その後、自作の里芋の試し掘り都生姜を収穫。片瀬の特産物だ。夕方は、銭太鼓『片瀬豊年ばやし』の一部を代えるために作詞。午後8時から祭りのための『片瀬豊年ばやし』練習。今日も結構忙しい一日だった。)

 

片瀬の特産物「里芋」の試し掘り。大きさは全く気にならない。小さくても美味しいからだ。

銭太鼓練習。写真は餅つきが済んで餅をまいているところ。

 
 

バンドと獅子舞練習

19 9月

気合いの入る二大イベント
  ここ最近、気合いの入る三つのイベントがあった。その一つ、和太鼓フェスティバル『太鼓魂』は先週の日曜日にそれなりのできで終わった。ほっとした。次の目標は、村の祭りだ。北谷町から組み立て式の舞台をいただいたので、その舞台を有効に活用したい。

 そこで、次の目標は、祭りの舞台の充実だ。今回は、4つの奉納芸を考えている。一つは、小・中学生女子による『浦安の舞』だが、これは他に指導者がいるので任せているが、残り三つは、私が大きく関わっている。

楽しい『じいちゃんバンド』の練習。少しずつ上達している。

 今回、村の太鼓を修繕したので、この太鼓一つを使った『野良打ち』だ。これは昨日練習した。次の練習は、祭り当日だ。これは私の太鼓のメンバーが出てくれるので、何とかなるだろう。

 三つ目は、『獅子舞』だ。これまで、祭り野舞台には男の子の出番がなかったので、中学生のT君に「獅子舞をやってみないか」と話したところ、即座にOKが得られた。T君に獅子舞の話を持ちかけることができたのは、彼が日頃からよく挨拶をする生徒だったからだ。挨拶はコミュニケーションの始まりというのは事実だと思う。

 彼は同じ我が村のK君に話を持ちかけ、今日午後7時に二人が集会所へ集まってくれた。この獅子頭は、私の手製の獅子舞だ。彼らが、私の願いを快諾してくれたことはとても嬉しい。もう一回練習することになった。彼らは、何とかこの獅子舞を楽しい奉納芸にしてくれるだろう。

  四つ目は、銭太鼓『片瀬豊年ばやし』だ。銭太鼓の途中に挿入する芸は、今回新しくするのだ。これまで、二回練習した。明日は3回目の練習をすることになっている。何とか楽しいものにしたい。

中学生による獅子舞練習。獅子頭は私の手製だ。

 村の祭りの次は、10月末に静岡で行われる大学軽音楽部の『OB会演奏会』だ。今日の午後は練習日だ。福井、三国、春江、大野、隣の石川県の白山市からそれぞれメンバーが集まってきた。そして、午後2時から午後8時過ぎまで練習した。

 まだまだだが、少しずつ上達している。本番まで、後4回練習するつもりでいる。これは何とか恥をかかない程度にやりたいと思う。私も、一曲だけは、ドラムをやりたいと思っている。上手くいくかどうかはわからないが、練習だけはして臨みたい。

(日記 午前中、編曲したバンド練習用CDと楽譜作り。途中から強風で傾いたトマトの雨よけを外した。春に組み立てたものを少しずつ壊さなければならない。いよいよ冬に向かうのだ。午後2時から、午後は8時過ぎまでバンド練習。私は、午後7時から8時まで中学生と獅子舞練習。獅子舞練習の後、バンド練習中の事務所へ寄り、次回の練習日を決めた。その後、先日の太鼓大会の反省会に参加。いろんなことがあった一日だった。)

市内の居酒屋で太鼓若手メンバーと反省会。「ママさん達、ご苦労さんでした。別の日にお茶をしましょう!」

 
 

雨の日もまたよし

18 9月

雨の日は創作三昧
  寝床にいるときから、雨の音が聞こえた。田舎の人間は、晴れの日が大好きだが、時々雨の日が混ざるのも嬉しい。晴れているとついつい「何か外で作業をしなければ」と思ってしまう。しかし、そんな考えは,雨の日には無用だ。落ち着いてパソコンに向かえる。

  今日の最初の作業は、CDのジャケット作り。自分なりにデザインし、歌詞カードも印刷した。こんな作業は手作業が多い。午前中の大半を使ってしまった。それでも、自分なりに満足できるものができたと思っている。

  午後は、ジャズのスタンダードナンバーとも言える『ウオーターメロンマン』のトランペットのアドリブ作り。私はトランペットを吹くわけではないが、編曲作業だけはやっている。でも、自分の作ったアドリブをメンバーがきれいに吹いてくれるととても嬉しい。

  アドリブは、ジグソーパズルに似ている。原曲のコード(和音)進行を生かしながら、曲のテーマとなるメロディーとは異なるメロディーを創作するのだ。それは、曲がりくねった川を自由自在に泳ぎながら演技するようなものだ。

  ついでにとローボーンのアドリブも作ってみた。これはたぶん使われないだろうと思うのだが。ところで、私は大学時代はドラムでレギュラーメンバーだった。しかし、今の『じいちゃんバンド』には後輩のドラマーがいるので、そちらにドラムを譲っている。でも、一曲ぐらいドラムを演奏できないか今考えている。

自作のCD『赤尾よいとこ』のジャケット。便利な時代になったものだ。若い頃このような環境があったらもっといろんなことができただろうに。

  和太鼓もそうだが、この頃、細かいリズムを打つとなると、昔できたはずだが、今はスムースにできない。悲しいことだ。でも仕方のないことだろう。プロ野球の往年の名選手が、東西やセパに別れて野球をやるのをテレビで見たことがあるが、どの選手も昔の華麗なプレイとはほど遠い。

  みんなできることができなくなっていくのだろう。しかし、できることもあるはずだと思う。できなくなることを悔やむよりもできることをやっていきたいと思う。今の私には、創作活動は、そんなに年には関係ないように思う。雨の日は、創作活動に限る。隣で家内も何かをやっている。「雨の日は落ち着くね」と言いながら。

(日記 午前中はCD作り。午後は、『じいちゃんバンド』の編曲作業。夜は、祭りの日の太鼓の「野良打ち」の練習。昔はどこの神社にも太鼓が一つ置いてあり、それを祭りに来た者が自由に打ったものだ。それを「野良打ち」と言う。修繕なった村の一つの太鼓を、我が太鼓のメンバー二人が叩いてみるのだ。一つの太鼓でどれだけ見ている人に楽しんでもらえるかが問題だ。ちなみに、一昨日の太鼓大会には、我がチームは大小19個の太鼓と銅鑼を使って舞台で演奏したのだ。)

 
 

オカリナサークルの行方

17 9月

オカリナを楽しむために
  今年中に、音楽がらみのイベントが今のところ4つある。そのうちの一つが昨日行われた和太鼓イベント『太鼓魂』だった。一つの大きなイベントが済んだ後は、何となく気合いが入らない。午前中はのんびりと過ごした。

  今日は久々のオカリナ教室。オカリナに関しては、来月に出番が一つあり、12月にM財団の補助を受けてオカリナコンサートを実施するのだ。今後、このサークルがどのような方向に進んでいくのかを考えなければならない。

 今は、主に、アルトのC管を使って演奏しているが、これでは音域が狭いため、音楽に幅が出ない。そこで、よりよく演奏するには種類のオカリナが必要を考えなければならない。とりあえず、F管のソプラノとアルトをメンバーが持つことになった。

1年の経つのは早い。今年もまもなくクリスマスソングの練習に入ることになる。

  これだけでも音域はぐーんと広がることになる。重厚さや軽快さが出てくると思う。そうなるトム、どんな曲をどのような編曲で演奏するかが問題になる。必ずしも楽譜がそろっているわけではない。何とか効果的な編曲をしなければならない。

 新しいオカリナを購入するのを機会に、一段とグレードアップしたオカリナバンドになることを目指したい。とりあえずは、はたや記念館「ゆめおーれ」のイベント、地域の文化祭、クリスマス、そして、自分たちの演奏会に向けて、技術を向上させたいと思う。 

(日記 午前中、少したまった事務の処理。OB会の会計処理などを行った。午後は、赤尾の銭太鼓曲『赤尾よいとこ』のCD作り。一度原盤を作ってあるので増産するだけだ。と言っても、1枚ずつ焼いてから、1枚ずつCDの表面に題名や歌唱者名、作詞、作曲/編曲者名などをプリントするのだから結構手間がかかる。全て手動式だからだ。その後、昨日使った和太鼓を所定の場所へ納めた。午後7時半からオカリナ教室。10月に演奏する曲の練習をした後、新しく購入するオカリナの種類と色を決めた。今日は一日があっという間に過ぎてしまった。次女が会社の旅行から帰ってきた。明日は、また東京へ戻るのだ。)

 
 

熱き太鼓人たち

16 9月

『太鼓魂』に出演して
  昼過ぎ自宅を出発して、一路今立へ。目指すは『今立芸術館』。今日は、ふくい県民文化祭・太鼓ふれあいフェスティバル『太鼓魂』が行われる日。午後1時半開演。前半は「第15回日本太鼓ジュニアコンクール福井県予選」。そして、特別出演の石川県、富山県チームの演技。その後、表彰式が行われた。

序盤、法被を着ての演奏を行う春駒太鼓のメンバー。

  そして、後半は、「一般の部」で私達『越前勝山・春駒太鼓』の出番は、5番目。演目は和太鼓組曲『九頭龍』。女性8名と私の9名。我が春駒太鼓のレパートリー2曲に新曲を加えて6分半(制限時間は出入り含めて7分間)の組曲に仕上げた。

  今回の最大のメリットは、いろんな太鼓グループの太鼓を聴けることと、いろんなグループから太鼓を貸していただけることだった。これは、太鼓チームにとってはありがたいことだ。軽トラだけで少しの太鼓を運べばよいからだ。

  衣装は、最初は法被、途中で法被を脱ぎTシャツ姿、そして最後は長法被で太鼓を叩いた。長胴太鼓、大太鼓、組太鼓などの演技がありエンディングへ。練習のとおりにできたと思う。細かいミスは別にして。

  演技の後、それなりに誉めていただき、メンバーは喜んでいた。まだまだ太鼓には可能性があることを感じたイベントだった。終了後、出演した全チームが舞台上で 紹介された。その後、全員参加の太鼓と歌。私は客席で見ていた。

大太鼓の演技。

 終了後、全チームのメンバーが玄関先に並んで、観客を見送った。勝山からも、何人か見に来て下さった。ありがたいことだ。我々のチームについてどのような感想を持たれただろうか。

 そして、次は打ち上げパーティー。急に指名されて私が乾杯の発声をすることになった。全チームの助け合いで、気持ちよく太鼓大会に参加できたことに謝意を表して乾杯の発声を行った。このパーティーはとても盛り上がった。いろんなチームの皆さんと太鼓について話したり、まちづくりについて話したりした。

 パーティーの終盤には全員で肩を組んで一つの大きな輪になり歌を歌ったりした。最後に全員で記念写真。こんなに盛り上がった、パーティーは滅多にないだろう。参加させてもらって私もメンバーも大感激だった。

(日記 午前8時半から村の秋祭りの準備。舞台設営にとても時間がかかった。本当は、勝山を11時前に出発したかったが、午後12時半になった。昼食を食べずに今立芸術館へ向かった。そして、太鼓フェスティバル『太鼓魂』に出演。帰宅したのは、午後10時過ぎだった。)

Tシャツで締太鼓のかけ合い。

長法被を着てのエンディングの最後のポーズ。

全演目終了後、舞台上で出演チームが紹介された。

今立芸術館の入り口付近に並んで、観客のみなさんをお見送り。

打ち上げパーティーの後、記念写真。右端が私その横が家内。

 
 

和太鼓一色

15 9月

今立芸術館でルハーサル
  今日は朝から晩まで和太鼓一色。朝起きるなり、立ち締太鼓の補修作業。丸半日みっちりかかった。途中で、ホームエンターへ、木材を買いに一度、ボルトを買いに一度通った。その後、急いで昼食を食べて、事務所へ。

  和太鼓を積み込んで、練習会場の遅羽公民館へ出かけた。遅羽の太鼓と自前の太鼓を使って午後1時から3時半までみっちりリ練習。その後、帰宅して、出発準備。一路、今立芸術館へ向かった。会場で全員集合。

  今回は、いろんな団体から太鼓をお借りすることにした。どの団体も、快く貸して下さることになった。大平太鼓、桶胴太鼓2、対締太鼓2、長胴太鼓10、そして、ドラマで貸していただくことになった。

 子どものリハーサルに続き、大人のリハーサルが始まった。長胴太鼓12、附締太鼓6、大平太鼓1、桶胴太鼓2、銅鑼1で演奏するのだ。練習通りにはできた。2回通しの練習をさせていただいた。

 その後明日の進行について、話を聞き、解散。私は大人の太鼓2チームのリハーサルを見学。先の大会で優勝したチームは男子が太鼓を打ち込むのだが、さすがに迫力があった。大いに参考になった。

  楽器運搬のために、軽トラックで行ったのでナビがなく、高速で往復した。軽トラで高速を走ったのは初めてだった。明日も軽トラで往復しなければならない。明日も忙しい一日になりそうだ。

  帰宅してから、新メンバーのTシャツにアイロンプリントで我がチームのロゴを印刷。原画が見当たらなかったので、新たに作り直した。家内の協力を得て全部終わったのは午後11時半。全く和太鼓一色の一日だった。

  途中で思い直して背中のロゴも作ることになった。コピーでは上手くいかないので全部はじめから作り直して。結局、午前1時前になってしまった。それはよいとして、アイロンプリントでは、色が忠実に出ないので困った。

(日記 和太鼓一色。本番の会場で他チームのリハーサルを見ていたら、むらむらとファイトが湧いてきた。まだまだ和太鼓に可能性があると思った。練習と研究に尽きる。何事も……。)

 
 

子どもっていいなあ!

14 9月

幼稚園で紙芝居
  今日は幼稚園の祖父母参観日だ。この幼稚園では、かつて左義長太鼓を教えたり、園児達の法被を作ったこともある幼稚園だ。当時の子ども達と街中で会うこともあり懐かしく思う。

「♪グーチョクパーで何作ろう♪」と園児と一緒に手遊び歌。

  今日は、この幼稚園で、自作の紙芝居と手遊び歌などをやる予定だ。朝一度、紙芝居と手遊び歌を練習してみた。これまでもあちこちで演じたことのある紙芝居なのでやりやすい。しかし、手遊び歌の伴奏はアコーディオンでするので、これは簡単ではない。昔なら簡単にできたことが今はそうではない。

  普段は全く練習しないからなおさらだ。それでも子ども達の前で何かをやり、子ども達が盛り上がるのを見るのは最高の喜びだ。子ども達の真剣な眼差し、そして、笑顔……、これは何物にも代えがたい。いつまでもこの純粋さを持ち続けてほしいと願う。

  今日は祖父母も来ている。祖父母と言っても、私と同年代だ。かつてはPTA等で一緒に活動した人も多い。殆どの人は、顔見知りだ。それだけに照れくさいところもあるが、そんなことは演技が始まると全く気にならなかった。

  紙芝居の後、園児と祖父母の交流があった。そして、園児と祖父母のおやつタイムとなった。私も、家内と一緒に楽しくいただいた。今日は幼稚園で充実した時間を持つことができた。

音楽入り創作紙芝居を演じる私達夫婦。

(日記 午前10時半より、市立成器南幼稚園の祖父母交流会に、私達夫婦は招かれた。そして、手遊び歌や創作紙芝居を行った。午後は、事務所の太鼓の整備をし、里芋の小ずいき切り、そして、ショウガの試し掘りを行った。片瀬特産のショウガはまあまあのできだった。夜は、『片瀬豊年ばやし』の練習会。今日は挿入する寸劇『餅つき』の練習を行った。)

里芋の小ずいき切り。今年もまあまあのできだ。

 

片瀬特産のショウガの試し掘り。今年もまあまあのできだった。

 
 

祭りを盛り上げるために

13 9月

十数年前の獅子舞を復活
  今から十数年前、私の次女が小学生の頃、私は獅子頭を作り、子ども達に演じてもらったことがある。手製の粗末な獅子舞ではあったが、子ども達は楽しそうに演じてくれた。

  立派な神輿があるが、重すぎて子ども達はそれを担ぐことができない。そこで、車に乗せて村内をまわることにしている。そんなにの道路は狭いので、一軒一軒の玄関先までは神輿を引き回すことができない。

  毎年、小学生達は、神輿を引きながら、神社にお供えしてあったお菓子を各家庭に配るのだ。各家庭にしてみれば小学生達がお菓子を持ってきてくれるだけだ。そこで、獅子舞を導入することによって、各家庭の玄関先まで出かけて神社のお下がりを届けることができるのだ。

 獅子舞は、笛二人、締太鼓一人の三人の女子児童が伴奏を務め、男児二人が獅子舞を演じて各家庭を訪問するのだ。手製の粗末な獅子舞ではあったが、子ども達は結構楽しんでくれたようだった。 

十数年前の獅子舞。左は伴奏隊。右は獅子舞を演じる小学生。

 そこで、今年は、北谷町から舞台を譲り受けたのを機会に、先ずは舞台で獅子舞を復活することを考えた。幸い中学生二人が名乗り出てくれたので、何とか見られる獅子舞にしたいと思っている。

  さて、この獅子舞だが、地方によってずいぶん演じられ方が異なっている。近県の石川県や富山県では、獅子舞の中に、3、4人が入り、烏帽子をかぶった跳ね人が獅子とユーモラスなかけ合いをやる場合が多い。

  沖縄の場合は、かなりリアルな動きの獅子舞で、軽業的な要素も含んでいる。中国の影響を受けているようだ。さて、我が片瀬の獅子舞はどうか、それぞれの良さを生かしながら、楽しいものにできたらと思う。

(日記 午前中、『かたせ瓦版』の仕上げ。午後は、獅子舞の動きの研究と獅子舞の補修。夕方、集会所で中学生と獅子舞の打ち合わせ。今度の日曜日に迫った太鼓の出演のため、福井から長女も練習にやって来た。私は、午後8時過ぎに練習に顔を出した。今日も福井から娘が練習に参加した。前日のリハーサルや本番の出発時間、ユニフォームなどを点検した。今日も、忙しい一日だった。)

 
 

オリジナルの良さ

12 9月

粗末なものでもオリジナルには良さがある
   以前から頼まれていた赤尾(平泉寺町)地区の銭太鼓曲が、今日ようやく完成した。赤尾の銭太鼓は、我が片瀬の銭太鼓と姉妹の関係にある。いずれも、これまで出雲の『安来節』を演奏してきたものだ。我が片瀬では、一昨年に『安来節』を脱して新たにオリジナル曲『片瀬豊年ばやし』で再出発したのだ。 

  赤尾は、片瀬同様、今まで『安来節』を使って、銭太鼓を演じてきたのだが、要約オリジナル曲ができたことになる。元公民館長で赤尾区のFさんに話を持ちかけた。Fさんは私の提案に大賛成で、「私が詞を書く」と言ってくれた。 

  作詞を何回かやりとりした後、今朝、最後のやりとりをしてようやく作詞が完成した。作詞のやりとりをしながら曲を考え、編曲作業を続けていた。菓子は字数の制限が多いのでFさんは苦労が多かったと思う。 

我が家で新民謡『赤尾よいとこ』の吹き込み中のAさん。

 

  そして、午前10時にちょうど赤尾出身のAさんに、吹き込んでもらうことになった。Aさんに私の家へ来てもらってレコーディングを終えた。そして、編集してCDを完成させた。これで赤尾の皆さんも自信を持って銭太鼓曲として利用していただけるのではないかと思う。 

  我が片瀬では、毎年『片瀬豊年ばやし』に合わせて紅白の銭入りバチを振り、その合間にユーモア溢れる芸を挿入することにしている。今年は、その芸を新たなものにするために、今練習している。 

  オリジナルにしたお陰で、出演依頼の声があちこちからかかるのだ。他地区の芸をいくら頑張っても、それは余興にしかなり得ないが、自前の歌を持つと、それは郷土芸能になり、余興にもなるのだ。 

  どんなことでも、オリジナルは強い。これからも、“無ければ作る”の精神でオリジナルを作り続けていきたいと思う。オリジナルを持つことによって、それに関わる者は,自分の地域に誇りを持つことができると思っている。赤尾の皆さんにもそうなってほしいと思う。    

 
 

  

家庭菜園へ牛糞堆肥を入れる準備をしている私。

 

 

赤尾よいとこ 

aka ←クリックすると歌が聴けます。 

一、峰の連なる 赤尾山
    古い寺跡 空心房
    日本百選 大堤
    石の槍先 大発見
    あまたいわれと 伝わる話
    赤尾は 農楽の郷  農楽の郷
 

二、寒さ厳しき 元日に
    揃い神社へ 初詣
    合わす柏手  祈る幸
    皆で今年の 顔合わせ
    年賀交わして 深める絆
    赤尾は よいところ よいところ
 

和太鼓特訓中のママさん達。短期間でかなり上手になった。

 

三、春に楽しく 田植えすりゃ
    夏は涼しい 青田波
    秋は黄金の 取り入れだ
    あわす力の すばらしさ
    済めばみんなで 感謝の祭り
    赤尾は 米の郷 米の郷
 

四、むかし赤尾の 年寄りが
    教え広めた 銭太鼓
    皆が喜ぶ 面白さ
    身振り手振りも 鮮やかに
    バチは赤白 銭音響く
    赤尾の 銭太鼓 銭太鼓
 

(日記 午前10時より、Fさんに我が家へ来てもらって、赤尾の銭太鼓のための新民謡『赤尾よいとこ』の吹き込み。その後、編集してCD化。1年がかりでようやく完成した。この歌が地域の人に愛されることを望む。午後は明日発行の『かたせ瓦版』を編集。午後4時より薄暗くなるまで家庭菜園作業。第2期の大根を植える準備をした。午後7時から和太鼓練習。本番の日曜日までわずか。練習に熱が入ってきた。)

 
 

片瀬育ちの旨い米

11 9月

みんなで育てた旨い米
  今日は、私が『稲刈り補助』を務める日だ。ところが、目を覚ますと、雨の音。やりたいことがたくさんあるので、今日は稲刈り中止だとほっとした。そこで、確認のために『農事組合法人かたせ』の理事長に電話をすると、「稲刈りはしませんが、臼すりを手伝ってもらえんやろか」ということだった。

法人農舎の施設。左:乾燥機。上右:臼すり機。上下:石取り機と軽量袋詰め機。機械化しているので作業は効率的だ。

  いつもより遅い時間に、法人の農舎へ出かけた。今日、臼すりをするのは、理事長と理事と私の3人だ。私の今日の役割は、玄米を入れる袋を設置し、いっぱいになったら、袋を閉じ、コンテナに載せるのだ。

  30kg(半俵)の袋を手で持ち上げ、コンテナに載せるのは短時間ならどうということはないが、長時間となると疲れる。相棒と交代しながら作業を続けた。

  苗の大部分は、JAにお願いするが、後は玄米にするまで我が法人でできるのだ。一部は田植えをせずに直播きするので、これだと、玄米まで片瀬育ちということになる。

  近い、将来、片瀬ブランドの米ができることになるだろう。私の案だが、“美味しい福井産コシヒカリ”とさりげなく書いて、その横に片瀬のブランド名を書けばよいだろう。我が村の者が誇りを持つことができるのではなかろうか。

  春からずっと米作りを見ているが、やはり“ヒエや草ネムなどの雑草”の対策が大きな課題だ。草が生えるからと言って、じゃんじゃん除草剤をやればいいというものではない。今年も、人海戦術で稲の間に生えているヒエや草ネムなどの雑草を刈り取った。

  暑い中での作業は身体にこたえるので、早朝5時半から午前9時までの作業だった。それでも8時になると暑かった。最小限の除草剤を効果的に生かすには、水管理が大切だという。我が法人の大きな課題だ。

今日は、交代しながら米袋をコンテナに載せた。腕力は鍛えられたかも。

  私は、午前中だけ臼すりをした。午後は、自分のやりたいことがたくさんあるからだ。今日の作業は完全に肉体労働だ。筋力強化だと思えば、我慢もできる。たくさん汗をかいた。作業をした後、シャワーをして好きなことをするのは最高だ。働いた後は充実感が違う。

(日記 午前中は法人の臼すり。午後は、1時間昼寝。その後、ドラムの勉強。そして、獅子舞の研究。昔自分が作った獅子頭を使って子ども達が秋祭りに獅子舞をやったことがあるが、今年もできるかどうかを今検討中だ。)