花を育てる事は命を育てること
今日は、区と農事組合法人と各種団体の協力で河川清掃を行った。川の中に投げ込まれている空き缶、農業用資材、雪囲いのビニール波板、看板など様々なモノが川に捨てられていた。それらを拾いつつ、子ども達は網を持って川の中へ入り、魚を捕まえたりした。昔、たくさん捕れた魚はほとんど捕まらず、今は、カニやアブラハヤだけであった。
この後、『四季折々の花の咲くまちづくり事業』の第2彈(秋バージョン)として、木製プランターづくりを行った。材木は、奥越森林組合勝山工場から購入した製材の後に出た木の外側(周辺材)の「コア」と呼ばれる部分を大工さんにカットしてもらったものだ。これらを子どもと父親や祖父と一緒に組み立てるのだ。もちろん、大人だけで作成した人もいる。
組み立てた木製の枠(プランター)の中に市販のプランターを入れて使うのだ。少しでも自分で手がけたものは愛着が湧くだろうということで企画したものだ。春は「竹」プランターづくりだが、秋は「コア(木材)」によるプランターづくりだ。
秋の花なので、花苗は後日配ることにしている。子ども達に望むことは、プランターづくりよりも、命(花)を育てることの大切さを学んでほしいと思うのだが。用事で村内をまわると、真夏にもきれいな花を咲かせている家庭と、枯らしてしまった家庭がある。 真夏の炎天下にも,見事な花を咲かせ続けるには毎日の水やりが必要だ。その量も花が望む量でなければならない。水のやり過ぎは、根腐れを起こさせるし、水不足では苗はぐったりして枯れてしまうい。赤ちゃんと同じように最新の注意が必要だ。
菊作りの名人に言わせると、真夏の水がほしいときでも、少し我慢をさせることが大切だとのことだ。我慢をさせると菊は水を求めてしっかりと根を張るそうだ。そして、立派に育った根が最後に栄養を吸い取って大輪の花を咲かせるのだという。
水をやりすぎると、菊は大きく根を張らないために、いざというときに養分を吸い上げる力がないそうだなんだか、人間とよく似ている。基礎体力をしっかり付けないと、いざというときに力を発揮できないのだ。
子ども達には、花を育てることによって、命を育てることの大切さ、難しさを勉強してほしいと願う。しかし、こちらの願いは簡単には子ども達には届かないだろう。私は、集会所前のたくさんの花に毎日朝晩水を撒いている。花に語るように。花をそれに応えてきれいな姿を私達に見せてくれている。 今では私の楽しみになっている。いつかは、子ども達もきれいな花を見たときに、「きれいだ」と感じるようになってんもらいたい。押しつけても無理だ。気づいてくれることを期待しながらの、今日は木製プランターづくりを行った。(日記 午前9時より川掃除。その後、木製プランターづくり。午後は、OB会のためのギター練習。毎日少しずつ練習しないとなかなか上達しない。午後7時半より『
かたせ瓦版』の取材として、理事長のNさんと会計のSさんに法人の今後について話を聞いた。片瀬の米作りが持続可能になるには、やはり組合員一人一人の協力が不可欠である。今日聞いた話を瓦版に載せて、みんなで片瀬の農業を守っていくことをアピールしたい。)