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遊びのバランス

09 8月

「一人で遊ぶ」と「みんなで遊ぶ」のバランス
   今の子ども達に欠けている力は何だろうか。それは、『コミュニケーション能力』ではなかろうか。今年の3月28日発行の福井新聞に、『社会で大切なことは?』『自分に合う仕事を見つけるには?』とのタイトルで新聞2ページを使った特集記事が載っていた。

 その中で、企業の方々からは、いずれもコミュニケーションに関わる項目の重要性があげられていた。そして、ある企業の方がコミュニケーション能力を身につける方法として 「あいさつはで  きていますか?明るく、元気に、大きな声で挨拶するように心掛けて下さい。自然にコミュニケーション能力が身に付くと思います。」と書いておられた。

   最近の子ども達の動きを見ていると、コミュニケーション能力はかなり劣っているように思われる。しかし、それは必ずしも子ども達のせいではない。子ども達が挨拶の習慣を身につけられないのも子ども達のせいではない。責任の多くは、大人の側にあると思う。

  子ども達の遊びは、昔と比べると大きく異なっているが、それらは全て大人の敷いた路線に乗せられているからだ。昔は何もない分、子ども達が創造性を発揮する場面は多かったと思っている。

  しかし、今は、子ども達は、大人の仕掛けるゲームやテレビや雑誌の虜になっている。その結果、外で遊ぶこと、みんなで遊ぶ機会が激減したように思う。個人での遊びが、子ども達から「仲間で切磋琢磨しながら遊ぶ」ことの楽しさを奪い去ってしまった。

  これでは、コミュニケーション能力を身につけることはできない。私が子ども達に望むのは、「一人で遊ぶことができる」と「仲間で遊ぶことができる」の両方だ。両者のバランスが大切だと思っている。

  「仲間としか遊べない」子ども達は大きくなったとときどうなるだろうか。現役時代、夜な夜な溜まり場(特定の友達の家や特別な場所)へ出かけた高校生達がいたことを知っている。自宅ではじっとしていられないのだ。これは困りものだ。

  「一人で遊ぶ」と「仲間と遊ぶ」はどちらも大切であるが、一方に偏ったらどちらも好ましいことではない。遊ぶことは子どもの成長にとっては不可欠だ。人は「人間」と書くように「人と人との間で生活する生き物」だと思う。

  この夏休み中も、日中、村の子ども達の姿を見かけることはほとんどない。子ども達は家の中で何をしているのだろうか。ある子どもの祖母は、テレビを見たりゲームをしたりしていると言う。

  また、別の保護者は「子どもは児童センターへ出かける」という。夏休みになったのに、両親が働いているために、弁当を持って学校にある児童館へ行くのだが、それで子ども達は夏休みを楽しく過ごせるのだろうか。もともと群れて自ら創意工夫を凝らしながら遊ぶ経験のない子ども達にとっては、家にいるより、児童館の方がよいのだろうか。

  いずれにしても、子ども達の持っている能力を十分引き出すことができる環境を大人は設ける必要があるのではなかろうか。しかし、現実には、子ども達を「消費者」とみなす大人の商魂が目についている。これでは、コミュニケーション能力は身に付けられないであろう。悲しいことだ。

(日記 午前中、一時間あまりは、孫の勉強相手。かなり自分でできるようになった。今日は『かたせ瓦版』の発行日。午後も作業を継続。夕方、草刈り機を持って畔草刈りに出かけた。同じ場所委を年3回は草刈りをしなければならない。オリンピックでは、勝ち負けだけではなく、.その背景にはいろんなドラマがあるものだと感心する。要約、.金メダルが二個増えた。今夜はサッカーを見なければと思う。)

 
 

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