まちづくりのキーワード
マザーテレサさんは本当にうまく言ったと思う。「愛する」の反対を「憎む」などではなく「無関心」と。最初は「そうか」程度の理解だったが、今では、「まさにそのとおり!」という感じだ。
何か具体的を例にあげてみるとよくわかる。「ふるさとを愛する」に対して、その反対は「ふるさとに無関心である」ことの方がよく当てはまる。
そんな人はいないと思うが、もしも「ふるさとを憎む」人がいたとしたら、その原因を調べ、改めるべきところを改めればよい。憎むと言うことは関心があるのだから。しかし、関心のない人に関心を持ってもらうことは簡単ではない。
関心を持ってもらうためには、いきなり「まちづくり」などという難しい言葉を持ち出すのではなく、仲間の力によって「楽しくなること」を実施し、それを積み重ねていく方が近道かもしれない。
「成功体験」や「満足な体験」は次へのステップになる可能性が大であるからだ。次への意欲につながるからだ。仕掛けた人の頭の中にはその先のビジョンが描かれていることが望ましい。
私は、自分の住む片瀬が、豊かでいつまでも気持ちよく暮らせる地区として存続することを願っている。しかし、少子高齢化が進み先ずは農業が持続不可能になりかけた。
外部(村以外)の人に、丸投げする人が出始めた。私も、知人にお願いしてきたが、それもままならなくなった。これから先もこんな人が増えるのは目に見えていた。
そんな中で、地区では数年前に『農事組合法人かたせ』を組織した。そして、会社組織で米や里芋を栽培している。昨年から乾燥施設も導入し、直接米を消費者に販売する体制も整え始めている。
そうなると、今後は、「かたせ」をブランド化しなければならない。「片瀬の米」を売り出そうとしても、宣伝費はかかるだろうし、私達素人ではなかなか知名度を上げることは困難だ。
それにTPPにでも加盟したら、米の値段は劇的に下がるだろう。アメリカ産の米には7倍ほどの関税がかかっていると言うが、それがなくなったら、日本の米作りは経済的には成り立たなくなる。
そこで、一昨年新たに片瀬オリジナルとして創作した『片瀬豊年ばやし』の活用だ。この芸能は、もちろん郷土芸能の一環として伝えていくものでもあるが、一方では、『農事組合法人かたせ』の主題歌としての位置も持ち合わせている。
衣装も、「百姓スタイル」だ。あちこちへ出かけてこの「銭太鼓」を披露するということは、一方では「かたせ」と言う名を知っていただく効果もあるのだ。
法被の両襟には、「芋と生姜と旨い米」と「片瀬豊年ばやし」の文字が書かれている。背中には、「農事組合法人かたせ」のマークが印刷されている。
楽しみながらも、「かたせ」をブランド化し、それが農業を持続させ、最終的には村を存続させることにつながるという寸法だ。私は演技を終えるといつも謝辞の中で、芋と生姜戸旨い米について触れることにしている。
とは言うものの、「地域」に関心を持ってもらうことは至難の業だ。そんなことに関心を持たなくても、村を意識しなくても、みんなそれなりに楽しく暮らしていける(と思っているだろう)からだ。
先ずは、楽しむことから何事も始めなければと思っている今日この頃である。その先をどう進むかはあまり表に出さない方がいいかもしれない。最初は胸に秘めていればいいのだ。
(日記 5人の孫が来ている。家の中は保育園状態だ。午前中、ぶらぶらと過ごした。昼頃福井の長女家族が帰っていった。午後、二人の孫を連れて図書館へ出かけた。私は10冊、孫達も二人で10冊の本を借りた。幸いにも孫達は本好きだ。これは、とてもよいことだと思う。本から様々な知識や知恵を得られるからだ。)