「大師山」とは
子供の頃から村の入り口に標柱があったことを覚えている。そこには、「泰澄大師旧跡地登り口」と書かれていたように思う。私たちは単に「大師山」と呼んでいた。
この山は、私たちには縁のある山だった。ワラビやゼンマイなどの山菜や栗、アケビ等を採った山であり、薪をとった山でもあった。中学校時代には、キャンプをしたり、鳥を捕まえた山でもあった。生活に密着した山であった。
私たちの地区に、多くの関わりを持った山であったので、昨年私が作った『片瀬豊年ばやし』の1番にはこの山についての歌詞を考えた。
『片瀬豊年ばやし』
1.(前歌)村の後ろにひかえし山は
越の白山(しらやま)開いた御仁(おかた)
泰澄ゆかりの 大師山 大師山
(本歌)ハア アーアーアー
春は桜で 秋もみじ
季節彩る 守り神 守り神
「ワラビ ゼンマイ 山の芋 薪に材木 山の幸」(ラップ調)
山の麓(ふもと)にゃ 大仏と
団子まきする 佛母寺(ぶつもんじ)
山を守るにゃ 道づくり 道づくり ヨホ ホィー
今日は、この大師山の「道作り」だ。草刈り機で道の両側の草や灌木を切り、場所によっては木で階段を作ったり、水抜きを作ったりするのだ。この作業は昔から続いていたものと思われる。私は、父親が早くなくなったので、高校時代からこの作業に参加している。
私たち5班は、午前6時に集会所前に集合して、二手に分かれて出発した。一グループは歩いて出発、もう一グループは車で頂上まで行き、登山道の上と下から作業を始めるのだ。
私は、歩きのグループだが、草刈り機を担いで作業現場へ行くまでにかなり疲れてしまった。今年は、私たち5班は「宮番」なので、頂上や頂上手前の神社を含む山道の担当だ。
8月13日には「大師山たいまつ登山」があるので、私たちの班は、当日、山頂近くの神社で登山者を迎えたり、たいまつの後始末をしたりするのだ。
今年から、頂上の眺めは格段によくなった。これまで、大野方面は全く見えなかったが、業者を頼んで木を伐採したので、頂上からは、勝山市や大野市がよく見えるようになった。
特に、毎年8月13日には大野市の花火大会があるので、山頂からもよく見えるはずだ。この「山道作り」は、歌詞にも書いておいたように山を守る第一歩であるが、近年作業に出る人が高齢化しているので、これから先少し考えなければならないだろう。
(日記:午前5時起床。大師山の山道作り。帰宅してから、子ども達とプールへ行く。6歳の姉にはクロール(息継ぎなし)を、3歳の妹にはビート板を使ってバタ足を教えた。二人ともかなり上手になった。なかなか帰ろうとしないので、2時間半以上をプールで過ごした。子ども達はプールが大好きだ。午後は、親父バンドの最後の曲の楽譜を書いていた。)