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川の思い出

21 8月

河川清掃
   今日は村の『河川・用水環境浄化啓発大作戦』の日だ。午前9時に集会所前へ集合。雨のため参加者はそんなに多くなかった。大人はゴミ袋、子ども達は魚等を捕まえる「タモ網」を持って片瀬地区の近くを流れる「勝山大用水」へ向かった。

  そして、ハシゴの川に降り、両岸の壁に生えている雑草を取ったり、川の中の空き缶などを拾ったりした。川の深さは長靴を超えるために、参加者はみな長靴の中にまで水が入ったようだ。私は、最初から足を切らないように古いズックで川の中へ入った。

  以前ならたくさんいた魚はあまり捕まえられなかったようだ。捕った魚やカニや水生昆虫は、生き物が住めるように新たに整備した法人の農舎の前を流れる用水に放すのだ。

  今の子ども達は、こうした行事の時ぐらいしか川に入ったり、魚を捕まえることはないだろうと思う。私たちの子供の頃は、小川でも大用水でも、九頭竜川のような大きな河川でも、大小のため池でも、みなよく遊んだものだ。

  川を見れば、どこに魚がいそうか、どうしたら魚を捕まえることができるか、そんなことばかり考えていたものだ。魚を釣る針がなければ、昆虫針を曲げて作ったりもした。えさにはミミズやイナゴのしっぽなどを使ったりした。

   特に、学校の帰りは道草をして魚を捕まえながら帰ったりもした。捕まえた魚は自分が履いているゴム製の短靴に入れて持ち帰ったりもした。また、石垣の中に手を入れて「手づかみ」で魚を捕まえたりしたものだ。

  米をとぐときに使う「そうけ(竹を編んだかご)」を川へ持ち出して草むらの中に隠れている魚を足でばたばたと動かしながらすくい取る「あしばった」もよくしたものだ。しかし、「そうけ」を持ち出したために、家の者に叱られたのは言うまでもない。

   このように自然に親しんだ子ども時代を送った者と、今の子どものようにゲームや習い事に明け暮れている者とは、大人になったときにどう違うのだろうか。

   とにかく、夏は水に関わって大いに遊んだものだ。今の子どものように、プールで泳ぐのと、魚がたくさんいる九頭竜川などで泳ぐのでは、ずいぶん違うと思う。私の次女も、一度川へ連れて行ったら、プールへ行きたがらなくて、毎日のように「川、川、川へ連れて行って」とせがむので困ったことを思い出した。

  川にまつわる思い出はたくさんある。今日、用水の清掃をしながら、昔の川との関わりを思い出した。川は、私たちの子ども時代の重要な遊び場の一つだったことは間違いがない。

(日記 午前9時より「河川清掃」に参加。その後、おじさんバンドの編曲作業。昼過ぎに、東京から帰省中の次女を家内と二人で福井まで送っていった。帰宅してからも編曲作業を継続。今日から、家内と二人だけの生活に戻った。「楽なさみしい」ということだろうか。)

 
 

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