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『落日のテレビ』を読んで

16 8月

さらばテレビ
   この頃、「テレビがあまり面白くない」ないという記事によくお目にかかる。そんな中で、週刊誌を読んでいたら、『落日のテレビ~私はこう考える~』と言う記事に目が止まった。内容を要約すると次のようである。

「……。草創期のテレビにかかわったのは、60年安保闘争に敗れ、就職先もない“やさぐれた”人々だった。先行モデルもなく制約もない中でこの世代のテレビマンたちは高い創造性を発揮した。

  だがこの華やかな成功が結果的にテレビを破滅に導くことになる。一流大学での秀才達がテレビ界に殺到してきたからだ。秀才は本質的に「イエスマンであり、前例を墨守し、上司の命に従うことはうまいが、クリエーション(創造)にも冒険にも興味がない。

  安定した組織を維持し、高級や特権を享受することには熱心だが、危機的状況への対応や新しいモデルの提示には適さない。草創期の冒険的なテレビマンが姿を消し、成功した先行事例を模倣することしかできないイエスマンがテレビ界を独占するに至って、テレビからは創造性も批評性も失われた。

    この先テレビが復活する可能性があるとすれば、一度どん底まで落ちて、世間から「テレビマンは薄給で不安定な職業」と見なされ、秀才たちがテレビを見限った後だろう。(神戸女学院大学名誉教授    内田 樹氏)」

 上記の記事を引用させていただいたが全く同感である。 日本の原発事故の対応を見ていると、中国の新幹線事故と何ら変わりなく、危機的な状況への対応はできないように思われる。後手後手に回ってしまっているようである。

  テレビで、「専門家によれば……」と聞くと、今までは、それなりの信頼感を持ってテレビなどを見ていたが、今は、専門家にもお抱え専門家がいて、後ろで金が動いていると思わざるを得ない。

   結局、「金」という磁石によって多くの人間が動いているのだと思わざるを得ない。悲しいことだ。本当の政治家、本当の学者、本当の研究者が出ることを祈るばかりである。

(日記 午前中、紙芝居」『白山平泉寺物語』を子ども向けに書き直す。かなり時間がかかった。午後は、長女、長男の子ども(孫たち)と市営プールへ泳ぎに行く。子ども達は大喜びだった。暇を見つけて、ハワイアンギターの練習。)

 
 

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