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勝山城博物館のあり方(私案)

17 5月

平泉寺の入り口にあるという地の利を活かす
  午後2時過ぎに勝山城博物館へ出かけて、杉本学芸員と雑談をまじえて話し合った。3県6市1村が「白山」を中心に平泉寺を含めて「世界遺産」への登録を目指している。

  「白山と山麓の文化的景観」のタイトルのもと、世界遺産登録を目指しているが、金色堂で有名な平泉に中尊寺に先を越されてしまった。

   また、平泉寺区の中に、「平泉寺に関するガイダンス施設」を現在建築中である。この建物は、平泉寺の遺跡から発掘された種々のものを展示しながら、観光客などに平泉寺を案内する施設である。

  おそらく、この建物は発掘物中心に、映像や写真を使って平泉寺を案内するであろう。そうなると、勝山城は平泉寺に関してどのような魅力ある展示ができるのであろうか。

  平泉寺は、約800年の歴史があるが、その壮大なドラマを知っている人は少ないと思う。まして県外から訪れた人達ノ多くは、そうした魅力ある平泉寺の歴史は全く知らないであろう。

  観光客の皆さんは、平泉寺の厳かな雰囲気ときれいな苔を見て、感動して、帰られるのが現状ではなかろうか。一部の人は発掘現場まで足を伸ばすであろうが。

  平泉寺は、かつては常に全国の動向を情報収集し、時の権力と上手に折り合いをつけながら生き延びてきたのだ。

  南朝か北朝か、源氏か平家か、織田信長とは、朝倉氏とは、一向一揆とは、比叡山とはどういう関係だったのか。

  平泉寺は、常に情報を収集しながら、800年の長きにわたって生き延びてきたのだ。その壮大なドラマを理解しなければ平泉寺の面白さや魅力は理解できないであろう。

  そこで、勝山城博物館は、その壮大な平泉寺のドラマを視覚的に見せることができないのか。映像や絵や解説、模型などを含めて平泉寺の興亡がよくわかる展示ができないのだろうか。

 そうした平泉寺の歴史の流れを理解することによって、今の平泉寺の遺跡や発掘した遺物が生きてくるのではなかろうか。平泉寺の歴史の流れを理解するためには、必ずしも発掘した遺物が必要ではない。

  私自身も平泉寺を理解するために、息子と簡易アニメ『平泉寺物語』を作成したが、勝山城博物館でもとても好評だったという。それはそうだろうと思う。また、県庁では平泉寺の歴史を絵に描いたが興味を持って見ていただいたようだ。

  そこで、「市のガイダンス施設は発掘した遺物などから、平泉寺の歴史を語り」、「勝山城博物館は平泉寺の壮大なドラマを絵や写真で展示する」という棲み分けをしてはどうかと思う。

  両者を見てから、平泉寺旧境内の発掘現場を見れば、平泉寺の歴史を深く理解できるのではなかろうか。そんな話を杉本学芸員とした。とても、楽しい時間を持つことができた。

(日記:午前中は、堆肥枠の屋根作りを行った。雨が降るとブルーシートで覆っておくが、雨水がブルーシートに溜まってしまう。そこで、やはり、屋根をつくってその上にブルーシートをかけておく予定だ。昼過ぎまで作業を続けたが完成しなかった。作業の途中に、春江のSさんが創作中の民謡を持って編曲を頼みにきた。午後は、勝山城博物館へ行って学芸員と話し合い。その

今日は半日堆肥枠の屋根作り。雨が入り込まないようにするためだ。材料はかつて自分で作った車庫の板や材木。

後、末娘からの小包を持って福井医科大の家内の所へ出向き、そこで夕食。家内は今リハビリ中。帰宅途中に、食材を買った。残りのご飯は、サランラップに包んで冷凍。変化に富んだ一日だった。)

 
 

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