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Archive for 10月, 2010

私は“ながら族”……ラジオ・テレビを聞きながら

31 10月

今は“ながら族”
  私は、“ながら族”である。一日の定められた時間の中でラジオだけを聞いていたり、テレビだけを見ているのではもったいない。自営で仕事をしている大工さん、土建業の人、農家の人の中にもラジオを聞きながら仕事をしている人は少なくない。

  退職してからは、すっかりとラジオファンになった。しかし残念なことは、私の持っているラジオではテレビは3チャンネルしか受信できない。民放のテレビが受信できないのだ。時には民放でもよい番組があり、聞いてみたい番組もある。

パソコンをやりながら、聞いている2台のラジオ(右端)

  そこで、先週の木曜日に福井へ行った際、100万ボルトでラジオを見ていた。自分の望むラジオはなかった。ところが横から妻が「家にある昔のラジオは何チャンネルものテレビの音声が入るわよ」と言うのである。

  そうか、確かに以前に外仕事をしながら、サンデープロジェクトなどの民放のテレビ音声を聞いた覚えがある。そこで、この日はラジオを買うことをあきらめた。試してからでも遅くはないと思ったからだ。

  今日から再び、午前中は数学のホームページ作りに、事務所へ出かけた。昔のラジオはダブルカセットだが、CDは聞けない。でも、多チャンネルのテレビ音声を聞くことができるのだ。

  二つのラジカセを併用しながら、“ながら族”でラジオを楽しんでいる。音楽も聴けるし、ニュースも聞けるし、国会中継なども聞ける。“ながら族”に絶対なれないときは、歌を作るときである。コンピュータミュージックでは、たくさんの楽器の音を聞きながら、それぞれの楽器に指示を与えていくからである

右側のラジオは古いが多チャンネルのテレビ音声が入る優れもの

  これからも、“ながら族”でいろいろな情報を楽しみながら、マイペースで自分のやりたいことに取り組んでいきたい。ラジオやテレビ音声を聞くことは今の私には大きな楽しみの一つになっている。

(日記:午前中、数学のホームページ作り。昼頃、市民文化祭の展示を見に教育会館へ行く。
  絵も描いてみたいし、俳句も短歌も作ってみたいし、字も書いてみたい……との思いが強くなった。
  午後も、3時過ぎまでホームページ作り。その後、家の片付け。生活ががらりと変わり、着るものもすっかり変わってしまった。ネクタイなど、4月以来数回着けただけである。あれこれ片付けるのにかなりの時間がかかる。)

 
 

急に市民文化祭に参加

30 10月

『盆踊り復活』アピールのチャンス
  一昨日、市役所の方から「文化祭に参加しませんか」との電話を受けた。急に出演できない団体が出たからだ。その日にメンバーを募り今日は本番。昨夜は、11時半過ぎに、『勝山小唄』の編曲を始めた。ああでもない、こうでもないと考えながら編曲を続けているうちに午前2時をまわってしまった。 

  編曲を終えただけで、眠くなって午前2時過ぎに床に入った。朝6時半に目が覚めた。横に1歳の外孫(次男)が寝ているので、何となく気になった。でも、寝顔はとても可愛かった。朝起きてから、昨日作った曲を今日の文化祭で使うCDに焼いた。 

市民文化祭で『勝山よいとこ』を踊る遅羽・村岡・猪野瀬地区有志の皆さん。(黒い法被が私)

 

   協力をしてくれる村岡、猪野瀬、遅羽の踊り手の皆さんと歌い手二人を曲に合わせてどのように演出すればよいのか、考えながら、準備をした。 

  それに、私自身が何をするのかも考えた。ここは一番、恥を忍んで、全体としてよくなれば何でもやろうと考えて市民会館へ向かった。 

  12時に市民会館へ到着。3階でリハーサルを始めた。私自身は、1曲は踊り、2曲は太鼓を打つことに決めた。集まったメンバーは、猪野瀬は我々夫婦を含めて4人、村岡も4人、遅羽は6人であった。そして、市内の歌い手Yさんの合計15人が電話一本で集まってくれたのだ。感謝感激である。 

  出番は、1時半から15分間。1曲目は『勝山よいとこ』である。私は男一人ではあったが、男踊りを踊ることにした。踊りの開始直後、少し体がふらついた。昨晩は完全に睡眠不足であったこと、昼食を食べずに直前に45分間リハーサルを続けたこと、おまけに、厚手の草履を履いていたことなどからだろうか。 

『勝山小唄』を踊る3地区連合の踊り手の皆さん。(中央太鼓は私)

 

  途中で、草履を脱いで踊り続けた。2曲目は、『勝ち山ほがらか音頭』である。この曲は踊りの輪の中で、太鼓をたたいた。 

  3曲目の『勝山小唄』も太鼓をたたいた。途中で、盆踊り復活をアピールしたいためにマイクで話したが、全体としては、15分では終わらなかった。申し訳なかった。 

  とにかく、ピンチヒッターとしての役割は終わった。それなりに緊張感もあって楽しかった。 

(日記:市民文化祭出演準備。午後1時半、市民会館で『歌い踊ろう!勝山の民謡を』に出演。午後3時より、事務所に来客あり。教育談義。忙しい一日だった。今日はゆっくり休みたい。全くの“飛び入り行事”であったが、協力してくれた皆さんのおかげで無事終わった。皆さんに感謝したい。) 

私の津軽三味線の師匠河間氏の率いる三弦明萌会の皆さんの民謡発表

 
 

懐かしい「研究会」

29 10月

算数の授業を見ると
  昨日から、勝山市で、『第24回東海北陸地区へき地教育研究大会福井大会』兼『第58回福井県へき地複式教育振興研究大会奥越大会』が、開催されている。そして、今日はの市内の小規模校である平泉寺、野向、三室の3小学校で公開授業や研究協議が行われた。

一つの教室で2学年の授業が行われた複式授業。(左側は1年生、右側は2年生の授業)

    私は、校長のお誘いを受けたこともあって、平泉寺小学校の研究発表会に参加した。9時から、1・2年、3・4年、5・6年の複式授業が行われた。一人の主になる教員と、学習支援員がペアになって、一つの教室で2学年を指導するのである。

  いずれの学年も算数であったので、私の本職(数学教員)でもあり、とても興味深く研究授業を参観することができた。また、授業を見ていて私なりの意見も持つことができた。

  それを一言で言えば、小学校1年生では、引き算をやっていたが、指導者として考えるべきことは2つあると思った。すなわち、「なぜ引き算になるのか」ということと、「どうして引き算の計算をするのか」という二つである。

 とかく、子供達は、数字を見ると、加減乗除のいずれかの計算をしてしまう。そして、かなりの子供がミスをするのである。この二つをはっきり区別しながら、教師は指導にあたらなければならないと思った。

  なぜ引き算になるのかとを理解させるための図と、引き算の計算を理解させるための図では、自ずから異なると私は考えている。多くの指導者は、これらを一つにして指導しているように思えてならない。

  昨年までなら、市内であれ、市外であれ、時には全国大会でも、必ず発言したものだが、現役を退いた今となっては、発言は控えようと思った。

  私は、小学校の算数に対して、もう一つ考えていることがある。それを一口で言えば、「算数は足し算だ」であるということだ。足し算が理解できて初めて、引き算がわかり、かけ算がわかり、割り算がわかると思っている。

 算数のできない子供達は、特に文章題を見たときに、どんな理由でどのような計算をしなければいけないのかが理解できないのである。確信の持てないまま、加減乗除のいずれかをしてしまうのである。

  とにかく、久々に研究授業を見、研究会に参加して、わくわくしたものである。それと同時に、指導法の研究はどんなにやってもやり過ぎることはないと思った。楽しい一日だった。

町民文化祭に向けて『片瀬豊年ばやし』の練習

(日記:午前中、平泉寺小学校の研究会に参加。午後は、私の壊れたパソコンの修理にY君がやってきたので、それに立ちあった。夜は、猪野瀬の町民文化祭に出演するための演し物の練習を行った。今回の文化祭では『片瀬豊年囃子』に歌も入れて、銭太鼓と女踊りを披露する予定である。)

 
 

マスターしたい「フラッシュ」の技術

28 10月

絵を動かしたい
  私は、かねてから絵を動かしたいという夢を持っていました。これまで、簡易アニメ『平泉寺物語』や『泰澄大師物語』を制作しました。ただしこのときは、私はただ絵を描いただけでアニメーションにするのは息子に頼みました。

  しかし、現在、息子は東京で働いていることと超多忙であるために、とても私の趣味に関わっているような時間がありません。そのために、自分でできることは自分でやらなければと思うようになりました。

  その第一弾が、ホームページを自分で作ることでした。ホームページ作りの第1段として、まだ完全には完成していませんが、『いなかもんの演歌の広場』として公開しています。そしていよいよ本番です。

 連日、『いなかもんの数学講座 数学は読解だ!』を制作しています。産業支援センターで何度か、講習も受けました。しかし、簡単にできるものではありません。毎日苦労しています。

  今年中に、一部でも公開できればと考えています。この中でも、絵を動かす技術があれば、子供達が興味をもって見てくれるのではないかと考えています。

  ところで、この動画ですが、映画の場合、1秒間に24枚の絵を動かしています。テレビの場合は、厳密にはコマ送り方式ではありませんが、1秒間に30枚相当の画像を動かしています。

  とても、こんなにたくさんの絵を描くことはできません。しかし、フラッシュの技術があると、1枚の静止画の部分を動かすことによって動画にすることができるのです。

  例えば、一人の人間を動かすとき、頭、胴体、右手、左手、右足、左足などにそれぞれ動く軌道を指示し、全体として歩いたり、走ったりしているように見せる技術である。

  人間を動かすなどは当分できないだろうが、簡単なものなら動かせるかもしれない。雲を動かしたり、口をぱくぱくさせるだけならできるかもしれない。そう信じて勉強しようと思っています。

産業支援センターで借りたパソコンと町おこし関係の書籍

産業支援センター通い
  産業支援センターには、いろんな書籍や機関誌やDVDなどがそろっています。興味をそそるものがたくさんあります。月に2度は必ずいくことにしています。書籍は2週間、DVDは1週間しか借りることができません。

  そして、数日遅れると電話がかかってくることになります。まだ見終わっていないDVDや書籍があったために、これまで2度電話での催促を受けました。

  今日も、フラッシュ関係の書籍を1冊を返却するために、産業支援センターへ出かけました。そして、再び別のフラッシュ関係を書籍などを3冊借りてきました。

  1年ほどかけて、簡単なものを動かせるようになりたいと願っています。動画編集も身につけたいし、ホームページの技術ももっと身につけたい。そう考えると、1日が24時間では足りないと思っている今日この頃です。

(日記:午前中、数学のホームページ作り。しっかりした計画がないまま作業を進めているので、途中で軌道修正しながらの作業である。午後、産業支援センターへ。ついでに、100万ボルト、ワイプラザへ寄って帰宅。その後、ホームページ作りを継続。役所から電話があった。明後日の市民文化祭に出演できないクラブが出たので、穴埋めをしてくれないかということだった。急なことではあったが、あちこちに電話して、『歌い踊ろう!勝山の新民謡を』と題して、歌と踊りで出演することに決めた。)

 
 

家庭菜園の周辺整備終了

27 10月

花壇作り
  夏頃からの整備していた「家庭菜園の周辺整備」がようやく終わった。周辺が雑草だらけになり、畑へも侵入してくるようになり、手に負えなくなった。

  そこで、畑とそうでない部分の仕切りをコンクリートでつくり、雑草の生える部分はアスファルトで固めた。これまでは、歩道側に花壇を作っていたが、雑草が生え、これも手に負えないようになってしまった。

  この部分も、コンクリートで土間打ちして、その上に土管を置いた。雑草が生えてこないようにコンクリートにしたのだ。しかし、このままでは殺風景なので、今日この土管に家内と花を植えた。

  三つの土管に、それぞれ紫、白、黄色のパンジーを植え、中央にチューリップの球根を埋めた。来年、雪が解けた頃には、赤、ピンク、白のチューリップが咲き、パンジーも株が張っているはずだ。

家内と、三つの土管にパンジーとチューリップの球根を植えた。家庭菜園には、大根や蕪や野沢菜などの菜っぱが見える。(後ろの建物は山児童館。)

花を植えるなら一割は外へ向けて
  ノルウェーを旅行したときのことだ。ノルウェーは漁業が盛んな国で、夏は数時間しか太陽が沈まず、冬は数時間しか太陽が出ない国だが、花を愛する国だと思った。

  町を歩くと、窓辺には花が飾られていた。表通りを通る人からよく見える位置にたくさんの花が飾られていた。そのため、気持ちよく町を歩くことができた。

  それ以来私は考えている。花を植えるなら、1割は表通りに向けて植えたいものだ。10本花を植えるなら、少なくとも1本は近くを通る人たちのために植えたらどうだろうか。

  きっと、散策しても楽しい明るい町になるのではなかろうか。今でも、外へ向けてきれいな花を植えてある家が少なくない。きれいな環境できれいな心を持った子供達を育てたいものだ。

(日記:午前中、数学のホームページ作り。午後3時まで継続。目が疲れる。午後3時より花壇作り。夜、和太鼓。)

 
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津軽三味線で初めての歌伴奏

26 10月

津軽じょんから節
  私は、このブログで知り合いになった河間氏から『津軽じょんから節』を教えていただいている。津軽三味線と言いたいところだが、いきなり、先生に無理なお願いをして「“津軽じょんから節”を教えてください」とお願いして実現したものである。

  通常なら、順を追って教えていただくところだが、いきなり指使いの難しい「津軽じょんから節」に挑戦したので、最初から大きな壁にぶつかり四苦八苦であった。ピアノのピの字もできないモノが、「エリーゼのために」を教えてくださいと言ったようなものである。

河間先生の伴奏で津軽じょんから節を歌う石橋さん(於:山児童館事務所)

  8月から始め、月2回の個人レッスンを受け、今日がちょうど6回目のレッスンであった。そして、今日は、文化祭のリハーサルのために、河間先生が民謡の歌い手である石橋さんと一緒に私の事務所へ来られた。

  石橋さんは、締太鼓持参であった。今日まで練習した“津軽じょんから”節に歌と太鼓が入って本格的なものとなった。歌も河間先生の三味線もすばらしく、一緒に伴奏させていただいた私も楽しい時間を持つことができた。

  私の方は、最初歌に聴き惚れて、どこを演奏しているのかがわからず、途中で演奏が止まることもあった。何度か練習しているうちに少しずつなれてきて、楽しくなった。

そば屋で即興演奏
   レッスン修了後、3人で近くのそば屋「きふね」へ出かけた。ここの店には「おわら踊り」のポスターが何枚も貼られていた。また、店の作りが日本調であるので、「こんなところで演奏したらいいですね」と私が話すと、河間先生は「三味線を取ってきます」と私の事務所へ戻った。

 そばをいただいた後、民謡好きの奥さんの前で河間先生と石橋さんが「越中おわら節」を披露した。続いて、太鼓入りで「津軽じょんから節」を歌った。

  店の雰囲気に合い、とても楽しい時間を持つことができた。いつか、慰問活動などで私もご一緒できたらと思った。それにはもっと上手に弾けるようにしなければならない。

  また、一日も早く津軽系の演歌を完成させたいと思う。津軽三味線、尺八などが入る迫力ある演歌を完成させたいとの思いが強くなった一日だった。

(日記:午前中、数学のホームページ作り。途中で歯医者へ行く。午後も、数学のホームページ作り。午後4時過ぎより三味線の個人レッスン。午後7時より、教育会館で行われた自動車運転者講習会にでる。午後、10時前に、Y君がパソコンを直しに来る。いろいろ変化に富んだ一日であった。)

 
 

和太鼓の後期授業始まる

25 10月

後期授業開始
  私は、今年の5月から週一回だけ北部中3年生の選択音楽で和太鼓を教えている。高校生に数学を教えていたのは、今から12年前であるから生徒の前に立つのは本当に久しぶりであった。それでも、やはり生徒の前に立つことは楽しい。

  そして、今日は後期の第1回目の授業である。前期は16人の女生徒であった。メンバーの入れ替えがあったが、後期も16人で、そのうち12人が残り、4人が新しいメンバーと入れ替わった。

  例によって、新メンバーには自己紹介をしてもらった。名前や住所の他、趣味を尋ねた。目の前には、中学生がいる。私にも中学生時代はあったが、何もかも今とは異なる部分が多かった。まだまだ日本は貧しい時期であったように思う。

  私のクラスの人数は、56人であった。今なら、とても一人では担当できないだろう。最近は、中学校の1学級の定員が30人に向かっている。それでも、昔の1クラスの人数が多いとは思わなかった。当時の私は漫画家になりたくて明けても暮れても漫画を描いていた。

最初の授業で言いたいこと
  私は、最初の授業で子供達に言いたいことがある。一口で言えば、

 DREAM & ACTION

である。夢に向かって行動してほしい。自分の目標なり夢に向かって、行動すればわずかでも夢に近づくはずである。夢は行動を伴わなければ、いつかは幻となって消えてしまうだろう。若い中学生の皆さんには、将来に対する夢や希望を胸に抱き、毎日の学校生活を送ってほしい。

  しかし、モノがあふれた今の時代は、夢を持ちにくいかもしれない。何もかもが世の中にありすぎて、子供達は夢を描きにくいかもしれない。しかし、自分のやってみたいことは、何かはあるはずである。

  たとえ、小さくてもそれぞれが自分の夢を持ち、それらに向かって努力してほしい。たとえ夢に到達しなくても、努力することで人生は充実するはずである。今の私でさえもいくつかの夢はある。ありすぎて、何から手をつければいいのか、悩むときがある。

  初回の授業に当たって、生徒達に向かって「夢を持ち、それに向かって行動してほしい」とメッセージを送った。そして、和太鼓の練習に入った。生徒達とそれなりの人間関係ができて、楽しく時間を過ごすことができた。

(日記:午前中は数学のホームページ作り。途中で歯医者へ行く。午後は、北部中学校で和太鼓指導。帰宅してからは、部屋の整理。長い間探していたモノが見つかった。整理をしておいてもモノがありすぎて、どこに何をおいたかがわからないと必要なときに使えない。そんなことが多い今日この頃である。夜8時頃、Y君がパソコンを直しに来てくれた。)

 
 

家庭菜園あれこれ

24 10月

収穫を終えた野菜の後始末
  秋も暮れて冬が近くなると、家庭菜園も終盤戦。我が家の畑は、大根や蕪などの菜っぱ類だけになっている。トマトやサツマイモ、豆のツルなどは、アスファルトの上で乾燥させておくのだ。そして、日を見て早朝燃やすことにしている。昔は自由に燃やすことができた。そして、灰は再び畑へ返すのだ。

  ここ数日、天気がよかった。乾燥させておいたサツマイモのツルやトマトのなどもからからである。6時過ぎに起きて、事務所横の家庭菜園へ出かけた。そして、手際よく火をつけて燃やした。近くの人たちが洗濯などをする前に、燃やしてしまわなければならない。灰が飛ぶからだ。

  また、雑草はコンポストに入れて堆肥にしている。雑草は、虫や病気とともに、家庭菜園の最大の敵だ。私の知り合いも、野菜作りに力を入れているが、雑草に悩まされているという。私は、とにかく、マルチで雑草と戦っている。

  それでも、畑の畝などからは、容赦なく雑草が伸びてくる。特に、蔓性の雑草は取っても取っても地下茎であちこちから顔を出すから始末が悪い。マルチの穴からも顔を出すので本当に困る。

  今は、我が菜園では、大根、カブラ、野沢菜などが少しずつ大きくなりかけている。その都度、間引いてはアゲと一緒に味噌煮にして食べている。緑を食べることは健康的にもよいだろうし、おいしい。

ノンオイルで野菜をたっぷり食べられる「タジン鍋」。ふたのてっぺんに穴は開いていない。

タジン鍋で野菜たっぷり
  一月ほど前、エルパの中を歩いていたら、妙な形のふたのついた鍋を見つけた。そのときは、おかしな鍋があるなあぐらいにしか考えていなかった。その後、長女の家へ米を持って行った際に、娘に聞いてそれは「タジン鍋」であることを知った。

  野菜を入れて蒸すための鍋だということだった。早速、帰りに、エルパヘ寄ってその「タジン鍋」を買った。鍋の中へたっぷりと生野菜を入れてその上へ肉か魚を入れて I Hの上に置けば、短時間で野菜は蒸し上がるのだ。そして、好きなタレで食べるのだ。

  油を使わないでたっぷり野菜を食べることができるのだ。生野菜は健康によくても、そんなに食べられるものではないが、「タジン鍋」を使うとたくさんの野菜を食べることができる。サツマイモなども入れておけば蒸し上がって美味しい。自分で作った野菜もたくさん食べれる。

  健康を考え、野菜中心の食事にすべきだと思っている。最近少し体重が増えて困惑している。退職直後は、毎日汗をかくほどいろんなことをして、体重は順調に減ってきた。しかし、最近はそんなに汗をかくことがない。野菜と運動で再びダイエットに挑戦だ。今週から妻のリハビリに付き合ってプール通いも始めたい。

(日記:早朝、野菜くずの処分。午前中、家の掃除。午後、寺より報恩講回りのためにお坊さんが二人来られた。その後、うまいもん祭りを見に出かけた。野外でよさこい踊りを見た後、手打ちそばを食べて帰ってきた。3時頃から、久々に数学のホームページ作り。ようやく、16問中の6問を完成させた。)

 
 

孫は親子の鎹(かすがい)

23 10月

孫達との別れ
  今日は勝山へ帰る日。例によって昨日も、孫達と風呂に入り、体や頭も洗ってやった。孫達は、「じいちゃんとばあちゃんが勝山へ帰る日」だと朝からわかっているようだ。長女は、「今は一緒にいるから握手ができるね」と、家内と抱き合って喜んでいる。パソコンでの対話では、顔も見られるし、話もできるが、握手はできないからだ。 

孫達と別れを惜しんだ新横浜駅

  息子は、我々を車で新横浜まで送ってくれるという。息子親子4人と我々合わせて6人が、新幹線の新横浜駅へ向かった。駅で、最後の食事をしようとしたが、朝たくさん食べたので、誰もあまり腹が空いていなかった。駅のレストランに入って軽いものを注文した。

 

  そして、孫達と別れた。孫達が、我々夫婦と息子夫婦の鎹(かすがい:二本の材木をつなぎとめるための両端の曲がった大釘。 転じて二つのものをつなぎとめる役をするもの。)になっている。 

  両親にとっては、“子は鎹”と言われるが、私たち祖父母にとって“孫は鎹”になっている。孫達が我々になついてくれるので、私たちは息子の家へ行きたくなる。今回の東京行きでも、観光よりも孫達に会うことの方がはるかに楽しかった。 

  その後、我々は、午後1時頃の新幹線に乗って、米原へ向かった。そして、白鷺に乗り換え、午後4時頃福井へ着いた。そして、えち鉄で勝山へ着いたのは、5時半頃だった。新横浜からは、自宅まで約4時間半ほどかかった。 

I podで津軽演歌に集中
  新横浜から、福井までの3時間あまり、I podでずっと一つの演歌を聴き続けていた。それは、島津亜矢さんの『流れて津軽』であった。私は、今、津軽演歌を作りたいと考えている。そのために、津軽三味線も習っている。 

  一曲を聴き続けた理由は、編曲を勉強するためである。プロは、どこでどんな楽器を使うのかを学ぶためである。尺八をどう使うのか。三味線をどう使うのか。オーケストラをどう使うのかなどを勉強になることが多い。 

 寝ていても、目が覚めると、頭の中を詞がよぎり、メロディーが浮かぶ。しかし、まだ形にはならない。
♪ 肌を刺す風 地を這う吹雪 ……♪ 

  いつになったら形になるだろうか。今年中には、形にしたいものである。  

新幹線の中から見えた富士山。外国人旅行者も盛んにシャッターを切っていた。

  

 
 
 

東京散歩

22 10月

文部科学省周辺散歩
  虎ノ門近くのホテルで起床。10時チェックアウト。歩いて文部科学省へ。周辺を散歩する。11時半に文部科学省へ入る。文部科学大臣出席のもと、表彰式があり、その後、『日本の教育の優れた点、問題点』と題して元文部科学大臣の有馬朗人氏の講演があった。 

有馬氏の講演内容(於:文部科学省講堂)

 

 
  その後、日比谷公園周辺を散策し、続いて、国会議事堂の周囲を一周した。警視庁による厳戒態勢が敷かれていた。田舎にいるよりもたくさん歩いて本当に疲れた。今日は、再び、息子の住む横浜へ戻って一緒に食事した。 

工事中の国会議事堂の前で