捜し物に時間を使わないために
私は、何にでも興味を持っているために、資料や道具は増える一方である。そして、使ったものは適当にしまっておくだらしない性格である。数日は片づけたものを覚えていても、長期間になったり、多種類になると何をどこへ片づけたのかは、自分では見つけることができない。
これまでは、人生の4分の1くらいは“もの探し”をしているようなものであった。しかし、そんなときでも、家内に聞くと大概は見つかるから不思議である。日曜大工の道具類であっても、殆どの場合見つけてくれるのである。私しか使わないようなものでも、結構探し当ててくれるのである。
自慢にならないが、家内がいなかったら2、3日も生活できないような人間である。そんな私ではあるが、家内が医大へ入院してしまったからにはもう頼れない。一人であれこれ探していると、時間はいくらあっても足りない。炊事・洗濯だけでもかなりの時間を要するのである。
10日余り一人暮らしをしてみて、これではいけないといろいろ考えることがあった。先ず捜し物に貴重な時間を使わなくてもよいように、先ずは、これまでは滅多に持たなかったが、小さな鞄を持ち歩くようにしている。
この中には、「車の免許証」、「デジカメ」、「携帯電話」を入れ、後はメモ帳やいくらかの現金を入れるようにしている。この鞄さえ持っていれば、もの探しをすることは結構少なくなるのである。
次は、自動車の鍵である。ワゴン車と軽トラックの鍵は必ず鍵場に掛けるようにしている。この他、テレビとビデオのスイッチも場所を決めて置いている。また、借りた本なども、置く場所を決めている。
「免許証知らない?」、「デジカメ知らん?」、「携帯どこかなあ?」、「のこぎり知らん?」、「ペンキ見なかった?」、「こんな本知らん?」……
などと言って家内に探してもらうことができないので、必ず所定の場所に戻すことに決めた。この他、まだまだいろんなものがあるが、それぞれ所定の場所へ置かなければならないと思っている。
考えてみれば、「ひとり暮らしの知恵」などと言うほどのことはない。これまで何度も家内に言われてきたことだからだ。とにかく、“もの探し”の時間だけは少なくしなければと思っている。
(日記:午前中は家内の入院している医科大へ。入院以来始めて風呂へはいることを許された。私が助手を務めた。これまでは、看護師さんに身体を拭いてもらっていたが、今日始めて風呂へはいることを許されたのだ。さっぱりしたとのことであった。
午後と夕方は、新民謡『片瀬豊年おどり』の最終吹き込み。また、毎日毎日とれるキュウリとナスの処分に困って誰かにあげていたが、それも大変なので、塩漬けにした。沢山のニガウリはジュースにして保存した。毎日があわただしい。)