これでいいのだろうか?
今、私の村では、秋の祭りを見直そうとしている。祭りの中身が非常に薄いものになっている。神主さんを呼んでの式典はあるものの、祭りそのものは、さみしいものになっている。少しでも祭りを盛り上げようと、子供会育成会や青年団などが、模擬店をやっているが、人はあまり集まらない。
最終的には、抽選会を行って人集めをしている。「これは次の世代に伝えなければならない」というものがほとんど見られない。各家庭で必ず行っていた報恩講のように、やがてはなくなってしまうのだろうか。
そこで、子供や大人のために、奉納のための芸能を考えようということになった。子ども達(特に女の子達)は、「浦安の舞」を始めようとしている。福井市のK神社にお願いして舞を教えてもらうよう話がついている。片瀬の女の子は、大人になるまでに一度は神前で「浦安の舞」を舞うことを伝統にしたいのだ。
一方、大人の方はどうか?私の村には銭太鼓やどじょうすくいが大正時代(もしかしたら明治末期)から伝わっている。一時廃れたが復活させ、祝儀があるとこれらを披露してきた。しかしそれも最近廃れかかっている。
それは、音楽が島根県の「安木節」であり、オリジナリティーがないからだ。従って、いつまで経っても郷土芸能にならないのだ。それで、これはこれとして、新しい歌と共に、新しい郷土芸能(銭太鼓入り)を作り出そうとしている。
その歌作りを私は頼まれたのである。新しい郷土芸能を作るのはよいが、たとえ他県の郷土芸能でも村に伝えてきたのだから、これを簡単になくすることはできない。私としては、やるからには、「安木節」に合わせた銭太鼓はこのままにしておいて、全く新しい郷土芸能を作り出した方がよいと思っている。
新しくても、例えば、私の作った「勝山小唄」はすでに40数年の歴史があり、今も踊り伝えられている。また、私の創設した『越前勝山春駒太鼓』も、すでに25年の歴史がある。「ものまね」はいつまで経って「ものまね」であるが、新しいものは、5年経てば5年の歴史が、30年経てば30年の歴史ができる。
そうは言うものの、村の郷土芸能(民謡)を作ることは簡単ではない。個人の趣味なら、簡単だが、村の人が歌い踊るとなると簡単ではない。
四苦八苦
チャレンジしてを始めてすでに5曲作ったが、どれも気に入らない。今日は、自分の趣味に時間を費やすことはやめて、朝5時に起床して、歌作りを始めた。午前中いっぱいかかってようやくメロディーができた。まだまだ十分ではない。しかし、明日の練習会までには何らかの形を示さなければならない。
メロディーを作ったら、次は歌詞作り、銭太鼓の振り付け、女踊りの振り付け、そして、男踊りの振り付けと、完成までにはまだまだすることがたくさんある。頼まれ仕事は本当に苦しい。出来不出来があるからだ。
それから、年配者に文句を言われる可能性もある。「よけいなことをしなくてもいい」と。一所懸命苦労して、文句を言われるのは苦しいが、すでに、実行委員会もでき、走り出している。
やっと、盆踊りが終わったと思ったら、次は祭りの郷土芸能づくりだ。パッと消えてなくなるか、それとも、村に定着するか、どうなるかだ。自分もやってみたいと村の人達が思えるような、魅力あるものを作ることは簡単ではないが、乗り出した船だ。後戻りはできない。とにかく、頑張ってみよう。
(日記:早朝より、午前中いっぱい新民謡づくり。午後は、ホームページに掲載する童話の整理。夕方は家内と2人で孫の守。いっしょに外食する。朝から、時々「津軽じょんから節」の練習。明日は個人レッスンがあるからだ。指が動かない。前途多難だ。)