税金で生活している人達へ
テレビを見ていたら「スウェーデンの消費税など」を話題にしていた。消費税は25パーセントであっても、国民は納得しているという。それは国家に対する信頼があるからだ。国家とは、国会議員を始めとする公務員、そしてそれらを支持する国民でもある。国会議員の数も、国会議員の報酬も日本に比べたら、比較にならないほど少ない。
もしも、国会議員が公用車を乗り回したり、不可解なお金を得たり使ったりして国民の信頼を失うようなことをやったら、当選しないというのだ。また、議員宿舎も日本とは比べものにならないほど、簡素なものだ。従って、国民は国会議員が先頭になって国をよくしようとしているのだと言うことを知っているのだ。
国会議員を信頼しているということだ。スウェーデン人は、税金は第二の貯蓄と考えている節がある。いつかは自分に返ってくることを知っているのだ。
消費税を下げようとしたら、国民が反対したとも聞く。税金はとられるものではなく、預けておくものだという感覚だろうか。貯蓄と同じようなものだと考えているのであろう。我が国とは大きな違いだ。我が国では、取られ損になるような感覚がある。
我が国では、国会議員は何をしているのだろうか?官僚は何をしてきたのだろうか?国家をどうこうするというよりも、高額な報酬を得て、自分のためにだけ頑張っているように思える。そんな議員達が税制を問題にし、税金を上げなければ国家が持たないという。
税金を上げる前に、なすべきことはないのか?今のままでは、国民は益々国家を信頼しないであろう。ビジョンなき国家はいずれ衰退し、崩壊に向かうだろう。権力争いに明け暮れている政治家を見ていると一番弱い人間が政治家をやっているのではないかとさえ思われる。
汗水垂らして働いている人達の税金で、生きているのだということをもっともっとよく考え、国民が困っている今こそ何をすべきかということを、全ての公務員は考えるべきだと思う。それにしても、与党の政策もあまりにも幼稚であるように思われてならない。
また、与党は、今は国政を論じるよりも、党の代表選のことで頭がいっぱいのように見える。国民を無視するのもいい加減にしろと言いたい。「ねじれ、ねじれ」というが、一党が過半数を取ること自体が不自然ではないか。多様な意見を調整して国民のための政治を行ってほしい。
(日記:午前、午後とも、ホームページづくりの勉強。少し先が見えてきたように思う。自分が学んでみると、授業の在り方も見えてくるような気がする。生徒の気持ちもよくわかる。)