書くことは生きること
私は書くことが大好きだ。ここ9年間、教育委員会勤めであったので、様々な式典や、大会などでは挨拶を考え、年度末に発刊されtる様々な機関誌や新聞などには巻頭言や挨拶文を書いてきた。どんなにたくさんの原稿依頼があっても、苦にはならなかった。
また、市民大学では童話講座を企画し、福井新聞『お話トントン』の選者藤井先生に講師をお願いしてきた。そして、初回の講座から、現在もずっと受講し続けている。さらに、退職の少し前から若い先生方に向けてメッセージを発したいということで、全く自信はないが小説の形で書き続けている。
8割は完成しているが、全体としてはまだ仕上がっていないので、冊子にはできないでいる。「書く」ということは、「考えること」であり、「生きること」でもあると私は考えている。これは、私が国語の教員でなかった気楽さがあるからかも知れない。多少拙い文章でも、自分さえ合点すれば恥を忍んで発表できる。
国語の教員だと、文章を書き、それを発表することは簡単ではないだろう。同様に、私は音楽の教員でもなかったので、下手な演歌を作ってCDにしたり、BGMを作って映像作品に挿入しているが、素人だからこの程度でもいいだろうと気楽に作品を発表できる。
今から、40数年前、青年部に属していた頃、部会誌に原稿を書くことになった。私は、言いたいことがあったが、それを童話の形で発表したことがある。言いたいことがストレートでない分、場合によっては意図したことが伝わらないかも知れないがそれはそれでいいと思っている。
市民大学で書いた童話の主人公は、人間もあったが、童話を主役にすることが多かった。犬や猫なら「野良犬」や「野良猫」が主役である。それは、自分に染みついた考えから来ているのかも知れない。組織の中で安閑としているのは自分の生き方としては向いていない。
組織を離れ、自力で行動したいという願望がどこかにあって、童話の主人公はいつもこうした動物になる。独立して生きることは厳しいが、喜びは大きいと思う。そんなたくましさが表現できればと思って書いている。でも主張がストレート過ぎたら童話としてはよくないかも知れない。ここが難しいところだ。
実際の社会では、誰もが独立して生きられるわけではない。組織にいても、独立心だけは失わないでもらいたい。これは私から若者達へのメッセージでもある。演歌のホームページに童話のコーナーを設けたいと思って今日は童話を整理した。
演歌と童話をつなぐものとしては、私の頭の中には「童謡」がある。近々「童謡」にもチャレンジしてみたいと思っている。することはいっぱいあるが、意欲がどこまで続くかが最大の問題である。
(日記:午前中、45年前に上小中学校で担任をした生徒2人が事務所へやって来た。45年お互いにいろいろなことがあったのだ。特に女性のKさんは日本一のオウレン畑を守ってきたという。テレビにも出演したらしい。製薬会社でも講演したという。一度、オウレン畑を見せてほしいとお願いした。秋がよいという。楽しみだ。その後、ホームページづくり。かなり形ができてきた。これまで書いた童話をパソコンから探し出して一まとめにした。パッソコンの中はまだまだ整理しなければならない。)