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Archive for 7月, 2010

小規模校は不利か

31 7月

平泉寺小中学校の思い出
 私の最初の赴任校は大野市の上庄中学校であった。当時の上庄中学校は、各学年4クラスの中規模の学校であった。ソフトボール、バスケットボール、スキー、ブラスバンド、水泳などが盛んな学校であった。

 その後、希望はしなかったが、突然勝山市の平泉寺小中学校へ転勤することになった。この学校は、幼稚園があり、小学校から中学校までが同じ敷地で生活を送っていた。

 中学校は、途中で2クラスになったが、それにしても規模の小さい学校であった。私は、専門の数学の他、音楽は中学校全クラス、美術は自分のクラスを持つというように免許以外の教科も指導することになった。

 当時は、中学校の学校再編が行われていて、中部中学校ができたところであった。ただし、その時点では、勝山中学校も存在していた。中学校は、勝山、中部、北部、平泉寺の4校であった。

小規模校の教員としてテレビ出演
 統廃合により、中部中学校は大きくなったのだ。まだその時点では、平泉寺は小中学校併設校であった。学校が大きくなるとこう変わるということで中部中学校でのテレビ局の取材が行われ、続いて、小規模校は大変だということを映像で紹介するために平泉寺へテレビ局が取材に来た。

 私が小規模校の教員の代表として、取材を受けることになった。数学の授業をしていたかと思うと、次は音楽の授業をしているということで、音楽室へ入る所や、子ども達が歌を歌っている場面が撮影された。そして、テレビで放映された。

 その後、平泉寺小中学校は、同じ敷地にいながら、平泉寺小学校と、勝山中学校平泉寺仮教場(平泉寺中学校)とに分かれた。その後しばらくして、勝山中学校平泉寺仮教場は、新しく開校した南部中学校に統合されてなくなってしまった。

 私の教員としての原点は、この平泉寺小中学校にあると思っている。教員としての基礎をこの学校で学んだと思っている。特に校長のN先生の考え方に大きく影響を受けた。私の第一の恩師である。

 特に、N校長が学校目標に掲げた「人間信頼の感情を育てる」は、今も古くはなってはいないと思っている。

「平泉寺に学べ!」
 私が中学校の担任であったときのことだが、校長にお願いして「子ども達を勝山中学校へ一日留学させてほしい」とお願いしたことがある。森の中にある1学年1クラスしかない小さな学校では、井の中の蛙になり視野も狭くなるだろうということで考えたことであった。

 そこで、1学年7~8クラスある勝山中学校へ一日留学して、町の中学生がどのような生活をしているのかを学んできてほしいという願いで、懇意にしていたT先生のクラスで4人の生徒達は、授業を受けることになった。

 実際にはどうであったかというと、T先生は平泉寺の子ども達のことを「4人の侍(だったと思う)」というタイトルで原稿を書いて下さり、その活動ぶりを紹介してくれたのだ。刺激を受けたのは、山の学校ではなく、町の学校の方だったのだ。

 T先生のクラスの成績は学年でもよくなかったそうだが、私のクラスの子ども達の影響を受けて、一気に成績が上昇したというのだ。そのために、今度は、「平泉寺に学べ!」とばかりに、勝山中学校の他のクラスの生徒までが、私のクラスへやって来て授業を受けるということになったのだ。

 運動面でも、数の少なさを補ってなお余りある活躍をしてくれた。学校長以下教職員と児童生徒が一丸となって、前向きに日々の学校生活を送れば、それなりの成果が上がり、学校の規模を乗り越えられるということを私は確信した。

 小規模校の不便さを表す代表としてテレビには出たが、小規模校イコール不都合であるとは今も思ってはいない(ただし規模にも限度はあるが)。今また、学校の統廃合が問題になっている。当時を思い出して書いてみた。

どこかなつかしい線香花火の光と音

 

(日記:午前中、仲間と話し合い。午前11時より、「ゆめおーれ」で夏祭りについて打ち合わせ。午後は、家内と共に和太鼓の消音のためのパッドづくり。和太鼓の練習で一番困るのは大きな音がすることだ。夜、孫達と花火。)

 
 

人づくりと野菜作り

30 7月

野菜と人の類似点
 私は、野菜作りにおいては、せいぜい家庭菜園での経験しかなく、確たる理論もない。しかし、一つ言えることは、両者とも手をかけただけ、それにこたえてくれるということである。

 また、丈夫な根っこを育てることが大切であることもよく似ている。人間も、基礎がしっかりできていなければ大きく成長できることはない。人間における基礎とは、前向きの精神、創造的な力、そして基礎的な知識であろう。

 知識だけでは、大きく育たないことは誰もが知っていることである。野菜も同様で、しっかりした根っこが育っていなければ、大きく育つことはなく、実りの時期を迎えても、十分な収穫は期待できないであろう。

我が家の野菜達。上左:米ナス 上中:長ナス 上右:巾着ナス 下左:桃太郎 下中:フルーツトマト 下右:ゴーヤ

我が家の野菜達 左:実り始めたオクラ  上右:玄関先で実る玉子瓜 下右:とうもろこし

 
我慢する力
 我慢のできない人間は、いざというときに力を発揮することは困難であろう。

 聞いた話ではあるが、花を育てる場合、水がほしい時期に、我慢させることが大切だということを聞いたことがある。植物は、水が十分得られないとなると、水を求めて根っこを伸ばすそうだ。

 ところが、いつも簡単に水を与えてしまうと、植物は、自ら根っこを伸ばさないそうだ。ひ弱な根しか持たないことになるらしい。いつも、保護者からモノやお金を与え続けられた子供は、水から求めようとしない。

 学ぶ意味も、働く意味も理解できないらしい。今の状況をもっとよくしようとする気持ちも起こらないらしい。こうした状況とは逆に、心身共に飢えた状況にある者は、よりよい生活を求めて、より充実した人生を送るために、自ら、行動を始めるのだ。

 “ハングリー精神”という奴だ。かつての日本人は誰もが持ち合わせていたのだ。誰もが“我慢する力”を持ち、向上しようとする気持ちを持っていたのだ。

 私達も、人間である前に、動物である。動物遠くの共通点を持っているだろう。動物から学ぶことを多く持っているはずである。

 私達は、動物である前に、生物である。植物と共通の部分があるのはおかしいことではない。

 大きく育つには、見えない根っこうの部分が大切だということだ。家庭菜園で野菜を育てながら、時々そう思うことがある。

(日記:午前中、定期検診のために済生会病院へ行く。午後、。家庭菜園の草取りなどの作業。)

 
 

映像編集は難しい

29 7月

入り口でつまづく
 私はパソコンをよく使う。パソコンのおかげで最結構人生を楽しく生きている。パソコンがあるからできることが多い。

 まず、歌作りだが、自分の好きな楽器を好きなように使い、歌を作るのだ。尺八も箏もある。三味線もあれば、種々のギターもある。ドラムもあれば、ベースも管楽器も弦楽器もある。これらをどのように使いこなすかは、非常に難しいが、楽しみでもある。

 次が、絵を描くことだと思っている。絵の具を使ったりすることなく、自分の好きなように絵を描き、失敗すればいつでもやり直すことができる。私が絵を描くのは、絵本であったり、絵物語で会ったり、ポスターを描く場合が多いので、これで十分だ。

 そして、今、最もマスターしたいと思っているのが、映像編集だ。

 今日の午後、Sさんが私の事務所へ来てくれた。映像編集について教えを請うた。私は、映像編集ソフトとして、「プレミアプロCS4」を使おうとしている。これまでは同じソフトのCS2だったが、退職を機にバージョンを上げたのだ。

 今までは、編集の部分だけは、自分でもできたが、最初から最後まで自分一人でやることはできなかった。常に誰かに頼っていたからだ。特に、DVDを編集しようとするのは、簡単ではない。プレミアで読み込めるファイルに返還しなければならないからだ。

デジカメでハイビジョン映像
 私の愛用のデジカメが壊れてしまった。修繕しようとすると、新しい品物を買う費用の半分以上になってしまう。結局、新しいデジカメを買うことにした。今のデジカメは、ハイビジョン撮影もできるのだ。

 とっさの場合には、デジカメでハイビジョン撮影ができるとなると、旅行などには都合がよい。でっかいビデオカメラを持って行く必要がない。

 しかし、映像編集となると、いろんな壁が立ちはだかる。何とか自立したいと思っているのだが、これらの壁は低くはない。

 第1の壁は、まず、手持ちの映像をプレミアプロが読み込めるファイル形式にしなければならないということだ。そうでなければ編集どころではない。ここを乗り切らなければならない。

 第2の壁は、編集だ。つなぎ目を工夫したり、どうこでどう映像をつなぎ合わせるかなど、いろんな技術が必要になってくる。技術がなければ編集が単純になるだけだ。

 第3の壁は、これをふたたびDVDなどに書き出すことだ。これでようやく、映像編集が終わるということだ。今日はこの第1の壁についていろいろ教えてもらった。しかし、マスターしたとはとても言えない。

編集は自分でしたが、最初と最後の部分(第1と第3の壁)は他人の助けを借りて作った成人式DVD(映像カラオケ)

 

孫といっしょに和太鼓を
 今日は時々、孫に簡単な和太鼓のリズムを教えた。左右交互に打つことは幼稚園児でも比較的簡単だ。しかし、例えば、左手を2回続けて打つとなると簡単ではない。

 今日は、和太鼓の第1の壁である「たとんと(右・左・左)」というリズムを教えた。このリズムがたたけるとかなり和太鼓らしくなる。夕方にはマスターしてくれた。一日に何度も「教えてやる」という態度をとると孫は太鼓がいやになってしまう。そこで、直接孫に教えるのではなく、家内に教えてみた。

 すると、今度は、孫の方から積極的に打とうとしてきた。作戦成功である。孫が家内に教えようとするのだ。調子に乗って私は孫のために練習用のCDまで作ってしまった。孫と二人で太鼓が打てたら楽しいだろうなと思った。

(日記:午前8時より『農事法人かたせ』の農舎の棟上げ式に出た。鉄骨一部2階建ての建物だ。午後は、事務所でSさんに映像編集を教わった。時々孫に和太鼓指導。5歳の孫のために和太鼓練習用CD作成。2歳の孫と風呂に入った。)

 
 

牛に引かれて……

28 7月

孫達のおかげで海水浴に
 子ども達は水が大好きだ。我が家の孫達も例外ではない。夏休みにはぜひとも孫達を海へ連れて行きたいと思っていたが、今日はみんなの都合がよくて鷹巣海水浴場へ行くことになった。

 先ずは、我が家の孫二人とその母親(息子の嫁)、家内の5人で福井へ向かった。途中で長女とその子ども(孫)を乗せて鷹巣へ向かった。平日に海水浴ができるなんて嬉しい限りだ。

 海へ着くなり、我が家の孫が海へ入ろうと言い出す。少し休みたいのだが、早く、早くと急かせる。午前中に2回、午後1回の計3回も海に入ることになった。

 我々夫婦だけだったら、おそらく海水浴には来ていないだろう。仮に来たとしても、1回海に入ったら、後は浜茶屋で海風に吹かれて昼寝でもしていたことだろう。

 ところが、孫達は一度海に入るとなかなか上がろうとしない。しかし、孫達のおかげで海へ来られたし、何度も海へはいることができた。“牛に引かれて善光寺参り”ならぬ、“孫に引かれて海水浴”であった。

 疲れたが、充実した一日だった。

3人の孫と娘や息子の嫁と鷹巣海水浴場で泳ぎを楽しむ

 
和太鼓……新曲にチャレンジ
 午後7時からは和太鼓の練習だ。日曜日の越前大仏の和太鼓演奏について反省し、今日は新たな曲を練習した。8月15日の『ふるさとの踊り大会』を少しでも盛り上がるために踊りが始まる前に和太鼓演奏を行うのだ。

 みんな仕事を持っているので集まるのは簡単ではない。しかも、福井へ行っている者も多く、練習開始時間にも制約が多い。それでも、和太鼓をやろうとするその心意気は大いに買いたいものである。

 先ずは、手で机をたたいて曲の流れをつかみ、曲を覚えるのだ。太鼓は、大きな音がするので、練習をするにはいろいろと苦労が多い。近所に迷惑をかけているのでは、話にならない。

 そんなわけで、今日は曲の流れをつかむ練習をした。

(日記:内孫、外孫の3人を連れて鷹巣海水浴場へ泳ぎに行く。午後6時過ぎ帰宅。午後7時半より午後9時半まで和太鼓の練習。)

 
 

津軽三味線と盆踊り練習会

27 7月

早速「津軽三味線」の師匠に弟子入り
 このブログで知り合っ河間弘明さんが津軽三味線を持参して私の事務所(山児童館)へ来て下さった。民謡や三味線音楽などについて話し合いました。

 河間さんは、私の同年生まれであることが分かりました。ただ私の方が早生まれで学年は一つ上ですが、ほぼ同い年です。目の前で津軽三味線の新節や旧節を弾いて下さいました。

 かねてより私は和太鼓の曲を作るためにも津軽三味線を習ってみたいなあと思っていました。そして、全く偶然ですが私のブログから教えて下さる先生が目の前に現れたのです。

 せめて『津軽じょんから節』だけでも弾けたらなあと思っていました。そして、河間さんに個人指導をしていただけないかをお尋ねしました。河間さんは快諾して下さいました。

 河間さんはこの瞬間から私の先生になったのです。月に2回個人レッスンを受けることになりました。次回から始まるのですが、早速今日は津軽三味線の技法の一つを教えた下さいました。

 指が動くかどうか分かりませんが、何とか『津軽じょんから節』をマスターしてみたいと思っています。そして、和太鼓の曲作りに役立てたいと思っています。二人は、2時間も話し込んでしまいました。

私の事務所で『津軽じょんから節』を聴かせて下さった河間弘明さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

孫も参加して盆踊り練習会3日目
 午後7時より教育会館ホールで盆踊り練習会を開いた。今日から、練習時間を夜に設定した。人によっては昼間の方がよいといい、人によっては夜がよいという。そこで、3回目の今日から練習会を夜にした。今日は歌を歌うMさんも練習に参加してくれた。

 次回からは尺八も加わるようお願いしてある。少しずつ練習会も盛り上がりを見せ始めている。残念なことは、女性がほとんどだ。今日嬉しかったのは、20歳代の女性も参加してくれたことだ。

 途中で、息子の嫁と二人の孫娘も顔を出してくれたことだ。夏休みで帰省中だが、家内の前後で踊りに参加してくれた。他にも子ども連れの女性がい多賀、嬉しいことだと思う。

 今、私の心に負担となっていることは、この盆踊り復活のアクションだ。いかに、多くに人達に参加してもらうかということだ。一人でこんなことはできるはずがない。多くの人達の参加を得ながら、今日まで来たのだ。

 本番で、天候はどうなるのだろうか。人の集まりはどうか。いろんなことが脳裏をかすめる。一人でも多くの人達に参加してもらうには何をどうすればいいのか、悩みながらの毎日である。

上:浴衣を着て参加してくれた人達のおかげで練習会が盛り上がった。下:私も皆さんといっしょに盆踊りの練習(家内が撮影)

二人の孫も見よう見まねで盆踊りの輪の中に入ってくれた(途中から息子の嫁も)

(日記:午前中、パソコンで演歌づくり。午後事務所(児童館)の整理。午後4時より津軽三味線の河間氏がやって来て音楽談義に花を咲かせる。午後7時より盆取り練習会。)

 
 

田舎の良さを孫達に

26 7月

夏はやっぱり水遊び
 一昨日帰ってきた孫達が約1ヶ月間が我が家で生活することになった。昨年から横浜に住んでいるが5歳と2歳の内孫である。幼稚園の夏休みということで勝山で過ごすことになったのだ。  

 息子は、1ヶ月間は単身赴任である。息子の嫁も孫達と勝山で過ごすからだ。息子は今日一人で横浜へ帰っていった(職場は東京)。  

 田舎の良さを孫達に味わってもらいたい。口で説明するよりも、いろんなことを体験させてやりたいと思う。特別なことをするのではなく、自然な形でよい思い出を作ってやりたい。  

 今日一日は休養を兼ねてのんびり過ごそうと決めた。昨日とうってかわって、ゆったりと時間が進む。今日は半日は孫達の相棒をすることに決めた。  

 午前9時頃から家の前へビニールのプールを設置し、隣にでっかいプラスティックの桶を置いて井戸水を入れた。そして、脚立にピーチパラソルをくくりつけた。暑ければ太陽の移動と共に場所を変えればいいのだ。  

 午前10時頃孫達はプール遊びを始めた。様々なおもちゃを使って水遊びを始めた。じょうろでみずを汲んだりお互いに水をかけ合ったり、浮き輪で遊んだりして夢中になっていた。  

 おやつは、我が家で育てたでっかい完熟トマトである。普段はあまり食べないそうだが、二人とも夢中になってトマトを食べ、お代わりをした。途中で私にもプールに入れという。何度も言うので、水泳パンツに着替えて孫達とビニールプールに入った。とても気持ちがよかった。  

 昼食後、下の孫娘と昼寝をした。退職以来、初めてのんびりした一日を過ごしたように思う。  

 私も、昔、母親の実家で夏休みを過ごしたが、その思い出は今でもはっきりと記憶に残っている。九頭竜川が近かったので水遊びも印象に残っている。焼いた川魚の味もかすかに思い出として残っている。  

 母の実家でのよい思い出を孫達にも伝えたいと思う一日であった。今年も、孫達を海や川へも連れて行ってやりたいと思う。孫達のおかげで私はこの年になっても海水浴ができる。有り難いことだ。  

トマトは畑で
 孫達は、トマトは八百屋やスーパーで買うものだと思っているだろう。そこで、水まきを兼ねて孫達を家庭菜園へ連れて行った。そして、紅いトマトを自分の手で取らせた。  

 今まであまりトマトを食べなかった孫達も、我が家の完熟トマトには目がないのだろう。おやつにも、ご飯の時にもたくさん食べてくれた。これからは毎日完熟トマトを食べるさせてやることができる。  

 田舎の者は私に限らず。自分の作った作物を有り難いといって食べてくれる人がいることはとても嬉しいと思うものだ。自分の身内となればなおさらだ。  

 トマトの他にも、なす、キュウリ、オクラ、ニガウリ、ササゲ(豆)、そして、もうじきトウモロコシや瓜類も実るだろう。夏休みのうちに孫達にうんと食べさせてやりたいものだ。  

家の前に設置したプールで水遊びに夢中になる孫達。脚立にくくりつけたピーチパラソルの中で、家内が孫達の遊び相手をしている。

 

(日記:孫達とプール遊び。午後は孫と昼寝。夕方は孫達と水やりを兼ねて野菜の収穫。その後、自作演歌のCD化。夜はウナギ。午後9時過ぎに区長がやってくる。今年の村祭りについて話し合う。村祭りの活性かを願う区長に協力したい。 

家庭菜園でトマトを収穫する5歳の孫娘

 

でっかいトマトに大喜び

 
 

久々の『春駒太鼓復活』

25 7月
『春駒太鼓』復活に感謝
 今日は『越前大仏夏祭り(灯籠祭り)』の日だ。ここで、久々に復活した『越前勝山春駒太鼓』の演奏を行う日だ。高校時代の部活動の時のようには練習に十分な時間をとることが出来ない。そんな条件の中で、高校時代に和太鼓をやっていた5人の若い女性が名乗りを上げてくれた。

 先月のことである。約1ヶ月あまりの短い期間ではあるが、それなりに練習してきた。今日も越前大仏の門前町に午前9時に集合した。しかし、一人は福井での仕事があり全員が揃わない。午後は、別の一人が福井で仕事があるために福井へ向かう。

 全員が揃ったのは、午後4時頃。約1時間しか全員で練習できなかった。こうした条件の中で、午後6時20分頃、本番が始まった。そして、あっという間に終わってしまった。今日初めて演奏した曲もある。桶胴太鼓を担いで演奏する『春馬』だ。

 まだまだ練習しなければ身体が覚えないが、初めてにしてはまあまあかなと思った。楽器を全て片づけた頃には午後8時を過ぎていた。久々の和太鼓演奏で、私は主に篠笛を吹いていた。5人のメンバーには感謝したい。

 今日一日でかなり汗をかいた。かなり水分を補給した。和太鼓の準備や後片付けでかなり腕の筋肉を使った。正に肉体労働であると思った。文化系の活動であるというよりも、体育系の活動であると言ってもいいくらいだ。

 ところで、今日の大仏の祭りだが、年々さみしくなる。越前大仏の木村監院さんと根本的に考え直さなければならないと話した。時間をつくって大仏について私見を述べたい。

(日記:大仏の夏祭りに和太鼓をたたくために、終日、楽器運搬、練習、本番などに明け暮れた。孫達も太鼓を見に来ていたが、ろくに相手をすることができなかった。)

初めて演奏した新曲『春馬』

 

チームのテーマ曲『春駒囃子』を演奏するメンバー

 

チャッパを使った楽しい演奏

 

女性には過酷な大太鼓の演奏をするメンバー

 
 

授業とは

24 7月

授業は教師の命
 教員になれば誰もが等しく行うのが、授業である。この授業であるが、うまくいったと思えることは少ない。というよりも、個人の中で常に進化し続けるものであると考えた方がよいかも知れない。

 私はずいぶんたくさんの授業をしたと思っているが、一方ではかなり沢山の授業も見てきた。そして、自分の授業観も年齢と共に変わっていったと思っている。

  授業は、説明ではない。少しでも児童・生徒がよく分かるようにあの手この手を使って理解させることでもない。別の言い方をすれば、教科書を教えることではない。教科書で教えるといった方が当たっているかも知れない。

 他人よりも、知識の量が少しでも多い子どもを育てるよりも、未知のものを探求しようとしたり、学ぼうという意欲を持った子供を育てる方が大切であろう。今の時代は、その気になればいくらでも学ぶチャンスはあると思う。

 大切なことは自ら学ぼうとする子どもを育てることである。となると、教科書を教えているだけでは子ども達にそのような気持ちを育てることはかなり困難である。教科書を使いながら、子ども達が、自ら考え、自ら解決しようとする気持ちを持たせることが必要であろう。

大人の背中で育てる
  子どもに向かって親や教師が「夢を持ちなさい」ということは簡単である。よほどでない限り、そうしたメッセージは子ども達に伝わり難いであろう。それよりも、大人自身が自分の夢に向かって努力する姿を見せることの方が大切であろう。

 「もっと生き生きとしなさい」と子どもに向かっていうよりも、その言葉を発する人間が生き生きとすれば子どもにもそれは伝わるはずである。言葉で教えることができることと、言葉では伝わりがたいものがある。

 私も数学を選んだが、大学で数学を学ぶ楽しさを常に口にする教授の姿を今も忘れない。「数学を学ぶことが楽しくない人間は、数学を学ぶ意味がない」というようなことをおっしゃったことを今も覚えている。

 楽しそうに数学について語るその姿は今も私の脳裏に焼き付いている。

 何歳になっても、日々の生活を楽しむ心の余裕がほしいものである。教員を目指す人、現在教員である人に贈る言葉があるとすれば「教師という仕事を楽しんでほしい」という一語に尽きる。

 どうすれば、子ども達を意欲的にできるか、創造的な人間にすることができるのか、そんなことを考えながら、あれこれ思案することは教師冥利に尽きる。苦労は多いが、楽しい取り組みであり、やりがいのある仕事であろう。

(日記:午前中、越前大仏へ和太鼓を運搬。午後は、車庫や部屋を清掃。まもなく息子の家族が帰ってくる。孫達との再会が待ち遠しい。)

 
 

デスクワークから肉体労働

23 7月

机仕事を離れて
 退職してから、体重が4kgほど減った。標準的な体重になった。ダイエットをしたわけではない。毎日汗をかくからだ。1日に2、3回は下着を替えたり、シャワーを浴びたりしなければならない。

 これまでは、夏はクーラーの効いた部屋で、冬は暖房の効いた部屋で仕事をしていることが多かった。汗をかくことが皆無ではなかったけれど、今ほどではない。

 今は、下着どころか上に着ているシャツまで汗で濡れてしまうほどだ。一日に何度も着替えなければならない。腹回りもだいぶすっきりしてきた。

 今日は、朝、6時頃から日曜大工を始めた。長胴太鼓の台を作るのだ。私は長胴太鼓を5個持っているので、キャスターの付いた台を5個作るのだ。木材は全てのこぎりで切った。正に力仕事だ。腕がとても疲れた。

 移動しやすいように、車を着けた。完成したのは、午後5時過ぎだった。かなりの長時間の作業だった。特に、途中で和太鼓を一人で越前大仏の門前町まで運んだ。日曜日に行われる越前大仏の夏祭りに出演するためだ。

 午後8時頃から、和太鼓の練習を始めた。私以外は働きながらの練習なので、なかなか大変だ。特に日曜日も仕事があるものが多いのでなおさらだ。それでも和太鼓をやりたいという若い娘らの気持ちはとても有り難い。

筋肉が悲鳴を
 せめて裏方だけは頑張りたいと思って、楽器を運ぶのだが、この暑さには参ってしまう。若い頃はそんなに感じなかったが、今は太鼓の重さが身体にこたえる。筋肉が痛くなる。呼吸をしても横腹が痛くなった。筋肉痛だろうか。

 この調子で毎日生活していたら、筋肉も付くのではないかと思われるが、その前に身体が悲鳴を上げるのではという心配も頭をよぎる。身体と相談しながら、肉体労働とつきあっていきたい。

(日記:早朝より午後5時過ぎまで木工作業。7時過ぎに家内達の夏祭り練習を覗きに行く。私の作った『勝山よいとこ』などを踊ってくれるらしい。3曲踊るなら1曲は愉快なものをやるようにアドバイスした。その後、和太鼓の練習。帰宅は午後11時頃だった。メンバー全員が揃ったのは午後10時頃だったので遅くなった。)

 
 

時間を主体的に使う

22 7月

午前4時起床
 年をとると夜いくら遅く寝ても、朝は決まって5時過ぎに目が覚めてしまう。私は寝付きはいい方だ。床に入ってだいたい5分で寝てしまう。しかし、一端目が覚めると、2度目は寝付きが悪い。昨日は、12時過ぎに寝たが、朝4時頃目が覚めてしまった。

 日中は暑いということで家内は、午前5時に畑へ出かけた。私も、午前5時から庭の草取りをした。まだ朝日が昇っていないので、涼しく作業をすることができた。

 周りの人に聞いても、朝早く行動する人は多い。役所勤めの時は、早朝家庭菜園へ行くことはできなかったが、今はいざとなったら昼寝をすればいいという頭があるので時間に縛られることは少ない。

「ひまですか?」
 昨日まで和太鼓を教えていたDさんは、個人的に和太鼓の練習をしたいときに私に次のように問いかける。

 「明日、ひまですか?」

と。返答に困る。“ひま”とは、私の考えでは“することが全くない状態”をさす。「ひまですか?」と問われて「ひまじゃない」と答えると、おそらく彼女は忙しくて個人指導は無理だと思ってしまうだろう。

 それなら、「ひまです」と答えると、することがなくて毎日をぶらぶらと過ごしているように思われてしまうだろう。「ひまですか?」と問われたときの私の本当の答えはこうである。

「全くひまではない。現役時代と同じく毎日がとても忙しい。自分のやりたいこともあまりできないほど忙しい。毎日することがたくさんあり過ぎてとても24時間(1日)には収まらない。しかし、現役時代と一番異なることは、スケジュールをやりくりすればいくらでも自由な時間を生み出すことができる。だから、あなたに和太鼓を教える時間もつくれる。しかし、ひまではないですよ。」

 退職した今、現役時代と一番異なることは、“時間を自分の納得のいくように主体的に使うことができる”ということである。

 旅行へ行きたければいつでも行けるし、ショッピングにもいつでも行ける。産業支援センターの講座を受けたければ申し込んで参加することもできる。盆踊りの復活に自分の時間を使うこともできる。時間に、縛られることは少ない。

 ひまだから何かをやっているのではなく、やりたいからいろんなことをやっているのである。生きているという実感がある。人生は、やはりこうでなければならないと思う。現役時代には全く味わうことのできなかった感覚である。

(日記:午前中、自宅の周りの草取り。絨毯洗い。日中はとても暑いので、午後は、まず昼寝。昼寝は退職してから3度目。その後、家庭菜園作業。夜は孫達とウェブカム。孫達はいつもダンスを見せてくれる。比較的のんびりした一日だった。)