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人づくりと野菜作り

30 7月

野菜と人の類似点
 私は、野菜作りにおいては、せいぜい家庭菜園での経験しかなく、確たる理論もない。しかし、一つ言えることは、両者とも手をかけただけ、それにこたえてくれるということである。

 また、丈夫な根っこを育てることが大切であることもよく似ている。人間も、基礎がしっかりできていなければ大きく成長できることはない。人間における基礎とは、前向きの精神、創造的な力、そして基礎的な知識であろう。

 知識だけでは、大きく育たないことは誰もが知っていることである。野菜も同様で、しっかりした根っこが育っていなければ、大きく育つことはなく、実りの時期を迎えても、十分な収穫は期待できないであろう。

我が家の野菜達。上左:米ナス 上中:長ナス 上右:巾着ナス 下左:桃太郎 下中:フルーツトマト 下右:ゴーヤ

我が家の野菜達 左:実り始めたオクラ  上右:玄関先で実る玉子瓜 下右:とうもろこし

 
我慢する力
 我慢のできない人間は、いざというときに力を発揮することは困難であろう。

 聞いた話ではあるが、花を育てる場合、水がほしい時期に、我慢させることが大切だということを聞いたことがある。植物は、水が十分得られないとなると、水を求めて根っこを伸ばすそうだ。

 ところが、いつも簡単に水を与えてしまうと、植物は、自ら根っこを伸ばさないそうだ。ひ弱な根しか持たないことになるらしい。いつも、保護者からモノやお金を与え続けられた子供は、水から求めようとしない。

 学ぶ意味も、働く意味も理解できないらしい。今の状況をもっとよくしようとする気持ちも起こらないらしい。こうした状況とは逆に、心身共に飢えた状況にある者は、よりよい生活を求めて、より充実した人生を送るために、自ら、行動を始めるのだ。

 “ハングリー精神”という奴だ。かつての日本人は誰もが持ち合わせていたのだ。誰もが“我慢する力”を持ち、向上しようとする気持ちを持っていたのだ。

 私達も、人間である前に、動物である。動物遠くの共通点を持っているだろう。動物から学ぶことを多く持っているはずである。

 私達は、動物である前に、生物である。植物と共通の部分があるのはおかしいことではない。

 大きく育つには、見えない根っこうの部分が大切だということだ。家庭菜園で野菜を育てながら、時々そう思うことがある。

(日記:午前中、定期検診のために済生会病院へ行く。午後、。家庭菜園の草取りなどの作業。)

 
 

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