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Archive for 5月, 2010

一年中、お祭り気分でいいのか?

21 5月

毎日がお祭り気分
 どうも最近は、一年中お祭りのようである。食べ物を考えてみても、以前なら祭礼時にしか口に出来なかったご馳走が簡単に毎日でも手にはいる。

 一年に数回しか見られなかった映画が、今ではテレビなどで自由に見られる。また、録画装置や安価のDVDのおかげで映画も家庭で見られるようになった。

 今では、昔、村の道場で見たアドリブ入りの無声映画が懐かしくさえ思われる。

 テレビの番組を見ると、バラエティーと称するドタバタが多いが、これらもお祭り風である。年がら年中落ち着きがなく、あまり見る気もしない。このような番組が多いのも、視聴者のニーズがあるからだろう。

 こうしたマスコミの影響によって、タレントの日常を若者が真似ているように思われる。流行に乗って、今や若者のファッションや身のこなしは、さながらタレントのようである。また、好きなものを食べ、好きなファッションに身を包んでいる様は、まるで毎日がお祭りのようでもある。

 毎日お祭り気分でいるために、本来なら家庭ですべき事がどんどん社会化(社会に任せる)されて、家庭は存在感と求心力を失っている。言い換えれば、“生活のお祭り化”のせいで家庭が顧みられなくなっている。

 休みともなれば、繁華街をほっつき歩かなければ時間を過ごせない者が増えているのではなかろうか。絶えず刺激を求める生活には限界がある。なぜなら、刺激はより強いものを求めたくなるからである。

 日常生活で実現できないことを仮想の世界で体験すべく、多くの者がインターネットのオンラインゲームにはまり、膨大な時間を費やしている。デジタル放送が始まり、テレビが多チャンネル化し、携帯電話がゲーム機器化し、人はバタリー鶏舎のにわとりのごとく与えられたえさ、つまり与えられた番組を鵜呑みにするだけになる。考える時間もないまま、時を過ごすことになる。番組内容も、より暴力的に、より刺激的に、より性的になっていくだろう。

地に足をつけて生きたい
   しかし、毎日お祭り気分でいられるはずがない。どこかでひずみが出てくるであろう。地に足をつけて生きていきたいものである。

 祭りの後の虚脱感は、年に一度の祭りに全力で取り組んだ者だけが味わう充実感と寂しさが複雑に絡み合った感情であ里、明日へのエネルギー源となるであろう。

 しかしながら、毎日が祭りとなると毎日が虚しくなりはしないか。一人でいるときに、孤独感を持つことはないのか?昔なかった「無縁社会」という言葉も、生まれるはずである。

 少なくとも私は、ここは一つ、己の生活するスピード以上を求めず、地に足をつけて、“時には一人”で、“時には仲間”と心豊かに生きていける何かを見つけたいものである。本気で取り組む祭りは年に一度だけでいい。

(日記:終日、事務所とする山児童館の整理整頓)

 
 

北陸三大祭り『三国祭り』

20 5月

勇壮な武者行列
 これまで一度は見たいと思いながら、なかなか実現にしなかった『三国祭り』を見に行くことにした。インターネットによれば「駐車場が少ない」とある。 
 午前八時半に自宅を出た。三国の町は不案内なので、三国港駅へ直行した。そして、まず駅に車を止めた。ここから逆に電車で三国神社駅まで戻る積もりだった。

 1時間ほど車の中で、休憩した。といっても、持参のギターで演歌作りを行った。そして、電車で三国神社へ出かけた。

 神社前には、すでに6基の山車(やま)が神社に向かって勢揃いしていた。

三国神社前で方向転換し、町内巡行に向かう5番山車(上・下真砂区)の「徳川家康」

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
港町に響く子ども達の祭囃子
 12時半に、全6基の子ども囃子方が一斉にお囃子の「しっちょうめ」を共演した。演奏して、午後1時より山車の巡行が始まった。
 1番山車……森町区「坂本龍馬」
 2番山車……玉井区「朝倉義景」
 3番山車……北末広区「浅井長政」
 4番山車……松ケ下区「勧進帳・弁慶」
 5番山車……上・下真砂区「徳川家康」
 6番山車……三国祭保存振興会「加藤清正」
 狭い露地にたくさんの露店が並ぶ中をそれぞれの山車が進んで行く。山車が通る間は、各露天商はテントを上げて、通りやすくするのである。一見、こんな狭い露地を山車が通ることができるのかと思われるのだが、山車は右へ左へと舵を切りながら進んでいくのである。

露店のテントを上げた中を進む4番山車(松ケ下区)の「勧進帳・弁慶」

 そのたびに、車がぎしぎしと音を立てて進む様はなかなかの迫力である。やはり一度は見ておくべき祭りだと思った。
 三国へ来て、普段会えない人に会うこともできたし、勝山の人達に会うこともできた。この日、三国の小・中学校は休校で、三国高校は中間試験の最終日ということで、次代を担う子ども達が祭りに参加しているのが印象的であった。
 また、青年層から高齢者までが、山車に関わっているのも素晴らしいことだと感じた。途中であったTさんによれば、以前は13年に一度山車を出すだけだったが、今は8年に一度山車を出す当番が回ってくるということであった。
 運良く小学生時代に当番がまわる地区の子どももいれば、そうでない子どももいるということで、山車の中にいて囃子方を務める小学生達も運によって決まるだなあと思わずに入られなかった。
 なにはともあれ、一度は見たかった三国祭りを堪能できたことは大きな喜びであった。帰宅すると5時半を少しまわっていた。
(日記:三国祭り見物。夜、市役所の猪野瀬会による送別会があった。)
 
 

いけ~面ズクラブ

19 5月

元気な高齢者
 昨日の法人の田植えの際に、80歳のNさんと一緒になった。雑談の中で、歌の話になった。Nさんが歌好きであることを私はよく知っているし、Nさんも私が音楽好きであることを知っている。

 またNさんが、歌のクラブに入って活躍していることも私はよく知っている。話の中で、Nさんは最近新しいクラブにも入ったという。

 「明日、会に行くけどいっしょに行かんか?」
 「何時頃行くんですか?」
 「12時半に行くけど」

 ということで、私も行ってみることにした。南小学校近くで待ち合わせ、別の車でNさんの車の後について出かけた。

 美山町の『集』という喫茶店に着いた。一緒に勝山のKさんもNさんと一緒だった。そして、ママさんに紹介され、自分も自己紹介した。
 途中で、ママさんのご主人のHさんも現れた。話が弾んだ。

歌の力
 Hさんは、69歳で会のリーダーだった。会の名前は“いけ~面ズクラブ”。耳で聞いていると「イケメンズクラブ」に聞こえる。

 新聞やテレビで人気が先行し、あちこちから出演依頼が来ているという。リーダーのHさんは、
 「会に入ってください」
と、熱心に誘って下さった。
 「今のところ、入会は勘弁してください。その代わり、私のできることは何でもしますから」
と、約束した。

 いろんな施設へ出かけ、ボランティアとして、歌を歌い、お年寄り達を喜ばせ、自らも楽しむ“いけ~面ズクラブ”のみなさんの活動は、高齢化社会の今こそとても意義のあることだと、思った。

 老人世帯、孤立化するお年寄り達、老々介護、様々な病気、……、高齢化社会の問題は少なくない。しかし、こうして仲間をつくり、元気に生き甲斐を見つけて頑張る人達を見ていると勇気が湧いてくる。みなさんの活動はとても素晴らしいことだと思う。

 みなさんのために、私は何ができるかを考えながら、美山を後にした。

(日記:CD製作。午後、美山町へ。帰宅後、雨の中をいちごのネット張りをした。カラスにいちごを食べられないように。)

 
 

童話講座始まる

18 5月

市民大学講座
 平成22年度の市民大学講座で、童話教室が始まった。午後7時に教育会館で、今年も藤井則行先生を迎えて第一回目の講座が始まった。

 メンバーは、いつものメンバーである。主婦、教員、事務員などさまざまである。読書が好きで、読み聞かせなどに参加している人もいる。

 今日は、小学校1年生の国語の教材にある童話『くじらぐも(作:なかがわりえこ)』と『おじさんのかさ(作:佐野洋子)』を題材に、なぜこのような童話を書くことになったのか、どこがすばらしいのかなどを学ぶことができた。

 私は、創作できることに無上の喜びを感じている。何であれ、創作することは、私の生きがいでもある。何をテーマに、誰を主人公に、どんな展開で話を作るか、簡単ではないだけに、やりがいもある。

 今年はこの講座も最後になるらしいので、その後は、童話サークルでもできないかと考えている。孫たちが喜ぶ話を作りたいというのが今の私の願いである。

藤井則行先生の童話講座

終日、肉体労働
 午前8時より、田植えの助手を務めた。『農事法人・かたせ』にわずかではあるが、田んぼを預けて米作りをしていただいている。田植えの時期に、2回だけ割り当てが回ってきて、田植え作業に出なければならない。

 途中で休憩らしい休憩もなしに、5時過ぎまで働くのは、事務的な仕事しかしてこなかった私にはかなりハードな一日であった。

 しかし、いつもとは異なる満足感を得ることもできた。改めて、田んぼを守っていくことは困難なことであることを実感した一日でもあった。

 
 

多忙な一日、ジオパーク講演会 

17 5月

和太鼓教室
 今日は授業の変更で1限目に、北部中学校の『選択音楽・和太鼓』が」行われた。今日は練習を始めて2回目の授業だが、6人ずつ3班に分けて、1班ずつ本物の和太鼓をたたくことにした。3班は4人の女生徒と音楽教師と外国人英語指導助手のカミルさんの6人だ。

 生徒達も、結構うまく太鼓を叩けるようだ。文化祭出場を目指しているが、先が見えてきたように思う。二人の先生も、かなり上手だ。

日曜大工二日目
 帰宅するとすぐ着替えて、畑の側にある小屋の作業に取りかかった。時間がもったいないので、家内に弁当を持ってきてもらった。昨日は、冷やし中華、今日はカレーライスに野菜サラダ。

 しばらく休んで、1時前に作業を再開した。かなり疲れた。間だ、一日はたっぷりかかりそうだ。夜の講演会のために5時過ぎに作業をストップした。

 小さな作業小屋に5段の棚を作っています。平面では整理できなかった種々雑多なモノをなんとか整理したい。

ジオパーク講演会
 午後7時から、ジオパーク講演会に参加した。演題は「地球の営みを知り楽しむジオパーク」で、講師は、日本ジオパーク委員会委員で、ジオパーク活動・ジオツーリズムにも精通している加藤碵一先生であった。

 勝山市は、『恐竜渓谷ふくい・勝山ジオパーク』として、日本ジオパークに認定されている。

 ジオパークとは何か、世界のジオパーク、国内のジオパークの様子などを聞かせていただくことができた。

 忙しい一日だった。

 
 

サンデー・カーペンター

16 5月

菜園用具小屋の戸棚作り
 今日は、終日、家庭菜園の用具を入れるミニ小屋(3畳弱)の戸棚作りを行った。これまでは、ミニ耕耘機、鍬、スコップ、鎌、肥料、水中ポンプなどを乱雑に入れておいた。そのために何かを取り出そうとするととても大変だった。

 いつかは戸棚を作って中にあるものを整理したいと思っていたが、なかなか時間が取れなかった。今回ようやく時間を取ることができた。材料は、昨日のうちに運んでおいた。

 新しい材料を買おうとしたら、家内が「買わなくても家にある古い材料を使って!」というので、やむなく、車庫の二階を探したら、いつかは使えるだろうと思って保存しておいたベニヤなどがたくさん出てきた。

 私は、かなり貧乏性である。いつかは何かに使えるだろうと思って、捨てられない性格だ。これは日曜大工の材料ばかりではない。

 まちづくりや、人作り、ビジネスなど様々な分野の資料も、いつかは何かに使えるだろうとしまい込んでおくタイプだ。しかし、整理がまずいのでほしいときには、大変である。家中探さなければならないので、いつもかなりの時間を要するのだ。

もしかしたら買った方が安上がりかも
 日曜太鼓の道具も、使わないものまで含めるとかなりのものになる。電動のこ切りや電動ドリル、電動ドライバー、電動かんなだけではなく、電動彫刻刀、木工旋盤等もあるが、一番よく使うのはカセットのこぎりかも知れない。

 長年和太鼓をやって来たので、太鼓の台なら、大太鼓、長胴太鼓、締太鼓等たくさん作ってきた。自転車小屋、車庫(今はないが)、物置、テレビ台等様々なものも作ってきた。

 しかし考えてみれば、買ったり、他人に頼んだ方が安上がりであったかも知れない。それでも、私は、日曜大工が好きだ。

 モノを作っている時には、金では買えない充実感があるからだ。

 棚作りは明日も、明後日も続くだろう。作業道具が整然としている日を目指して。どうなることやら……。

 「使ったものを必ず所定の場所に戻す。」

 これが、今の我が家の合い言葉である。

 日曜大工で、書類ケースの下に置く台を製作中。この上に、資料ケースを乗せれば、机の側へ移動させることができる。

 
 

童話を書きたい

15 5月
 市民大学『楽しい童話教室』
 今から4年前でしょうか、勝山市でも市民大学講座で童話教室が始まりました。講師は、福井新聞の「お話トントン」の選者で児童文学者の藤井則行先生です。

 藤井先生とは、今から約40年に勝山高校で一緒に仕事をさせていただくことができました。そして、何年か経ってから先生の詩集に挿絵を描かせていただくことができました。 

    先生の「童話講座」を受けて、本当によかった思っています。先生は、有名な童話作品、コンクール入賞作品などを教材に、童話の書き方を教えた下さいました。 

 毎回「目から鱗が落ちる」ような気持ちで感心しています。「なるほど、そうして童話を書くのか」と感心することばかりでした。 

 特に、1人称で童話を書くと、意外にスムースに言葉が出てくるものだと実感しました。最初の2年間は、前期、後期それぞれ5回を一区切りにして、開講されました。 

 そして、その都度、原則として、受講者は一つの童話を書くことになっていました。昨年と今年は、1年間で一つの講座になっています。 

 私は、毎回受講しているので、かなりの作品ができました。いずれも藤井先生の指導を仰いだものばかりです。 

藤井先生の詩集『みみとっと』に描かせていただいた挿絵

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

藤井先生の詩集『みみとっと』に描かせていただいたさし絵(白黒でしたが、色付けをしてみました)。

  

  

  

  

  

  

  

  童話集を作ないか
 退職を機会に、これまでの作品をまとめて、童話集を作ることができないかと考えています。実は、これも私の退職プロジェクトに一つです。

 文章は完成していますので、なんとか「挿絵を描いてみたい」と思って、最近資料集めに、図書館に通っています。野良猫が主人公の場合には、野良猫の習性を勉強しなければ挿絵もうまく描けないだろうと思っているからです。 

 今年も、いよいよ来週の火曜日から講座が始まります。今度はどんな作品を書こうかと今からわくわくしています。 

(日記:午前中、童話の挿絵研究。昼、越前大仏で開催されている“春のうまいもん祭り」に行き、ソバを食べ、踊りを見ました。午後、畑の小屋の整理と棚づりなどの日曜大工。夜、挿絵研究。) 

 

 
 

一本の苗から一万個のトマト

14 5月

筑波万博の「一万個のトマト」
 筑波万博では、一本のトマトの苗から一万個のトマトを実らせたことが話題になりました。こののトマトは、特別なトマトかというとそうではありません。バイオ技術も一切使われていなかったのです。

 普通の栽培と違うのは、水耕栽培だったということです。太陽の光と、栄養分を含んだ水だけで育てたということです。
 
 普通ならば、せいぜい数十個しか実らない一本のトマトの苗から今や一万数千個までは実らせているのです。二万個ももうすぐ実現するのではないかと思っています。

 「植物は、土の中で根を伸ばすために、潜在的な成長力を十分発揮することができないというのです。そこで、水の中なら思う存分に根を伸ばすことができるということなのです。

 それぞれの生命体は、計り知れない潜在能力を持っているのですが、その生命体の置かれた環境によってその能力を十分に発揮できずにいることが多いのです。

 しかし、長年の間には、それらの環境を克服して、極寒の地で生きるもの、酷暑の中で生きるもの、深海で生きるもの、高山で生きるものなど、様々な状況に順応して生き抜いているのです。

 ホームセンターで一番大きい直径約55cm(容積60L)のプランターを買いました。ここへ畑とは別に、一本のトマトの苗(接ぎ木の桃太郎)を植えました。プランターでうまくトマトが育つのかを試してみたいと思います。

 信じたい人間の可能性
 これは人間も同じで、周囲の環境が成長に大きく影響しているのです。一つ気がかりなことは、それぞれの人間が持つ潜在能力を、進歩した今の社会の環境が阻害しているのではないかということです。

 文明の利器が、子ども達から創造性や思考力を奪い取ることのないように私達大人は気を配らなければならないと思っています。

 トマトを例に取れば、必要以上に栄養分を与えたり、偏った栄養分を与えていては、トマト自身の持つ潜在能力を十分に発揮させることができません。一万個どころか自分の身体を維持することもできないかも知れません。

 成功者は、「トマトに聞け」ということになるのです。「トマトが何を要求しているのか」を考え、甘やかすことなく、突き放すことなく、トマトの持つ力を信じることが大切なんだそうです。

 モノが十分になかった時代に育った子ども達の方が生命力があるように思われます。トマトから学ぶことは多いモノです。

 子育てにおいても、よかれと思って買い与えたモノが子ども達の成長を阻害している場合が多いということ心しなければなりません。

 トマトに無限の可能性があるように、人間にも無限の可能性があるということを信じて、何をどうすればよいかを考えたいものです。次代を担う子ども達、孫達のために……。

 ※ インターネットで「一万個のトマト」と入力して検索してみてください。画像でも検索していただくとよいと思います。

(日記:午前中は、パソコンで画像スキャナー。午後は、庭の草取りなど。)

 
 

島津亜矢コンサート

13 5月

いろんな音楽が流行った
 私の育ったここ60年の間には、いろんな歌が流行りました。小学校時代には、歌謡曲や浪曲なども流行っていたように思います。

 中学校、高校時代になると、日本の歌と外国のポップスが同時に流行っていました。外国の歌手では、ポールアンカやプレスリー、そしてビートルズ等が有名になり、彼等の歌をよく耳にしました。

 一方日本では、歌謡曲が流行っていましたが、ロカビリー全盛時代となり、グループサウンズ、フォーク等が流行しました。今は、いろんな歌手がいろんな歌を作り出し、みんなで一緒に歌う歌がないほど、多様化しました。

演歌の女王
 私も大学時代には、バンドを組み外国の曲を中心に演奏していました。しかしながら、一番たくさん耳にしたのは演歌ではなかったでしょうか。したがって、歌を作るとなると、演歌や民謡系が中心になってしまいます。

  そして、私が一番好きな演歌歌手といいますと、先ず女性では、“島津亜矢さん”です。彼女の歌の歌のうまさは群を抜いているように思っています。

    残念ながら、彼女の全国的なヒット曲は少なく、彼女の歌を知らない人も結構多いのではないでしょうか。紅白歌合戦は、『感謝状~母へのメッセージ~』を歌って一度出場しただけですが、なぜ紅白歌合戦に毎回出場できないのか、不思議でなりません。私は彼女の歌をたくさん知っています。

今日福井でコンサート
 その「島津亜矢コンサート」が、福井のフェニックスプラザであり、家内と二人で聴きに行きました。歌のうまさ、声量には圧倒されました。感激しました。今日はいろんな歌手の歌もたくさん歌いましたが、本人以上のうまさであったと思っています。

 途中で彼女が通路を回りながら、歌を歌う場面があり、島津さんが我々の席の近くへもやってきました。家内は、我を忘れて立ち上がり彼女と握手しました。

  実は私も、曲作りの参考になるようにと、彼女のCDを買ったので、コンサートが終わった後で握手をする機会があり、感激しました。

  私は、趣味で、演歌を作っていますが、どの歌も、“もしも島津亜矢さんが歌ってくれたらなあ”という願望を持っています(まったくかなわぬ夢ですが・・・)。

コンサートで買った島津亜矢さんのCD

  私のiPODには、彼女の歌がたくさん入っています(ジャズやロック、民謡等もたくさん入っていますが)。出張の行き帰りの電車の中では彼女の歌をたくさん聴きました。また、彼女の得意なセリフ入りの演歌を、私も真似て作ってみました。

 彼女の歌は、私の歌作りに大きな影響を与えているように思っています。私は、彼女の歌のファンであるというよりも、彼女は“私の歌作りの先生”であるというように勝手に考えています。

 刺激を受けた一日でした。また、いろんな歌を作ってみたいと考えながら帰宅しました。最新バージョンのソフトも手に入れたところだし・・・。

 
 

ALTと和太鼓

12 5月

あなたの趣味はなんですか?
 昨年暮れのことです。ALT(アシスタント・ランゲージ・ティーチャー:英語指導助手)のみなさんと日本における生活について「困っていることはないか」などと話し合う機会がありました。

 話し合いの終わりになって私は「みなさんの趣味はなんですか」と尋ねました。ところが驚くことに、勝山の中学校で働く3人のALTのうち、女性の二人から「和太鼓です」と言う答えが返ってきました。

 彼女達は、福井のカルチャーセンターで「和太鼓」を習っているという。しかもそのうちの一人は、大学時代にも和太鼓を習っていたという。和太鼓に興味を持っているだけではなく、今も和太鼓を習っているという。

 さっそく、「近々左義長祭りがあるけどやってみない?」と尋ねたところ「やりたい」ということで、彼女たちに左義長太鼓を教えることになりました。

 本番の左義長では、一人は当日インフルエンザでダウンしましたが、もう一人のKさんは、3カ所の櫓で見事な左義長太鼓を披露してくれました。

「もっと和太鼓をやりたい!」
 そして、今日再び和太鼓の練習を始めました。4つの基本のリズムと和太鼓を基礎を教えてあげました。練習の合間に「これは英語でなんというの?」と、私は英語を教えてもらっています。正にギブ・アンド・テイクです。日本でよい思い出を作ってアメリカへ帰ってほしいものです。

(日記:新しいパソコンの使い方を勉強する。バージョンアップしたために、四苦八苦。途中で本屋へマニュアルを買いに行く。午後、少し動かせるようになって『平泉寺物語』の追加分の絵を描く。)