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猪野瀬の活性化委員会始動

09 8月

猪野瀬のまちづくり
   各町に均等割と人口割りでまちづくりの基金が交付されることになった。当基金は、平成32年までに使いきることになっている。ロングランでの計画が必要だ。

  そのために、各種団体の長によって組織を作っても、その間に委員が改選になれば組織は機能しがたい。そこで、猪野瀬地区では、この基金を活用してまちづくりをするのは自ら名乗り上げたメンバーによって構成することになった。

  今日午後7時より、正式には第1回の委員会が開催された。各自が、自分の思い描くまちづくりの考えを述べた。共通する部分もかなりあったが、新たな考えもわかり有意義な時間だった。

  私の提示したイメージは以下のようなものであった。

私の猪野瀬活性化のイメージ(私案)。

私の猪野瀬活性化のイメージ(私案)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(日記 午前中は、明日の準備。午前10時半から市役所で『勝山市林道愛護組合連絡協議会』の総会に主席。帰宅してから、夜行われるまちづくりの資料作成。午後3時頃、和太鼓選手権に出場する福井の長女が練習に

事務所のスタジオで大太鼓の特訓をする長女(福井在住)。

事務所のスタジオで大太鼓の特訓をする長女(福井在住)。

やって来た。事務所のスタジオで特訓。ついでに私も三味線練習。午後7時より猪野瀬公民館で『(仮称)猪野瀬活性化委員会』に出席。猪野瀬のまちづくりや活性化について話し合った。充実した時間だった。)

 
 

「三無主義」という言葉が流行った頃

08 8月

今から四十数年前の流行語
  私が現役の教員だった今から四十数年前には、当時の高校生の特徴を表すものとして“三無主義”という言葉が流行っていた。

 三無主義とは、当時の若者気質を表した「 無気力」、「無関心」、「無責任」の三つだ。これに「無感動」を加えて“四無主義”とも言うらしい。その後これらは解消されただろうか。

  現代の若者は昔と比べてどうだろうか。私は特に「無関心」という言葉が気になっている。無関心にも色々あると思う。ゲームや携帯や漫画などにしか興味・関心持てないという若者もいるがどうかと思う。

  受け身的なものにしか興味を持てないのは悲しい。年齢に応じて身の周りのことや社会の出来事に興味を持ってほしいものである。さらに年齢が上がるにつれて政治にも関心を持ってもらいたい。

  一定の年齢に達したら、新聞を読んでもらいたいと思う。しかし、新聞はテレビ欄にしか興味のない若者も少なくないようだ。また、自分の地域の出来事や歴史にも関心を持ってもらいたいと思う。

  「愛するの反対は無関心である」とは、マザー・テレサの言葉だが、正にその通りだと思う。これは、地域を愛すること、人を愛すること……等全てに当てはまると思う。

  しかし、若者達に対して“三無主義”とか“四無主義”と決めつけるのは酷である。“三無主義”とか“四無主義”で表される若者を育てたのは、紛れもなくその親世代である。

 若者に対して“三無主義”とか“四無主義”と決めつける前に、大人の私たちはどうかを自らに問わなければならないだろう。そして、それらを改める鍵は、子どもたちが握っているだろう。

  今の世の中を汚しているのは紛れもなく、私たち大人なのだと思う。子どもたちの自主性を奪いかねない種々のゲームやおもちゃ、雑誌、形態など。全てが悪いとは言わないが、子どもに多大な影響を与えていることだけは間違いなさそうだ。

  今の私の課題は、地域の人たちに、いかに自分の住む町に関心を持ってもらうかだ。テレビやゲームやビデオ(映画も含む)や漫画や雑誌に惹きつけられている人たちに、他にも魅力的なことがあることを是非とも知ってもらいたい。

(日記 午前5時半より、瓦版の編集開始。午前10時より、鹿谷の「すいせん会」のおばさん達に銭太鼓の指導。私の年齢の前後の人たちだ。午後も、瓦版の編集継続。午後3時頃ようやくできあがった。その後、市の配布物と一緒に班長宅へ配ってようやく一段落。夕食後、事務所で和太鼓の伴奏のために三味線練習。午後8時より三室太鼓の指導。前半は子ども達の指導。その後は大人の指導。10月の三室祭りまでには新曲をマスターしてもらいたいと思う。)

 
 

孫と海水浴

07 8月

能登島マリンパーク海水浴場
  和倉温泉の宿を10時半頃出発して海水浴に出かけた。大人5人と孫5人での海水浴だ。小さな子ども向けということで、長女の夫が「能登島マリンパーク海水浴場」へ連れて行ってくれた。七尾湾の内側に位置する能登島の海水浴場だ。

  岸から50m離れても、大人の胸よりも浅い遠浅の海水浴場だ。水は湾内にあるためか暖かく、砂浜にいる方が風が吹いて寒いくらいだった。孫達は、海を十分満喫したように思う。

  自分としては満足だった。孫達が、夏休みの一日を楽しみ、思い出を作ってもらえればそれでよいと割り切って出かけた。孫の喜ぶ顔がうれしかった。 

(日記 午前中、和倉温泉を出て能登島マリンパークで海水浴。その後、のとじま水族館へ行き、イルカショウなどを見る。午後4時知覚に帰路に着く。午後7時から和太鼓の練習。選手権まで最後の全体練習だ。チームにまとまりが出てきたように思う。)

 
 

孫達と海水浴

06 8月

能登の海

 
 

不覚にも緊急入院

05 8月

親切な看護師のみなさん

 
 

大師山の山道作り

04 8月

猪野瀬まちづくり協議会の協力を得て

 
 

早朝の帰省

03 8月

田舎の夏
  午前4時、息子の家族が横浜から車で帰省した。一番上の孫(長女)は、早速私たちの寝床へ。他の二人の孫は息子夫婦と共に二階の自分たちの部屋へ。

カメから梅干しをザルに出す孫達。天日に干すためだ。

カメから梅干しをザルに出す孫達。天日に干すためだ。

  孫(長女)とはいつものセリフ「実物さん!」を発しながら抱き合って再会を喜んだ。いつもは、スカイプなどで姿を見て会話をしているが、やはり実物は違う。少し話したが、起床には早いので寝ることにした。

  これから3週間の我が家での夏休みが始まった。都会から田舎へ来ると、何でもが新鮮に見えるらしい。家内が梅干しを干せば、それを二人の孫が手伝う。何でもやってみたいようだ。

  夕方は、私が用事で外出していたので、家内が集会所の花に水をやってくれたらしいが、孫達も手伝ったという。何もかもが新鮮に見えるのだろうか。

  虫を見ても、花を見ても、目を輝かせる。田舎での出来事が何でも新鮮に見えるところがよい。地元の子どもは地元のよさが見えにくい。

せっかく育てた自慢の西瓜。切ってみたら早過ぎてピンク色。落ち込んでしまった。

せっかく育てた自慢の西瓜。切ってみたら早過ぎてピンク色。落ち込んでしまった。

  大人も、自分のまちのよさが見えないようだ。自分のまちのよさをよその人に見てもらわなければならない。まちづくりでよく言われることだが、「馬鹿者」、「若者」、「ヨソ者」が不可欠だという。

 これは、地元の者には地元のよさが見えないからだろう。それは、空気の中にいると、空気の有り難みが分からないのと似ている。孫達はこの勝山で何を見つけてくれるだろうか。

 私は、勝山でこれまでできなかった何かを経験させてやりたいと思う。また、それまでできなかったことをできるようにしてやりたいと思うが簡単ではないだろう。その他、一緒に音楽をやりたいと思う。孫に歌ってもらいたいと思う。孫達との楽しみな夏休みが始まった。

(日記 午前4時に孫達が帰省。その後一緒に寝る。午前中は、夜開催する『8月各種団体合同委員会』の資料作り。午後は、「家紋入りすだれ作り」のために図書館で「家紋」の本を借りる。ずいぶんたくさんの家紋があるものだ。午後5時半より、さつき苑の納涼祭に地

居間でくつろぐ3姉妹。末っ子はスカイプのおかげで早く慣れそうだ。

居間でくつろぐ3姉妹。末っ子はスカイプのおかげで早く慣れそうだ。

元の区長として参加。午後7時半より区の「各種団体合同会議」。議題の中心は、秋祭りについてだ。少しでも祭りを盛り上げるために、何ができるかを模索してみたい。)

 
 

夏本番か

02 8月

梅雨はいつ明ける
  今年は、かなり雨が降った。特に最近は、集中的に雨が降った。県内でも、我が勝山市がここ二日ほど最もたくさんの雨が降った。と言うことは、いつゲリラ豪雨に襲われるかわからない。

  子ども達にとっては、夏休みの序盤が終わろうとしている。夏休みの思い出というと、子供時代と、親となった時代、退職した時代ではそれぞれ異なる。

  子供時代は、なんと言っても水泳だろうか。九頭竜川まで、歩いたり、自転車で出かけて泳いだ思い出がある。雨上がりで増水しているときには急流に飛び込み、立ち泳ぎしながら泳いだものだ。

  夏休みの終盤は、宿題の仕上げをしなければならない。お盆が済むと、気分は夏休みが終わったように思う。今の子どもたちも同様ではなかろうか。我が子が小学生であった頃は、絵を描いたり、自由研究などを急かしたことを思い出す。

  退職した今は、現役時代とは、気分は逆になったように思う。普段は、休日が忙しく、平日の方がのんびりしている。また、子どもたちの夏休みが始まると何となく忙しくなたものだ。そして、夏休みが終わると落ちついた季節になた。

  今はその子どもたちも大きくなって、孫が夏休みの時代になった。子どもの夏休み時代よりはのんびりしている。孫達に、何か勝山で思い出を作ってやれればと思う。海水浴の他に、何か一つでも思い出に残ることができればと思う。

  この期間中に、できなかったことができるようになればなおよい。私にとっては、孫と一緒に何かできればと思う。私個人は、今年の夏休みの前半は和太鼓大会のことが少し気にかかる。楽しんでできればと思う。

昨年の夏休み。今年も6日、7日は子どもたち二家族(孫5人)と海水浴の予定。晴れればいいが。

昨年の夏休み。今年も6日、7日は子どもたち二家族(孫5人)と海水浴の予定。晴れればいいが。

  夏休みの後半は、『親鸞聖人物語』を完成させて、平泉寺で初演を迎えられるようにしたいと思っている。心に残る紙芝居にしようと思うとかなり本気にならなければならない。今日も、図書館で親鸞聖人に関係する本を借りてきた。

  しかし、読めば読むほど、どう脚本化すればよいかを迷ってしまう。結局の所、私が知りたいように脚本化するしかないだろう。期待と不安のあるところだ。

 それが済むと、稲刈りが始まる。忙しさで言えば、年がら年中、何かを追いかけているので変わらない。明日からは、横浜の孫達が帰省するので我が家は賑やかになる。梅雨も明けそうだし、夏番となるだろう。

(日記 午前中は、部屋の整理整頓。しかし、目に見えてはきれいにならない。昼過ぎに、『コミュニティー助成事業(宝くじ補助金)』で購入した放送機器の受け取り。マイクやミキサーやアンプなどが手に入った。今年の祭りの盛り上げに役立てばと思う。午後も、部屋の整理整頓。)

 
 

三室太鼓

01 8月

十数年来の関係
  和太鼓を通して遅羽地区の皆さんとは親しくさせてもらっている。十数年前、遅羽地区の公民館関係の方々から和太鼓の指導を依頼された。私自身は、趣味で和太鼓に関わっていたが、気持ちよく引き受けることにした。

創設当時の『三室太鼓』。この子どもたちは、もう社会人になっている。

創設当時の『三室太鼓』。この子どもたちは、もう社会人になっている。

 当初は、毎週木曜日に出かけていたが、ここ数年は全く出かけていない。そして、『三室太鼓』が生まれた。地区の大きな支援と理解を受けているように思われる。

 この『三室太鼓』は私の作った曲を演奏して下さっているが、「今回、新しい曲を作って下さい」と依頼された。午後、先ず新曲の半分ほどを作り上げた。

  机上で考えた曲が『三室太鼓』の皆さんに受けるかどうかが問題だ。そう思って練習に出かけた。

  午後8時からは子どもたちの指導。私の作った曲を若いメンバーのMさんが教えていた。このMさんも十数年前には小学生(上の写真の左端)だったが、今は指導する立場になってくれていた。

創設当時の『三室太鼓』の大人チーム。今も太鼓を続けていることに頭が下がる。

創設当時の『三室太鼓』の大人チーム。今も太鼓を続けていることに頭が下がる。

  子どもの練習が終わった後は、大人の練習だ。久々に新曲を練習した。できれば『三室祭り』のある10月まで練習に通って、三室太鼓の皆さんが新曲を披露できるまでになってほしいと思う。

  練習のあと少し雑談をした。昔から頑張って練習している皆さんだ。楽しい時間を過ごすことができた。 

(日記 午前中は、部屋の整理整頓。いっこうにきれいにならない。明後日、横浜の孫達が帰省するからだ。午後は、和太鼓の新曲作り。2時間余りで曲の前半部分を作り上げた。午後7時過ぎに遅羽公民館へ出かけて、新曲を指導。) 

子どもたちの練習も少し見た。中央は、子どもたちの指導を行ってくれているMさんだ。この後、大人の練習を行った。

子どもたちの練習も少し見た。中央は、子どもたちの指導を行ってくれているMさんだ。この後、大人の練習を行った。

 
 

大師山整備

31 7月

階段作りパート1
  白山を開いた泰澄大師ゆかりの大師山が我が片瀬区の背後にある。この大師山周辺は、猪野瀬地区や旧勝山町が所有している山だ。現在は越前大仏もかなり所有しているが。

  最近では、この山へ出向くことは、春の山菜採りぐらいだろうか。それと時々行われるたいまつ登山などのイベントぐらいだろうか。

階段の材料を担いで現場へ出発。(大師山山頂にて)

階段の材料を担いで現場へ出発。(大師山山頂にて)

  しかし、子どもの頃はそうではなかった。正に生活に密着した山だった。特に、家庭での重要な燃料としての薪はこの山でしか手に入れることができなかった。

  栗拾いや山菜採り、そして小鳥を捕まえるためにもよく山へ行ったが、なんと言っても、薪取りが最も多かった。夏の暑い日に、村の共有林のある大師山の裏側まで出かけて両親が作った薪を担いで自宅まで運んだのだ。

 この作業は子どもにとっては重労働だった。しかし、プロパンガスが出てきてからは薪の需要は激減した。正に燃料革命だ。そして、今また電気による生活に変わってしまった。

 おかげで大師山へ出かけるのは、レクレーションだけになってしまった。私にとっては、山菜採りも、レクレーションの一つだ。そんな中で、大師山へ登る人、大師山を経由して三ツ頭山や報恩寺山へ登る人が増えた。

セイバやスコップで溝を作り、そこへ階段を設置して固定するための杭をカケヤで打ち込めば一段完成。

セイバやスコップで溝を作り、そこへ階段を設置して固定するための杭をカケヤで打ち込めば一段完成。

 登山道はもはや生活の道から、レクレーションの道へ変わってしまったようだ。付近に山を所有している人は、杉の下草刈りぐらいには出かけるかも知れないが。

  この大師山登山道の整備をここ数年、『猪野瀬地区まちづくり推進協議会』を行っている。今日はその一環として登山道にプラスティックの階段を取り付けるためにまちづくり関係の者が山へ登った。

 来る日曜日には、登山の目印とするために「何合目」と書かれた石柱を立てることになっている。登山口からと山頂から石柱を背中に担いで運び、登山道脇に設置するのだ。

  当日は、階段作りも行うが、今日は下見を兼ねて20段の階段を設置した。参加者は7人、午前7時に村の集会所へ集まり、山頂まで資材を運び、担いで下山しながら所定の場所に階段を設置した。

  一番勾配が急で滑りやすい場所に階段を設置した。来る8月13日の『大師山たいまつ登山』には整備が終わり、気持ちよく山登りができるのではなかろうか。

(日記 午前7時に片瀬集会所前へ集合。軽トラに分乗して大師山山頂へ。7合目と8合目の間の急な場所に階段を設置した。帰宅後シャワーをして遅羽公民館へ。『遅羽さわらび会(食生活改善推進員)』の親子料理教室で食後のアトラクションとして家内と紙芝居をするためだ。恐竜を題材にした紙芝居をした。午後は、『コミュニティー助成事業』の事務処理。午後7時より和太鼓の練習。最後の詰めを行った。まだ、あちこち直すとよい場所が出てくる。メンバーと知恵を寄せ合い手直しをしながら練習をした。後10日で本番だ。悔いのないゆに練習したい。そう言えば、今日の福井新聞に出場チームの写真が掲載された。気分がだんだん高まってくる。)