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市長と語る会

08 10月

区の要望
午後7時より猪野瀬公民館で『市長と語る会』が開催された。市内全町で開催される『市長と語る会』は、当猪野瀬地区を皮切りに開催されるらしい。
この会では、5月末に提出した地区からの要望事項の回答が関係部署の部長から述べられることになっている。

我が片瀬区からの要望は、「片瀬第二公園にゲートボール場を設置してほしい」というものだ。現在、当区のゲートボール愛好者は、公園のグラウンド部分で行っている。

しかし、ゲートボールのラインが子どもの足に引っかかるために非常に危険である。そこで、公園の中であまり使われていない部分に移設してほしいというものだ。

私自身は、ゲートボールをほとんどやらない。年に一度、地区のゲートボール大会に誘われて数日間するぐらいだ。ゲートボールよりも、区民が集まることに意義を感じている。

また、普段あまりスポーツをしない女性にもストレス解消や雑談の場としてゲートボール場を新設して活用してほしいと願うがある。

市の、建設部長の返答は「経費があまりかからないように地元と協議させていただきたい」というものだった。少なくとも「できない」という返事ではないと信じている。

できないものには、「できない」とか「前向きに検討させていただきたい」という返答があるはずだが、そうではなかったからだ。

猪野瀬町民からは、あまり質問などがなかった。私も、2回だけ質問させていただいた。質問がなくなり1時間半弱で『市長と語る会』は終わった。せっかくの機会に早く終わったのは少し残念だった。

(日記 午前9時より猪野瀬公民館で、『猪野瀬地区の活性化を考える会』のアンケートの袋詰め作業。全町民に、一世帯二通のアンケートをするのだ。もちろん一人暮らしの場合は、一世帯一通だが。帰宅してからは、木曜日に発行する『かたせ瓦版』の編集作業。午後1時半からは、鹿谷公民館で銭太鼓の指導。新人二人が入会したため全員で基本から練習した。帰宅してから、瓦版の編集作業継続。夕方、里芋とショウガを収穫する。午後7時から猪野瀬公民館で『市長と語る会』。当区の要望事項が実現することを望む。)

 

健全なる野党

07 10月

多数でもまれた意見
 いかに立派なリーダーであろうと、周囲にアドバイスできる人間を持たなければ組織を思わぬ方向へ持って行きかねない。

国家もまた同様ではなかろうか。戦争を始めたのも、負けるとわかっていながら戦争をなかなか止められなかったのも、真のリーダーがいなかったからではなかろうか。

今こそ、健全な野党が国家にも地域にも必要ではなかろうか。だからといって反対したり対立するだけの野党では役に立たない。今野党らしい働きをしているのは、もしかしたら与党の中の公明党かも知れない。

当分の間選挙もなく、圧倒的な数を頼みに与党が方向を誤ることのないよう、健全な野党とよく議論し、その中から進むべき道を定めてほしいと思う。

リーダーの力が強くなると、周囲は意見をしにくくなるものだ。そして、リーダーの暴走が始まるということは組織の大小にかかわらず起ころうることだ。

過去の日本を見れば、幾度も方向を誤ってきたように思えてならない。原発も未完の技術であることを忘れてはならないと思う。福島はいつになったら、復興するのだろうか。

土を凍らせて放射能を含んだ水を遮断できるのだろうか。そのコストは、維持費はどうなるのだろうか。何とかしなければならないということは分かるが、考えが甘くはないか心配である。

(日記 午前中は、家庭菜園作業。トマトの屋根を分解した。その後、ニンニクやタマネギを植える場所に黒マルチをかけた。これで、半日がかかってしまった。午後は、村の事務作業。一日はあっという間に過ぎ去ってしまう。)

 

 
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遅羽で息づく二つの流れ

06 10月

三室祭りを見て
今日は遅羽町の三室祭り。今年の関わりは、社会教育指導員のOさんに頼まれ

新曲の演奏をする三室太鼓の皆さん。合格点の演奏だった。

新曲の演奏をする三室太鼓の皆さん。合格点の演奏だった。

て三室太鼓の為に新曲を書いた。その練習のために、ここ二ヵ月間毎週木曜日に遅羽へ通った。

そして、今日がその発表日。朝練習のために、午前8時半に遅羽児童館へ出向いた。その後、直前練習のために、午後1時半に再び、遅羽児童館へ。

そして、遅羽の太鼓が始まった。子ども太鼓から、大人子どもの混成チームと演奏が進んで、いよいよ今日初めて人前で演奏する新曲『三室』。

二ヵ月間の練習にしては、まあまあのデキではなかっただろうか。遅羽での太鼓指導はもう十数年は経つだろう。私の作った太鼓の曲が十数年間この地で生き続けている。

今日は、十年ぶりぐらいの新曲だろうか。一度も指導することのなかった中学生も二人参加していた。ここ二ヵ月間ですっかり知り合いになった。和太鼓を通じて、若者と知り合いになれるなんてうれしいことだ。

子どもから、大人まで、各世代が和太鼓を演奏。きっと、これからも、子どもたちが遅羽の太鼓を継いでくれるだろう。

子どもから、大人まで、各世代が和太鼓を演奏。きっと、これからも、子どもたちが遅羽の太鼓を継いでくれるだろう。

もう一つは、三室祭りの最後を飾って『盆踊り』が行われたことだ。みんなで踊った5曲のうち、2曲は私の作詞・作曲、1曲は作曲のみ、1曲は県内の民謡を私がCD化したもの、最後の一曲は演歌であった。

その中の一つ、『遅羽ほがらか音頭』は地元の若い衆が歌い、最初と最後に踊られた。私も盆踊り復活をライフワークの一つとしているのでとてもうれしかった。

特に、小学校高学年の児童が浴衣姿で参加しているのが可愛らしくうれしかった。学区の子どもたちが踊ってくれることがうれしい。子どもたちが、踊り伝えてくれるのではないかと思うと頼もしくなる。

平泉寺でも、同じように『盆踊り』が復活しつつある。今月20日に行われる町民運動会では、地域全体で盆踊りを踊ることになっている。私は、平泉寺小学校の児童に対して踊りの指導を頼まれている。

小学生は浴衣で、踊りに参加。地元の若い衆が歌った。町民も参加して踊りを盛り上げていた。

小学生は浴衣で、踊りに参加。地元の若い衆が歌った。町民も参加して踊りを盛り上げていた。

和太鼓と盆踊り、私の関わった二つのことが、遅羽では見事に生き続けている。ありがたいことだ。地域に学校のあるよさでもあろう。我が猪野瀬のみ、地域に学校がないのだ。このハンディーを何で補うか、少し考えてみたいものだ。

(日記 午前8時半より、遅羽の太鼓の朝練習に付き合う。午後1時半、同じく直前練習に付き合う。その後、遅羽の三室祭りを見る。抽選会、最後の餅まきまで楽しんで帰宅。その後、家内と二人でショウガの収穫。夕食後、ウオーキング。楽しい一日だった。)

 
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ジンジャーガールズ(生姜女子)

05 10月

ショウガを地域の特産に
知人から電話がかかってきた。「ラジオを聴いていたら、福井にショウガを作るグループ“ジンジャーガールズ(ショウガ女子)”があるとのこと。ホームページに載っているらしいとのこと。

立派に育った我が家のショウガ。

立派に育った我が家のショウガ。

早速ホームページを開いてみると、確かに“ジンジャーガールズ”についての記事が載っていた。この地区は、ショウガをブランド化すべく昨年からショウガ作りを始めているとのこと。

わが片瀬は、100年以上の伝統がある。しかし、昨年から始めたJA福井に負けそうだ。それは、関わる人間と栽培規模だ。

記事によれば、福井市のJA女性部は、昨年から本格的にショウガ栽培を開始し、女性ブランド野菜づくりグループ「ジンジャーガールズ」として活動しているとのこと。

左義長ばやしを演奏する大人たち。太鼓は子供中心だった。

左義長ばやしを演奏する大人たち。太鼓は子供中心だった。

今年(2013年)のメンバー数は、昨年の409人を遙かに上回る698人。我が村の人口の3倍ほどもあるのだ。そして、このグループは栽培技術とショウガの品質の底上げを目指しているとのこと。

さらに、新たな取り組みとして「特化チーム」制度と「強化地域」を設け、JA管内に17チームを設置し、「特化チーム」では、メンバーで協力しながらチーム単位で技術向上を目指しているらしい。

また、昨年の実績が高かった一乗と美山地区を「強化地域」とし、体験談を交えながら他地域への技術指導や情報提供を行うとのことだ。

2年目にして、この勢い。伝統があると思っていた我が村の100年の歴史を数年で乗り越えて一大産地になるのではなかろうか。品種も複数取り入れて地域ごとの適性を探るという。

先日、子供達と慰問に出かけた介護施設『さくらんぼ』での和太鼓演奏。

先日、子供達と慰問に出かけた介護施設『さくらんぼ』での和太鼓演奏。

さらに、面白いのは、11月にはショウガを使ったオリジナル料理を募集する「ショウガレシピコンテスト」や、グローブのように大きなショウガを栽培することを目指す「グローブショウガコンテスト」などを開く予定という。

2年目にしてこの勢い。羨ましくもある。生姜の収穫の様子を動画でYouTubeにアップしている。本当に数年で福井ブランドのショウガができるかもしれない。その時、我が村のショウガはどうなっているだろうか。

(日記 午前中は、紙芝居の絵描き。午前9時半から親子太鼓の指導。次回の出番に向けて練習。午後は、紙芝居も絵描き。その後、区の『各種団体合同会議』の資料作り。そして、午後7時半から『各種団体合同会議』。続いて『九月定例役員会』。今日もかなり慌ただしい一日だった。)

 
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PM2.5

04 10月

昨日の日本
中国から飛来する有害な微粒子PM2.5が問題になっている。しかし、考えてみると、日本の産業の発展は同時に公害を産み出してきたように思う。

明治時代には、 足尾銅山の鉱毒垂れ流しが流域の渡良瀬川流域に大きな被害を与えた。現在では「日本の公害運動の原点」とも言われている。

大正時代には、 神通川流域では、農作物に被害が広がり、カドミウムによるイタイイタイ病が発生。

昭和に入ると、水銀による水俣病が広がった。最初は、猫などの小動物に異常な動作がみられるようになり、やがてそこに住む人間にも現れてきた。水銀に汚染された魚介類を食ベたからだ。

また、四日市の石油コンビナートの稼働による近接地域の呼吸器疾患の多数発生。これらは「四日市喘息」と呼ばれた。

その後も、新潟県阿賀野川流域で有機水銀に侵された食物を摂取したことにより第2水俣病が発生した。

東京近辺では、光化学スモッグが発生した。首都圏(東京、神奈川、千葉など)で、夏の運動場にいた生徒たちが眼やのどの痛み、めまい、呼吸困難、痙攣等の症状が多数発生したのだ。

これらは公害のごく一部だ。日本は公害先進国であったのだ。その経験をめざましい経済の発展している中国で生かせないのだろうか。

狭い地球で、信頼し合うよりも、被害者意識を持ち憎み合うことの方が遙かに多い。人間とはなんと悲しい動物なんだろうか。

中国の公害をどう見るか、発展途上国の公害をどう見るか。それらはいつしか傍観者である近隣諸国にも降りかかる大きな問題になり得るのだ。知恵を寄せ合ってほしいものだ。

 

今年は里芋もショウガも素人の私には大豊作だったと思う。どちらも希望者には差し上げたい。

今年は里芋もショウガも素人の私には大豊作だったと思う。どちらも希望者には差し上げたい。

(日記 午前中は、創作紙芝居の絵描き作業。午後は、親戚へ送るために里芋とショウガを収穫した。どちらもデキはよい方だ。その後、再び紙芝居の絵描き。夕食後家内と夜間ウオーキング。週3回は歩こうと決めた。

 

 
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ウルトラショウガ

03 10月

薄切りにするのはもったいないけれど
我が村は、ショウガの産地だ。ショウガは健康によい。しかし、区民のみなさんはどれだけショウガを食べているのだろうか。

かくいう私は、ショウガ大好き人間。特に柔らかい新ショウガの味噌漬けは最高だ。一夜漬けでよい。3~5mmの厚さにスライスした新ショウガを味噌の中に入れておくだけでよい。

塩分は身体によくないと思うので、私は味噌を洗って食べることにしている。新米と一緒に食べれば食が進む。辛さが最高だ。

ところでこのショウガだが、一年中食べるには、少し考えなければならない。保存食なら、味噌漬け、醤油漬け、酢ショウガ、梅干しの中に入れる紅しょうがだろうか。

片瀬特産のショウガで健康によい『ウルトラショウガ(乾燥ショウガ)』づくり。少し日射しが弱いので、2、3日かかりそうだ。

片瀬特産のショウガで健康によい『ウルトラショウガ(乾燥ショウガ)』づくり。少し日射しが弱いので、2、3日かかりそうだ。

調味料としてなら、おろしたものをビニール袋に入れ、薄くして冷凍すればよい。チョコレートのように、割って使うことができる。

もう一つの使い方は、『ウルトラショウガ(乾燥ショウガ)』にすることだ。体を温めて「免疫力」をアップすることができるのだ。

体の「冷え」は万病の元。 体温が、一度か二度下がるだけで免疫力は大きく低下し、病気になる危険が増えるそうだ。低体温改善に「しょうが」はとても有効だ。

生のしょうがは、一時的に手の指の温度を上げるが、その後、体の内部の温度を逆に下げてしまうらしい。ウルトラショウガはしっかりと体温を上げてくれるらしい。

「ウルトラしょうが」とは、乾燥したしょうがなのだ。   作り方は簡単だ。ショウガを薄切りにし、天日で一日、または室内なら一週間乾燥させるだけでよい。

私は乾燥したショウガを粉砕して粉末にしておくのだ。そして、小さな瓶などに入れて食卓に置けば、何にでも使える。味噌汁に入れてもよいし、鍋にも使える。

日射しのまだ強い9月半ば頃に作っておくべきだったが、何となく忙しくて今日になってしまった。日射しが弱いので、乾燥には2、3日かかるかも知れない。

せっかく作った大きなショウガを細かく切り刻むのは、心苦しいが、やむを得ない。でも、薄切りにするにはこうするしかない。片瀬特産のショウガが健康に役立てばと思う。

新曲を演奏する三室太鼓の皆さん。中学生2人、二〇歳代3人、後の4人は40、50歳代。果たして私の作った新曲を上手く演奏してくれるだろうか。気になるところだ。

新曲を演奏する三室太鼓の皆さん。中学生2人、二〇歳代3人、後の4人は40、50歳代。果たして私の作った新曲を上手く演奏してくれるだろうか。気になるところだ。

(日記 午前中は、紙芝居の原作づくり。あるコンテストに応募するためだ。宝くじは買わなければ当たらないように、コンテストも応募しなければ入賞しない。目標を持って行動することが楽しいのだ。結果はどうでもよい。午後は、親戚に送る里芋とショウガを収穫した。そして、『ウルトラショウガ(乾燥ショウガ)』作りもした。夕方は、横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。夜は、猪野瀬公民館で文化祭についての会議。続いて猪野瀬区長会。e その後、遅羽公民館へ。約二時間半、文化祭に出演する三室太鼓のメンバーに新曲を指導。今日が最後の練習日。本番でうまく演奏できるだろうか。午前中はのんびりしていたが、夕方から夜にかけては忙しかった。)

 
 

消費税増税に思う

02 10月

政府や政治家に信頼感はあるか
来年の4月から、消費税率が現行の5%から8%に引き上げられることが決まった。 これは増え続ける日本の債務残高を少しでも減らすために行われるもので、社会保障費の支払いや赤字国債の発行を減らし、持続可能な国家財政を運営していくために引き上げられると言われている。

増税により税収が安定すれば、それによって政府は様々な施策を行うことができ、オリンピックを控えて 老朽化したインフラの整備や社会保障の拡張、教育制度の改革など様々なことに 予算を振り分けることができるようになる。

一方で、国民の負担は増加することになる。増税により国民が消費を手控えれば、経済全体の流れが悪くなり、日本国内の企業の業績にも悪影響が出る可能性がある。

そうなれば結局はその社員である国民の給与も減らされることになり、更に生活が苦しくなるという可能性もあります。消費税増税は、メリットとデメリット両方を伴っている。

消費税、医療費、年金などの増税に、円安、原油高などによる負担、一方では景気回復という割には給料は増えないというのが大多数の国民が置かれた状況ではないだろうか。

今回の消費税増税は頭ではよく理解できる。しかし、スッキリしないものがある。それは、政府に対する信頼感だ。政治家を信頼できるかどうかにかかっている。

今一度、消費増税の前にやるべきことがあるのではないのかを考えてほしい。税金の無駄遣い、議員定数の削除、天下りの排除、特殊法人改革など、予算執行の面では多くの課題がある。

政治家が自ら身を切る覚悟をしないで、納税者に負担増だけを求めるのは筋違いではないかと強く思う。他人に対する負担については「決められる」が自らの問題に対しては昔も今も「決められない」でいる。

やがて、国民の仕返しが来るのではなかろうか。政治に信頼があれば、北欧のようにもっともっと税金が高くても国民は納得するのに日本では今だその域に達していない。悲しいことだ。
(日記 午前9時頃から午後2時頃まで、『三室太鼓』の新曲の篠笛のメロディーづくりと大太鼓ソロを考えていた。かなり時間がかかった。今度の日曜日が三室祭りだ。うまく演奏してくれるかどうかが心配だ。)

 
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芋とショウガ

01 10月

新年度に向け始動
慌しさも一段落したので、新しく借りた組合の畝を耕した。今年は、借りる畝の本数を減らして一本はにんにくや玉ねぎなどを植える場所、一本は里芋とショウガを作るためだ。

立派に育った我が家のショウガ。

立派に育った我が家のショウガ。

銭太鼓『片瀬豊年ばやし』を創作した際に“芋とショウガと旨い米”を歌詞に織り込んだ。そこで、自分で実際に作らなければと思って組合の畝を借りて栽培を始めたというわけだ。

法人の畝は自分の家庭菜園と違って、毎年場所がわかるので連作の心配がない。夏でも川から水を取り入れるので水撒きの心配もない。

おかげで素人の私でも、結構収穫することができた。ショウガについて思うことだが、農業関係の本では種ショウガの大きさはかなり大きくするように書いてある。

しかし、私は、種の大きさとできたショウガの大きさにはそんなに大きな相関関係はないと思っている。小さな種でも、結構大きなしょうがが取れる。

マニュアルよりも小さい種ショウガでもかなりの大きさになるものだ。勝負は根の生育では。

マニュアルよりも小さい種ショウガでもかなりの大きさになるものだ。勝負は根の生育では。

逆にかなり大きな種でも、小さなしょうがしか取れない場合もある。収穫時にそのあたりをよく見ると、種の大きさも大切だろうが、根の張り具合がショウガの大きさを決めているように思う。

同じ長さの畝で15Kgの種ショウガを植える人がいるが、私は半分の長さの畝で5Kgしか植えない。それでも立派なしょうがが取れる。今年も周囲の人から褒められた。

種の大きさも大切だが、畑の環境も大きいのではないかと思う。これは人にも似ている。環境が人を育てるのかもしれない。

根っこを立派に育てることで、水分や養分を吸収し、大きく育つのだ。人間も根っこを充分育てておくことが大切だと思う。植物の栽培と人間の生育には共通した部分が多いように思う。

来年の収穫を期待して有機肥料をたっぷり入れた耕耘作業。(組合の集団農場)

来年の収穫を期待して有機肥料をたっぷり入れた耕耘作業。(組合の集団農場)

それに、私の集落でも視察した某県の生姜産地では年間三十数回薬剤を散布するという。私はたった一度、早い時期に虫除けの薬を散布しただけだ。他の人よりも、圧倒的に薬の散布は少ないと思う。

(日記 今日は朝から、農作業。来年、里芋やショウガを植える場所とにんにくや玉ねぎを植える場所を作った。六呂師の牛糞堆肥や籾殻燻炭などを入れて耕し、雑草防止のために黒マルチをした。午後も作業は続いた。その後、荷造りをして、九州にいる家内の姉と私の妹に里芋と生姜を送った。ふるさとの味だ。)

 
 

芋とショウガと旨い米

30 9月

里芋収穫
わが片瀬の特産物といえば、昔から芋(里芋)とショウガと米だった。里芋は連作を嫌うことなどから、長い間作っていなかったが、ここ二年間、組合から畝を借りて作っている。

 

里芋の収穫。

里芋の収穫。

いろんなことを近くで作業する人から聞きながら、里芋を栽培しているが、最終的にはそれらのアドバイスに自分流のやり方を加えている。

特に、自家製の籾殻燻炭と六呂師から購入した牛糞堆肥をたっぷり入れるようにしている。そのせいかどうかはわからないが、芋もショウガも順調に育っている。

しかし、私が育てているのは販売目的ではなく、我が村の特産物を宣伝するためと、子供達や親戚や知り合いに送るためだ。心を込めて栽培したものを送ると喜ばれる。

今日は、兄弟や親戚に送るために家内と里芋を掘りとった。秋空の下、例によってラジオを聴きながらののんびりとした作業は気持ちが良い。

たまたま、赤とんぼを調査している市のMさんが林道の鍵を借りるために我が家へやってきた。鍵を返しに来た際、「里芋はどうですか?」と声をかけた。

収穫した里芋。まだまだたくさんある。美味しい里芋をあちこちへ配りたい。

収穫した里芋。まだまだたくさんある。美味しい里芋をあちこちへ配りたい。

「いただけるならありがたいです。妻が好きなもんですから。」とのこと。喜んでもらってくれる人には気持ちよくプレゼントできる。

明日はショウガを収穫するつもりだ。時間をかけて作ったものを収穫するのは最高の喜びだ。パソコンを離れて青空の下で働くのもまたいい。

(日記 午前中は、区の事務処理のため、大野市にある県の出先の林業部と市役所へ行く。午後は、里芋の収穫。夜は『じいちゃん勉強』。孫との楽しい時間を持つことができた。問題が解けた時の孫のにっこりした顔がいい。)

 
 

今年のショウガ

29 9月

芋とショウガと旨い米
今年も素人の私にしては、しょうが作りは上手くいったと思う。自己流で畑の中へ燻炭や六呂師の牛糞堆肥なども入れて耕した。

ショウガ種の大きさが、収穫するショウガの大きさと比例するのだろうか。私は疑問を持っている。というのは、種ショウガが小さくても大きなショウガを収穫することができるからだ。

ショウガ種は高価なので大きな種を小さく割って植えた方が数が多くなる。私はそう思ってマニュアルよりも、少し小さく種ショウガを割って植えている。

今日収穫した片瀬特産のショウガ。大好物だ。

今日収穫した片瀬特産のショウガ。大好物だ。

先日、大野市で話をした際に「“かたせ”と聞いて何を連想しますか?」と質問したところ、ある人が「メロン」と答えた。実は、メロンは若猪野の特産だ。

しかし、別の高齢者が「ショウガ」と答えてくれた。知っている人もいるものだとうれしくなった。「かたせ」をブランド化するには時間がかかるだろう。

このブログを書いていたら、大野の日刊県民福井の記者から「ショウガの収穫の写真を撮らせてほしい」と電話があった。この前の市民活動センター祭りでショウガを宣伝しておいたからだ。

私も、今年は立派なショウガを作ったつもりでいるが、ショウガを販売目的で作っているのではないので、収穫の写真や記事などの取材には、販売している人に対応してもらうようお願いした。

いつの日にか、ショウガ産地としての「かたせ」が復活することを祈りたい。そのためには、種ショウガを作る技術を研究しなければならないだろうが。

(日記 午前中は、親父バンドの練習に付き合う。午後3時からは祭りの後片付け。ステージなどを解体した。その後、家内と二人でショウガの収穫。今日はまだ、祭りの疲れが残っている。)