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湖北の歴史散歩……地方創生は武将に学べ

22 11月

秀吉の開いた長浜

彦根城と長浜城を見学して“地方創生は武将に学べ”と思った。特に、長浜城博物館で「秀吉のまちづくり」のビデオを見てその感を強くした。

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羽柴秀吉が初めて一国一城の主になった今浜が、長浜に改められ、1574年に城が築かれたという。秀吉は、小谷城下の商人を統合して「楽市楽座」の制度で城下町を形成するとともに、町衆の保護・自立のためにに「町屋敷年貢免除」の朱印状を与え、まちの繁栄をもたらしたのだ。

紅葉の彦根城大手門橋

紅葉の彦根城大手門橋

1615年に、長浜は彦根藩の一部となり、廃城となったが、「町屋敷年貢免除」は江戸時代を通して維持され、長浜は水運の要に位置するまち、浜ちりめんやビロード、火や等のまちとして繁栄を続けたのだという。

『曳山会館』を見学して、このような経済力を背景にまちの文化も栄えたことを知った。『長浜曳山まつり』もその源をたどると秀吉に行き着くという。日本三大山車祭の一つで、国の重要無形民俗文化財に指定されている。子どもから大人までが一体となって祭りに取り組む様子をビデオで見て改めて感心した。これらの伝統は今も長浜に息づいているのだ。

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壮大な彦根城藩主の日本庭園「玄宮園」

壮大な彦根城藩主の日本庭園「玄宮園」

昔の殿様のまちづくりには学ぶことが多いと感心した。湖北の歴史のたびでまちづくりに対するいろんなヒントがあると思った。金沢を作った前田利家、財政再建を成し遂げた米沢藩の上杉鷹山などにも学ぶことが多いように思う。

『大河ドラマ』と言うと、とかく買った負けたという戦と権力を描く場面が多いが、まちづくりにもっと光を当てるべきではなかろうか。

(日記 朝起きるなり、高速を走り、彦根ICで下り、彦根城を見学。その後、湖畔をドライブして「黒かべ」へ。車を駅前に止めてマップ片手に、町中散策。よくもこんなにたくさんの店が並んでいるものだと感心する。今日は11月22日で“いい夫婦の日”だ。「記念にネックレスを買ったら」と家内にすすめる。長浜ラーメンを食べて長浜城を見学。特に、長浜城博物館で見たビデオ「秀吉のまちづくり」には感心した。その後、木之

黒壁ガラス管

黒壁ガラス管

本IC出高速に乗り、帰宅。夜は、猪野瀬公民館で行われた松井県議の「県政報告会」に出て、ひげの隊長“佐藤正久氏”の集団的自衛権などについての講演を聴く。)

 

 

 

 

 

 

黒壁で見たバンドのおもちゃ。音楽にに合わせてジャズバンドの奏者が動く。まるで演奏しているようだった。

黒壁で見たバンドのおもちゃ。音楽にに合わせてジャズバンドの奏者が動く。まるで演奏しているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秀吉の開いた長浜城(博物館)をバックに「ハイ・チーズ!」。

秀吉の開いた長浜城(博物館)をバックに「ハイ・チーズ!」。

 

錦秋の京都へ

21 11月

次女の前撮りロケに同行
来年の1月下旬に東京のWホテルで結婚式を挙げる次女の結婚写真の前撮りロケを京都で行うという。東京以外でも前撮りを行うというシステムができあがっているらしい。

京都今宮神社で、結婚式の前撮り写真の撮影開始。

京都今宮神社で、結婚式の前撮り写真の撮影開始。

家内と二人で、前撮りロケを見に行こうということになった。撮影場所は京都の今宮神社と祇園だという。当日、午前8時半に自宅を出て、ナビを頼りに今宮神社へ向かった。文明の利器のおかげで無事撮影現場の今宮神社へ到着。

午後1時頃に、次女と新郎のO君が現れた。神前で二人は神職の下にお参りし、お祓いを受けた。その後、同行のカメラマンと美容師が二人に付き添い、神社のあちこちで様々なポーズを指示し、撮影が始まった。

1時間ほど撮影を見ていたが、私たちは、次の撮影地の祇園へ向かった。次女達はさらに撮影を続けたようであった。午後3時半頃、次女達がタクシーで祇園の現場へやって来た。祇園の辰巳橋界隈で再び撮影が始まった。場所によっては、道路に赤い毛氈を敷き、撮影が続いた。辺りが薄暗くなって行灯に灯りが点り始めた。

カメラマンの指示で快調に撮影が続く。

カメラマンの指示で快調に撮影が続く。

私と家内は撮影の途中で、次女達と別れを告げ次の観光地へ向かった。今日の京都は快晴で暖かく、観光にも撮影にも最適の一日だった。珍しいものを見ることができた一日だった。

(日記 午前8時半に来春結婚式を挙げる次女の前撮りロケの見学と観光のために京都へ向かった。午後1時頃から今宮神社、午後3時半頃からの祇園での撮影を見学。夕方、次女達と別れて次の観光地へ向かった。そして宿泊。好天に恵まれ、とても気持ちのよい一日だった。)

 

 

祇園の辰巳橋での撮影。観光中の外国人が珍しそうに二人の写真を撮っていた。

祇園の辰巳橋での撮影。観光中の外国人が珍しそうに二人の写真を撮っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

撮影スタッフと記念撮影。(京都祇園にて)

撮影スタッフと記念撮影。(京都祇園にて)

 
 

「平凡」のありがたさ

20 11月

人生は繰り返し
朝起きて、食事をして、・・・・・そして、夕食、テレビ、風呂に入って寝る。このようなことを毎日繰り返している。日々何の変化もないようでも1年、3年、・・・・・10年、20年と経過するとずいぶん大きな変化がある。

しかし、この平凡な毎日の繰り返しが、病気などでは乱れてしまう。行動が大いに制限され、おまけに気分がすぐれない。

こんなことを考えると、日々の過ごし方をあまりにも「成り行き任せ」にせず、積極的に動かねばと思う。いま、風邪をひいている。これだけでも、ずいぶん、行動が制限される。

若い頃は、特別に健康に気を付けなくても、体を悪くすることは少なかった。しかし、今は、必ずしもそうはならない。積極的に健康に留意しても、膝を悪くしたり、目が衰えたり、風邪をひいたりする。

風邪が治ったら、春先のようにウオーキングを始めたいと思う。春先は、車であちこちへ出かけ、その付近を歩いたものだ。いつも、自宅を出発点にすると景色も同じなのでそうしてきたのだ。「積極的に健康維持」・・・・これが今の私にとって一番大切なことだ。

(日記 午前中は、自宅で部屋の整理などをした。風邪をひいているので外出は控えた。終日、家の中で過ごした。明日は遠出をしたいと思うので、今日は早く休みたい。)

 
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“シングルイシュー”選挙

19 11月

国民を欺く可能性大
 選挙のたびに、「シングルイシュー」という言葉を耳にする。「シングルイシュー」とは、シングルイシュー・ポリティックスの略ですが、“争点を一つの論題に絞って有権者に訴えかける戦術”のことだ。わかりやすい政治とされる反面、有権者にとってデメリットが大きい選挙戦略だと思う。かつては、小泉氏は、「郵政民営化(2005年)」を争点にして小泉氏が戦った。

道路沿いのプランターに花を植える家内。

道路沿いのプランターに花を植える家内。

 有権者の多くは、「郵政民営化」には賛成だったかも知れないが、その他のことはあまり知らされずに選挙は終わってしまった。圧倒的な勝利を得た小泉政権は、翌年の教育基本法改定を十分な審議なしに、簡単に通してしまったと言われている。

 今回は、新聞の1面の見出しには「アベノミクス信任を問う(福井新聞)」とある。有権者の多くは、 経済問題だけで選挙を行う可能性が大である。集団的自衛権行使を容認した安全保障政策、原発再稼働問題等はあまり表に出さずに選挙を行い、勝利の後は、経済以外の問題を推し進めことになりはしないか。

 後で、国民が、こんなはずではなかったということにならなければと思う。そのためにも、「シングルイシュー」で経済問題ばかりを連呼し、選挙をすることを止めてもらいたい。与党は、与党らしく、重大な問題は、全て国民にその考えを明らかにし、国民の審判を仰いでもらいたいと思う。

来年の春には、中央にチュウリップも彩りを添えるだろう。

来年の春には、中央にチュウリップも彩りを添えるだろう。

 野党もまた、反対のための反対ではなく、そのの公約を明らかにし、審判を仰いでもらいたいと思う。また、消費税を10%にする前に、“身を切る改革”である議員定数削減などの選挙制度改革を進めてもらいたい。思いだしたが、衆院解散を表明した安倍首相の記者会見に対するマスコミ各社の質問も「シングルイシュー的質問」に終始していたように思う。

(日記 午前中は、家の雪囲いの最終仕上げ。午後は、畑でイチジクの雪釣り。エンドウを植える場所の耕耘作業。家内は、例年のように、道路沿いの丸形プランター(土管)にパンジーやビオラとチューリップの球根を植えた。信号が赤になったときに見てくれるドライバーがいれば幸いである。)

 
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風邪

18 11月

風邪によって鈍る行動力
 かなり長い間、風邪をひいたことがなかったが、最近風邪をひいている人と接することが多かった。そして、「いのせ文化祭」当日から、のどが痛く、咳をするようになった。

 せっかく、ここ数ヵ月間の忙しさから解放されたというのに、情けない。9,10,11月は様々な行事が立て込み、本当に忙しかった。

 特に、11月は、文化の日を含む3連休の他、その後の日曜日は全て行事で埋まってしまった。そこへ文化祭の準備や打ち合わせのために、公民館へ出かけたり、自宅で準備するなど多忙を極めた。

 やっと全てが終わったと思ったら風邪で行動力が鈍ってしまった。午前中は、いつものように、近くの小児科へ診てもらいに出かけた。

 薬をたくさんいただいた。なんとか早く直さねばと思う。冬への備えがもう少しある。雪囲いはほとんど終えたが、エンドウを植える場所を耕さなければならないし、イチジクの雪釣りもしておかなければならない。週末には出かけたいと思うが、風邪の程度によっては中止になるかもしれない。最近は、風邪を引くと若い頃に比べて回復が遅れる。風邪を引かないように気をつけなければと思う。

(日記 午前中は、風邪のため、近くの小児科へ出かけた。その後、公民館へ。文化祭の話しや今後のことなど館長と雑談。午後は、部屋の整理。とにかく風邪を早く治さねばと思う。)

 
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『3丁目の夕日』を見て

17 11月

診察待合室で
 昨日、済生会へ行った際、眼科の待合室で順番を待っていたが、その横に、たくさんの漫画『三丁目の夕日』が置かれていた。映画は見たことがあるが、漫画はあまり読まない。あまりにもたくさんの同名の単行本が置かれていたので、読む気にもなれなかった。

 しかし、自分の番がなかなか来ないので、そっと手に取ってみた。「昭和30年代の夕日町三丁目を舞台に描かれる懐かしき世界……」とあり、何となく気になってページを開いてみた。

 たくさんの単行本が出ているが、短い話が集まっている感じだった。そこで、その一つを読んでみた。なるほどと懐かしさで一杯だった。私も、何年か前に、自分の子供時代(昭和30年代)の自分の生活を詩らしきものにしていたので、漫画を読んで感動した。このブログでそれらを紹介できたらと思う。

・・・・・・昭和時代の子ども(7・5調)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

風 呂
 風呂を沸かすは  子の仕事
 手押しポンプで  水汲んで
 バケツに入れて  水運び
 胸まで差し上げ  風呂ヘジャー
 小学生には  重労働
 五回・十回   くーたくた

 おまけに釜から  水漏れだ
 火が消え煙が  もーくもく
 目痛い涙が  ポーロポロ
 薪持った手で  涙拭きゃ
 顔中炭で  インディアン
 笑い事では  済まされぬ
 外へ突進  二度三度
 新鮮空気で  元気つけ
 またまた煙の  中へ行く

 風呂が沸いたら  お隣へ
 「湯、入んに来とくんねんしぇー」
 当然ふれ事  子の仕事
 同じ湯再度 沸かした日
 「古湯ですけど、入んに来とくねんしぇー」
 またまた近所を  一回り

(※ 今はボタンを押すだけで、風呂に水を張って沸かしてくれる。しかも、好きな温度に設定できてぬるくなったら熱くしてくれる。熱過ぎずぬる過ぎず、保温までしてくれるのだ。昔は一体何だったのだろうかと思ってしまう。)

(日記 午前中は、数学。午後は、文化祭準備。)

 
 

ニュー『いのせ文化祭』開催

16 11月

体育館で開催

上段:「振る舞い餅つき」で杵を振るう山岸市長 下段:模擬店とそれを手伝う中学生ボランティア

上段:「振る舞い餅つき」で杵を振るう山岸市長 下段:模擬店とそれを手伝う中学生ボランティア

 これまでに、『いのせ文化祭』は,公民館の内外で行われていた。ステージ関係は,あまり広くないホールで、うどん・そば・ぜんざい等の飲食コーナーは,これもあまり広くない公民館横の駐車場で行われていた。

 そして、作品展示は公民館の2階で行われていた。公民館のホールで行われステージイベントは常に閑散としていた。開会式なども、無理矢理人を集めなければ来賓に申し訳ないぐらいの状況だった。

 そこで、今年は、会場を「体育館(林業者健康トレーニングセンター)」に移して開催することにした。ステージを中心に、観覧席を設け、その周囲に小型のカラーテント(240cm四方)の模擬店が並び、会場全体が“お祭り広場”になるように設定した。

ステージを賑わした子どもたちと模擬店(右下)

ステージを賑わした子どもたちと模擬店(右下)

 ガスを使って揚げ物をする模擬店だけは、安全を考えて体育館の玄関に設置した。おかげで、これまではステージイベントが全く見られなかった模擬店関係者も、ステージでの演技を見ることができるようになった。

 私も、活性会員会として、子どもたちのために、『駄菓子屋』を開店することにした。店番は中学生が引き受けてくれた。反省点もあるがこれまでより」はるかに活気のある文化祭ができたように思う。

ステージのバンド演奏を見る人たち

ステージのバンド演奏を見る人たち

(日記 午前8時より文化祭の『駄菓子屋』開店の準備。模擬店の様子を見ながら、午後3時まで、文化祭の裏方やステージで『片瀬豊年ばやし』を演じるなど、忙しい一日を過ごした。後始末をして帰宅したが、「終わった」という安堵感と風邪気味で疲れたという感じが入り交じった一日だった。)

 

甘ーいぜんざいを販売する「さわらび会」の模擬店からもステージイベントがよく見える。

甘ーいぜんざいを販売する「さわらび会」の模擬店からもステージイベントがよく見える。

 

遠方より友来る

15 11月

50年前の先輩
 私は、大学入学直後、バンドを組みたいと思っていた。寮で仲間を集めて合奏等を楽しんでいた。そして2年になった時、1学年上の工学部の連中がバンドを始めたの、私も入部することにした。

 そして、大学でのバンド活動が始まった。そのとき、1学年上で初代の軽音学部部長を務めたSさんが福井での同窓会の後、私のところへ尋ねてくることになった。(私は2代目部長)

 私の事務所で約2時間雑談をした。Sさんは、私の使っている音楽ソフトに特に興味を持ったようだった。昔話やこれからのことなどいろいろ話が弾んだ。

 その後、焼き鳥屋でさらに2時間歓談した。いつかは初代のメンバーでバンドをやりたいという願いを持っている。今の予定では、再来年、福井でのOB演奏会に一緒にバンドを組む予定だ。

会場の体育館を「お祭り広場」に変えた後、一休み。さわらび会の皆さんの作ってくれたおにぎりをいただいた。

会場の体育館を「お祭り広場」に変えた後、一休み。さわらび会の皆さんの作ってくれたおにぎりと味噌汁をいただいた。

 50年前に一緒にバンドをやっていたおかげで、二人とも、青春時代に逆戻りした様な気分になった。OB会の合い言葉「第二の人生に音楽を」をこれからも大切にしたいと思う。50年前の先輩との再会が又、夢や勇気を与えてくれたように思う。

(日記 午前中は、いのせ文化祭の準備のために、体育館へ行った。前半は、会場設営。後半は子どもたちのために、『駄菓子屋』開店準備。一段落したところで食生活改善推進員「さわらび会」の皆さんの作ったおにぎりをいただいた。その後も、模擬店開店の準備や看板作りなどを続けた。50年前に一緒にバンドを組んでいたSさんが私を訪ねてきた。午後3時から午後7時まで私の事務所と焼き鳥屋で歓談。旧交を温めた。)

 
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紅葉の那谷寺へ

14 11月

ガイドの説明を聞きながら境内を散策
 OB会の旅行で、那谷寺へ行き、温泉で昼食を取る日帰り旅行に参加した。那谷寺については、白山や泰澄大師ゆかりの寺ということしか知らず、これまで出かけたこともなかった。

 ガイド本などによれば、次のように書かれていた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・

雨の那谷寺境内をガイドの説明を聞きながら散策。

雨の那谷寺境内をガイドの説明を聞きながら散策。

 真言宗の別格本山。広い境内は奇岩遊仙境と称される。紅葉狩りの名所としても有名。奈良時代、泰澄法師によって開かれた、美しい岩山と四季の草花に囲まれた歴史ある寺。広い境内には奇岩が集まった岩窟や霊石などがあり、山水画のような美しい景色が広がる。本堂、三重塔、護摩堂ほか重要文化財が多数残る。

  白山の神を信仰し、洞窟の中に千手観音をまつっている。 洞窟は母親の胎内とみて古い時代より、「胎内くぐり」の聖地です。 新たに生まれ変わり、罪が浄められると信じられてきた。 平安時代花山法皇により岩屋寺より那谷寺と改名された。 中世には一向一揆等の戦乱で、伽藍が焼失、江戸時代、三代藩主前田利常公が荒廃を嘆き、再興された。 現在は7棟の国重要文化財と、名勝指定園があります。

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紅葉と岩山の仏像群と展望台。

紅葉と岩山の仏像群と展望台。

 確かに、広大な境内に岩山があり、紅葉がきれいであった。ここにも、泰澄伝説が生きているという感じだった。現在は、かなり観光地化された寺でもあるようだ。

(日記 午前8時半に勝山を出て、那谷寺へ。その後、山中温泉へ。総会、入浴、昼食。入浴は、露天風呂に入った。雨が降っていたので、屋根のない露天風呂“湯畑”には私しか入浴していなかった。谷川のせせらぎの音を聞きながら紅葉を眺めていると命の洗濯をしているという感じだった。午後4時に勝山へ到着。早速、公民館へ向かい、文化祭の準備。午後7時半より、「いのせ文化祭」で司会をするSさんと打ち合わせ。当日、Sさんには私の作った拙い『振り込め防止の数え歌』を歌ってもらうつもりだ。昨晩作ったカラオケで練習してもらった。)

 
 

児童の前に立って

13 11月

南小学校の生活発表会に参加
 南小学校の1年生の先生から頼まれて、生活発表会の「1年生の発表~まちの名人~」に出演することになった。300人あまりの全校生徒と保護者の前で、紙芝居の一部を披露するというのだ。幼稚園の演じも最前列に陣取っていた。

紙芝居の一場面。

紙芝居の一場面。

 私と家内は、紙芝居名人ということで、恐竜の登場する「タン吉コン子旅日記」の3つの場面を演じることになった。全校生徒の前なので、パワーポイントで演じたのだが、とても新鮮だった。

 時間の都合上、3場面だけしか演じることができないので、場面を選ぶのには苦労した。タヌキのタン吉が「チチン。プイプイ。ホーイノホーイ!」と言って恐竜に化ける場面では「パンパカパーン?」とハーモニカを吹いた。子どもたちは静かに見てくれたよだった。

 これまで、1年生では、2回紙芝居を演じていたので、少し知り合いができたようだった。ステージ上で、子どもあっちを見ていると現役時代のことがおも出されて懐かしかった。

 私も、最近は、学校から頼まれたことは何でも引き受けるつもりでいる。過去を気にせず、今を大切にして子どもたちに接していられたらと思う。よい経験になった。

(日記 午前9時半から南校の生活発表会で紙芝居を演じた。時間の都合上、わずか3場面だったが楽しかった。終了と同時に、「いのせ文化祭」の打ち合わせのために猪野瀬公民館へ向かった。午後も文化祭の作業を継続。)