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孫の発表会を見に行く

04 12月

席取りに並ぶなんて

オペレッタ『ジャックと豆の木』を演ずる幼稚園の孫達。

オペレッタ『ジャックと豆の木』を演ずる幼稚園の孫達。

息子の孫の発表会を見るために幼稚園へ向かった。福井の孫の時もそうであったが、横浜の孫たちの発表会に保護者は並ばなければならないのだ。まるで、スターのショウを見るために並ぶようなものだ。

各年代5クラスずつあるそうだ。そのため、発表会は、全年齢を3班に分けて行うそうだ。保護者は、少しでも見やすい席を確保するために、幼稚園の外で並ぶことになった。快晴だったのでよかったが、雨でも降ったら大変だ。

午前9時になると、園長先生の挨拶が始まり、年少、年中、年長の園児の歌や踊りの発表があった。息子の次女は、年長組なので、オペレッタ『ジャックと豆の木』を演じた。

芝居や歌があり、セリフの合間や歌の伴奏はステージを見ながら担任教諭がピアノで伴奏するのだ。自分の子供が演ずる時には、ステージの真ん前に用意されている絨毯席で見ることができる仕組みだ。

年長組の孫達の合唱。子供が多いので年長組だけで5クラスもあるのだ。

年長組の孫達の合唱。子供が多いので年長組だけで5クラスもあるのだ。

一つ、プログラムが進むたびに、保護者の入れ替わりがあるのだ。体育館は、ビデオやデジカメを持ったたくさんの保護者が我が子に狙いを定めて撮影している。体育館は熱気で溢れていた。

(日記 孫の発表会を見るために、午前8時過ぎに息子宅を出て幼稚園へ向かった。初日の午前中に割り当てられているのだ。会場は熱気ムンムン。それでも、いい経験にはなった。午後は、孫たちのアルバム撮影と年賀状者写真撮影に写真館へ行くという。我々も付き合うことにした。7歳までの幼児のさまざまな衣装が並べてあるスタジオで孫たちは髪をセットし、いろんなポーズを決めながら、撮影するのだ。着飾った孫たちと一緒に、私たちも記念写真を撮った。楽しい経験だった。)

 
 

雪のち日本晴れ

03 12月

勝山から横浜へ

えち鉄の車窓から。

えち鉄の車窓から。冬の到来。

所用で息子の住む横浜へ向かうことになった。自宅を出るときは、雪。タクシーを頼んだが、予約でいっぱい。車を駅に置きっぱなしにしたいが、もしもたくさん雪が降って除雪で車を移動したい場合は、迷惑がかかるだろうと、歩いて勝山駅へ。

越鉄で福井へ向かう。真っ白な世界が、雪のない世界へ変わる。しらさぎで滋賀県に入ると、晴れ間が見える。東海道を走る頃には、ほぼ日本晴れ。富士山もくっきり。日本海側が雪になると、太平洋側は空気の澄んだ快晴になるだろうか。

表面的な違いを羨ましく思っても仕方がない。この雪の恵みは春以降のきれいな水につながっているのだと思う。この気候の厳しさは人間の成長の過程でもなんらかの影響を及ぼしていると思う。

世の中にいいとこ取りはないと思っている。それよりも、あるものの良さを生かし、与えられた環境の中で自分を生かす方が良いと思っている。

新幹線の車窓から。快晴のなか富士の姿がくっきり。

新幹線の車窓から。快晴のなか富士の姿がくっきり。

どこに住んでいようと、時間は等しく流れているのである。冬の厳しさ、寒さが春の暖かさを感じ、人間の感性を豊かにしているのだと思う。東北に豊かな郷土芸能が多く残っているのもわかるような気がする。そんなことを考えながら、空を眺めていた。

(日記 午前9時50分ごろの電車で勝山を出て横浜へ向かった。新横浜で少し買い物をして息子の住む横浜へ到着。数日間滞在する予定。)

 

 

 

 

土産のゲームで孫達と遊ぶ。

土産のゲームで孫達と遊ぶ。

 

 

 
 

いよいよ衆院選

02 12月

反省しながら前へ進んでほしいと思うが
 政治家の言動には特徴がある。それは、よほどでない限り反省しないということではなかろうか。強気一本である。反省すれば、自らの非を認めることになるからだろうか。

 選挙の時は経済政策一辺倒、選挙が済めば、別の方向、または国民のあまり期待せぬ方向へ歩み出すのが常だ。原発について言えば、安全性と核廃棄物の処理の方針を明らかにしてから再稼働すべきではなかろうか。少なくとも、フィンランドではその点を明らかにして動かしているように思われるが。

 「国益が損なわれるときには武力も……」と世界の国々がそれぞれ考えたらどうなるだろうか。TPPの進捗状況を見るまでもなく、それぞれの国の国益は皆異なる。どこで折り合いをつけるかだ。

 過去の例から言えば、折り合いがつかないときには、武力衝突になるのだろうか。そうした結果、戦争が引き起こされたのではなかろうか。昨日の党首討論で首相に対して、「先の大戦の責任は誰にあるのか、軍部か、政治家か、国民か、それとも、……。総理はどう思うか。」と野党の党首から質問があった。もちろん答えはなかった。

 たくさんの国会議員がいても、反目し合っているようではそれこそ国益を失うことになる。議論は大いに結構だと思うが、知恵を寄せ合い、それこそ国益を失うことなく政治を進めてほしい。与党が勝つにしても、健全なる野党の存在は不可欠だと私は思う。ユダヤ人の格言に「満場一致の意見には気をつけろ」というものがある。どうでもないことを決めたか、何らかの理由で裁決がゆがめられた可能性があることを疑わなくてはいけないという。

(日記 午前中は、「まちづくり大会」の手持ち資料(レジュメ)づくり。その後、A君と会い、資料やまちづくりについて話し合う。午後は、自宅に帰って発表のためのパワーポイントによる資料づくりを継続。一日があっという間に、終わってしまった。) 

 
 

活性化委員会に関わって

01 12月

「ふるさとづくり大会」で発表
 知人に頼まれて、「ふるさとづくり大会」で活性化委員会について発表することになった。昨年あたりから、この委員会の活動に関わり、4月から委員長として本格的に関わることになった。

 地区の諸活動に対しては、様々な委員会がある。自分もこれまでいろんな委員会に関わってきた。しかし、その多くは、役所の下請け的な組織であったり、「充て職」で構成されていて、前例踏襲型の組織であった。しかし、今、所属しているこの委員会は、自ら委員になっただけに、そうした制約はなく、何が地域の活性化にとってよいのかを考えながらやる組織だ。

「地域力向上基金」で購入したカラフルな小型テントの模擬店が並ぶ「いのせ文化祭」。

「地域力向上基金」で購入したカラフルな小型テントの模擬店が並ぶ「いのせ文化祭」。

 しかし、前向きの組織であるだけに、何かを決めるためには、かなり時間がかかる。話し合うことの苦手な者には苦痛かも知れない。私は、話し合うのが好きだから、気にはならないが、時間だけは有効に使わなければと思う。

 地域力向上基金の使途を決めて(区長会には了解を取り)いろんな物品を購入してきたが、それらが地域で有効に活用されることを望む。地区の組織をあげて取り組んできた「文化祭」は成功したのではないかと思う。そして購入した物品も有効に活用されたのではないかと思う。

 これまで葉、既存事業の活性化を支援してきたが、今後は、新規事業の開拓や、「地域ビジネス」、または「生き甲斐ビジネス」の発展に寄与できればと思う。

(日記 午前中は、部屋の整理。午後は、パワーポイントを使って「ふるさとづくり大会」の発表資料づくり。一日があっと言い間に終わってしまった。)

 

収穫感謝祭

30 11月

米価の下がる中で農業を守る

そば切り、そして餅つき。私は臼取り。

そば切り、そして餅つき。私は臼取り。

 今日は、村で作った『農事組合法人かたせ』の収穫感謝祭。私は、膝の手術をした後なので、今日はいつものソバ打ちではなく、そば切りを行った。たくさんのそばを切ったので、指に血豆ができた。

 その後、餅つき。男二人と子どもで餅をついた。私は、臼取り。昔は、母や祖母がやっていた仕事だ。美味しそうな餅がつきあがった。農舎では里芋を始め、野菜の販売。

 その後、集会場で収穫を感謝して宴会。打ち立てのソバ、里芋の煮っ転がし、焼き鳥、イノシシ肉の焼き肉、漬け物などがあり、酒とビールを飲みながら歓談。子どもたちも参加し、県議、市議も加わり、賑やかに収穫を感謝。その後、ビンゴで商品ゲット。

 後継者不足の農業ではあるが、何とか村で組合を作って、こうして収穫を感謝できることはよいことだ。私も、田植えや稲刈りには人足として参加した。

家内は農舎で野菜販売の手伝い。

家内は農舎で野菜販売の手伝い。

 間もなく衆院選挙。農業についてあれこれ各党が述べているが、農業のことを知っている人はどれだけいるのだろうか。農業まではアベノミクスが届いていない。米価は一俵あたり2000円も下がったのだ。今日は、そんなことは別にして、みんな楽しく収穫を感謝し、楽しいひとときを送った。

(日記 午前中は、私は、集会場で収穫感謝祭の準備。今日はそば切り、餅つきなどを行った。家内は、組合の農舎で野菜の販売に出かけた。午前11時からは、全員が集会場に集まり、収穫感謝祭。腹一杯いろんなものを食べることができた。午後3時頃から、自転車で事務所へ行き数学。家内は野菜の収穫。途中で、トマトの支柱を解体。充実した一日だった。)

 

収穫感謝祭スナップ。ソバ打ち、焼き鳥、宴会。楽しい収穫感謝祭だった。

収穫感謝祭スナップ。ソバ打ち、焼き鳥、宴会。楽しい収穫感謝祭だった。

 
 

「現状分析」「前例改善」「内容重視」で“まちづくり”

28 11月

「前例踏襲」は退歩
 事に為すに当たっては「現状分析」,「前例改善」,「内容重視」は,現役時代,私が大切にしたことである。退職した今は、地区の活性化委員会に所属し、微力ながら何ができるかを考えている。

 何か行動を起こす場合に、唐突に「〇〇をする」とか「〇〇をしてはどうか」と言われても,困惑する。目指す方向を明らかにして行動しなければ持続しないし理解もされない。

増田寬也氏の『地方消滅』。この本を使って人口問題を話し合ってみたいものだ。

増田寬也氏の『地方消滅』。この本を使って人口問題を話し合ってみたいものだ。

 地区の活性化委員になって最初に考えたことは、最初の「現状分析」であるが、「今、地域はどうなっているのか」、「地域では何が問題なのか」を考えてみた。特に、地域の人口構成を調べることから始めた。私のような個人ではなく、国や省庁、地方自治体でも同じことだと思う。最近起こったことを、一例に出せば人口問題がある。

   今春だっただろうか,日本創成会議の増田寛也座長が,新聞や雑誌等で「2040年には、20歳~39歳の女性が50%の市町村で半減!」、「地域が消滅する」と発表し、日本各地に衝撃を与えた。我が勝山市も、大幅に人口が減少し、「町」と人口が逆転するそうだ。その後、各地で人口問題がにわかにクローズアップしている。他から指摘されるまでもなく、行政は常にこれらをつかんでおくことが必要ではなかったのか。

 私は、十数年前から今年まで勝山市や自分の地区の人口データを市役所で入手している。我が集落では、一人暮らし、二人暮らし、三人暮らしの家庭を調べてみた。残念ながら、我が集落では、「一人または二人暮らし」の家庭が、全戸数の3分の一に達している。これでは10年後、20年後に集落はどうなるかがわかってしまう。当然このことは月二回発行の瓦版で区民の皆さんにお知らせしたが、対策は簡単ではない。我が集落も、我が地区にとっては大きな問題だ。何をすればよいかを考えている。難問だ。

(日記 午前中は,昨日の大工仕事の続き。空きスペースを生かした収納スペース作り。市販のものはスペースに無駄が多いので、廃棄して手作り。特に、空間を活用した収納を考えた。午後も作業を継続。午後3時から,事務所で数学。途中で、Aさんがやって来た。再来週の土曜日のまちづくりの発表についてだ。活性化委員会の活動を発表することになっている。夜は、市民活動センターでこれまでの「エコミュージアムによるまちづくり」から、「ジオパークによるまちづくり」についての会合に出席。市長の説明を聞いた質疑が行われた。元役所勤めのみには疑問や意見の相違については意見が言いづらいところがあった。)

 

スペースを有効に活用した“収納”場所づくり

27 11月

年末になるとなぜか大工仕事
この年になると、いろんな衣服がたまってくる。ショッピングで気に入ったと思って買ったものが、一度着ただけで、もう着ないもの、他人からもらったものなどたくさんある。

箪笥は一杯になり、市販の衣装ケースも思うように収納できない。それは、使えるスペースと収納ケースの大きさがうまくマッチしないからだ。また、空間を利用できないものもある。

そこで、今日は、衣裳をたくさん収納できてそのうえ、空間もうまく利用できる衣裳収納具を作ることにした。まず、白紙におよその形を書いて必要材料を割り出し、ホームセンターへ向かった。

角材やねじくぎ、ベニヤ、ステンレスパイプなどを買い、作業を始めた。どこをどう組み合わせると、スペースを有効に活用できるかを考えながら、作業を始めた。特に、収納具の上のスペースも有効に活用したいと考えた。

およその形が出来上がったところで夜になってしまった。明日も作業を続けなければならない。完成したとき、家内はどう思うだろうか。こちらは自信があるつもりだが、明日にならなければわからない。市販のものはこちらの空きスペースのことを考えてくれない。そのため、毎年暮れになり整理整頓を始めると、大工仕事が始まるのである。モノを作ることは楽しみでもある。

(日記 来週は東京へ行くので、今のうちにと思って、年末の掃除や整理整頓を始めた。今日は、衣服の整理をするための、場所づくりを始めた。箪笥からはみ出した衣裳は市販の衣装ケースにハンガーで吊ってあるが、スぺースが有効に使われていない。そこで、自分で作ることにした。ホームセンターで、材料を買い、作業を始めたが、夜までには終わらなかった。続きは明日だ。夜、先日収録した猪野瀬地区のまちづくりの様子がNHKで放映されていた。数人の知人から見たよとのメールが届いた。)

 
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地域への関心

25 11月

家庭と職場で完結する日々の生活
現代人の生活は大人も子どもも家庭と職場(または学校)の往復で完結しているように思われる。子どもなら、自宅と学校を往復し、それに習い事などで教室や練習場等を往き来すれば生活は成り立つ。
自由な時間があれば、テレビやゲームなどで過ごすことができる。少し大きくなれば携帯家ネットがあり、友達との連絡はメールで済ませることができる。大人もよく似ている。

職場が広域になれば、自由な時間はそんなに多くはない。土・日は身体を休めたり、家事や家庭サービスなどに追われて,とてもではないが、地域で活動する精神的な余裕はないように思われる。
先ず最初に自分の生活があり、よほどでないと、地域の活動に精を出す現役世代は少ない。そうした時代を過ごした者が次の世代を育てても、地域に関心を持つものが育つ可能性はきわめて少ない。

地域社会が崩壊していくのは明らかであろう。そして今、地域社会の崩壊が問題になり、「地域再生」が声高に論じられている。今回の選挙でも、それらが問題になろう。
しかし、一度災害が起こると、地域に無関心であった者も地域に関心を持たざるを得なくなる。最近の日本はまさに“災害列島”である。自然災害が頻発している。そうした地域では、地域に目を向ける人が少なくない。そうなる前に、地域に関心を持つ人が増えることを期待する。そして、その鍵は、子ども時代の過ごし方にかかっていると思う。今日の活性化委員会では先日の「いのせ文化祭」の反省と共にこんなことも話し合った。

(日記 午前9時半より、猪野瀬公民館で「11月活性化委員会」の定例委員会を開催。文化祭の反省と共に、今後のまちづくりや地域の現状について話し合った。今日はNHKの記者が猪野瀬地区に入り、いろいろ取材している。地域の特色やまちづくりなどについて地域内を取材しているようだ。午後は、事務所で数学。なかなか思うようには進まないが、それでも毎日取り組めば少しずつは進んでいくだろうと思って焦らずに取り組んでいる。“毎日パワー”に期待しているところである。 )

 

空腹の昭和時代

24 11月

自然の中でたくましく
子供時代のことを思い出すと、いつも空腹だったように思う。食べるものは粗末なものが多かった。ただ、田舎だったので、質的には貧しくても、量的には恵まれていた。

しかし、自然の中には食べるものがいっぱいあったし。冷蔵庫も、お菓子もほとんどなかったが、身の回りの物を探して口に入れていたように思う。いまなら食べないような生のモノもたくさん食べた。ナスなどは生で食べてもおいしかった。いまでも食べられる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『昭和時代の子供たち』より ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

空腹
家へ帰れば  腹が減る
天井に吊った  かき餅は
服を投げたら  落ちてくる
生でかじれば  歯が欠ける
でも背に腹は  かえられぬ
腹ごしらえは これでよし
戦闘開始だ  遊ぼうぜ

 

有り余るほど甘く大きい実をつけた「イチジク」。今日は感謝の雪つり。美味しい果実を多くの人に何度も差し上げることができたし、ジャムまでたくさん作ることができた。

有り余るほど甘く大きい実をつけた「イチジク」。今日は感謝の雪つり。美味しい果実を多くの人に何度も差し上げることができたし、ジャムまでたくさん作ることができた。

食べられる物
何もない家  子にゃ宝
食うものなけりゃ  探そうぜ
何でも食べる  サバイバル
待てずに食べる  青い柿
ざくろ・イチジク  すいこんぼ
拾って食おう  栗・べっこ
桑の実食えば 人食い人
生でも食おう  サツマイモ
人参・キュウリ  茄子・トマト
パンツで拭けば  ビッカピカ

御裾分け
結婚式だ ご馳走だ
おっとどっこい  ちょっと待て
隣近所へ  御裾分け
せっかく貰った ご馳走が
羽を生やして  逃げていく
回り回って  お返しが
忘れた頃に  やってくる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(日記 午前中は、家庭の仕事をすると決めた。まず、トマトの雨よけを分解して片付けた。また、有り余るほど実ったイチジクに感謝して雪つりを行った。その後、農作業用の小屋を片付けた。午後は、久しぶりに数学の参考書作り。時間はかかったが、楽しかった。)

 
 

“モノ余り”の時代・・・・・昭和の思い出

23 11月

一升瓶の水
一升瓶の中に水が入っているとする。水がたくさんあれば、空気の部分は少なく、水が少なければ空気の部分は大きい。これと同じように、子供たちにものを与えれば与えるほど、自分で考える機会は少なくなるように思う。

戦後の貧しい時期の子供と、今の子供の違いは歴然としている。一般的には、ゲームもテレビも漫画等もほとんどなかった昭和時代の子供たちの方がはるかに創造性はあったように思う。

それは、今も昔も子供の「遊びたい」という欲望は同じであるが、遊ぶ道具が与えられていれば、創意工夫を凝らして遊ぶ必要がないからではなかろうか。

・・・・・『昭和時代の子供たち』から ・・・・・

何もなし
何もない家  子にゃ宝
ないから考え 湧いてくる
物と思考の  シーソーだ
物多ければ  思考減り
物少なくば  思考増す
何もないから  考える
物溢れれば  創意なし

何にもない家  退屈だ
表へ出よう  友がいる
友集まれば  遊びあり
遊びの中で  わかること
我慢・生き甲斐  思いやり
何もないなら  作りゃいい
昭和の時代  物不足
平成時代  物余り
「何あり」「何なし」  考えて
幸(しあわせ)探し  始めよう

物、物、物
物があるから  考えぬ
物あり過ぎて  考えぬ
あるからなくて  なけりゃある

考える暇  与えずに
物を作って  儲けてる
考える暇  ないほどに
物を作って  売りまくる
物に溺れて  物を買う
物に流され  物を買う
物を買うため  働いて
働いてまた  物を買う

気がつきゃ「時」が  流れてる
買えない「時」が  減っていく
貴重な「時」が  過ぎていく
気がつきゃ子育て 終わってる
後でどんなに 悔やんでも
月日はただただ 進むだけ

(日記 午前9時に新穀感謝祭のために神社へ新米を持っていく。午前10時より、白山神社で『新穀感謝祭』の神事。その後、なおらいでしばし歓談。午後3時より、車庫の整理。実験のためのショウガの種を収穫。)