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再び「人間信頼の感情を育てる」

02 2月

古くならない恩師の言葉
 今から48年前、私は教員3年目で、N校長の下で働くことになった。小学校時代にも、このN先生はおられた。授業を受けたことはないが、「先生を描く写生大会」があって、私はN先生を描いたことを覚えている。

『爺ちゃん勉強』の後の孫達との語らい。楽しいひとときだ。

『爺ちゃん勉強』の後の孫達との語らい。楽しいひとときだ。

このN校長は学校目標として「人間信頼の感情を育てる」を掲げられたのだ。N先生の指導法は、直接あれこれせよということはほとんどなかった。私達、若い教員(当時私は24歳)に対しても指示や命令をされることはほとんどなかった。

しかし、私達は、先生の背中(言動)から多くのことを学ぶことができた。そして、私にとっては、恩師の一番に上げることができ、尊敬できる先生だ。私生活でも父親のごとく、お世話になった。

今の世の中、経済や効率。自国の利益や自分の利益を求め過ぎて、おかしくなっているように思う。人間信頼の逆を進んでいるように思えてならない。そして、国と国との格差、国の中での格差が広がるばかりのような気がする。

ピケティー教授の本が売れるのも、わかるような気がする。結局、世の中、人間同士の信頼感が失われ、暴力や武力に頼らざるを得ない状況になっているように思えてならない。この調子では、平和は遠のくばかりのような気がする。改めて、私達は、「人間信頼の感情」を育てることに力を入れなければならないのではなかろうか。

(日記 朝から、終日、幼児紙芝居の絵を描き続けた。午後7時から横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。)

 
 

おふくろさん

01 2月

演歌「おふくろさん」を聴いて
昼ご飯を取りながら『NHKのど自慢』を見ていたら、年配のおじさんが森進一さんの「おふくろさん」を歌いながら、感激しておられた。何度聴いても心に染みる歌だ。

午後は、紙芝居の絵を描きながら、ラジオを聴いていたら再び「おふくろさん」が流れた。いい歌だと思った。何番を読んでも心に響いてくる詩だ。

♪……お前もいつかは世の中の 笠になれよと 教えてくれた あなたの あなたの 真実 忘れはしな い……(1番より)♪(作詞:川内康範)

母に捧げる歌母が病院で亡くなった直後、あちこちへ連絡に走る車の中、ずっとこの歌が頭の中を駆け巡っていた。高1の4月に父が亡くなり、女手一つで私達兄妹3人を育ててくれた母親の苦労は想像に絶するものであっただろう。

母親の三十三回忌に当たり、私も演歌『母に捧げる歌』を作った。しかし、こんなことでは母の恩に報いることはできない。母親の亡くなった年を20歳も上回ってしまったが、やはり、母親は私の頭上にある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『母に捧げる歌』( http://inakamon.net/song/s_haha.html )

(日記 午前中、先ず最初に除雪機で家の周囲を除雪。その後、家の整理整頓。そして、紙芝居の絵描き。午後も作業を継続。)

 

 

 

 
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志を立てざるべからず

31 1月

『吉田松陰一日一言』より
NHK大河ドラマ『花燃ゆ』がスターとした。あまり人気がないという。総理のふるさと山口が舞台だ。以前に何度か、修学旅行で高校生達と吉田松陰のふるさと萩や松蔭の私塾「松下村塾」を見学した。

味わう言葉がたくさん載っている本。

味わう言葉がたくさん載っている本。

この地を訪問するに当たって、松蔭の時代の歴史を事前に学ばなければ、「松下村塾」と言っても、単なる小さな一軒家にしか過ぎず、訪問の目的を果たせないと考えたものだ。

数日前、図書館で『吉田松蔭一日一言』を借りてきた。大河ドラマも見ているので何か得るものがあるだろうと考えてのものだった。サブタイトルに「魂を鼓舞する感奮語録」とあるように激しい言葉が並んでいた。

「道の精なるとならざると、業の成ると成らざるとは、志の立つと立たざるとにあるのみ。故に士たる者は其の志を立てざるべからず。夫れ志のある所、気も亦従ふ。志気の在る所、遠くして至るべからざるなく、難くして為すべからざるものなし。」

訳】人としての生き方が正しくすぐれているかそうでないか、また、仕事や勉強などがうまくいくかいかないかは、志があるかないかによる。

 だから、武士たる者は志を立てないわけにはいかない。つまり、志があればやる気もまたそれに従うものである。志とやる気があれば、目標が遠すぎて到達することができないということはなく、また、難しくてできないということもない。

なるほどと思う。誰もが味わうべき言葉であると思う。楽しくやらねばと思う。励まされる言葉がたくさんある本だ。

(日記 午前中は、事務処理。午後は家内と「市営プール」へ行く。もっぱらプールの中を歩き、少し泳ぎ、サウナ、ジャグジー風呂を二回りして帰宅。外は雪だが、中は夏。汗をかいていい気分だった。帰宅して孫の学習計画立案。)

 
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西高東低だと雪と快晴に二分化

30 1月

暖冬のまま終わるのだろうか
一昨年は、雪下ろしをしなくてもよかった。昨年は、雪下ろしはもちろんのこと、除雪機に一度もガソリンを入れなくてもよかった。今年は、正月に一度先のことを心配して早めに除雪したが、その後のことを考えると、しなくてもよかった。

これから先のことはわからないが、屋根の上に雪はほとんど見当たらない。今年もこのまま暖冬で終わるのだろうか。そうだとしたらありがたい。

話は変わって、今日は東京に雪が降っている。最近、何度か東京へ出かけているが、西高東低だと、北陸や東北、北海道の日本海側は雪が降っているが、関東地方は晴れている、というよりも、日本晴れのような状態だった。

次女の結婚式のあった先週は、ありがたいことに春のような陽気だった。しかし、今日は東京にも雪が降っていた。結婚式の日が今日のような天候だったら大変だっただろう。幸い先週は 春のような陽気だったので、結婚式に出席してくれた親戚の皆さんは東京見物を楽しんだようだった。

いかに文明が発達しても、天候だけは思いのままにはいかない。幸運を喜び、不運を嘆くしかない。でも、冬はやはり、一定の雪があった方がよい。気分が落ち着くし、春のありがたさが倍加するからだ。「ゲリラ豪雨」や「爆弾低気圧」など日本列島の様々な天候を感じた一年だった。

(日記 午前中は数学。午後は、幼児向けの新たな紙芝居の下絵描き。〇歳から2歳ぐらいまでの幼児をいかに引きつけるか、私の力が試される。来週の金曜日に「子育て支援センター」の出番があるからだ。午後4時半に来客。まちづくりについて少し話し合う。夜は、のんびり。)

 
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センター試験問題を解いてみる

29 1月

役立つ“セオリー集(自作の参考書)”
一段落したので、昨日から本格的に数学の参考書作りを再会。今日は、先日行われた「センター試験」の「数学1・A」の問題を解いてみた。

それは、今作成中の「数学参考書」が受験生に役立つかどうかを確認するためだ。昨年も解いてみて大いに役立つという確信を得たが、今年も同様に役立つという確信を得た。

数学の苦手な人に伝えたい。次の二つを身につければよい。
1.先ずは、「公式」を理解し、「基本的な解法」を身に付けること。
2.公式や基本的な解法を駆使して“考える”こと。(考えなければ数学ではない)

私は、特に、1の「基本的な解法」を中心に参考書作りを行っている。センター試験の問題の多くは、1の「基本的な解法(セオリー)」をそのまま出題しているか、1を組み合わせて少し考える問題を出題している。

勉強時間が無限にあるのなら、数多くの問題を解けばよいだろうが、高校生活は数学だけではないし、部活動もあって時間はそんなにないはずだ。そこで基本を身に付けておけば、かなり対応できるはずだ。それに本番の試験では,60分で5問(必須問題3問、選択問題2問)を解かなければならない。のんびりと考えている時間はない。考える時間を確保するためには基本的な問題はさっさと解かなければならない。それには、我が参考書は大いに役立つと思っている。特に、数学の苦手な者には是非とも使ってみてほしいと思っている。

(日記 午前中は、数学のセンター試験「数学Ⅰ・A」を解いてみた。現在制作中の我が参考書が役立つことが確信できた。最近、机にしがみついてパソコンをながめていることが多かったので 、午後は家内とウオーキング。天気がよかったので、住宅地をズックで歩いた。夜、録画しておいたビデオを見る。)

 

 
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一段落、そして……

28 1月

このブログの目指すものは
私の子ども達は福井(長女)と東京(長男・次女)に務めている。そのため、お互いの動向は非常に把握しにくかった。そうした理由もこのブログをか書き続けている理由の一つだ。しかし、3人とも家庭人となって私達も一安心だ。そこで、今年度中には、このブログをどうするかを考え直してみたい。在職中の2008年4月から2010年3月までは毎日日記をつけてきた。そして、2010年4月から今日まで約5年間、一日も欠かさずブログを書いてきた。

本当はもっともっと自由に書きたいと思うことがあるが、過去の自分が邪魔をして本音の手前で留まっている。とくに最近は政治家の言動が気にかかる。農業にほとんど関わったことのない者が農業を語り、原発の問題点を熟知しているのかどうか怪しい人が積極的に再稼働を語っているのはどんなものか。

自国の経済優先の政策が必ずしも自国民の豊かさに繋がるとは限らない。一部の豊かさが他の者の不利益の上に成り立っている場合も少なくないのではなかろうか。そんなとき利益の再配分機能を構築するのが政治の力ではなかろうか。みんなが豊かになることなどはあり得ないのだから。

また、経済的な豊かさが人の心の豊かさに直結するとは限らない。戦後の貧しい時期とは異なり、成長戦略と言っても、限りなく成長していくとは限らない。無から何かを生み出さない限り、地球という限られた範囲の中で無限に成長することなど考えられないのではないか。世界の多くの人が平和を願いながらどんどん逆の方向へ向かっているように思えてならない。

『文藝春秋』(2月号)に倉本聰氏の書いた「北の国から見た欲望まみれの日本人」には同感できる部分が多かった。“自然に「右肩上がり」はない”の持つ意味を味わいたいものだ。

(日記 午前中、ブログの残りを書く。久々に数学再会。午後も、のんびり数学。平凡な日常が戻ってきた。)

 
 

音楽と生活

27 1月

趣味から生活へ
昨日まで次女の結婚式のために上京していた。次女が広い東京で連れ合いを見つけたのは、音楽(バンド)であった。音楽が二人を結びつける役割を果たしていたのだ。

上段:「寝る前に1回練習しよう」。パジャマ姿で合唱練習。中段:歌の練習。下段:フラダンスと一緒にハワイアンバンド。

上段:「寝る前に1回練習しよう」。パジャマ姿で合唱練習。中段:歌の練習。下段:フラダンスと一緒にハワイアンバンド。

次女は、転勤した大阪でも、東京でもネットでバンドを見つけ、活動していたのだ。出会いきっかけは音楽だ。かくいう私も音楽が縁での結婚だ。人は思わぬところから繋がるものだ。

今回の結婚式でも、孫達に活躍の場を与えたかった。そこで、長男と長女の家族全員による演し物をすることになった。長女が企画し、孫達中心の合唱団(少し大袈裟)をつくって結婚式によく歌われるという木村カエラさんのに『バタフライ』を歌うことにして、正月に我が家で2回ほど練習した。

二つの家族を結びつけるのもまた音楽だ。特別に音楽を習っているというのではなく、日常生活に歌があればそれで家族はつながるのだ。思えば、私の生活の中心は今も含めて数学だったと思っているが、それと同時に音楽がずっとあったように思う。

帰宅してから、市内のOさんにメールをして、「そろそろ音楽活動を再会しましょうか」と尋ねたところ、「左義長が終わったら始めましょう。……。新しくギターアンプ用のアンプを購入しました」と返事が来た。「……。私もボーカルとギターに使えるストリートアンプをかいました。」て返事を打った。今や、音楽は趣味から生活になりつつある。

(日記 午前中、上京中のブログを書いた。午後1時半から鹿谷公民館で「鹿谷すいせん会」の皆さんに銭太鼓を指導。帰宅の際、図書館へ寄って本を借りた。夜は、録りためておいた『マッサン』を見る。)

 
 

一息ついて東京散策

26 1月

力が抜けた
私達の3人の子どもの全てが既婚者となった。ここしばらくの間は、「次女の結婚式には健康でいなくっちゃ」とインフルエンザを警戒して外出するときにはマスクを着用していた。幸い、元気で当日を迎えることができてよかった。

上段:結婚式が行われた「ヒルトン東京」の前で。中段:皇居二重橋の前で。下段:お台場「フジテレビ」の前で。

上段:結婚式が行われた「ヒルトン東京」の前で。中段:皇居二重橋の前で。下段:お台場「フジテレビ」の前で。

今は、安堵感と全てが終わったという一抹の寂しさがある。何となく気力がなくなったというのが今の二人の気持ちだ。今日はホテルでのんびり始動。

九州や勝山から来た家内の姉弟の夫婦が飛行機の出発時間まで東京見物をするというので途中まで同行することにした。親戚のほとんどが、せっかくの機会だからと東京見物をして帰るという。

私達は、結婚式のことが頭にあって、東京見物のことなど考えてもみなかった。しかし、結婚式を終えてようやく気分的に余裕が出てきた。しかし、午後9時頃までには帰りたいのでそんなにあちこちへは行けない。

長男と次女が東京で務めているのでこれからも上京する機会はあるだろう。二人が東京へ出なかった頃は、東京へ行くのは現役時代の出張の時ぐらいであった。そんなわけで、皇居の二重橋を見て、4人と別れた。その後、お台場へ寄って昼食。そして、東京駅へ戻って新幹線で帰宅した。東京は春のようなぽかぽか陽気。福井へ着くと雨。ずいぶん違うなあと思った。無事、結婚式を終えてよかった。

(日記 午前中、ホテルで起床。次女達に別れを告げて2組の親戚夫婦と二重橋まで同行。その後、お台場へ行き昼食。しばらく散策して、私達は東京駅から新幹線、北陸線、えち鉄、タクシーを使って帰宅。あっという間に過ぎてしまった3泊4日の結婚式出席の旅行であった。)

 

 

 

 
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東京で次女の結婚式

25 1月

娘よ、幸せに

上段:ケーキ入刀シーン。中段:結婚式のスナップ。下段:長男家族(右)、長女家族(左)、そして三番目の家族(中)が誕生。ありがたいことだと思う。

上段:ケーキ入刀シーン。中段:結婚式のスナップ。下段:長男家族(右)、長女家族(左)、そして三番目の家族(中)が誕生。ありがたいことだと思う。

今日は、次女緑の結婚式。会場は「ヒルトン東京」。私達は同じホテルで宿泊。女性陣はホテル内の美容室で順次髪を整え、着付け。私は、花嫁の父としてモーニングに立ち襟のカッターシャツ。

午前11時半過ぎに、ホテル内の式場でリハーサル。娘と腕を組んで入場練習。そして正午過ぎから結婚式が始まった。娘と腕を組んで入場し、途中で、家内が娘の頭にベールをかける。そしてさらに前進し、新郎に娘を引き渡し、自席に着席。いろんな想いが頭を駆け巡る。

式終了後、スタジオで親族写真や家族写真を撮り、午後1時過ぎから披露宴開始。音楽を通して知り合っただけに、お色直しのシーンでは、娘の歌に新郎を含むバンドが伴奏して会場を盛り上げてくれた。

また、長男、長女の家族に私達夫婦も加わって孫達中心に歌を披露。長女のピアノに合わせてそれぞれがソロで歌い、途中から全員合唱。家族みんなによい思い出となった。

そして、次女の手紙朗読、親族からの謝辞等があり、結婚式は無事終わった。これでようやく肩の荷が下りたという感じだった。心地よい疲労感と共に、一つの区切りを終えた充実感に浸ることができた。「娘よ、二人で力を合わせて心暖まる家庭を築いてくれ」と願わずにはいられなかった。

(日記 今日は「ヒルトン東京」で次女の結婚式。正午からホテル内の教会で結婚式、そして、午後1時から披露宴。午後4時頃、無事式を終えた。私達は、今日もこのホテルで宿泊。)

式直前に孫達はリハーサル。

式直前に孫達はリハーサル。

 

 
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結婚式前夜

24 1月
楽しく会食。

楽しく会食。

結婚式を東京で行うために、出席者は皆東京まで出なければならない。親戚や子ども達には、1~2泊、会場のホテルを予約した。親戚の皆さんは、結婚式を機会に、東京見物をかんがえておられるようだった。 皇居、スカイツリー、明治神宮、浅草寺などいろんな所を見物したようだ。私達は、落ち着かないので見物は取り止め。家内達女性陣は着物を持って着付けや髪型の打ち合わせ。

午後5時から集まった子どもの家族や親戚の皆さんと夕食を兼ねて新宿で前夜祭。新郎のお父さんが料理人のために予約して下さった料亭だ。孫達は」2時間あまりで帰って行ったが、親戚の皆さんとは3時間あまり酒を酌み交わしながら楽しい時間を過ごした。帰宅してから、明日の準備。孫達とも、余興の打ち合わせ。

孫達と明日の余興の打ち合わせ。伴奏する長女の決めた通りにやることを確認。

孫達と明日の余興の打ち合わせ。伴奏する長女の決めた通りにやることを確認。

福井の会社へ就職した次女は音楽好き。大阪、そして、転勤した東京でもバンド活動。そんな中で、新しい相手を見つけたのだ。私達夫婦の音楽好きがどこかで子ども達に引き継がれたのだろうか。

人生、どこで何が影響を及ぼすのか分からない。ただ、はっきりしているのは、「子ども達は親の願うようには育たないかも知れないが、親のするとおりにする」ものだと3人の子どもを見ていてそう思う。音楽が生活に潤いをもたらすことを期待したい。

(日記 家婚式の行われる「ヒルトン東京」へ移動。家内達は着物を持って明日の打ち合わせ。午後5時から新宿で子ども達の家族や親戚の皆さんと前夜祭。孫達とも明日の打ち合わせ。いよいよ明日だと思うと多少緊張する。思い出に残る結婚式になってほしいと願う。)

 
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