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ショウガの種の保管(実験)

22 8月

第1期生、第2期生の種が順調に成長

初代種より収穫したショウガ

初代種より収穫したショウガ

私の住む片瀬はショウガの産地だった。今から100年ほどの前の若者達が書いた書籍「片瀬誌」に産地であったことが書かれている。

私の子供の頃には、祖母が大野・勝山地区はもちろんのこと永平寺、松岡町、美山、上庄地区へ売り歩いていたのを覚えている。

しかし、一つの弱点は“種ショウガ”を自分では保管できずに他地区から購入していることだ。自前の種でショウガを栽培できたらこれほどうれしいことはない。

初代種より収穫した新ショウガ。みずみずしくてとても柔らかで美味しかった。

初代種より収穫した新ショウガ。みずみずしくてとても柔らかで美味しかった。

私は、ショウガ研究のために、家内と二人で出雲大社の近くの出雲市斐川町出西地区へ車で出かけた。そして、道の駅やあちこちで聞きながらアポなしに出西ショウガ組合長の永富さん宅へ辿り着いた。

そしてショウガについてあれこれ聞かせていただくことができた。「出西ショウガ」に目を付けた理由は、テレビ番組でベッキーやカバちゃん達が出西ショウガを紹介していたからだ。

その後、村のSさんも種を自分で保管していると聞いたので、もしかしたら冬期に一定の温度さえあれば、自分でもショウガの種を保管できるのではないかと考えて一昨年からショウガ種の保管実験に着手。

昨年は自前の種と購入した種が半々だったが、今年は、すべて自前の種でショウガの栽培実験を行っている。今のところ生育は順調だ。私の実験の狙いは二つ。

1.シュウガ種を自前で保管して使うこと
 2.ショウガを早く成長させること

少なくとも、今年に関しては、1は完全にできているし、2もこれまでは神明神社の祭礼(9月18日)あたりからショウガを収穫し始めていたが、今年はすでに1ヶ月早くから収穫している。私のショウガの初収穫は8月16日だった。

今後何が起こるかわからない(全滅するかもしれない)が、これからも実験を続けていこうと思っている。毎日「新ショウガの一夜味噌漬け」を食べているが、最高である。これ

種の保管と植え付け

種の保管と植え付け、そして初収穫の2代目種による新ショウガ。

には家内も満足しているようだ。今月中には、紅ショウガも酢漬けも作る予定。何よりも、毎日ショウガを食べられるのは最高。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ショウガの出荷をする出西ショウガ組合長の永富さんの奥様。(2009年8月28日)

ショウガの出荷をする出西ショウガ組合長の永富さんの奥様。(2009年8月28日)

 
 

第二の人生に音楽を

30 5月

第5回 大学軽音楽OB演奏会に参加して
大学軽音楽部OB会の演奏会が三国観光ホテルのステージを借り切って開催された。いつもは日本の真ん中近くにある浜松で開催されている。部員が全国に散らばっているからである。

創部50周年を記念して開催されるようになったが、今回はその5回目の節目なので三国で開かれた。私は第2期生であるので、卒業してから50年あまりが経過している。この部活動は、創立後12、3年で廃部になってしまったらしい。

従ってOBは全員が60歳を超えている。最年長は74歳、私は73歳で2番目、一番若いメンバーは63歳である。今回は7バンドが出演した。40数名が地区ごとにバンドを編成しての出演である。

昔のメンバーと編成することはほとんどない。全国に散らばっているので、近辺の者とバンドを組んでいる。今回は、記念大会として部の創立メンバーで演奏するつもりだったが、本番1ヶ月前にメンバーの都合で演奏することができなくなった。私はドラムで出演するつもりだったが、出番がなくなってしまった。

慌てて、臨時のバンドを組んで出演することになった。バンド名も考える暇がないので後輩達が勝手に“やまさんバンド”としてプログラムに載せてくれた。

ギターとボーカルはOBではないが、普段私が勝山でバンドを組んでいるメンバーに頼むことにした。それに加えて、福井バンドの余力あるメンバー(テナー&ソプラノサックス、サイドギター、ベース、ドラム)に応援してもらって出演することになった。

私は、3曲はウインドシンセサイザーで演奏、2曲はドラムで出演した。練習不足ではあったが、それでも楽しく演奏することができた。

第1部は午後12時半から午後4時半まで、第2部は午後7時から9時までまさに音楽三昧の一日だった。「第2の人生に音楽を」を合い言葉にまだまだ続きそうな“アラセブン”達であった。

その後の2次会でも午前様になるまで音楽談義が続いて一日だった。この調子では動けなくなるまでバンドをやりそうな勢いである。私も、頑張らなくっちゃと思ったOB会であった。

OB会で演奏する「ヤマバンド」

OB会で演奏する「ヤマバンド」

福井、愛知、浜松、奈良、静岡などの出演バンド。連れ合い(妻)がボーカルというバンドもあった。

福井、愛知、浜松、奈良、静岡などの出演バンド。連れ合い(妻)がボーカルというバンドもあった。

 
 

通販全盛時代

04 4月

不良品などトラブルがあったときには
市内や県内で買えるものはなるべく買うようにしているが、専門的なものとなると、市内県内では注文のしようがない場合が多い。

ネットで注文した場合に、何か問題があったときにはどうしたらよいのか?この部分が田舎に住むものにとって最大の懸念材料であった。

今日あったことも含めて、具体的な例を三つあげてみたい。

その1……ある業者を通してキーボードとヘッドフォンマイクを購入した。注文する前に調べてあるので、楽器はどこの製品かがよくわかる。しかし、小物のマイクとなると調べずに買った。

ところが、マイクの方がうまく作動しない。そこでメールでその旨を伝えると、早速宅急便で新品が送られてきた。そして、元の不良品を送り返す箱まで送られてきた。住所も書いてあるので、宅急便の業者に渡すだけだった。

手間もほとんどかけず、一本のメールで新品と交換してもらえた。こちらの方は今も、順調に作動している。ちょっとネットを見直した。

その2……昨日のこと、最新式のウインドシンセサイザーが急に作動しなくなった。これも福井の楽器点でも売っていないものなので、昨年暮れにネットで注文した。注文先は東京の某カメラ店。

電子楽器の怖いところは、トラブルがあっても素人にはどうしようもないということだ。楽器店の店員さんも対応できないようだ。症状を伝えると、修理の方法は二つあるという。一つそのカメラ店へ楽器を持ち込めば、メーカーに渡して修理してくれるという。保証期間なので、こちらのミスでの破損でなければ無料だという。

しかし、まさか東京まで楽器を運ぶわけにも行かない。次の方法は、送料はかかるが、引き取りサービスがあるという。宅急便の業者が取りに来てくれて、メーカーで修理し、それをまた自宅へ届けてくれるという。3,000円くらいの送料はかかるがやむを得ない。

修理する方法はあるとわかったので、今度は購入先ではなく、楽器を扱う会社のカスタマーサポート部へ電話をかけた。技術者が対応してくれた。症状を聞いて、対処法を教えてもらった。5分で直ってしまった。あれほどスイッチも効かず、ディスプレイに文字が出たままで手の施しようがなかったのに。

その3……最近、それまで使い続けている音楽ソフトの5代目ぐらいにあたる最新のものに更新した。バージョンアップしながらここ2,30年は使い続けているソフトだ。歌を作るのもCDにするのも、歌や楽器の練習をするためのカラオケを作るのにも使える愛用のソフトだ。

しかし、マニュアルが高等すぎて私の手に負えない部分が多々ある。そこで、その旨をメールすると、毎回即座に丁寧な回答があるのだ。しかも、手順を示すパソコン画面の絵まで添付してあるのだ。

しばらく、メールの交換が続いた後、「一度電話で話しましょう」とまで言ってくださった。パソコンを見ながら、対応することができた。

上記のような例から、最近、通販が広がる理由を見たような気がした。要は、アフターサービスだ。新製品が出てきて品物が高度化・電子化すると、地方の販売店では対応できないのだろう。販売すらできないものが多くなってきた。それらに対応する技術者がネットで答えてくれるシステムだ。ネット販売はまだまだ普及しそうな勢いである。

 

 
 

現場感覚

01 4月

現場感覚を持ってほしい
私は、政治に関する番組をよく聞く。衆参の予算委員会などの国会討論などだ。そんな中で、「選挙のためなら何でもする◎党には絶対負けません!」とおっしゃる有名な政治家がおられる。

これって与党が言っているのか、野党が言っているのか。実は、両者が言い合っているのだ。国民は知っている。うまく理論付けをするがどっちもどっちだと思う。

政治家の皆さんのやりとりを聞いていると「現場感覚がない」のではと思うことが少なくない。市民感覚がないともいえる。机上の空論が多過ぎはしないだろうか。

「保育園落ちた。日本死ね」のメール問題のやりとりも、テレビでライブで見ていた。この問題では保育園の数や保育士の待遇の問題など、様々な問題があるのだろうが、一番の問題は保育の現場を知らないことではなかろうか?

仰々しく現場視察をして何がわかるのだろうか。せめて、政策を提言する省庁の皆さんには、若いうちに一週間ほど、現場の保育士さんと一緒に働いてみたらどうだろうか。きっと、何が問題かがわかるはずだと思う。

あるときテレビを見ていたら、戦場カメラマンが「なぜ戦場へ向かうのか」とのキャスターの質問に「戦争の現場を知らない人があれこれ東京で議論している。こうした人たちに戦場の本当の姿を伝えたい。」と答えておられたのが印象的だった。

農業問題も同じ。政治家の皆さんに田んぼへ入れとは言わないが、役人さんには、過疎の村で獣害に遭いながら必死に農業をしておられる皆さんと1週間ぐらい一緒に働いてみてはどうだろうか?基盤整備された田んぼばかりではないのだ。皆都会へ出て行って残された高齢者が山にへばりつくような条件の悪い農地で頑張っておられるのだ。健康を害する人も少なくないだろう。

もっともっと、現場を知っていただきたい。短時間の視察では現場はわからない。一定期間、一緒に暮らさなければ現場はわからない。これは、教育の世界でも同じであろう。子供の、クラス生活空間が今どう変わってきているのか、世の中の変化とどうつながっているのかを知らなければ血のつながった始動はできないのではなかろうか?

 
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バンド練習

16 3月

頭の体操を兼ねて「トーク・アンド・ミュージック」
ギターのOさん、かっちゃまの「五木ひろし」と言われるYさん、そしてウインドシンセサイザーの私。慰問活動の場合には、リズムセクションは、自作のカラオケ。リズムセクションとは、♪ブンチャ、ブンチャ♪とベース、ピアノ、ドラムでリズムを刻むパートのことだ。

大きな舞台では、全て生バンドでやりたいが、小さなホールや部屋では当分この編成で行きたいと思っている。一度、この編成でやってみたが、まあまあだったので、この調子でいきたいと思っている。

4月の第3日曜日には「ゆったり勝山」でやることになっている。バンドには種々の楽器が使われている。しかし、どのような楽器が使われていても、ギターとウインドシンセサイザーで演奏するのだ。編曲は大変だが、演奏も大変だ。

観客の皆さんと短くいろんな話を楽しみながら、演奏したいと思っている。Y さんのいろんな演歌に私の作ったオリジナル演歌、そして、楽器演奏を交えてやってみたいと思って、今、週に一回ペースで練習している。

昨年の猪瀬文化祭でのハワイアンバンドとフラダンス。

昨年の猪瀬文化祭でのハワイアンバンドとフラダンス。

ジャズも練習だけはしているが、まだまだだ。でもやっているだけでも楽しい。夏になったら、オール生でハワイアンバンドをやり、フラダンスとともに活動したいと思っている。何よりも、指を使うので、頭の体操にもなるのではないかとひそかに期待している。

 

四苦八苦

13 3月

ウインドウズ10
毎日、トップページに「ウインドウズ10」が無料でインストールできると出ている。以前に、「対応していないソフトがあるかもしれない」と言われていたので、導入を渋っていたが、毎日毎日示されるので、そろそろいいかと思ってインストールすることにした。

ところがである。私の最もよく使う音楽ソフトが対応していない。古いものから最新のものまで3つのソフトを持っているが、私にとって一番使い勝手がよいのは一番古いものである。見やすさと音の感じがいいのだ。

機能は、たいしたことがないかもしれないが、使い勝手が最もよいからだ。ところが、ウインドウズ10になったら、古い二つは対応していないとのことだった。最新のものは使い難いし、それに百曲以上、いやその倍はあるかもしれない、自作の音楽データが新しいソフトには対応してくれないのだ。

昔からの愛用者ということで音楽ソフトメーカーの方は、親切にこちらの質問に答えて下さるのだが、簡単には理解できない。マニュアルのどこを見なさいとか、わざわざ図まで送ってくださるが、思うようにはいかない。

昔、息子が言った「下手に新しくすると大変だ」という言葉が身に染みる。膨大なマニュアルはとても読みこなせない。今日も質問のメールを送ったが、今や愛用のソフトから見放されて四苦八苦している。新しくするばかりが能じゃない。これから先どうなることやら。創作意欲が萎えてしまう。

 
 

楽しい激励会……健康回復を願って

09 3月

歓談5時間……元気をもらう
つい先日、「恐竜のまち勝山応援隊」のUさんが体を壊したということを聞き、慌てて「夢オーレ勝山」のYさんに電話をした。「Uさんの健康回復を願って激励会をしましょう」と。

早速、Yさんが段取りをしてくれて、今日、市内の居酒屋「F」で“Uさんの激励会”を開くことができた。Uさんの元気な顔を見て少し安心した。これからも無理をしないで勝山のために頑張ってもらいたいと思う。

UさんとYさんは同級生。私よりも5歳年下だが、かつては同じ職場で、文字通り「苦楽をともにした仲間」だ。いろんな困難に遭遇したが、彼らのおかげでどうにか耐えることができたと感謝している。

二人とも、私流に言えば、「リーダーにも兵隊にもなれる優れた人材」だ。自称“リーダー”は数多く見てきたが、本人はリーダーのつもりでも仲間の信頼を得られず、人を動かせない場合が少なくない。

それに比べて二人は違う。昔を語り、今を語り、将来を語れるからだ。そして、何よりも素晴らしいのは、自ら汗を流し、率先して動けることだ。二人ともこれからの勝山にはなくてはならない貴重な人材だと思う。

仕事のこと、まちづくりのこと、勝山のこと、……、話題は尽きなかった。こんなに楽しい飲み会は久しぶりだ。二人は目を輝かせてこれからのことを話してくれた。

これからの「恐竜のまち勝山応援隊」と「夢オーレ勝山」の動きから目を離せないだろう。いろんな素晴らしいアクションが生まれそうだ。二人の話から、私も元気をいただいた。

3人が共通認識を持ったことは、「市の活性化は、そこに住む市民が地域を愛し、地域に誇りを持ち、自ら行動することからしか始まらない」ということだった。他人任せではまちの活性化は望めないと言うことだ。

それには、行動力のあるリーダーが必要だと思う。彼ら二人に続くリーダーが育たなければ、地域の衰退は避けられないだろうと思う。彼らの熱い想いを聞きながら、私も元気をもらった5時間だった。まだまだ話したい気分だった。

 

バランス……デジタルとアナログ

03 3月

心掛けていること
私はパソコンのファンだ。一日のうちかなりの時間をパソコンに費やしている。そのためだと思うが残念ながら「ドライアイ」になってしまった。このパソコンでは一つはバンド練習のための編曲とCDや楽譜作りを行っている。

自分としては、パソコン(デジタル)と楽器演奏(アナログ)の両方を重視しているつもりでいる。楽器を演奏し、歌を入れて慰問などの音楽活動を続けたいと思っている。

自分でカラオケを作り、楽器の個人練習をしているが、これもパソコンのおかげでできることだ。ギターを弾く私の仲間の練習用のカラオケも作っている。彼も、個人練習としてCDに合わせてギターを弾いているのだろう。歌を歌う仲間もそうだ。

また、自作の民謡や市内の民謡のCDを作ったが、これらを使って実際に盆踊りを行ったり、銭太鼓を行っているが、これもデジタルとアナログの融合ではなかろうか。

パソコンで絵を描くことも多い。ほとんどは紙芝居に使う絵や簡易アニメーションのため絵だ。これも作った紙芝居を持ってあちこちで演じている。幼児とその保護者の前での実演も多いが、これも自分としては、デジタルとアナログのバランスをとっているつもりでいる。

このほか、パソコンを使って小学5年生の孫に勉強を教えている。勝山と横浜の遠隔指導だ。4、5年になるだろうか?「じいちゃん勉強」と称してスカイプで顔を見ながらの算数と国語の学習指導だ。便利な時代になったと思う。

勉強の後は、他の孫達との会話を楽しむこともできる。小学2年の孫の「読み聞かせ」に付き合うこともできる。これもデジタルとアナログのバランスではなかろうかと思っている。

今やパソコンは私にとっては欠かせないツールだが、これでゲームをしたり、ネットをただ眺めていることは皆無だ。あくまでも、何かをするための、創作のためのツールだと思っている。もしも、これが私の若いときにあったらどうなっていただろうか?必ずしも手放しでは喜べないだろう。これからの時代はどうなっていくのだろうか?

 
 

崩壊する地域社会

20 2月

自分勝手に生きられると思う人が増えていく社会
今、私はある会合のために昭和時代の写真を編集している。「パワーポイント」で会場に移すつもりで写真を選んでいる。

昭和時代の田植え風景

昭和時代の田植え風景

右の写真は、田植えの写真である。この写真からないが読み取れるだろうか。これは家族が田植えをしている写真ではない。

間違いなく、近所の女性が集まって田植えをしているところである。家族だけで田植えをしていたのでは、捗らない。そこで、近所の人がお互いに、助け合って田植えをしているのである。

「結(ゆい)」である。私の集落では「い」と呼んでいた。近所に人が一つの田んぼに集まって集中的に田植えを行うのである。こうすれば、作業も能率的に行うことができ、田植えをしながらでも世間話もでき、単調な作業もさほど苦にならない。

このような作業の方法「結」は、田植えばかりでなく、田の草取り、稲刈り、屋根の葺き替えなど様々なところに及んでいた。常に、隣近所が助け合って暮らしていたのである。不便なところもあるが、人の結びつきはしっかりしていたのである。誰かが病気にでもなれば、いつでも助け合えたのである。

そして、休憩時間には田んぼの持ち主が軽食を振る舞うのである。田んぼの畦に座り、語らいながら食べる「大きな黄な粉のおにぎり」「たくわん」「山菜の煮物」の味は格別である。まさに至福のひとときである。

茅葺き屋根の葺き替え作業

茅葺き屋根の葺き替え作業

今、農家からこのような作業方法はすっかりなくなってしまった。農作業が機械化されたり、瓦屋根が普及したからである。隣近所が助け合う場は、皆無に近い状況になってしまったのである。

そして、近所が交流する諸行事もほとんどなくなってしまったのである。世の中は面倒くさいことはすべて止める方向に動いている。

しかし、ひとたび災害でも起こったら、このような社会は非常にもろいのではなかろうか。災害が起こらなくても、人の交流の少なくなった社会は年をとるにつれて生きづらさを感ずるのではなかろうか。

「結」などの言葉の代わりに、「無縁社会」「格差社会」「などの言葉が生まれてきている。私たちは、今の世をどのように生きていけばよいのか、問われているように感ずる。(写真提供は朝日印刷株式会社)

 
 

10年前に考えたこと ③ 地位が人を育てる

18 2月

若者に活躍の場を  2006.1.5
自分のことしか考えられなかった人間がある地位を得て、急に活躍することはよくあることである。

教員の世界で言えば、教頭や校長などの管理職になると、大丈夫かなと心配するような人でもそれなりに以前と比べて視野が広がり、他に指導できる人間になるから不思議である。

また、昨日まで学生だった者が教員になったとたんにそれらしく振る舞うから不思議である。周りから「せんせい、先生」とおだてられ、すっかりその気になって自分の力を過信するのは困ったことではあるが。

PTAの役員でもそうである。学校や子供のことをあまり考えなかった者が、委員長や会長になると立派な挨拶をし、教育に関心を持つから不思議である。

もっとも、私も、子供のおかげで親にしてもらったようなものである。妻のおかげで夫に、そして男にしてもらったようなものである。

こう考えてくると、人はどのようにも育つように思われる。置かれた環境、立場によって、考え方まで変わり、それが行動にも影響を及ぼすのである。

しかし、こうした立場や役職の中には、失われるものもある。いつまでも、会長でもあるわけではないし、いつまでも社長であったり、先生であるわけでもない。

しかし、いつまでも昔の名前で人前にしゃしゃり出て周囲のひんしゅくを買う人がいるが、そうはなりたくない。「○○退職校長会」などはその最たるものであろう。辞めてもなお“校長”の名を離せないらしい。地位を離れたら、その立場で肩の力を抜いて人生を送ればよいではないか。

全ての地位を退いてなお渋く光る人間がいるが、それこそ本物であろう。間違っても“教師の職業病(No.13参照)”にはかかりたくないものである。

今私たちが為すべきこと、それは、『若者にこそ、彼らに相応しいポジションを与える』べきではなかろうか。『彼らに相応しい活躍の場を与える』ことではなかろうか。

私たちは真剣にこのことを考えるときではないか。青少年に活躍の場を与えること……。次代を担うのは間違いなく彼ら若者なのだから。