RSS
 

余興万歳

12 1月

どうせやるなら楽しく 地域や団体でいろんな会合があるが、時々それらの新年会や文化祭などに余興をすることがある。そんなとき、もしも私が所属している団体なら、なるべく楽しくやりたいと思う。

いやいややってお茶を濁すか、それとも真剣にやってうけるか、どちらを取っても、短時間の出来事だ。しかし私はどうせやるなら、真剣にやる方を取る。

 終わった後の満足感があり、みんなの喜ぶ顔があり、何よりも「またやりたい」と次に対する意気込みが違うからだ。そんなわけで今日も役員でもないのに猪瀨地区の余興の指導を引き受ける羽目になった。過去にも何度かはやっているが。

 遡ると、青年団時代からいろんな活動をやってきた。個人的なバンド活動のみならず、イベントも自分たちで作ったりして。

余興と郷土芸能 時には余興と郷土芸能の区別が付かなくなるときもある。でも、私の考えは、郷土芸能は余興になるが、余興は郷土芸能になるとは限らない。

 そんなわけで、今年も、「盆踊り復活」のための活動や余興などにも真剣に取り組み、仲間と楽しく過ごしたい。コロナに負けないでいたいが、……。

 さしあたって来月の勝山市の『高齢者ふれあい祭り』を乗りきらなければならない。猪瀨地区の皆さんと楽しく、取り組みたいものだ。

平泉寺鍬踊り(踊りも鍬も手作り)
『片瀬豊年ばやし』の挿入芸(これは片瀬オリジナルで郷土芸能のつもり)
これは余興か(高齢者ふれあい祭り)
 
 

アフターコロナ時代

08 1月

菌を避ける生活 近年は菌を避ける生活が当たり前になっている。除菌グッズ、無菌○○、そしてコロナが蔓延し、今や消毒やマスクが当たり前になっている。

 至るところで無菌でいることが多くなっている。幼い時代に雑菌と共に生きてきたわれわれなら今になって無菌、や消毒が当たり前になっても、かまわない。

 しかし、幼い頃から無菌あるいは菌の少ない環境で生活してきた子供たちは菌に対してどのように育つだろうか。聞くところによれば、今の子は砂遊びもままならないらしい。殺菌・消毒した砂がなければ砂遊びもままならないのだ。

アレルギー体質の増加 きっと、雑菌に対する抵抗力や免疫ができず、いろんなものに対して過反応を示すのではなかろうか。アレルギー体質の子供が増えるように思えてならない。杞憂に終わればいいが……。

 子供時代に一定の雑菌にさらされることはむしろよいことだといわれている。昔はあったのかなかったのか、スギ花粉症などの言葉を聞いたことがなかった。私たち子供は、田舎ではスギ花粉を浴びて育ったのだ。杉玉鉄砲遊びなどは、杉の玉を口にほおばり、それを弾にして、笹竹で作った杉鉄砲で飛ばすのだ。スギ花粉など気にしていては遊べもしない。

 私たちの子供時代も給食はあったが、アレルギーにたいして過敏な子供のために給食に特別配慮しなければならないようなことはなかった。今は、菓子などにもアレルギー物質と明示してある。そば粉が命取りになる子もいる。

一定の刺激を受けて育つことの必要性 子供時代に、いろんなタイプの子供と過ごすことも同様に必要ではなかろうか。特に、異年齢集団で過ごすことが必要だと思う。

 しかし、今は、同学年で過ごすことが多いようだ。従って、我慢をする、耐えるといった機会が減り、指導する、後輩を育てるといった機会もまたあまりないのではなかろうか。常に大人の敷いたレールの上を走るだけはいつかどこかで破綻がくるような気がしてならない。 

すべての子供の頭にDDTをかける。道ばたの草や麓の山のイタドリ・つつじの花はごちそうだった。

 
No Comments

Posted in 健康

 

現代人の余裕のなさ

07 1月

昭和時代の忙しさ
 昭和の忙しさを考えたら、今と比べものにならなかっただろう。何を行うにもかなりの時間が必要だった。

かまどでご飯を炊く 主婦は早朝4時か5時起きて、前日かしいであった米を入れたお釜をかまどに設置し、火を付ける。最初は枯れた杉の葉など燃えやすいものに火を付け、次に割る木等やや太い木を入れて本格的に燃やす。
「初めチョロチョロ、中ぱっぱ、赤子泣いてもふた取るな」と言われるようにある程度の時間がかかる。炊き上がれば、さらにおひつなどにご飯を移すのだ。当然、ご飯を炊くための薪は農閑期に集めておかなければならない。

風呂を沸かす 風呂を沸かすのはある時期私の仕事だった。風呂を沸かす前に、風呂桶に水を張らなければならない。手押しポンプでバケツに水をくみ、それを五右衛門風呂の桶に運び入れるのだ。子供にはかなりハードな時間だった。五右衛門風呂から水が漏れて炊き口に水が落ちると、火が消えてしまう。煙がもうもうとする中で火吹き竹を使って懸命に火を消さないようにするのだ。これも、薪作りは夏の間の重労働だった。

米作り 春も早くから、田んぼに堆肥などの肥やしをまいておかなければならない。一方、籾を水につけ芽出しをして苗代に蒔くのだ。一方、田作りは人力と馬だ。
大きな田んぼの田作りは馬の出番だ。馬を使って鋤で田んぼを荒起しし、水を入れて輪車である程度土を細かくし、最後に、万鍬でさらに細かくしながら田んぼを水平にするのだ。

 そして、枠を回し、苗を植えるというわけだ。その後、除草機をかけたり、人力でヒエや雑草を取るのだ。こんな調子で、精米にするまでには、まだまだ手がかかる。米という時が八・十・八と書くのは手間暇かかるからだという。こんな調子であらゆる作業を行っていたのだ。
 今のように、軽トラなどの車がなかったので、その作業の大変さは言葉では表されない。1家族で手に負えない作業は近所の人たちのたすけによる共同作業「結い」で行われてきた。

冠婚葬祭は手間暇かけて丁寧に それでも、冠婚葬祭は時間をかけて行ってきた。祭りなども若い衆祭り、弓矢(祭り前日)、本祭り、跡祭りと四日以上はかけていたように思う。あらゆる行事が丁寧に時間をかけて行われていた。電気釜も冷蔵庫も、自動車もテレビも電話もない中で、私の子供時代の日本人の平均寿命は50歳代だったと思う。

現代人はなぜ忙しい 作業を効率よく行う車も機械もない中でも、昭和の前半までは、粗食に耐えて仕事もよくするが、種々の行事も時間をかけて行ってきた。 

 昔はなかった車やスマホを持てば、いくらぐらいお金がかかるだろうか。若い人なら、これだけで月に1週間は丸々これらの維持費などのためだけに働かなければならないだろう。スイッチ一つで風呂を沸かすエコキュートなどを持ち、冷暖房機を完備し、あれこれローンを組んだりすれば、さらに月に1週間以上はそのためにだけ働かなければならないことになる。働くではなく、働かざるを得ない状況ではゆとりは生まれない。

 のんびり冠婚葬祭に時間をかけている余裕などないのではないか。心の余裕を失っているように思えてならない。「もの」を買ったり維持するために働き、働いてまた「もの」を買う。

 今の若い人たちは、退職して悠々自適となったり、第二の人生を楽しむ余裕は70歳を超えなければ生まれないのでは。それどころか、少子高齢化により、年金では暮らせなくなるために、いつまでも働かなければならない。

 余裕は簡単に生まれない生活サイクルの中で、どこで、ゆとりを取り戻すことができるのだろうか。今の若人たちを気の毒に思う。

 私自身は、今の若い人たちよりは、余裕のある時代に仕事を終えたと思っている。昭和の人間らしく、ゆとりを持って地域のために、できることはがんばっていきたいと思っている。

昭和時代の風景。通学路の除雪は村の大人の仕事だった。
 
 

デジタル時代到来

06 1月

デジタル化を進める国家
 デジタル化を進める進めないにかかわらず、スマホを持った時点で、私たちはかなりの個人情報を提供していることを頭に置かなければならない。

 マイナンバーカードを国民全体に行き渡るように、あの手この手で勧めているが、なかなか進んでいないようだ。このカードに、免許証や保険証等を紐付けし、さらにいろんな情報がつながっていくだろう。

何が紐付けされるか
 最終的には、どうなるであろうか?もっともっといろんな情報が紐付けされ、あるいは探られる時代が来るのではなかろうか。病歴・犯罪歴、学歴から政治的傾向……等が紐付けされ、さらに進めば、財産情報から遺伝子情報までもが紐付けされる時代が来るかもしれない。これらは一部の人間の結婚情報に使われるかもしれない。

 すでに明らかであるが、行動履歴は現在でもスマホを持ち歩けば簡単につかめそうだ。犯罪でも犯せば、ラインやメールなどの通信記録や言動までもが明らかにされてしまうであろう。

 私のような凡人はどうでもよいが、これからの若者たちには監視カメラや車載カメラ以外にも、その行動や考え方までもが見透かされてしまう監視社会が待っているようだ。別の意味での窮屈さが訪れるであろう。

紛失したスマホのある場所が横浜に住む息子から地図入りで
 3年ほど前の話である。福井で買い物をし、帰宅した。帰宅して気がついたのだが、スマホがない。私の個人情報がかなり入っている。慌てて、福井のショッピングセンターなどに電話して探してもらったが、見つからない。

 スマホを買った店舗に聞いてみると、パソコンで調べられるという。パソコンを開いたが、簡単ではない。最後は、横浜の息子に聞いてみた。すると、なくした場所の地図が送られてきた。旧宅の前庭にあるという。

 急いで、旧宅へ出かけて探してみると、なんと、完成した真っ黒な籾殻燻炭を詰めた大きなビニール袋の中にあったではないか。ビニール袋は紐で縛ってあり、外からは見えない。ただ探していたのではぜったいに見つからない場所だった。勝山でなくしたものを横浜の息子に聞くとは、ありがたかったが怖い時代になったものだ。

早朝5時点火。約5時間後に籾殻燻炭完成。スマホは胸から落ちて燻炭を入れたビニール袋の中にあった。
 
No Comments

Posted in IT

 

パソコンは楽し~PCドクターのおかげで~

05 1月

パソコンは創作のツール
 パソコン大好き人間であるが、プログラミングはほとんどできない。大昔、少しだけかじったことがあるが、マスターできるまでには行かなかった。

 しかし、創作ツールとしては、私にとっては日曜大工の道具のようなものだ。しかし、大工の場合、電動ノコギリ・電動鉋・電動ドリル・電動ドライバーなど様々なものが必要になる。

音楽 パソコンの場合には、これらのすべてをやってくれる。例えば音楽の場合には、百以上の楽器になってくれて自分の思うままに演奏してくれる。強弱、トレモロ、エコーなどそれぞれ楽器ごとに指定できる。

 また、歌を作り、編曲し、それに歌を吹き込んでCDにすることもできる。カラオケも作ることができる。私のライフワークの一つに盆踊りの復活がある。練習会に参加できない人のために、YOUTUBEに数曲、盆踊り練習用の動画をアップしてある。

描画と静止画・動画編集 絵を描くときには、いろんな色で描くことができる。いろんな筆がある。一枚の絵を描くにも、十数枚の絵を重ねて描くことができ、それぞれの絵を保存しておくことができる。紙芝居もお手の物だ。

 また、写真の加工も自由自在にできる。映像編集もできる。簡単なアニメも作ることができる。台詞や音楽に合わせてキャラクターの口を動かすこともできる。

文章を書く 文章を書いたり、絵や写真を入たペーシの編集もできる。そのために、出版も簡単にできる。昔なら考えれてなかったことだ。

情報の発信と受信 さらに、昔な考えられなかったことの一つに、ホームページやブログ、YOUTUBEによる情報発信がある。また、受信もある。一度も会ったことのない人と合作で演歌を作り、YOUTUBEにアップすることができた。また、買い物にもパソコンは有力な武器だ。

パソコンドクター このように便利な文明の機器であるパソコンもひとたび不具合が生じるとお手上げだ。私の場合、このようにいろんなことをやっているので、一月に一度は不具合が生じているように思う。誰かに直してもらおうにも簡単にはいかない。業者に頼もうものなら、いくらお金がかかるかわからない。

 そんなときは、横浜に住むSEの息子にラインで助けを求めることができる。直ちに、私のパソコンに遠隔操作で入ってきてあっという間に直してくれる。彼は私にとっては、.正にパソコンドクターだ。彼がいなかったら、私のパソコンライフは現在できることの1割もできていないだろう。

紙芝居『大野はげっしょ鯖物語』より
 
No Comments

Posted in IT

 

見ています あなたの姿 子や孫が

04 1月

証拠裁判主義とは
 『証拠裁判主義 とは、 事実認定 は 証拠 によって行われなければならないという 刑事訴訟法 上の原則をいう。 』とある。

 証拠がなければ有罪とは決めつけられないと言うことである。となると、その証拠をなかったことにするには、証拠物品を廃棄処分にするか、隠蔽すればよいと考える人が出てこないとは限らない。

 明らかに証拠がある場合には、それらを書き換えてしまう証拠改ざんを行う者が出ないとも限らない。それもできない場合には裁判官そのものにプレッシャーを与えるか、代えることを考える人がいるかもしれない。

本人が知っているはず
 本当はよくないことをしたかどうかは当の本人が知っているはずである。本人に倫理観がなければこのようなことは日常茶飯事に行われてしまうことになる。凡人ならば裁判所で徹底的に調べ上げられるだろう。

 もしも、こんなことが、国家の命運を左右する人たちがやっていたとしたら国民は不幸であろう。

道徳教育の必要性
 一頃盛んに道徳教育の必要性が国のおえら方から叫ばれていた。今の若者や子供たちの言動からそう考えたのだろうか?しかし、最もそれが必要なのはそれを言い張る人たちではなかろうか。

 国会で見え透いた嘘をつき通す人たちを見ていると、これは私たち一般国民の側にその責任の一端があると思わなければならない。そうした人たちを選んだのは紛れもなく私たちなのだから。

 若者たちは大人の姿を見て育つのだと言うことを忘れてはならないと思う今日この頃である。

 
 

毎日パワー

03 1月

一日はわずかでも
 『継続は力なり』、『点滴岩を穿つ』,『ちりも積もれば山となる』、『千里の道も一歩から』……小さなことでも続けていけば、いつか大きなことが成し遂げられるということなど、日々の努力の大切さ,特に継続することの大切さを説いた言葉はたくさんあろう。

 私は、子供たちには、これらの言葉ではなしに『毎日パワー』といって継続することや日々の努力の大切さを伝えている。正月には野球をやっている孫も自分の目標に『毎日パワーで何々をがんばりたい』と言ってくれた。

時間をかけて物事をやる大切さ
 他人に言うまでもなく、『毎日パワー』の大切さを自分が一番自覚している。毎日やることはとても大変だが、習慣化するとさほど苦にはならない。少しでもやったらその日はやめてもいいのである。明日があるからである。

 30年がかりで一冊の絵入り本を作った。3年がかりで『アメリカの高校生』なる本を作ったこともある。これは全く同じものを自費出版で一回、東京の出版社で2回(一回は文庫本サイズ)作ることができた。

 毎年2~3ヶ月ほどかけて日曜大工にも取り組んできた。今年は何を作るか楽しみでもある。小さなことでは「ラジオ体操第1と2、スクワット」、「新聞小説の切り抜き(数年間、新聞が紛失したときには販売店で購入、1部100円)」、「日記」と「ブログ」、「プログラミングの漫画と数学の漫画(これはほぼ毎日)」……。

孫たちとコラボ
 おかげ楽器練習は時々になってしまっている。歌作りもできずにいる。アニメ作りも中断している。そんな中でなんとか孫たちとのコラボでダンス入りのポップスだけは作りたいと思っている。

毎日パワーから生まれた冊子
 
 

健康第一~人体の不思議~

02 1月

健康維持も大切な仕事
 身体って不思議だ。NHKの「ためしてガッテン」を録画しておいて、自分の関心のある番組だけ見ることにしている。雑誌「ためしてガッテン」も購読している。そんな中で、そういうものかと感心することがある。

 例えば、前屈だ。歳を取ると身体が硬くなるのか、前へ屈んでも指先がやっと床に着くぐらいだ。ところが、ゴルフボール(私はゴルフをやらない)を足の裏で短時間グリグリさせると楽々と指先が床に着く。筋膜が緩むからだ。

 また、握力を鍛えるのに、スクワットがいいという。全く無関係の場所を鍛えることによって握力が強化されるらしい。脳が関係しているそうだ。ちなみに私は毎日、ラジオ体操第一・第二のほかスクワットをしている。

 ある程度の年齢になったら、田畑で働いたり、仕事をするのも大切だが、もっと大切なことは、自分の健康を維持することではなかろうか。健康維持のためのレクリエージョンも高齢者にとっては大切な仕事だ。健康でなければ周りに迷惑をかけるだろうし、自分のやりたいこともできなくなるからである。

自分の身体を自分で破壊
 あるとき、テレビ「驚異の小宇宙人体」なる番組を見ていたら、若いうちは、自分の身体を守るためにある細胞が育てられる(番組では学校と説明されていた)そうだ。

 しかし、まもなく、学校は閉鎖されるという。そして、歳をとると自分で自分の細胞を痛めつけるのだという。そんな馬鹿なと思ったが、それが老化だと聞いて少し納得した。老化は人体に埋め込まれた時限装置だろうか。

 私の予想では、将来、誰かが遺伝子を操作して学校を再開し、この時限装置を除去し、老化のメカニズムを破壊して長寿を実現できるようにするのではないかと思ってしまう。

盆踊りは健康づくり(頭と身体)とまちづくりにつながると信じて……。(勝山ふるさと祭り)
 
 

ブログ再開

01 1月

日記とブログ
 2008年4月1日~2010年3月31日(この2年間、毎日日記を書く)
 2010年4月1日~2015年3月31日(この5年間、毎日ブログを書く)
 2015年4月1日~2022年1月1日(この7年間、毎日日記を書いている)
 2022年1月1日よりブログ再開

少しなれてきた無職生活
 日々作業をしながら、パソコンを動かしながら、テレビやビデオ、YOUTUBE、ラジオなどの主に音声を聞いいている。あるときは、感動したり、あるときは腹が立ったり、悲しくなったりと気分はいろいろ変わる。

 そんなとき、その思いをブログに書いて誰かと共有できたらと思う。私は山や谷間に向かって叫んでいるようなもので、こだまが返ってくることを期待している。

今年の目標 
 とにかくつくること。家庭菜園で野菜を作ること。ただしこれはどちらかというと、主と言うよりも、従である。私は、畑を耕したり、支柱を立てたり、鳥獣害を防ぐために網を張ったりすることが主な仕事である。ただ、村伝統の生姜作りだけは、栽培、収穫、種の保存まで研究しながら(少しオーバーか)取り組んでいる。

 日曜大工でものを作ること。3年前は車庫に物置部屋、2年前は旧宅の仏壇跡に床の間、そして座敷の床の張り替え、そして昨年は組み立て式の雪囲い(5カ所)作りと防草を兼ねた庭造りとそれぞれ2~3ヶ月間取り組んできた。今年も、日曜大工にがんばりたいと思う。

 創作活動。プログラミングの漫画を描くこと、数学の漫画を描くこと、紙芝居を作ること、簡易アニメを作ること、童話も作りたい。そして福井と横浜の孫と私とでダンス入りの楽曲を作れたらと思っている。孫たちとのコラボができたらと思っている。

 今年も、健康に気をつけながら、こうした活動に時間を費やすことができたらと思う。傘寿目前。一番の難題は、体力が持つかである。

早くこの絵を動かしたい。絵も曲もできているが時間が……

 
 

『じいじ達の子供時代』30年がかりでようやく完成

05 5月
30年がかりでようやく完成した『じいじ達の子供時代』(上巻・下巻)
思い出す学校生活

『お父さんたちの子供時代』がいつの間にか
  私は、戦後の「もの」の少ない時期に子供時代を送った。そんな子供時代のあれこれを子供達に伝えたいと思うようになった。  そこで、今から三十年あまり前に我が子達に向けて『お父さんの子供時代』として自分達の子供時代のことを少しずつ書き始めたが、当時はあまりにも忙しく、やらなければならないことがたくさんあって長い間中断していた。

『じいじ達の子供時代』へ 
     退職後、少し時間ができたので、今度は『じいじ達の子供時代』として冊子作りを再開した。本格的に取り組み始めたのはここ四、五年のことである。  ここに書いた事柄は、私の個人的な記録というのではなく、私の集落の人なら誰もが経験したことを中心に書いたつもりである。  あれこれ書いているうちに、項目が増え、一冊には納めきれなくなり、上巻、下巻に分割しなければならなくなってしまった。 

 文章は七五調に ごちゅおうに分主夫は          文章は、長々と説明するよりも字数を少なくした方が読みやすいのではと考え、七五調(詩というよりも定型文)にしたが、結果的には字数に制限があるために、自分の言いたいことを表現するのにはとても苦労した。  そのため、全ての項目に挿し絵(一部当時の写真)を入れることにした。挿絵や写真を見ることによって昔のことを鮮明に思い出していただいたり、周囲の人たちに話すときに役立てていただけるのではないかと考えたからである。

いろんな遊びがあった

文章は七五調に 文章は、長々と説明するよりも字数を少なくした方が読みやすいのではと考え、七五調(詩というよりも定型文)にしたが、結果的には字数に制限があるために、自分の言いたいことを表現するのにはとても苦労した。  そのため、全ての項目に挿し絵(一部当時の写真)を入れることにした。挿絵や写真を見ることによって昔のことを鮮明に思い出していただいたり、周囲の人たちに話すときに役立てていただけるのではないかと考えたからである。また、リズムに乗って読んでいただければ脳トレにも役立つのではと思っている。

思い起こせばいろんな食べ物があった
女の子独自の遊びもいろいろあった

回想法に有効では~脳トレ~ 
   高齢になると自分から求めない限り、会話の機会は減っていく。様々な技術もいろんな知識も忘れていく。
 ところが、昔のことを思い出し誰かと語ることは脳の活性化にはよいそうだ。本書夜がそれに役立てば幸いである。本書は七五調にしてあるために、膝でリズムを取りながら読んでいただければさらに脳トレになると私は期待している。