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ダブルナビで北海道・東北3000km  ⑧

06 1月

越前松島へ
被災地を後にして車は越前松島へ。最初に遊覧船で日本三景の一つ松島を見る。その後、天長5年(828年)に慈覚大師が開山し、慶長14年(1609)に伊達政宗が再興した瑞巌寺を見学する。

松島見学の遊覧船乗り場

松島見学の遊覧船乗り場

 

遊覧船上から見える島々

遊覧船上から見える島々

 

瑞巌寺への参道脇の洞窟には修行の場や石仏が並んでいる。

瑞巌寺への参道脇の洞窟には修行の場や石仏が並んでいる。

 

瑞巌寺境内の銅像など

瑞巌寺境内の銅像など

 

瑞巌寺本堂

瑞巌寺本堂

 

福島へ向かう自動車道には放射能測定表示板が設置されている。道路は原発からかなり離れているが、原発に近づくにつれて数値が大きくなっていった。

福島へ向かう自動車道には放射能測定表示板が設置されている。道路は原発からかなり離れているが、原発に近づくにつれて数値が大きくなっていった。

 

自動車〃のパーキングで見た相馬野馬追の切り絵。

自動車〃のパーキングで見た相馬野馬追の切り絵。

 

 

 
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ダブルナビで北海道・東北3000km ⑦

04 1月

宮城県。南三陸町 悲劇の防災庁舎
 最後まで職責を全うして亡くなられた職員の皆さん、被害に遭われた数多くの町民の皆さんのご冥福をお祈りします。
・・・・・河北新報(2011年3月18日号より)・・・・・
いまだに職員20数名が行方不明
「われわれ年寄りは生き残り、若い職員が流されてしまった」
3月11日の東日本人震災で、町民8OOO人以上が行方不明になっている同町。住民を避難させようと、最後まで庁舎に残った職員二十数人の行方もいまだに分からない。
遠藤副町長ら、最後の職員が陣取ったのは同町志津川の総合防災庁舎3階の建物、今は、赤い鉄骨が残るだけだ。
津波の第1波の襲来まで庁舎内には約30人の職員がいた。しがし、無事が確認されたのはわずが8人。遠藤副町長もその一人だった。
依然行方が分がらない職員の多くが防災担当だった。防災無線を使いぎりぎりまで住民に避難を呼び掛けた。屋上に避難してフェンスやアンテナにしがみついたが、津波の力は想像をはるかに超えていた。
階段の手すりにしがみついて一命を取り留めた佐藤徳憲総務課長(60)は、第1波の後、多くの仲間が消えていることに気付いた。「何とも言えない失望感。ただそれだけたった」(以下省略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 8月1日、宮城県の南三陸町の防災対策庁舎を訪れ、亡くなられた皆様方のご冥福をお祈りして合掌し黙祷しました。津波はこの3階建ての防災対策庁舎のさらに2m上まで達したそうです。

このとき、町職員遠藤未希さん(24)が放送室に駆け込み、防災無線のマイクを握り、「大津波警報が発令されました。高台に避難してください」
と呼びかけて多くの方々の命を救ったそうです。しかし、声の主の遠藤さんの行方は震災ご見つからなかったそうです。震災当時、私はこのニュースを知って愕然とし、言いようのない気持ちに襲われたことを昨日のように覚えています。

鉄骨がむき出しになり津波の被害の大きさを今に残す防災対策庁舎。

鉄骨がむき出しになり津波の被害の大きさを今に残す防災対策庁舎。

 

防災対策庁舎の周辺は、かつての市街地の面影はなく、復興を待っている。

防災対策庁舎の周辺は、かつての市街地の面影はなく、復興を待っている。

 

かつての市街地や農地にはこのような巨大な盛り土がいくつも見られる。

かつての市街地や農地にはこのような巨大な盛り土がいくつも見られる。

 

震災から5年余りが過ぎた今、ガレキが取り払われ、道路が整備されつつあるが、建物が建ち、まちが復興されるのはまだまだ先のようである。

震災から5年余りが過ぎた今、ガレキが取り払われ、道路が整備されつつあるが、建物が建ち、まちが復興されるのはまだまだ先のようである。

 

至る所で道路工事が行われていた。道路ができて始めて上下水道や宅地ができるのだが、簡単には工事は進まない。

至る所で道路工事が行われていた。道路ができて始めて上下水道や宅地ができるのだが、簡単には工事は進まない。

被災地を車で走らせていただいたが、復興間まだまだ先のようであると感じた。ガレキが確かに多くの町では取り除かれ、道路はでき始めてはいるが、そこに住居や商店街ができ、人が行き交うまでにはまだまだ時間がかかりそうである。
その間、子供達は大きくなり、高齢者の人たちはますます年を取り、ふるさとを離れて新しい生活を始めておられるのではなかろうか。そうでなくても、地方は少子高齢化と過疎化の波が押し寄せ、衰退の一途を辿っているだけに、被災地の方々のまちづくりの苦労は想像を絶するものがあるように思われる。こんことを忘れてはならないと肝に銘じた次第である。

 

 
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ダブルナビで北海道・東北3000km ⑥

03 1月

震災被害地を行く 十和田湖から東北自動車道で盛岡へ行き、そこから宮古へ向かう。海を見ると穏やかであるが、陸地を見ると景色が一変する。電柱や道路は目立つが住宅はほとんど見当たらないところが多い。復興はまだまだであるという感じがする。実際に車で通り、被災地を歩いてみるとテレビや写真で見ていたものとはずいぶん異なる。震災の被害の大きさが改めて知らされる。自然の猛威にはただただ驚くばかりである。これは何も被災地だけの問題ではない。いつどこで何が起こるかわからない。まさに、天災は忘れた頃にやってくるから、天災は明日起きても不思議ではないと思わなければならない時代になっているようだ。被災地の皆さんのご苦労を思うとき私達一人一人に何ができるのかと考え込んでしまう。

海はどこまでも穏やかである。宮古市

海はどこまでも穏やかである。宮古市

 

一方、内陸方面を見ると景色は一変する。工事現場が広がる。

一方、内陸方面を見ると景色は一変する。工事現場が広がる。

 

かつての市街地は、今更地が広がる。地元の皆さん方の無念さが伝わる。

かつての市街地は、今更地が広がる。地元の皆さん方の無念さが伝わる。

 

復興に向けて様々な工事が行われている。(大槌町)

復興に向けて様々な工事が行われている。(大槌町)

 

 

道路の至るとことに見られた「津波浸水区間」を表す立て看板。「こんなところまで津波が来たのか」と津波被害の大きさを示している。

道路の至るとことに見られた「津波浸水区間」を表す立て看板。「こんなところまで津波が来たのか」と津波被害の大きさを示している。

 

かつての名勝「高田 松原」は津波で跡形もなくなり、たった一本だけ残った「奇跡の一本松(モニュメント)」。

かつての名勝「高田 松原」は津波で跡形もなくなり、たった一本だけ残った「奇跡の一本松(モニュメント)」。

 

奇跡の一本松の立て看板

奇跡の一本松の立て看板

 

「震災前の白砂青松の高田松原」(現地立て看板より)

「震災前の白砂青松の高田松原」(現地立て看板より)

 

巨大な護岸工事が今も続く。

巨大な護岸工事が今も続く。

 

 

 

 

 

 

 
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ダブルナビで北海道・東北3000キロ ⑤

29 12月

函館から大間へ 早朝函館へ向かいコインランドリーで洗濯をして、昨日iPhoneで予約しておいた「津軽海峡フェリー」で大間港へ向かう。

 

左:コインランドリー前で 右:車の中より乗車中の車を写す(フロントに置いた切符が写り込んでいる)

左:コインランドリー前で 右:車の中より乗車中の車を写す(フロントに置いた切符が写り込んでいる)

 

フェりー大函丸船上にて

フェりー大函丸船上にて

 

本州最北端の地、大間岬で記念撮影。大間のマグロも有名。

本州最北端の地、大間岬で記念撮影。大間のマグロも有名。

 

大間岬を出てまもなく、下北半島の風間浦村で「下風呂温泉郷海鮮まつり」をやっていた。ここで少し腹ごしらえ。

大間岬を出てまもなく、下北半島の風間浦村で「下風呂温泉郷海鮮まつり」をやっていた。ここで少し腹ごしらえ。

 

十和田湖畔にある高村光太郎作の「乙女の像」を見る。湖畔の景色や夕焼けがきれいだった。温泉も気持ちよかった。

十和田湖畔にある高村光太郎作の「乙女の像」を見る。湖畔の景色や夕焼けがきれいだった。温泉も気持ちよかった。

最近、再びブログを書こうと決めた。先ずは中途半端に終わっている「北海道・東北の旅」を締めくくってからだと思う。
いよいよ次回から、被災地慰問の旅が始まる。

 
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ダブルナビで北海道・東北3000km(④)

06 9月

江差・松前・福島へ
横綱記念館に感動(7月29日) 富良野を出て道央自動車道で先ず札幌JCTへ向かい、そこから苫小牧室蘭の経て、落部ICで一般道へ出て、江差へ向かう。このあたりの一般道は家内が運転。

途中のサービスエリアにはウオーキングコースがあった。二人でしばし散歩。

途中のサービスエリアにはウオーキングコースがあった。二人でしばし散歩。

江差と言えばなんとなく、「江差追分」が思い浮かぶ。また、ニシン漁なども同時に浮かんでくる。前回の旅行ではこのあたりは通らなかったので、なんとか今回は松前半島を回りたいと思った。

幕府の艦船「開陽丸」

幕府の軍艦「開陽丸」

1866年(慶応2年)に徳川幕府の命運をかけ建造された軍艦開陽丸。オランダで建造された開陽丸は幕末、鳥羽伏見の戦い、江戸城開城、徳川幕府崩壊を見届け、1868年10月(慶応4年)に江戸を出帆、12月に蝦夷地に到着。 箱舘戦争最中の1868年12月(明治元年11月15日)に松前を落とし、江差に向かう土方歳三らの陸軍支援のため、海路江差へ向かうが暴風雪に遭いあえなく座礁、沈没したという。

開陽丸の内部を見学する。かなり大きな船であった。

開陽丸の内部を見学する。かなり大きな船であった。

その後100年有余年を経た昭和50年から始まった海中発掘調査では32,905点の遺物が引き揚げられたという。これらの歴史を含め多岐にわたる諸技術の変遷がわかる貴重な資料画展示してあった。

江差の後、松前城へ寄り,北海道最南端の白神岬へ。

松前城の前にて。

松前城の前にて。

北海道最南端の白神岬にて。

北海道最南端の白神岬にて。

白神岬を回り、次はどうしても行ってみたかった「横綱千代の山・千代の富士記念館」のある福島町だ。小さな町から二人の横綱が生まれているのだ。しかも、横綱千代の山は勝山市ゆかりの横綱だ。千代の山の奥様のお父さんが遅羽町出身ということだ。私の子供の頃には、横綱千代の山は何度か勝山へ巡業に来ておられるのだ。

横綱千代の山・千代の富士記念館の前で

横綱千代の山・千代の富士記念館の前で

横綱記念館の展示の一部

横綱記念館の展示の一部

横綱記念館にある稽古場。毎年、九重部屋の夏合宿に使われているとのことであった。

横綱記念館にある稽古場。毎年、九重部屋の夏合宿に使われているとのことであった。

 

 

 

 

 
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ダブルナビで北海道・東北3000km(③-3)

02 9月

トリックアート美術館
美瑛・富良野(7月28日午後) 富良野の温泉へ向かう途中、トリックアート美術館が見つかった。ここは、北海道上富良野町深山峠アートパークにあるのだ。面白そうなので入ってみることにした。先ずは写真で。

道路からもよく見えるトリックアート美術館

道路からもよく見えるトリックアート美術館

以下の写真はすべて壁面に描かれた平面絵画である。しかし、一見立体に見えるから不思議である。

今にも飛び出してきそうな車

今にも飛び出してきそうな車

平面に描かれている1枚の紙だがまるで浮かんでいるように見える。

平面に描かれている1枚の紙だがまるで浮かんでいるように見える。

一見大きな絵の前の階段に座っているようだが実は壁に寄りかかっているだけである。

一見大きな絵の前の階段に座っているようだが実は壁に寄りかかっているだけである。

壁から顔を出している馬の顔をなでているようだが、実は壁に描かれた平面の絵の馬に触れているだけである。

壁から顔を出している馬の顔をなでているようだが、実は壁に描かれた平面の絵の馬に触れているだけである。

旅行の最中に、予期せぬ建物(トリックアート美術館)に出会い、しばしトリックアートの不思議さに時間を費やした次第。この後、富良野の温泉で疲れを癒やす。

 
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ダブルナビで北海道・東北を3000km(③ー2)

28 8月

北の大地は花盛り
美瑛・富良野(7月28日午後) 旭山動物園を見学した後、旭川市を後にして、隣の美瑛へ。まず最初に「ゼルブ」の丘を目指す。広大な丘に色とりどりの花が咲き乱れていた。360度の景色が見える眺めのよい丘であった。

丘の頂上で記念写真。花々がとてもきれいだった。

丘の頂上で記念写真。花々がとてもきれいだった。

自動シャッターでパチリ。

自動シャッターでパチリ。

駐車場から見たゼルブの丘。原色の花々がまばゆい。

駐車場から見たゼルブの丘。原色の花々がまばゆい。

少しずつ富良野へ向かって車を進めた。途中の景色は北海道らしくどこまでも畑が続いている。大型機械でなければとても仕事はできないだろうと思う。

北海道らしい景色の中をダブルナビで車は進んでいく。

北海道らしい景色の中をダブルナビで車は進んでいく。

次の目標は「四季彩の丘」だ。観光雑誌を見て目標を定め、ナビに入力する。車のナビと家内のナビを頼りにすいすいと北海道の畑の中の道を進んでいく。道路脇の支柱には道路幅を示す矢印(写真上右)が取り付けられている。もしも、この矢印がなかったら、積雪時にはどこが道路かわからないだろう。

「四季彩色彩の丘」に着く頃には少しずつ雨が降り始めた。移動中は、多少の雨でも気にならないが、観光地ではやはり雨は困る。それでも、「四季彩の丘」の花畑の中の道を傘を差して散策することにした。

トラクターの運転手さんが一旦停止してシャッターを切って下さった。

トラクターの運転手さんが一旦停止してシャッターを切って下さった。

雨でもあるし、農耕用のトラクターが幌の付いた客用の乗り物を引いて花畑の中を走っている。私たちも、これに乗ることにした。しかし、この車の揺れときたら、半端ではなかった。

馬車に乗ったり歩いたりしながら「四季彩の丘」を楽しんだ。

馬車に乗ったり歩いたりしながら「四季彩の丘」を楽しんだ。

これもトラクターの運転手さんが撮って下さった写真。

これもトラクターの運転手さんが撮って下さった写真。

夜は富良野の温泉へ入り、運転の疲れをとった。天候はよくなかったが、北海道らしい景色を見た一日だった。

 
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ダブルナビで北海道・東北を3000km(③-1)

25 8月

職員の創意工夫が見られる旭山動物園の行動展示
旭山動物園(7月28日午前中)  札幌のホテルを出て一路旭川市の旭山動物園へ。この旭山動物園は、マスコミ等では有名な動物園だ。家内も「一度は見たい」と言うので見学を決めたのだ。

素朴な看板のある動物園入り口

素朴な看板のある動物園入り口

「旭山動物園」はどこにでもあるような地方の小さな動物園だ。象、ライオン、パンダはいないし、イルカやシャチ、鯨などのショウもない。

ここでのスターは、「シロクマ」「ペンギン」「アザラシ」「カバ」だ。他の動物園なら、さっと見て通り過ぎるくらいありふれた動物たちだ。しかし、その展示方法は全く独特だ。

「シロクマ」は、陸上でも、水中でも見ることができる。間近で見るその姿はとても迫力がある。また水中を動き回る姿をとてもユニークである。いつまでも見ていても飽きが来ない。

水中を泳ぎ回るシロクマ

水中を泳ぎ回るシロクマ

「ペンギン」は下や横からから見ることができ、まるで空を飛んでいるようだ。入園者は水中にあるガラス張りの通路を通りながら見るのだ。

まるで空を飛んでいるようなペンギンの動きがよくわかる。

まるで空を飛んでいるようなペンギンの動きがよくわかる。

「カバ」は、上から横から下から見ることができる。思ったよりもはるかに敏捷性があり、見ていても飽きが来ない。

下から横から上から動き回るカバの姿を見ることができる。動きは意外とすばしこい。

下から横から上から動き回るカバの姿を見ることができる。動きは意外とすばしこい。

「アザラシ」はガラスの筒を上から下へ、下から上へ泳ぎ回っている。写真を撮ろうとしても、なかなかシャッターを切れない。写真を撮るために何度も何度もシャッターを切ったがよい写真は撮れなかった。

太いガラス管の中を上下するアザラシの姿は見応えがある。

太いガラス管の中を上下するアザラシの姿は見応えがある。

それにここの動物園は手作り感がいっぱいだ。看板などはほとんどが職員の手作りのように見える。ちょっとした場所にもその工夫が見られる。

道路脇の空いたスペースにはこのような手作りの展示物が並べられて興味深い。

道路脇の空いたスペースにはこのような手作りの展示物が並べられて興味深い。

このような素朴な看板が至る所に見られる。

このような素朴な看板が至る所に見られる。

「寒いところに住む仲間」と書かれた手作り看板の動物たち

「寒いところに住む仲間」と書かれた手作り看板の動物たち

また、動物の視点で他の動物を見る工夫も凝らされている。猛獣の中のウサギの視点、雪原の中でアザラシの視点でシロクマを見ることができるような工夫もなされている。

シロクマの檻の中に半球の透明ドームが設置されていて、ここからアザラシの視点でシロクマを見ることができる。

シロクマの檻の中に半球の透明ドームが設置されていて、ここ(黄色い⇒)からアザラシの視点でシロクマを見ることができる。

このような旭山動物園の「動物の生態や習性に合わせた展示方法」おかげで全国トップレベルの人気を誇っているとのことである。

人気の秘密がわかった気がした。まちづくりでもビジネスでも教育でも何にでも応用の利く考え方である。まさに「知恵無限」である。

(7月28日の午後の見学は次回)

 
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ダブルナビで北海道・東北を3000km(②)

24 8月

青春の思い出「石原裕次郎記念館」
小樽 7月26日(火)の午前4時半に小樽港に到着。車に乗り込んで早朝の小樽のまちに上陸。こんなに早い時間には見学するところはないので、先ず小樽運河の脇の道を家内と散策。

小雨の降る中、小樽運河界隈を散策

小雨の降る中、小樽運河界隈を散策

かつては栄えていたのだろうが、今は古ぼけた建物が多い。そんな建物のいくつかはガラス館など観光施設に鞍替えしている。

話は変わるが、私はズボンを居間に忘れてきたので、ジャージしか持ち合わせがない。店が開いたら小樽の町で買うつもり。

“小樽のまち”と聞くとなんとなく東京ロマンチカの「小樽の人よ」を思い出す。歌の力は大きい。前回の北海旅行では、北一ガラス館などを見学したが、今回は小樽の町は運河界隈の散策と『石原裕次郎記念館』を中心に見学する予定。

午前9時から開館する『石原裕次郎記念館』を先ず見学。これで三度目だ。ここへ来るとなんとなく、高校時代の頃を思い出す。ほろ苦い青春時代がよみがえってくる。

左上:フェリ-甲板から早朝の小樽のまちへ車を進める。その他の写真は小樽の町並み。

左上:フェリ-甲板から早朝の小樽のまちへ車を進める。その他の写真は小樽の町並み。

当時流行った石原裕次郎の『嵐を呼ぶ男』の影響を受けて私は大学の軽音楽部でドラムを始めたのだ。今回も記念館では短い映画を上映していたが、その中にも裕次郎のドラムをたたく姿が入っていた。

今回は大人二人の旅なので、館内でもゆっくりすることができる。途中で、喫茶コーナーへ入り、のんびりくつろぐ。

石原裕次郎は、俳優として歌手として活躍したのだ。特に、日本人離れした足の長さには日本中があこがれたものだ。

このドラム姿にあこがれて今でも時々ドラムをたたくことがある。

このドラム姿にあこがれて今でも時々ドラムをたたくことがある。

左:20歳頃の私(1963年) 右:三国観光ホテルで演奏する今年の私(2016年)

左:20歳頃の私(1963年) 右:三国観光ホテルで演奏する今年の私(2016年)

石原裕次郎記念館を家内と一緒にゆっくり見学した後、ズボンを買うためにナビで「ユニクロ」を探して買い物に出かけた。

ユニクロはナビのおかげですぐに見つかった。ジーンズを1本買って長さをその場で合わせてもらった。今日からは、ジーンズで過ごそう。

札幌 昼過ぎに札幌へ向かった。先ず今晩泊まるホテルの駐車場へ。チェックインの時間の午後3時より少し早いのでその分駐車料金は上積み。

北海道の開拓期を偲ぶ赤煉瓦の北海道庁旧本庁舎

北海道の開拓期を偲ぶ赤煉瓦の北海道庁旧本庁舎

その後、傘を差して雨の札幌市内を散策。大通公園ではサッポロビール祭りが開催されていて、一区画ごとにサッポロビール、キリンビール、アサビールなどの大型店とビアホールが並んでいる。

大通公園を散策した後、北海道庁旧本庁舎へ。前庭の花がとてもきれいだ。中の資料館を見て、次は、サッポロ時計台へ。これらの場所は一度来たことのある場所だが、なんとか寄りたかった。

左:きれいな花壇が整備されている札幌大通公園 右:札幌時計台

左:きれいな花壇が整備されている札幌大通公園 右:札幌時計台

かなり雨が降っていたのは残念だったが、何度か来たことのある場所なので、見学と言うよりも、運動不足解消のためのウオーキングをしているという感じだった。ホテルへ戻って家内はコインランドリーで洗濯。(札幌宿泊)

 
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ダブルナビで北海道・東北を3000km(①)

23 8月

10泊11日で北海道・東北旅行
20数年前に子供達と車で出かけた北海道へ家内と二人でもう一度旅行をしようと決めた。7月24日(日)の村の夕涼み会から8月6日(土)のさつき苑の夏祭り、翌7日(日)の村の山道作りの間の2週間を使うしかない。

新潟港で出港を待つフェリー「ゆうかり」

新潟港で出港を待つフェリー「ゆうかり」

今回の旅行の目的は、北海道を少し見て、後は東北の被災地を自分の目で見ることだ。最後は、映画「フラガール」のモデルとなったスパリゾート・ハワイアンズへ寄り、今春生まれた孫の顔を見ることも目的の一つだ。(他の孫達は8月7日にやって来ることになっている。)

早速、運動会の翌日の午後、新潟港へ向けてワゴン車で出発。「ダブルナビ」とは本当のナビと助手席に座る妻の指示だ。翌日の午前10時半の小樽行きのフェリーに乗ることにした。これも以前と全く同じ。

忙しかった毎日が嘘のようにのんびりした船旅。個室でのんびりくつろぐことができて車も運んでもらえるのがフェリーのよいところ。

途中で、小樽から新潟へ向かうフェリーとすれ違う。フェリー内では、新潟の歌手のコンサート。のんびりした時間が流れる。今回の旅行で一番困るのは、夏野菜の収穫と水やりだ。

上左:船上でのんびり。上右:鴎たちも旅に同行。下左:船上コンサート。下右:旅の楽しみの一つは食事(船内レストランで)。

上左:船上でのんびり。上右:鴎たちも旅に同行。下左:船上コンサート。下右:旅の楽しみの一つは食事(船内レストランで)。

トマトだけは、完熟したものから薄ピンク色のものまで数十個とキュウリなどを車に積み込んできたのだ。他は、家内の友達に頼んで、適当に処分してもらうことと、水やりだけはお願いしての出発だった。

計画はおおざっぱにしか決めていない。いざというときのために車にはマットレスで凹凸をなくして寝床が積んであるので、疲れたらどこでも休む(寝る)ことができるようにしての出発だった。はたしてどんな旅になることやら。(ブログの不具合で今頃旅行記をアップすることになった。)

 
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