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戦争を考えた日

19 5月

戦艦ミズーリに体当たりしようとするゼロ戦。

戦没者慰霊祭に出席
   勝山・猪野瀬両地区の区長や戦没者の遺族の方々が、長山公園にある招魂社へ集合。慰霊祭の準備は昨日しておいたが、テントを張ったり、清掃したりして、9時半に式典が始まった。

 私は、式典後の閉会の辞を述べた。先の大戦で、勝山市からもかなりの戦没者を出したのだ。私の同級生のNさんもその一人だったし、村の同級生のOさんもそうだった。

 戦没者の方々の無念を思うと、胸が痛む。残った私達はその想いを引き継ぎ、微力ながらも地域の発展のために尽くさなければならないとの思いを強くした。

ハワイで知った戦争秘話
 この三月に家内と二人でハワイ旅行を行った。ハワイというと、どちらかというと、南の楽園というイメージが強く、平和そのものであるように感じる。しかし、戦争により傷跡が今もそのまま

ゼロ戦の飛行士のアメリカ兵による水葬。右下は米兵が急ごしらえしたという日本海軍旗に包まれた日本兵の遺体。

残されている。

 それは、真珠湾攻撃により撃沈した戦艦アリゾナが、今も多くの乗組員を乗せたまま沈んでいるのだ。そして、戦艦をまたぐように戦艦アリゾナ記念館が作られているのだ。

 そして、その博物館から海を見ると、戦艦の大部分は海底に沈んでいるが、一部はさびたまま海面上に顔を出しているのだ。船体からは、今も油が流れている。

 この真珠湾に接岸している戦艦ミズーリも見学したが、ここにも悲しい戦争の秘話が残されていた。ガイドの案内とネットの情報を合わせると以下のようになる。
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  1945年4月11日午後、日本近海で戦闘中の戦艦ミズーリに対して日本の特攻機(爆装零戦)が攻撃を仕掛けたが、そのほとんどはミズーリの砲火を浴びて墜落したのだ。

後に判明したゼロ戦の石野節雄飛行士。右下の飛行機を持っている幼児が同飛行士。

 しかし、この中の一機が砲火をかいくぐり、低空飛行で右舷甲板に突入した。突入機の右翼は第3副砲塔上にぶつかり、燃料に引火した。艦は表面に損傷を受けたが、速やかに鎮火した。(この攻撃の跡は現在も船体に残っている。)

  その後、この突入機の飛行士の遺体の一部が艦上で回収されたのだ。ミズーリの乗組員から見れば、自分たちの命を狙った憎き敵兵日本人であり、間一髪危機を逃れたのだ。

 しかし、ミズーリのウィリアム・キャラハン艦長は、乗組員からの反対もあったが、この日本の飛行士を海軍式の水葬で弔うことを決定した。そして、翌日、艦長の命により水葬が執り行われたのだ。ミズーリで行われた葬儀はこの1回のみであったという。

 艦長が、敵兵を丁重に扱ったのは、「この日本兵が名誉を持って自らの任務を全うした」というのがその理由だったそうだ。この飛行士の官姓名は長らく不詳であったが、ミズーリ記念館の調査の結果、鹿屋航空基地を出撃した第五建武隊の石野節雄二

甲板で石野飛行士の話をするガイド(戦艦ミズーリにて)。

等兵曹の機であったと判明した。

  その後、飛行士の遺族と、ミズーリーの艦長の子孫が再会したという。この件について簡単に論評することはできない。しかし、心を打たれる話しだ。二度と戦争を起こしてほしくないという気持ちを強くした。

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 以前にも述べたが、ハワイというと南の楽園というイメージだが、ハワイが王国からアメリカの50番目の州にになったいきさつ、そして、真珠湾攻撃など様々な歴史もあることに思いを致し、そうした面にも多少の関心を持って欲しいものだと思う。

(日記 午前中、戦没者慰霊祭に参加。午後は、民謡の振り付けを考える。午後4時より、子ども鼓。そして、午後7時より『さわらび会(職制買う改善推進員)』の皆さんに民謡を指導する。)

 
 

想いは歌で伝えたい

18 5月

歌の力
  世の中には歌が溢れている。そんな中で私にとっては、次のようなタイプに分けることができる。
   ・メッセージが伝わってくる(歌詞が理解できる)もの
     ・メロディーの美しいもの
   ・歌っている歌手に興味があるもの
   ・内容は全く理解できないが、何となく興味があるもの
等、様々である。

  しかし、素人の私の場合には、明らかに、「伝えたいことがあるから歌をつくるのだ」と思っている。美辞麗句が並んでいるだけでは私のような素人はメッセージを伝えることができない。

 そんなわけで、昨年の平泉寺の文化祭には、“想いは歌で伝えたい”の演題で話をし、実演をすることができた。歌は、主に歌謡教室の講師の旭さんに歌っていただいた。歌謡浪曲も歌っていただいた。

  今年も、平泉寺から8月に発表してほしいと言われた。その日までに何とか、新曲を作れればと思っている。また、勝山市の市民大学講座でも、同様のタイトル“想いは歌で伝えたい”で9月に話と実演を交えて発表することになっている。

メロディーの美しさ、リズムのおもしろさだけで演奏。昨年の静岡でのOB演奏会。演奏なのでメッセージなど気にならなかった。でも、歌はそうはいかないだろう。

  この市民大学でも、数年前に同様のタイトルで発表を経験している。そういえば、そのときに「母に捧げる唄」を旭さんに歌っていただいたが、涙が出て止まらなかったことを思い出した。

  ところで悲しいと思うのは、英語の歌だ。詞の内容が分からないまま聞いている場合が多い。歌の歌い方、楽器の使い方、全体の雰囲気などで曲の善し悪しを選んでいる場合が少なくない。

  しかし、英語の歌詞が理解できたら、もっともっと歌のメッセージが伝わるだろうなと思う。一度、ビートルズなどが何をテーマに歌を作っているかを訳詞で勉強したいと思う。

  いずれにしろ、歌にはその時々いろんな思い出を持っている。そして、その歌を聴くと、その当時の自分がよみがえってくるように思う。何をテーマに歌を作るかは今の私の課題だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・インターネットより・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    レット・イット・ビー Let it be。

                     作詞・作曲 ポール・マッカートニー
                     日本語訳 壺齋散人

                Let it be とは、「あるがままにあらしめよ」という意味。

  困ったときにはいつでも マリア様が現れて
  知恵の言葉をささやく レット・イット・ビー
  つらいときにはかならず ぼくの前に立って
  知恵の言葉をささやく レット・イット・ビー

  レット・イット・ビー レット・イット・ビー 
  ささやくのは知恵の言葉 レット・イット・ビー

  世界中の打ちひしがれた人々に等しく
  ささやきかける言葉 レット・イット・ビー
  どんなに離れ離れになってもきっとまたあえると
  ささやきかける言葉 レット・イット・ビー

  レット・イット・ビー レット・イット・ビー・・・・

  暗い夜にも一筋の光が頭上にさして
  ほのかに光る レット・イット・ビー
  音楽に目が覚めると マリア様が現れて
  知恵の言葉をささやく レット・イット・ビー

  レット・イット・ビー レット・イット・ビー

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(日記 午前中、毎月発行するつもりの『かたせ瓦版』の編集を始めた。先ずは今年1年続けなければと思う。見て下さる区民の皆さんのためにも。午後1時半より明日の戦没慰霊祭の準備のために長山公園へ出かけた。勝山(旧町)地区と私の住む猪瀬地区の区長や遺族の方々がそれぞれ役割を決めて掃除をし、絨毯をひいたり、椅子を並べたり、幕を張ったりした。準備は1時間余りで終わった。帰宅後も、『かたせ瓦版』の編集を継続した。先日訪れた滋賀県米原市上丹生のTさんとはメル友になった。今日はその返事を書いた。これで数回メールをやりとりしていることになる。また、県の土木部のSさんもメル友になりそうだ。)

 
 

常識と非常識

17 5月

それって当たり前?
  「◎◎の常識は△△の非常識」等という言い方がある。「何が正しいのか」、判断の基準があやふやになっているように思う。「当たり前」と思っていることが当たり前でなかったりもする。

  今日も、作業をしながら「国会中継」を少し聞いていた。総理や各大臣が自信を持って答えていること(官僚の答弁書が多いだろうが)が正しいとも思えない。

  農業をやったこともない官僚の皆さんが机上で農業政策を立案しているが、農家の人達の気持ちや「農」の持つ本当の意味をりかいしているのだろうか。

田植え補助員として終日「苗箱洗浄」を行った。

  さも分かったように、政治家の皆さんは自信を持って発言するが、「本当にそんなにうまくいくのか」と思ってしまう。農業政策を立案する者は、いろんな地区のいろんな農業を何年か体験してからにしてほしいと思う。

  もしもそんなことができないのなら、農業者の真の声を聞いてほしい。というのは、今日、午後6時から『農地・水保全管理支払交付金・共同活動、向上活動採択』説明会が大野市であり、「農事組合法人かたせ」の理事長と一緒に参加した。

  補助金をもらえることには農家の者は誰も異存はなかろう。しかし、誰がこのようなプランを考えたのだろうか。農水省の役人か。というのは、説明のなかで「国の方の指導があって……」という言葉が多かったからだ。

基盤整備をした田んぼで田植え機が深みにはまり、トラクターで救出。

  耕作放棄地をなくしたり、農地を荒れさせないようにする方法は、金銭で物理的環境を整えるだけでは解決しないように思う。農業の持つ意味をよく理解し、若者が農業に魅力を感ずる国にしなければならないのではいか。

  国民の知恵を結集した政策であるのだろうかと心配になる。これは何も農業ばかりではない。

 「当たり前」のように考えていことについても、「本当にそうだろうか」と考え直さなければならないだろうし、「常識的ではない」と思われていることについても、「もしかしたらそれが正しいのではなかろうか」と考え直してみなければならないのではなかろうか。

(日記 午前8時から午後4時半まで「農事組合法人かたせ」の田植え補助員を務めた。午後6時半から『農地・水保全管理支払交付金・共同活動、向上活動採択』説明会に出席。新たなことが分かった。)

 
 

子育てマイスター

16 5月

『ナマズのテツ』初演
  今日は、野向保育園で祖父母と園児の交流事業で「ほうばめし」をつくるイベントがあった。そこへ、私達夫婦は呼ばれた。

導入としての手遊び。園児は協力的だったので助かった。

 「ほうばめし」は、2枚の朴の木の葉っぱに、黄な粉、熱々のごはん、黄な粉の順に入れて包んで作るのだ。野向保育園では、園児の祖父母と園児がそれぞれ「ほうばめし」を作った。

 その後、隣の児童館に会場を移して、私達の出番だ。最初に「手遊び歌」を園児と一緒に3曲演じ、続いて乳幼児用に創作紙芝居『かくれんぼ』を演じ、最後に新作の紙芝居『ナマズのテツ』を演じた。

 この『ナマズのテツ』は、本当は紙芝居として演ずるつもりだったが、プリンターの不具合でやむなく、パワーポイントを使った。暗幕がないので、絵はやや薄く、少し残念だった。

紙芝居『かくれんぼ』に子ども達は集中してくれた。子ども達の歓声が児童館に響き渡った。

  しかし、子ども達も楽しそうに過ごしてくれたので安心した。私達のレクレーション時間の後、いよいよ「ほうばめし」給食だ。私達夫婦もそれぞれ、園児と一緒のテーブルに座り、楽しく語らいながら作ったばかりの「ほうばめし」をいただいた。

 園児との語らいや、私達の紙芝居などに対する園児の素直な反応、そしておいしい「ほうばめし」給食と、とても楽しく充実した時間を持つことができた。

パワーポイントを使って創作紙芝居『ナマズのテツ』を初演。子ども達は静かに聞いてくれたので嬉しかった。

福井木田神社で『片瀬豊年ばやし』
  午後5時15分、片瀬集会所前を出発して一路3台の車で福井の木田神社へ。
 
  今日は木田神社の春季大祭で私達は『片瀬豊年ばやし』を演ずるのだ。
 
  浦安の舞に続いて、6時45分頃、ステージへ。会員達は練習した通りに演じたように思う。来年の祭りにも出演してほしいと頼まれた。
  帰宅したのは、午後10時であった。忙しかったが、充実した一日だった。
 

最後は、子ども達と一緒に楽しい『ほおばめし』給食。家内も楽しそうだった。

(日記 午前9時過ぎ,自宅を出発して野向保育園へ。祖父母と園児の「ほうおばめし」作りイベントに、創作紙芝居を持って夫婦で参加した。2月もそうだったが、野向保育園では今日も創作紙芝居『ナマズのテツ』は初演だった。紙芝居の後、園児と一緒に「ほうばめし」給食をいただいた。午後6時45分より福井の木田神社で『片瀬豊年ばやし』を演じた。)

福井の木田神社で『片瀬豊年ばやし』を演ずる我が集落の皆さん。

 

銭太鼓の途中に演じられた俵芸。金太郎の腹掛けは私。(於:福井木田神社)

 

演技を終えた後、私がお礼の挨拶をさせていただいた。

 

(昭和中期+平成現在)÷2=?

15 5月

 昔の良さを今に
   県の職員の方と住教育を中心にいろんな話をさせていただいた。特に、土木部建築住宅課のSさんとは馬が合ったと言おうか、楽しく話をすることができた。

  そんな中で、昭和時代の話もよく出てきた。今の生活を昭和に戻すことは不可能だろうが、昭和時代の良さを今の時代に繁栄させることは可能ではなかろうか。

  欲望のままではなく、我慢をしたり耐えることによって、いろんなありがたみが分かってくるのではなかろうか。橋下氏の言うように、今夏、電力を節約してみるのもいいのではないか。

県と市の職員と住生活を中心にいろんな話をすることができた(我が家にて)。

  一度節約することによって、電気のありがたみが分かるのではなかろうか。エネルギーやモノを浪費して何不自由なく暮らしてい手は、モノのありがたみはわからないだろう。

  そういう意味では、私の理想は、昭和中期と平成の今を足して2で割ったぐらいの生活が、一番理想的ではなっかと思う。その理由は、昭和の中期は、物質的には十分でなくても、精神的に豊かであったと思うからだ。

 来客とは、4時間あまり話したが、全く退屈しなかった。久しぶりに楽しく充実した時間が持てたと思う。二人とも、昭和の時代を評価すると共に、その良さを今に生かしたいという気持ちがあるからだ。

(日記 晴れていれば終日、組合の田植えの補助員を務める日だったが、雨のため中止となった。午前中は、家内と創作紙芝居の練習をしたり、はわいあんのCD作りを行ったりした。午後1時過ぎに、県の土木部の建築住宅課の職員二人と市の建設課の職員がやって来た。住教育についての話しを持ってきた。そして、私を含めて4人で住教育を中心にいろんな話をした。終わったのは5時頃であった。昔と今の違いから、まちづくりまでいろんな話をした。まだまだ話す内容があったが、途中で打ち切った。楽しい時間を持つことができた。午後7時半から、明日の木田神社での『片瀬豊年ばやし』の最終練習を行った。明日は紙芝居もある。忙しいが楽しい一日になりそうだ。)

 

循環型社会

14 5月

欲望の果てに
  今の社会の有り様では限界はいずれ来るように思う。必要以上にモノを作り、必要以上にそれを買う。家はモノで溢れ、それらは使えるうちから粗大ゴミになるのだ。

  この間、資源はどんどん浪費される。これを発展というのだろうか。いずれは限界に来るように思われる。どこかでこの連鎖を断ち切るとたちまち不景気になり、誰かが困るのだ。

 だれかが莫大な利益を上げる一方で犠牲になる者も少なくないだろう。「モノ」で豊かさを求めるか、それとも、別の方法で豊かさを求めるかだ。

 しかし、精神的な豊かさを求める人が多くなると、今の社会は成り立たないのではなかろうか。不必要なモノでも買いまくることによってしか、国民全体が生活できないのはどこかおかしい。

 昭和時代よりも、遙かに物質的に恵まれた今の方が豊かになったと言えるだろうか。ある時期の我が家を例にとれば、いわゆる三種の神器と言われるテレビ・冷蔵庫・電気洗濯機の他に、クーラーや電話もなかった。

 自転車が一台、ラジオが一台あるぐらいだった。普段は肉など滅多に食べない。おかずのほとんどは自家製の野菜だった。現金を持たなくても、何とかなったのではないか。

 それに比べて、今は、成人の数だけ車・テレビ・電話を持ち、冷蔵庫も大型化し、食生活もタンパク質がずいぶん多くなった。

 昔と今では、日々の生活費は比較にならない。車を持てば、日々の維持費、原価償却費の他に保険なども必要だ。電化製品の電気料もかなりのものになる。そのためには、夫婦で働かなければ生活は維持できない。

 近くの山や川で遊び、囲炉裏を囲んで家族が過ごし、祭りや宗教的行事等には大人から子どもまでが関わった。いろんな事を教わったのは、親はもちろんのこと、先輩や村の大人達だった。

  ゲーム機はなかったが、こうしていろんな遊びや技術を身につけてきた。この頃の方が今より豊かだったと思う。必ずしもモノが人の生活を豊かにするものではないということだ。

  生活そのものも、薪をエネルギーにし、馬糞や人糞も肥料として使ってきたのだ。エネルギーの浪費は少なかったのではなかろうか。夜になれば町は暗くなるのが当たり前だった。

 今は、宇宙から見ると真夜中でも日本列島が最も明るいそうだ。それでいて電力不足だとはどこかおかしい。夜が暗くても、人の幸せにそんなに影響しないのではないのか。

 しかし、こうした無駄で生活が成り立っている人もいるのだろう。一概に悪いとは言えないが、改善の余地があるように思う。モノ以外にも豊かさがあることをみんなが知る必要があるように思う。

  今の政権の有り様を考えると、私達は生活を他人任せにせず、自らの頭で考え、自ら行動しなければならないように思う。政治家一人を選ぶにしても。

 このあたりのことを理解しているのは、ブータンの指導者かもしれない。ブータンに学ぶことはたくさんあるように思う。

 (日記 午前中、水曜日に行う創作紙芝居の脚本清書。意外と時間がかかった。午後は、オカリナ教室の教材作り。編曲と楽譜作りと練習用CD作り。また、ハワイアンバンドとフラダンスのCD作り。午後7時半よりオカリナ教室。6月2日の大師山自然観察会でのオカリナ演奏の練習をした。大師山の頂上でオカリナを演奏するのだ。晴れれば気持ちがいいだろう。)

 
 

鳥獣害

13 5月

動物との共存
  最近は、山際にある集落は、確実に動物の被害に悩まされている。先日、プランターにする竹をもらいに行ったが、竹林は穴だらけだった。

  猪がタケノコを掘るのだという。山奥ならいざ知らず、私の集落でも例外ではないのだ。家内の実家では、いろんなものが猪やハクビシンなどにやられてしまうと言う。

  中部中学校に熊が入り込んだぐらいだから、どこへどんな動物が出るか分からない。猿の害に悩まされる集落もある。

 我が家の家庭菜園も、イチゴ、とまと、瓜類、豆、イチジク等が鳥などにやられてしまうので、ネットをかけた。細い糸のネットだ。せっかく育てたのに鳥や獣にやられるのではやってられない。

  先日、滋賀県米原市の上丹生の「チューリップ祭り」の視察に出かけたが、会場周辺の畑はさながら鶏小屋状態であった。それぞれの小さな畑が、高いネットで囲まれていて、入り口には戸が取り付けられていた。

  この状態は、収まるどこるか年々ひどくなるように思う。いろんな理由があるのだろうが、農家の人達にとっては丹精込めて育てた収穫物が一晩のうちになくなってしまうのだから悲しい。

  どのように、動物たちと折り合いを付けるのか、難しい課題である。今のところ、防戦一方だが、今後は棲み分ける方法を考えないと、山際の集落の過疎化は加速度的に進んでしまうのではなかろうか。

横浜の自宅で国語の本を読んで聞かせてくれた小2の孫娘(長男の長女)。

(日記 午前中は、収穫の終わった水菜の株を取り去り、「押し切り」で細かくして土に戻した。そして、小型耕耘機で耕し、石灰や元肥を入れ、畝を立てた。これで家庭菜園の方は全て埋まったことになる。またイチゴに鳥などの害を防ぐためのネットを張った。午後は、紙芝居の脚本の仕上げ。プリンターが壊れたので、パワーポイントで画像を映すことにした。息子の友人のY君が、プロジェクターを貸してくれた。今回は、一部を紙芝居で、最新作は残念ながら、プリンターの故障で厚紙印刷ができないので、パワーポイントで映すことにした。午後9時半から息子の家族とウェブカム(テレビ電話)。孫が国語の教科書を読んでくれた。みんな元気そうだった。)

 
 

ピンチ

12 5月

プリンターのトラブル
  先月から書き始めた創作紙芝居『ナマズのテツ』の絵はようやく完成した。いよいよ今日は、A3ノビの厚紙にプリントする日だ。

  午前中に、一枚だけ絵を描き直して印刷を始めた。時々かすれることあったので、クリーニングしながら3枚ほど印刷した。この調子で、25枚印刷すれば紙芝居は完成だと思っていた。

  ところが、プリンターの黒色がどうしても出ない。25枚中4枚ほど印刷しただけで前へ進めなくなってしまった。時々起こるが、パソコンや周辺機器のトラブルは避けられない。

  一度壊れてしまうと、電気店でも直せない。修理は必ずメーカー送りとなってしまう。そうなると、1万5千円前後はかかってしまう。それと、一週間から十日は修理のために時間がかかってしまう。

  この紙芝居の上演は来週の水曜日だ。後三日しかない。紙芝居を諦めてパワーポイントでやるか、プリンターを買うかのどちらかだ。

  ところが、A3ノビの厚紙に印刷できるプリンターというと極端に数が少なくなってしまう。その上、CDやDVDのラベルの印刷までできるものとなるとほとんどないのではなかろうか。少なくとも、ネット上では見つからなかった。

 そう思うと、9年余り前に買った今の「PM4000PX」は貴重なプリンターだったなあと思う。性能のよくなった後継機はあるが、CDやDVDのラベル印刷ができないし、ラベル印刷ができる機種は厚紙印刷ができない。

パソコンのトラブルでせっかく描いた紙芝居の絵が厚紙に印刷できないとは悲しい。

 このままでは、パソコン上で紙芝居の絵が完成しているのに、厚紙に印刷できない。ということは、紙芝居ができないということになる。

  明日中に結論を出さなければならない。同様の故障で一度は修理に出しているが、9年前の機種を修理して使うか、それともどこかの機能を犠牲にしてプリンターを新調するかだ。

  電子機器は便利だが、一度故障すると手に負えない。そして、故障は思いがけないときにやってくる。こんなトラブルでこれまで何度泣いたことか。アナログが恋しくなる。

(日記 午後4時からの親子太鼓の指導を除いて終日紙芝居作り。夜は、午後11時過ぎまで幼児用に脚本を書き直した。慌ただしい一日であった。)

 
 

人間信頼の感情を育てる

11 5月

恩師の言葉
  今の政府も東電など電力会社も、国民の信頼を失っているように思う。信頼を失っては、何を言っても説得力がない。国民からそっぽを向かれては何もできないのではないか。

 「人間信頼の感情を育てる」とは、今から40年ほど前に恩師のN校長からお聞きした言葉だ。高額の税を課せられた国家はいくらでもある。しかし、そうした国では政治家は国民に信頼されているのではなかろうか。

  国と国であれ、個人と個人であれ、その根底にお互いが信頼できる関係が築かれていなければならないように思う。どうも、個人も国家も自己中心的でありすぎルように思う。

 なぜ政治家や大手電力会社の幹部は国民から信頼されないのだろうか。ぞれは子ども時代からの育ちが影響しているように思えてならない。最近読んだ本からは次のような構図が見られる。

 テストの点数エリートは、いわゆる難関校へ進学することになる。そこまでは、常に地域の点数エリートとしてちやほやされている場合が少なくない。

  いつもトップを走ってきたのだ。しかし、社会へ出ると、点数エリート同士が闘わなければならないことになる。官僚になれば、トップは1人でよいことになるからだ。大会社でも同様だろう。

  人生で敗者になったことのない者が次に狙うのは何だろうか。経済的な優位性ではなかろうか。天下りで少しでもよりよいポストに就くことだという。そのためには、国民のためよりも、自分たちのポスト確保が優先される。

  こんな論調が溢れている。当たらずとも遠からずだろう。官僚と政治家、対立しているようでくっついている。以前にも書いたが、民主党の仕分けで建設を見送られた朝霞の公務員宿舎が野田財務大臣の時に工事を突然再開した。

 ところが、世論の反発を招き総理になったときに工事を中止(無期延期か)している。なぜこういうことになるのだろうか。悲しき点数エリートの末路は金の亡者になっているように思えなくもない。

 今望まれるのは、信頼できる人間を育てることだろう。人から信頼されてこそ、真のエリートだ。そんな人間を育てる方向に舵を切らなければならない。

 出でよ!平成の龍馬!!橋下氏は龍馬を気取っているように見えるが、はたして結果はどうなるのだろうか。期待と不安半分。その動向に目が離せない。

集会所での銭太鼓の練習。(今日の写真ではありません。)

(日記 区の仕事のために、午前9時少し前に自宅を出発、司法書士、大野税務署(国税)、福井県税事務所(県税)、市役所税務課(市税)、JA、ホームセンター、金物店等を回ったら、午後4時になった。昼食は途中で買ったパン一個。大野税務署では約1時間、書類の書き方を教えていただいた。午後は、疲れて何もできなかった。午後7時半から、銭太鼓の練習。16日に福井市の木田神社の春季大祭に招待されたからだ。みんなで頑張りたいと思う。)

 
 

毎日パワー

10 5月

歯医者にて
  昨日、前歯が折れてしまった。歯も弱っていたのだろう。今日はとても忙しいが、仕方なく歯医者へ行くことにした。診察は午前9時から診察が始まると分かっていたが、予約してなかったので午前8時半に歯医者へ行った。

  待合室の本の中に、『遺言』という本があった。他には読む本がなかったので、ぺらぺらとページをめくっていた。医者が、患者や後輩や一般人に『遺言』という形で一人が三つずつメッセージを書いているのだ。

  その中に、例の日野原重明先生の言葉が書いてあった。その言葉が気に入った。自分と同じ考えだったり、日頃自分が思っていることを第三者が語ってくれると心強く思う。

 日野原先生の言葉は次のようなものであった。“全ての方へ”として、
 「創(はじ)めることを忘れなければ、いくつになってもこころの若さは続く。節目の年齢から、新しいことに挑戦しよう。」
と書かれていた。

 サムエル・ウルマンの『青春の歌』を連想した。

 さて、日野原さんの言葉はその通りだと思う。私は、これにさらに付け加えてこう言いたい。「一日の変化は微々たるものでも、何かをやり続ければいつかは大きな力になる。それが毎日パワーだ。」と。

 「今できないことでも、やりたいことだったら、とにかく始めてみよう。」 毎日続ければ、できなかったと思っていたことが実はできるようになるのだ。毎日何かをやり続ければれば大きな変化をもたらす。

 これが「毎日パワーの威力だ」。「継続は力なり」と言い換えてもいいが、子どもや若い人達には、「毎日パワー」の方がインパクトがあると思ってこう言い続けている。

  やりたいことがあるのなら、今できるかどうかを思案するよりも、毎日少しずつやり始めればいいのだ。私も何度かこの言葉を実感している。とにかく、少しずつでも毎日頑張れば、何かができるようになるのだ。

  先のことを考えず、とにかく毎日今日の分だけやればいいのだ。お陰で、今月も数日前に新しい紙芝居を完成させることができた。「一日1~3枚の絵を描き続ける」と先月決めた。その後、時間があれば一日1~2枚の絵を描いてきたのだ。

 来週から、また新しい創作紙芝居にチャレンジしたい。目標を立てたら、そこからが逆算して一日分のノルマを考える。後は、それをやり続ければいいのだ。

 始めようと思って買い求めたがまだできていないものもいくつかある。あれこれ手を出し過ぎるからだ。でも、前向きに動いていれば、きっと友達はできるのだ。

 「毎日パワー」を活用して、いろんなことにチャレンジしたい。一度、小説なるものを書いてみたいと思う。童話は何度も書いたが、今も小学高学年向けの童話を書いている。次は小説もどきだ。

自作の広報誌『かたせ瓦版』。

(日記 午前8時半から午前11時まで歯医者。その後、鹿谷公民館へ行き、銭太鼓を指導する。午後歯、全戸配布の村の広報誌『かたせ瓦版』を書いた。市の広報誌などと共に各班長宅へ配った。)