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久々にわくわく感

04 3月

「福井ジャズ2015」 OBバンドのメンバーから「福井ジャズ2015のチケットどうですか?」と先日問われたので、私は3日分のチケットを購入した。コンサートは5日間あるのだ。

初日の「福井ジャズ2015」のプログラム。(1部合成、写真をカラーに入れ替えた。)

初日の「福井ジャズ2015」のプログラム。(1部合成、写真をカラーに入れ替えた。)

今日はその初日。午後5時半に自宅を出て「響きのホール」へ向かった。私達のバンドの石川県のN君、福井の君が来ていた。会場の雰囲気は、50年前の大学時代にコーヒー一杯で喫茶店に粘っていたあの頃を思い出す。アルバイトで楽器を買い、バンド活動に明け暮れていた軽音学部の時代だ。 午後7時に本番が始まった。20歳前後のあの時代を思い出してワクワクした。ジャズの場合は、普通の流行歌と異なり、50年前も今もかなり多くの曲を多くのバンドが演奏している。 今日のコンサートで演奏した曲のほとんどは50年前にも演奏された曲だ。その中には、今はもう存在しない「福井市公会堂」で私達大学の軽音楽部が演奏した曲も含まれている。それだけになおさら懐かしかった。 もう一度、これらの曲を演奏できたらなあと思いながら、帰路についた。ジャズが、私をあの青春時代に引き戻してくれた感じだ。特に、アドリブの部分は、その名の通り自分流に演奏できるのがジャズのよいところで、いまも古くて新しいのだろう。久々にワクワクした感じになることができた。音楽っていいなあ。 (日記 午前中は数学。午後は、バンドの練習用のカラオケ作り。午後5時半に自宅を出て「福井ジャズ2015」を聴きに出かけた。帰宅が午後10時過ぎ。楽しかった。)

 
 

庶民感覚とずれ

03 3月

やはり政治家は庶民とは別
朝から、数学をやったり音楽をやったりしながら、衆院予算委員会の質疑を聞いていた。野党の質問に対する総理や担当大臣、関係者の答弁を聞いていると、庶民感覚とはずいぶんかけ離れているなあと思わざるを得なかった。「知らない」で事が済むのもいかがなものだろうか。今日のニュースでも政治資金詳しい日大のI教授が、「政治資金規正法は抜け道の多いあいまいなものだ」と述べておられたがその通りだと思う。

私は、政治的には右でも左でもないと思っている。右であろうと左であろうと「良いものはよい、よくないものはよくない」と思っている。

しかし、世の中、与党に反した意見を述べると「左」か思われがちだ。左右どちらでもないとすると「中道」ということになるが、それでもない。

強いて自分の立場を表すとしたら「上」だろうか。人の「上」という意味ではない。右も左もある程度は見える位置にいるという意味だ。両者の立場をよく見極めて自分の立場を決めているつもりだ。

だから、既存の政党を見ても、自分とは意見の分かれる部分もあるし、意見の合う部分もある。個々の問題について自分の立場ははっきりしているつもりだ。やはり、国会では健全な野党が必要だということだけははっきりしている。過去の歴史を見ても、それは明らかである。初めに結論ありきで、物事が進むことだけは納得できない。よく、議論をして進めてほしいと思う。

(日記 午前中、数学。衆院予算委員会の質疑を聞きながらの作業だった。午後は、音楽。ジャズのアドリブ作り、と言っても我流だが。あっという間に一日が過ぎてしまった。)

 
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昔の映画

02 3月

今日の問題を提起する「山田洋次監督」の映画
BSで最近、山田洋次監督のリバイバル映画がよく放映されている。私が好んで視るのは山田洋次監督の作る映画が今も昔も不変の真理に貫かれているからだ。

先日、テレビで視た映画『故郷』では、瀬戸内海の島の暮らしが描かれている。主人公は、家の後を継ぎ、老朽化した石船で埋め立ての石材を運搬している。弟は、島での生活が成り立たず、島を出て本土でサラリーマンをしている。人を雇うわけにも行かず、妻を機関誌にして夫婦で必死に働いている。

しかし、一生懸命働いても、老朽化した船を買う金もなく、修理する金もなく、最後には、年老いて父親を島に残して尾道の造船所で働く決断をする物語である。老朽船による最後の船上で主人公がいろんあことを回想しながら妻に話しかける。

「何でワシら、一生懸命働いているのに、大きなものには勝てんのかのう。なんでワシは、この石船の仕事をお前と二人で、ワシの好きな海で、この仕事を続けていかれんのかのう……」

島の人たちの多くは、一生懸命働いて段々畑の連なる島を離れ仕事を求めて生まれた「故郷」を出て行く。昔も今も、凄まじいスピードで時代は変わっていく。そして、今、政治はあわてて地域の崩壊に目を向け、あの手この手を尽くそうとしているが、それがまた、「大きなもの」を生み、格差を大きくしなければよいがと思うばかりである。

(日記 午前中は数学。午後は、家内と市街地周辺を約1時間、ウオーキング。古い家、空き家やつぶれた工場、そして、新しい家などが混在している。帰宅して、楽器練習。夜は「爺ちゃん勉強」。その後、山田洋次監督の映画「故郷」のビデオを視る。考えさせられる映画だった。)

 

 
 

語らい

01 3月

「御法事」当番として
今日は、区主催の『ご法事』。当番は我が5班。昨日の午後、お供えをするなど短時間に準備。今日は、午前8時半に道場へ集合。少々の準備の後、読経が始まる。終了後、当番がお賽銭をあつめて休憩。

そして、午前最初の説教(講話)。法勝寺のS住職が身近な話題を取り上げながら宗教と結びつけて話を進める。宗祖親鸞の「信」について話を進める。

S氏の講話。身近な政治や社会問題もあり、楽し聞かせていただいた。

S氏の講話。身近な政治や社会問題もあり、楽し聞かせていただいた。

私も、個人的な興味から、昨年、創作紙芝居『親鸞聖人物語』を作った関係から、興味を持って話を聞くことができた。図書館にある本をかなりたくさん借りて理解しようとしたが、簡単ではなかった。午後は戦没者の法要があり、その後、説教。

お参りしたお年寄りの人の中から質問があったりして、午後の部が終わった。後片付けをして、お供え物を手分けして村の全戸に配って、当番の務めを終えた。

当番を務めた5班のメンバーと道場の僧侶M氏。

当番を務めた5班のメンバーと道場の僧侶M氏。

その後、反省会。オードブルを肴に酒を酌み交わして楽しい語らい。私達夫婦を含めて、男性7名、女性3名と道場のMさんの11人で楽しい語らい。いろんな話が出た。この時間が一番楽しい。ふだんはめったに話さない班のメンバーとの語らいはとても楽しいものとなった。この頃は、区民同士のコミュニケーションが少なくなっているのでこの様な当番も貴重な時間となっている。

 
 

春の訪れ

28 2月

春の足音

2月も半ばを過ぎると
雪国の人間は 春が近づいてきたことを感じる
時々雪がちらつく 日があっても
余裕の よっちゃん

もう雪下ろしのために 屋根へ登ることはないだろう
二階の屋根から 大屋根に差し掛けた
アルミのハシゴを いつ下ろすか
井戸に沈めた  融雪用のポンプを
いつ外へ出すか
そんなことを考える 余裕が出てきた

田んぼの雪は  日一日と融けていく
雪の島が どんどん小さくなっていく

雪を取り除いて水菜に ビニールを掛けた
長い間 雪の下になっていた水菜が
少しずつ 上を向いて 伸び始めている
実家庭菜園の 春一番の収穫物だ

土手を歩けば 融けとばかりの雪の下から
春一番のご馳走 フキノトウが顔を出している
この苦みは 春を告げる味だ

桜の枝先には 寒い冬を一緒に耐えた
堅いが蕾が 出番を待っている
春は足音を立てて 一歩ずつ確実に近づいている

雪国に住む者には 心踊る季節の到来だ
もしも今 農耕馬がいたら
きっとまぶしい太陽の下で 跳ね回ることだろう
草も木も動物も 生きてる証を見せる季節だ
年など気にせずに 今年もがんばるか……

(日記 午前中は資料整理とパソコンファイルの整理。明日は村の「御法事」。今年は、我が班が当番になっているので、午後はその準備のために道場へ行く。帰宅してバンドのカラオケ作り。夕方、福井の孫達がスキーの帰りに我が家へ寄った。そう言えば、子どもが小さかった頃よく家族でスキー場へ行ったことを思い出した。)

 
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今、考えてみれば

27 2月

親からもらったもの

親からもらったもの
家や田畑、そしてこの命
他には何をもらっただろうか

少し気が短かった父からは、一生懸命働くことと
貧しかったが 生活の中の精神的なゆとり

二人がこたつに入れば
お互いの手は見えなくても
自然と始まる太鼓のリズム
片方が地打ちをすれば(リズムをとれば)
もう一方が打ち込みをする
言葉はいらない
私の和太鼓の原点だ

大人同士の会話ができる年齢に達する前に
父は病に倒れて帰らぬ人に
現金収入のなくなった我が家を襲う生活苦

しかし子どものために身を粉にして働く母親がいた
父兄参観日には必ず来てくれた母
貧しさの中で身体を張って
父の分まで働いて私達子どもを育ててくれた母
しかし結婚せぬうちに母も父のもとへ

親からもらったもの
家や田畑、そしてこの命
他には何をもらっただろうか
いろんなものをもらったと思うけれど
私にとって最も役に立っている「贈り物」
それは「貧しさ」ではなかっただろうか
これが私の出発点になっている

・・・・・吉野弘さんの詩集を買って読んだら、私も書いてみたくなった。私の書いたものは「詩」とは言えないだろうが・・・・・

(日記 午前中、先ず歯医者。2時間ほどかかってしまった。帰宅して数学。午後は、家内とプールへ。歩き、泳ぎ、ジャグジー風呂、サウナを繰り返した。知らない人とも、話をするようになった。帰宅してふたたび数学。そして、楽器練習。)

 
 

平和は遠し……

26 2月

福井新聞学芸欄「論考2015」より
今日の福井新聞を読んでいたら、学芸欄の論考2015『イスラム国人質事件~「テロとの戦争」袋小路』に考えさせられた。「イスラム国の振る舞いは残虐で恐怖をあおる。誰もそれを放置したいとは思わないだろう。だが、まずなぜこのような集団が国家的規模を備えて生まれて しまったのか、その過剰な暴力性は何なのかを考えてみなければならない。」とある。

そして、戦争と犯罪の違いについても述べている。戦争は何人、人を殺しても罪にならないのだろうか。法によって裁かれることはないのだろうか。戦争の異常さは、勝者であれ敗者であれ筆舌に尽くしがたい。

勝者だからといって正義であるとは言いがたい。今の状況は自然に生み出されたものではないだろう。突き詰めれば、今の状況は人の欲が生み出したものではなかろうか。国家と国家の戦争は行われ難くなったが,「テロと戦争」はこれからも続いていくのではなかろうか。

勉強の後の会話が楽しい。「卒業生を送る会」で全校合唱の指揮者をすると嬉しそうに話してくれた。平和の時代がいつまでも続いてほしい。

勉強の後の会話が楽しい。「卒業生を送る会」で全校合唱の指揮者をすると嬉しそうに話してくれた。平和の時代がいつまでも続いてほしい。

今日のコラムの最後の部分を味わいたい。
「……。世界を恐怖から解放するのは決してそれに輪をかけた暴力、つまり「戦争」であってはならないだろう。むしろいかにして戦争の構図を排除するかを考えなければならない。さもなければ世界は業火のような暴力の混迷のなかに沈んでゆく。それがこの十年に及ぶ「テロとの戦争」の教訓である。」

世界は、この文章を書いた「哲学者 西谷 修氏」の心配するような出口のない暴力の応酬に追い込めれていつもでも「テロとの戦争」という名の戦争を続けていくのだろうか。国内では株価がどんどん上がる一方で、心の荒廃が進み、異常な事件が連続している。これが、誰もが望んだ豊かな世界なのだろうか。どこかがおかしい。

(日記 午前中は数学。午後は、音楽の時間。ウインドシンセの練習。むかしなら、あっという間にできるようなことが今は、とても時間がかかる。午後7時から「爺ちゃん勉強」。国語の勉強は難しい。)

 

 
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頭の体操

25 2月

できないことが体操に
最近、認知症予防の為の「脳の体操」について、テレビなどでいろんな効果的な体操が紹介されている。その中の一つに「二つ以上のことを同時にやるとよい」とか「新しいことをやるとよい」などというのがある。

「音読などもよい」と言うが、これは「目で文字を読み、場面を想定し、声を出して読む」となると、少なくとも三つのことをやっていることになる。

「今日は、はじめて本格的に新しい楽器“ウインドシンセ(EWIUSB)”を使って曲を吹いてみた。簡単な部分とシャープやフラットが連続して吹き難い部分があった。

果たして、一ヶ月ほど練習して吹けるようになるのだろうか。楽器の演奏は簡単にできるかも知れないが、脳の体操には十分だろうと思う。諦めるのは簡単だが、そうはしたくない。

とりあえず、毎日少しずつ使って練習してみたい。果たして、頭(脳)がついていくかどうかが問題だが、考えているよりも指が勝手に動くようになるまで練習しなければと思う。あきらめる前に脳の体操だと思えばよいだろう。

(日記 午前中は、先ず数学の参考書作り。その後新しい楽器「ウインドシンセ」の練習。午後は、カラオケ作り。さらに、楽器「クロマチックハーモニカ」の練習。少しの数学と楽器の練習。あっという間に一日が過ぎてしまった。)

 

 
 

『振り込め詐欺 防止の数え歌』

24 2月

難しかった「数え歌」
朝支度にいたら、市役所のSさんから以前に作った『振り込め詐欺防止の数え歌』のカラオケを作り直してほしいと頼まれた。

以前に作った歌は、詞が2番まであるのにカラオケは1番しかないので2番までのカラオケを作ってほしいというものだ。

この歌は、Sさんに頼まれて以前に作ったものだが、まだ完成度は低かった。それでも、ラジオに流れたらしい。そこで、今日は、真剣に手直しをした。午後一杯かかっても完成しなかった。

詞も作り直した。ようやく完成したのは午後8時頃だった。それにしても、最近は振り込め詐欺の被害は膨大だ。

私も家内と話しているが、今は大丈夫でももっと年をとって判断力が鈍くなったときには危ないと思う。Sさんは高齢者の所へ行って振り込め詐欺防止の話をするそうだが、そのときに、この歌を歌うらしい。少しでも詐欺防止の役にたてばと思う。

(日記 午前10時から鹿谷公民館で銭太鼓の指導。午後は、もっぱら『振り込め詐欺防止の数え歌』の手直し作業。)

 

 
 

終日楽譜作り

23 2月

時代の変化を感ずる
昔はバンドをやろうにも楽譜はほとんどなかった。すきなバンドのレコードを見つけたら先ずテープに吹き込み、何度も再生しながら楽譜に書こうとしたものだ。

それこそ、テープが擦り切れるほど何度も何度も再生したものだ。そして、何日も何日もかけて楽譜を作り上げたものだ。

その後、有名な曲やヒット曲が本になって出回るようになった。楽譜を読めない人のためには、ギターの弦と同じ6本の線(弦の代わり)が書いてあって何番目を押さえればよいかまで丁寧に書いてあり、練習のためのCDまで付いているのだ。

ラジオなんかでも昔の音楽家はみんなこんな作業をしていたのだ。しかし、今はもっと進んでいる。音楽のデータ(WAV)があれば音程がビジュアルに表されるソフトまであるのだ。

今日は、こうしたソフトを使いながら、自分の創作も交えてウインドシンセ用の楽譜作りをした。この作業を終日続けた。楽しい作業だった。

(日記 朝から楽譜作り。午後家内とウオーキング。約1時間のコースだった。午後7時から「爺やン勉強」。あっという間に一日が過ぎてしまった。それでも楽しかった。)