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“幼児教育を考えるつどい”に参加して

07 1月

心に伝わる「加古里子」さんからのメッセージ
   午後2時から福井国際交流会館で『今、そしてこれからの幼児教育を考えるつどい』が開催され、私も、子育てマイスターとして参加した。多くの参加者は、県内の保育園、幼稚園、小学校の現役の先生方であった。

   最初に、「本県幼児教育の実態」と題して、福井県幼児教育プログラム策定委員会の西村副委員長(仁愛大学教授)からの報告があった。内容は、幼児教育に関わる教職員と保護者に対して県が行ったアンケートの結果についての報告だった。

  その後、ベネッセ次世代育成研究所の二人の研究員が、「幼児教育の実態の全国比較」と題して、同じく本県と首都圏の0歳から5歳までの幼児の保護者に対するアンケート結果の報告があった。

 首都圏の最近15年間で見られる傾向は次のようなものであると報告された。
・女性の就業率の増加により、保育園児が増加している。
・経済的困難から、教育費が減少している。特に、低年齢児に顕著に出ている。
・幼児は早寝・早起きの傾向がある。(共稼ぎの影響)
・保育の長時間化により親子の負担が増えている。

  上記のようなことが、アンケート結果から分かるとのことだった。特に目新しいことではない。福井県は三世代家族が多いこと、共稼ぎの家庭が多いことなども報告された。これもすでに言われていることだ。

  その後、DVDによる加古里子(かこ・さとし)先生の『本県幼児教育への応援メッセージ』がDVDで放映された。加古先生だが、武生市で小学校二年生まで育ったとのことであった。先生は福井での8年間の生活が自分を育ててくれたとおっしゃった。

 ※ 加古先生は200冊以上の絵本を描いておられ、そのうち150冊は科学に関する絵本である。80歳を超えた現在も意欲的に創作活動に取り組んでおられる。昨年12月には全国に伝えられている習わしや祭りや行事を表した子どもの自然と生活シリーズの出版を開始されたとのことだった。

加古里子先生のビデオでメッセージ。残念ながら、先生は来られなかったが、私にはビデオでも十分にメッセージが伝わった。

 メッセージの中で私の心に残った部分は以下の通りであった。
・福井の鳥や虫や魚など豊かな自然と周りの人が今の私を育ててくれた。
・福井のすばらしい学力・体力の基盤の上に花を咲かせていただきたい。
・軍人の学校にあこがれていたが近視が進み不合格になり、工学部を目指した。
・当時軍人を目指した人たちはほとんど戦争で亡くなった。
・その反省から、子ども達に正しい判断力をつけてもらいたいと考え、幼児の教育に関わりを持つようになった。
・大人達は子ども達が伸びていく環境をつくればよい。
・子どもの自ら伸びる力を生かす。大人はしゃしゃり出ない。
・子ども達の望むことは、大人にあまり頼らない。大人をよく観察してどうしたらよいかを考える。
・大人の行動を見て、批判できる心を育てて欲しい。自分で自分を鍛えていってほしい。
・自分にあったやり方を見つけてがんばってほしい。 
・ ・・・・・・・。

 私が思うには、現在の教育は、生まれてから、高校を卒業するまでは、ほとんど全ての活動に大人が関わっているように思われる。幼児期はもちろんのことだが、小学校へ入ると、学校ではもちろんのこと、放課後の児童センターやスポーツ・文化活動でも全て大人が仕切っているのだ。

  中学校、高校でも授業はもちろんのこと部活動などでも教員が指導に当たっている。子ども同士が自ら切磋琢磨する時間は非常に少ないのだ。こうした中では、創造性や人間関係を育てることは非常に困難ではないのだろうか。昔はこうではなかった。

  加古先生も今の福井県の素晴らしい教育の基盤(学力・体力が日本の上位)の上に花を咲かせてほしいと望んでおられた。それは子ども自らの力で咲かせてほしいと望んでおられるように感じた。大人の関わりは時と場合によっては子どもが自ら考える力や機会を奪うことがあると、言っておられるように思った。全く同感である。

 私は、この集いのアンケートにもこのことを書いておいた。ともすれば、行政というのは、余計なお節介をすることが多いからだ。成果を上げるために、近道を選ぶことが多いからだ。結局は子どものためにはならないのだから。

魔法学校「木の葉学園」の卒園式。

(日記 午前中はオリジナル紙芝居の絵を描いた。昼過ぎに福井へ向かった。『幼児教育を考えるつどい』に参加するめだ。その後、福井の本屋へ立ち寄り、本と手帳と週刊誌を買って帰宅。仕事のため一人で横浜へ帰った息子が再び帰省。月曜日には家族全員で横浜へ帰るのだ。今日は長女と二人の子どもも福井から来ているので我が家はまだまだ正月気分だ。)

 
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地球は生きている

06 1月

地球は動く火の玉
   長い年月で見れば、地球は大きな動きの中にある。かつては、すべての大陸が一つの大きな大陸であった。それが大陸の移動によって各大陸に分かれたのだ。そして、その動きは今でも続いている。

 ※パンゲア大陸 : 約2億5000万年前の地表は、1つの超大陸と1つの超大洋だけであったと考えられている。1つの超大陸とは現在の6大陸であるユーラシア大陸、アフリカ大陸、北アメリカ大陸、南アメリカ大陸、オーストラリア大陸、南極大陸が1つに繋がった巨大な大陸であったと考えられることから、これらを「パンゲア大陸(Pangea)」と呼んだ。

 ハワイは1年に何センチかは日本に近づいているのだ。そして、日本海溝で日本列島の下に潜り込もうとしている。そこで蓄えられた地球の歪み(エネルギー)が地震となって解き放たれるのだ。この動きは、今後もずっと続くのだろう。

  そうなると、今後も大地震は免れない。津波も避けられないことになる。今後は、都市計画も、エネルギー問題も、住宅建設なども、すべてこうした前提で進めなければならないのだろう。

  明治29年にも岩手県釜石町の東方沖200kmを震源としてマグニチュード8以上の巨大地震が発生し、この地殻変動によって引き起こされた大津波は、観測史上最高の海抜38mの高さまで押し寄せたといわれている。

  それにもかかわらず、地震学者や国は満足な対策を打ち出せずに、今回の東日本大震災では多くの犠牲を払うことになってしまった。その上、こうした地域に、「安全だ」とのお墨付きを与えて原発を多数作ったのだ。

  素朴に考えても、私たちは、火の玉の上を動く大地の上で生活しているのだということをもう一度認識する必要がある。科学がいくら発達しても、自然を制御することはできないのだから。

  科学万能のように思うが、「この世の中で“絶対”ということはありえない」ということを肝に銘じて復興計画を立ててもらいたいと思う。犠牲になられた多くの方々の無念を思うとき、「想定外」などという言葉では済まされないのだ。

  「私たちは、火の玉の上を絶えず動く大陸の上で生活している」のだということを忘れてはならない。特に、東日本のように危険な地域で「安全だ」との企業家、一部の政治家、御用学者の言葉を信じて何基もの原発を作ったことの責任を誰が負うのだろうか。

   今後、数十年、あるいはそれ以上の期間住めなくなった人たちの人生は今後どうなるのだろうか。本県においても他人事ではない。大震災のニュースに接するたびに、怒りがこみ上げてくる。

狸のタン吉と狐のコン子が卒業旅行に出発。

(日記 午前中、孫の勉強相手と紙芝居作り。パソコンの画面を見て絵を描いているので目が疲れた。午後も作業を継続。途中でやめて読書。孫たちは母親の実家へ行った。孫との勉強で思うが、1年生には日本語は難しい。ついたち・ふつか・みっか・よっか・いつか・むいか・なのか・ようか・ここのか・とおか、そして、はつか。漢字で書くと簡単なのに、読むのは本当に難しい。子どもが、八日をはつかと読むのも無理はない。)

 
 

運動不足

05 1月

一日一汗は大変
   今考えてみると、夏は健康にはとてもよいシーズンだったかもしれない。農作業をしていると汗がしたたり落ちる。一日に、三回シャワーをすることも珍しくなかった。

   肉体労働で汗を流すので身体にはとてもよかったと思う。冬は雪下ろしでもしない限り汗だくになることはない。おまけに、こたつに入ったり、デスクワークが多いので目や腰が痛くなる。そして、周囲には正月の食べ物があるので、ついつい手が出てしまう。

  毎朝ラジオ体操やスクワットなどをやっているが汗をかくにはほど遠い。こんな生活を送っていたら、きっと次回の定期検診ではろくな結果が出ないような気がする。

  こうなったら、明日はプールへ行ってサウナへ入るしかない。サウナで人工的に汗をかくのは健康的でないような気もする。しかし、背に腹は替えられない。今日も少し除雪をしたが、機械があるので、これもほとんど運動にはならなかった。

魔法学校の校庭で闘う恐竜とマンモス。狸と狢が化けているのだ。 一日一汗は、今の私の一番大切なことだ。夏は、いとも簡単にクリアできたが、冬は意識的に何かをやらないと、これは難しい。とにかく、明日から何らかの形で汗をかきたいものだ。

(日記 午前中は孫の勉強相手と、自作童話を紙芝居にするための絵を描いた。午後は、少し機械で除雪作業。まだ機械の運転は十分ではない。その後も、絵を描く作業。子ども達は雪の中で遊んでいる。横浜には全く雪がないので珍しいのかもしれない。あっという間に、新年も数日が過ぎた。このままでは、何もしないうちに月日がどんどん過ぎていく。そうならないためにもと、絵だけは描くことにしている。)

「子どもは風の子」とはよく言ったものだ。雪の中で傘を差しながら寝そべっている。見ただけでも寒くなる。

 
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一日一歩

04 1月

何でもいいから少しは前へ
次女は今日から仕事。長男は明日からの仕事始めのために横浜へ(仕事場は東京)。私も、今日から何かをしなくっちゃと思ってパソコンの前へ座る。

先ずは自作童話の紙芝居化と絵本化だ。これは、国民文化祭のために書いた恐竜がらみの童話だ。これを紙芝居にして子どもたちの前で実演すること。これも今年野一つの目標だ。

そのために、基礎となる絵を描いた。いたずら狸の男の子とやさしい狐の女の子が災害に襲われた町で色々人助けをしながら成長していく童話だ。

20枚近くは絵を描かなければならないだろう。どう考えても1~2ヶ月はかかりそうだ。たとえ何ヶ月かかろうとも先ずは一歩を踏み出さなければならない。目標を定めたら先ずは着実に進むことしかない。

紙芝居や絵本作りに使う自作の童話はいくつかすでにできている。後は、絵を描けば紙芝居や絵本になるのだ。毎日少しは完成に向けて歩みたい。

また、昨年から「子育てマイスター」になったので、子育てを考えるためのヒントとなる話も紙芝居にしてみたい。教育がらみのことはやることがたくさんあり、その延長で東北地方を巡回できたらと思う。

今年は、「数学のホームページ」作りも進めたいし、やることはいっぱいある。大切なことは常に前へ進めるということだ。明治大学のラグビーではないが、「前へ」進めなければ全てのアイディアは画餅に帰することになる。

(日記 午前中、小一の孫の勉強相手。漢字と算数、そして、家内と一緒に歌を歌った。全部で1時間半の楽しい学習タイムだった。毎日少しずつ相手をしたい。午後は、紙芝居の絵を描く。第二回目の除雪機による除雪作業。長男と次女は帰京。)

 
 

知恵無限

03 1月

知恵無限+毎日パワー
 以前にも書いたと思うが、知恵やアイディアは頭から引き出すものだ。金もいらなければ道具も何も入らない。泉のようなものだ。大切なことは出そうとするかどうかだと思う。

 ただし、アイデアを出すためには、いろんなものに興味を持っていなければならないとは思う。インプットなくしてアウトプットだけを期待しても出てくるアイディアに限りがあるかもしれない。またインプットは学校の勉強だけでは十分ではないように思う。

 今日、こたつに入って息子と雑談していて私の方から提案したのだが、「毎日アイデアを出す」と決めた。アイディアが出たら息子と繋がっているパソコンにアップするのだ。もしかしたら何かに繋がるかもしれないからだ。

 毎日アイデアを出すというのは、アイデアを出す癖をつけるためだ。私は考えることが大好きだ。農作業などの単純作業中に、これまでは殆どラジオを聴いていた。おかげで前向きに生きるヒントをいくつも得ることができた。

 しかし、これからは、何かテーマを決めてアイディアを出すことにもチャレンジしたい。いつも手帳を持ち歩いて。そうでないと、せっかくのアイディアが思い出せなくなるからだ。

 本当は、いろんな人達がいろんな立場で「できない理由を考える」よりも「どうしたらできるようになるか」を毎日考えた方がよいと思う。いろんな職場でもっと考える癖を大事にしてほしいと思う。

 アイデアは頭の中に無限にあるのだ。それを「出そうとする」かどうかだ。出し続ければ出やすくなるように思う。 また、アイディアを出すというのは頭の体操になり、楽しいことであるように思う。

 いつか“まちの活性化”に繋がったり、“ビジネス”に繋がったり、“教育の改善”に繋がったり、……、するかもしれない。そうなれば、生活に張りが出るだろうと思う。

 無限にある知恵やアイディアを毎日考え出し続けること、これは「知恵無限+毎日パワー」で大きな生き甲斐につながり、何かの役に立つと私は信じている。今年は楽しみながら“考える”生活したいと思う。

バナナ型のソリの上で家族そろって一休み。

(日記 午前10時頃、長女と長男の子ども達とスキージャムへ出かけた。特に、長男家族はせっかく横浜から勝山へ来たのだから、雪に親しませてやりたいとスキージャムへやって来たのだ。青空も見える素晴らしい天気で、親子連れもかなり来ていた。ソリコーナーで動く歩道のようなリフトを使いながらソリ遊びを楽しんだ。小1の孫には短時間だけスキーを教えた。午後2時過ぎまでジャムで遊んで外食して帰宅。正月に珍しく気持ちの良い天気だった。)

横浜に住む孫にスキーを楽しんで貰いたいと練習に付き合うじいちゃん(私)。

ソリをする長男と子ども(孫)達。

 

帰りがけに家族で記念写真。

 
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毎日パワー

02 1月

継続する力
   これまでいろんなことにチャレンジしてきたが、中途半端になっていることが多い。今は、自分自身に「手を広げるな」と言い聞かせている。ますます中途半端になるからだ。

  一日は長いようで短い。そんな中で、たとえ5分でも10分でも続けられることを見つけてやってみたい。周囲の子ども達には「継続は力なり」と言うよりも、“毎日パワー”と言った方がわかりやすいと思ってこの言葉を使っている。

  年をとると、やりたいことがあって始めても「これは無理だ」と簡単にあきらめてしまうことが少なくない。そして、自分は出来ないと決めつけてしまうのだ。これでは自分自身に申し訳ない。

  今年は、夢とか希望とか目標とは別に、何か一つか二つ、“毎日続けられることを見つけて取り組んでみたい。健康に関することや趣味に関することがよいかもしれないと思っている。

  そんな中の一つにウインドシンセサイザーがある。買うまでは、欲しくて欲しくてたまらなかった。しかし、いざ手に入れてみると、途中で投げ出してしまった。静岡でのバンドで使いたいと思って購入し練習したが、パソコンの設定がうまくできないために、使うことが出来なかった。アドリブも練習したのに。

  そのうちに、楽器そのものも箱に入れたまま放置されている。ほぼ毎日続けていた“ラジオ体操・スクワット・腿(もも)上げ・腹筋”運動も、肋骨を強打してから滞りがちになっている。

  今年は、もう一度“毎日パワー”の効用を自ら実践して試したい。それと同時に子ども達にも伝えたい。なぜなら、子ども達には無限の時間があるのだから。

久々に顔を合わせた子ども達と孫達。こたつを囲んで歓談。

(日記 午前中、来客有り。雑談して過ごす。その後、箱根駅伝を見たりしてぶらぶら過ごす。午後2時頃私の3人の子どもの家族が全員集合。一緒に食事をする。孫同士も遊んでいる。普段は別々に暮らしているのに。)

 
 

一年の計は元旦にあり

01 1月

的を絞って着実に
   実行できるかどうかは別として、年の初めにはやはり、一年の計画を考えておくべきだと思っている。私の生き方の一つに、人に頼まれればよほどでない限り、断らないようにしている。

   そのために、時には自分の行動が縛られることが少なくない。このあたりは、少し気をつけなければならないことかもしれない。相手の立場になって何とかしてあげたいという気持ちが働くことが多いので難しいことだが。

地元の仏母寺ヘ参拝する息子家族と家内(右上方)。

  また、自分の部屋が片付かない最大の原因は手がける分野が多いために資料等が多すぎることだ。音楽といっても、自作の歌作り、オカリナ教室、親子太鼓、春駒太鼓(創作和太鼓集団)、おじさんバンド(大学軽音楽部OBバンド)、盆踊り復活運動(踊り指導を含む)などがあり、家内と二人で高齢者や児童の施設慰問に向けた「夫婦バンド」までやろうとしている。

  それぞれの分野ごとに楽器もあれば楽譜やCDもあるので、それらを入れる鞄も別々にしている。一つの鞄を使って中身を入れ替えることなど時間がかかって無駄が多いので不可能だ。「オカリナ鞄知らない?」、「バンド鞄知らんか?」といった調子である。

  このほかに絵を描いたり(最近はほとんどパソコンで絵を描いている)、数学のホームページを作ったり、文章を書いたりするので、いろんなマニュアルや資料が必要になる。また、家庭菜園やまちづくりに興味を持っているのでこれらの資料も集めようとしている。

  興味を持っている分野が広すぎるために資料も多くなるのだ。これらが、ものが多すぎて整理しきれない大きな理由なのだ。今年こそは、どこかに焦点を合わせなければと思う。 

越前大仏様と一緒に記念写真を撮る長男一家と家内。

  余りにも広範囲に興味を持っているので、何もかもが中途半端になり、家内に笑われてしまう。自分でもあきれている。今年は少しは的を絞らなければと思っている。

  そこで、今年は“創作活動と数学”に的を絞り、春から秋の晴れた日の平均半日は家庭菜園などの農作業で気分転換を図りたい。農作業は収穫物が得られて一石二鳥だ。

(日記 午前0時過ぎに、長男、次女、家内と4人で村の神社へ初詣。その後、村のお寺(道場)へ行き、参拝者全員で読経。その後は、家内と二人で神明神社へ初詣。帰宅してから就寝。午前11時より、村が世話をする曹洞宗のお寺へ長男の家族(長男、その嫁、孫二人)と家内の6人で初詣。その足で、越前大仏へ参拝。帰路、門前町で市の国際交流員のMさんのチェロ演奏を聴く。)

左:鐘撞きをする息子と二人の子ども(孫)達。右:文殊菩薩様に献灯する孫(姉)。

 
 

年末に思う(2)・・・サヨナラ20011年

31 12月

あれこれ忙しかった一年
年の経つのは早いもの。あっという間の一年だった。しかし、どこかの季節が省略されたわけではない。桜の季節も、田植えの季節も、暑い夏の日も、実りの秋もみんなあったのだ。

子供の頃は一年がもっと長かったように思う。しかし、年齢が進みにつれて一年の経つのが早く感じるようになった。 逆に言えば、あれこれすることが多すぎて時に流されているのかもしれない。

今考えてみると、創作にかける時間が少なかったように思う。私にとっては、創作とは、歌作りであり、文章(童話・エッセイなど)を書くことである。どちらにも共通していることは、言いたいこと(表現したいこと)があるかどうかだ。

東日本大震災やそれに伴う原発事故があり、政治の閉塞感もあって心の中に、いろんなものが渦巻いている。言いたいことがないわけではない。しかし、これらを創作に結びつけることは簡単ではない。

自作の歌を作る場合には、これらをCD化し、映像を組み合わせてYou Tubeへアップしたり、ホームページに載せることまでを考えている。

文章、例えば童話を書く場合にはこれらを絵本にして読み聞かせを行ったり、紙芝居にして子ども達の前で演ずるところまでをさす。

小説まがいのものを書いてみたい気もする。今年の反省から、新年度は優先順位を受けて一つ一つ実現してみたいと思う。

そして、これらの作品も持参して、東北のどこかの町で「読み聞かせ」や「紙芝居」ができたらと思っている。これが、私の夢だ。

家の前で雪遊びをする孫達。相当長い時間雪と戯れていた。

(日記 深夜に横浜から息子の家族4人が帰省した。午前0時15分頃だった。都合によって帰省できないと聞いていたので、驚くと同時に孫達に逢えるということでとても嬉しかった。早速小学校1年の孫と一緒に寝ることになった。午前中は、少し最後の清掃。午後はお鏡さんを飾ったり、家の玄関や事務所にしめ縄を飾ったりした。その後、みんなで最後の買いもの。午後6時少し前から読経。毎年締めくくりの行事としている。1年を終えての先祖への感謝、新年がよい年になるようにとの願いからこれまで何十年と続けている。我が家の大晦日の食事はこれも毎年決まっている。すき焼きだ。56豪雪の時には私は雪下ろしで屋根の上。車は通れなかったが、家内に頼んでリュックを担いで町まで食材を買いに行って貰ってすき焼きをしたのもいい思い出だ。午後7時過ぎから、紅白歌合戦を見る。この後、村の神社へ初詣に行き、村のお寺(道場)で新年のお経を上げ、神明神社で参拝の予定 )

孫達のために作った雪兎。

 
 

年末に思う(1)

30 12月

優先順位を考えて行動
   昨年までの現役時代は、自由時間が非常に少なかった。そのため、やる事を厳選していたが、退職後は、自由時間がかなり多くなったために、時間の使い方に無駄が多くなった。

   プライオリティー(priority=優先順位)を考えるべきだと痛感した。人に頼まれて何でもかんでもやっているうちに、自分でやるべき事、地域のために、次代を担う子ども達のために(少しオーバーだが)やるべき事が後になってしまったところがある。

  多少他人に振り回される事は仕方がないとしても、やるべき事を放り出して浮き草のようにあちことへ流されることは情けないことだ。これが今の私の最大の反省点だ。

  これは、国政、県政、市政においても言えることだと思う。国民のためになすべき事よりも、やりやすいこと、目立つこと、支持者や支援団体の要求することを優先させるきらいがある。新年度の東(野田内閣)と西(橋下大阪市長)の動向に目が離せない。

先祖に感謝しつつ仏具磨き。一年が終わるという感じがする。

  正月までには、今年一年、自分として為すべきことは何か、順位付けをして行動したいと思う。これらと、他人に頼まれてことのバランスをとりながら一年を過ごしたい。

   これは、「計画的に生きる」ということであり、別の言い方をすれば、「自分をいかにプロデュースするか」ということになるように思う。核になる部分、自由に気ままに過ごす部分をはっきりさせて、時には着実に、時には気楽にのんびりと過ごしたい。

   少しずつ来年為すべき事がはっきりしつつある。ワクワク感がある。たぶん思うようにはいかないだろうけれども無計画で過ごすよりは、前へ進んでいくように思う。新年が楽しみだ。

(日記 朝一にかき餅作り。海苔をふんだんに入れたかき餅を作った。二日ほどしたら薄く切って紐で編んで吊しておくのだ。油で揚げると大きく膨らんでとても美味しい。本来かき餅はも

私が熱々の餅をちぎり、妻と次女が丸めてお鏡さんや雑煮用の丸餅を作った。いつもとは異なるメンバーだ。

っと寒い寒の入りの頃がよいのかもしれない。かき餅作りの後、恒例の仏具磨き。仏壇の清掃はお盆などにもするが、仏具磨きは大晦日の恒例行事にしている。昼頃、今年4回目の餅つきを行った。4回目はお鏡さんや雑煮用の丸餅を作った。一昨日帰省した次女が手伝ってくれた。その後、例によって、昼食は、おろし餅、あずき餅、黄な粉餅を食べた。午後は、自作紙芝居の絵の準備。1月中には自作童話の紙芝居を完成させたい。)

 
 

農家向け雑誌『家の光』の購読

29 12月

定期購読再開
   私は、若い頃から農家向けの雑誌『家の光』が大好きだ。家内の実家ではずっとこの雑誌を定期購読している。そこで、若い頃はこの雑誌を目にすることができた。とても面白かったのを覚えている。

   そこで、私は平成18年、19年の2年間この雑誌を購読した。そして、平成19年の中頃からこの雑誌の行動を中止した。忙しくなってこの雑誌を読んでいる時間があまりなかったからである。

  しかし、新年からこの雑誌を定期購読するつもりでいる。少し時間に余裕が出来たからだ。この雑誌には、農業関係の記事以外にも興味深い記事がたくさん載っている。

  今日は大掃除の一環として、本箱にある古い『家の光』を廃棄することに決めた。本箱のスペースを確保するためだ。しかし、簡単には捨てられない。そこで、興味ある記事をカッターナイフで切り抜いてから廃棄することにした。

   『家の光』から切り抜いた記事は、様々な分野にまたがっている。主なものは次の通りである。

【農作業関係】
 ・よくわかる家庭園芸
 ・選んで育てる個性派カボチャ10品種
 ・春の薬草・薬木14選
 ・土と肥料のQ&A
 ・米ぬか活用法
 ・初めての洋ラン(きれいに咲かそう!シンビジウム)
 ・原木で育てるキノコ三種(ヒラタケ ナメコ シイタケ)
 ・家の光童話賞優秀作品
 ・親と子の童話
 ・家族の80年(『家の光』創刊80周年記念特別企画)
  第1部 家族を歌う(読者がつづった80年〈採録/詩・短歌・俳句・川柳〉)
  第2部 この人に聞く 家族の提案
 ・七輪でできる陶芸
【料理関係】
 ・果実酒の作り方
 ・寒漬けダイコン
 ・トウガラシのススメ(育てて、食べて、飾って楽しむ)
 ・おいしい半日おせち(手づくりで招福)
 ・新緑の簡単おすし
 ・見直そう 食の力
 ・雑穀スイーツ(ボウルひとつでできる)
 ・雑穀でいこう!(小さなつぶつぶの大きな魅力)
 ・作って食べてひらけゴマ!
 ・農家流!ぜいたくジュース(つくる、飲む、売る)
【健康関係】
 ・手作りの入浴剤(天然素材でぽかぽかリラックス)
 ・ヘルシー寒天クッキング(食物繊維たっぷりで無理なくやせる)
 ・冷え性にさようなら
 ・笑いの効き目
 ・家族マッサージ(ふれあう わかりあう 我が家の健康法)
【生き方関係】
 ・心をつむぐ「おはなし」の世界
 ・個性を楽しむ時代に・・・(米の魅力を再発見!)
 ・みんな子どもだった
 ・楽しいこと、見ーつけた!
 ・人生八十年時代の生活術
 ・たくましく!嫁と姑
 ・楽しく生きる処方箋
 ・じいじとばあばの子育て力
 ・みんなで楽しく生きようよ。
 ・ユニークな活動を次々生み出す独自の発想
【ビジネス関係】
 ・農産物加工立ち上げガイド(申請から表示までよくわかる!)
 ・作ろう!ビビッとくる加工品ラベル
 ・黄金の葉っぱ
 ・各種漫画ルポ(例.活動資金で夢かなえようの巻)
【その他】
 ・よっ、日本一!(わが町わが村 ふるさと自慢)
 ・ひもとロープの結び方
 ・ゆったり七湯巡り
 ・重曹を使いこなす63の方法(魔法の粉)
 ・これで快適!海外旅行便利グッズ
 ・ふろしきは世界を包む
その他多数。

新年号から定期購読を決めた農家向けのファミリー雑誌『家の光』。

【趣味関係】

 豊かに生きるためのヒントがたくさんあるように思う。これらを活用するためには、これらをどのように整理するかにかかっている。うまくファイリングしたいと思っている。また、楽しみが増えた。

(日記 午前中、本棚等の整理。2年分の『家の光』の廃棄。必要な記事は切り抜いた。また、スクラップが増えた。それでも、本棚にはかなり余裕が出てきた。夕方は、楽譜作り。テレビでは消費税の問題、北朝鮮の問題、帰省ラッシュの状況などが繰り返し放映されていた。)