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Archive for the ‘生き方’ Category

映画『東京家族』を見て

15 2月

家族の崩壊に拍車をかける現代社会
勝山ボランティアセンター主催の平成25年度チャリティー映画会が開催された。“山田洋次監督の「家族」映画の集大成”とあったが、その通りの映画『東京家族』であたっと思う。

出演:橋爪 功・吉行和子・妻夫木聡・蒼井 優・林家正蔵・西村雅彦・夏川結衣・中嶋知子・小林稔侍・風吹ジュン 監督:山田洋次 脚本:山田洋次+平松恵美子 音楽:久石 譲

映画は確かにフィクションかもしれないが、中身は真実そのものだったっと思う。会場いっぱいの観客を見渡すとほとんどが50歳以上の高齢者ではなかっただろうか。

そして、今日の映画はパンフレットには、次のようにあった。
『つれない子ども達の態度に仕方ないと思いながらも、淋しさを抱く父と母。……。大切なのに煩(わずら)わしい。誰よりも近いはずなのに、時々遠くに感じてしまう-。そんな、どの年代が見ても「そうそう、うちもそう」と思わず共感してしまう。これは、あなたとあなたの家族の物語です。』

その通りだと思う。どうしてこうなったのだろうか。超“極論”すれば「カネ(銭)」なのだろうか。経済的な豊かさを求めて、人は動いているように思われる。名誉や特技を生かす道を求めている者もいるだろうが。

映画『東京家族』のパンフレット。

映画『東京家族』のパンフレット。

戦後の貧しさから抜け出すために、金を稼ぐことによって豊かさを得ようとする人間の大きな動きが一番大きいように思えてならない。映画の中にあるように、十分な金を稼げない瀬戸内海の小島での生活に見切りをつけて都会へ向かう子ども達を誰も止めることはできない。

「景気回復」「経済再生」「財政再建」「デフレ脱却」……など、金にまつわる問題を前面に選挙を闘う与党の政治家。経済発展の名のもとに国民は必要以上の物を買わされてきたのではなかろうか。

また、そうしなければカネが回らず国が豊かにならないのではなかろうか。結果的に、モノの溢れる国になってしまった。おもちゃ箱から溢れる子ども達のおもちゃ。

しかし、カネを求めて人生の大半を過ごしている間に、人は知らぬ間に大切な物をどんどんなくしていくのではなかろうか。飲み屋でつぶやく主人公の嘆きは日本の多くの国民の嘆きではなかっただろうか。

今、読んでいる『日本再生 最終勧告』に出てくる原発を巡る政・官・財の“鉄のトライアングル”もどこかでカネがベースにあるように思えてならない。もちろん全てとは言わないが。

無知なる私達の知らない世界では、見えないモノがうごめいているように思えてならない。名誉のためにカネを必要とする人間もいるだろうが。

家族崩壊が、いつの日にか、他人事でなくなり、日本崩壊につながらねばとも思う。考えさせられることの多い山田洋次監督の『東京家族』であった。これからの生き方などいろんな事を考えながら、家内と二人で帰路についた。

「この映画は、2012年に世界の映画監督が選ぶ最も優れた映画第1位に選ばれた『東京物語』をモチーフにした」とパンフレットに書いてあった。

この『東京物語』だが、1953年にかの有名な小津安二郎監督がメガフォンをとったもので、ストーリーのほとんどが今日の『東京家族』に似通っている。

今から60年前の家族のありようが今と酷似していることに驚きを禁じ得ない。そういえば、今日の映画のラストに『小津安二郎監督に捧ぐ』とあった。小津安二郎監督も山田洋次監督(脚本は共作)も素晴らしいし、映画も素晴らしい。映画監督がうらやましい。

(日記 午前10時から市民会館で家内と映画『東京家族』を鑑賞。午後は、家内と二人で事務所でそれぞれの作業。私は、相変わらず、数学の参考書作り。今日は充実した一日となった。)

 
 

時間の道

10 2月
ペープサートで使う「犬のお巡りさんの絵」

ペープサートで使う「犬のお巡りさんの絵」

アクセルしかない車

人は誰でも 後戻りのできない時間の道を歩んでいる
大人も子どもも 男も女も 富者も貧者も
この世のあらゆる生き物も

車にたとえれば アクセルのない車に乗っているようなもの
ただただ前へ進むのみ

20歳の頃に戻りたくても 30歳の頃に戻りたくても
それは不可能なこと

20歳らしく、40歳らしく生きることは
50歳の者には 可能かもしれない
それはあくまでも “らしく”だ

しかし50の者はどんなあがいても  来年は51歳になり
再来年は51歳になるのだ

かつての青春スターが テレビや映画で老人を演じている

初老の歌手が 昔の自身の青春ヒットソングを歌っている

見ている自分も同様だろう 時というベルトコンベヤーは
選挙に出た元首相達を 過去の人として 葬り去るのだろうか

それともサムエル・ウルマンの詩のように
「情熱のある限り人は老いない」と話しておられるように
何らかの形で復活するのだろうか?

70歳を越えた私はサムエル・ウルマンの言葉を信じて
自らは「精神までは老いないで生きたい」と思う

後戻りのできない時間の道を歩むならば 急がず一歩ずつ、一歩ずつ
周囲の景色を楽しみながら 歩みたいものだ

(日記 午前中は先ずは医者へ。昔の同僚に会い待合室で雑談。その後、自宅で『かたせ瓦版』の1面を仕上げる。その後、子育て支援センターでのグッズを作る。相手は1、2歳児とその保護者だ。ストーリーのある紙芝居は無理だろう。午後は、家内と二人で事務所でそれぞれの仕事をする。最初は子育て支援センターで使うグッズの下絵を描く。その後は、数学の参考書作り。家内はグッズの人形作り。乗ってきたので、今日は自宅へ帰らず、軽食をとって夜も事務所で作業をすることにした。)

 

 
 

疑似「通勤」

02 2月

先ずは事務所の整理整頓
今日は家内と二人で、事務所で仕事をすると決めた。事務所は、自宅から500mほど離れたところにあるのだが、ここを二人の仕事場にすると決めた。

朝はいつも遅くなるので、10時頃事務所へ着いたのではすぐに昼食のために帰宅しなければならない。そこで、昼は帰宅しないと決めた。

家内は、自分の机で手芸。私は、部屋の整理。いつかは使うだろうと思って収集したものも少しずつ捨てなければならない。そして、これから使いそうなものを中心に本棚へ並べ直した。

楽器だけはいつもスタンバイしておくことにした。整理するのも楽しい。昼には二人で持参した弁当を食べた。食後はコーヒーで締めた。家にいるよりは、有効に時間が使える。家内も昼食の準備をしなくてもよいからだ。

遠くの山々が見える陸橋の上で。

遠くの山々が見える陸橋の上で。

しばらくして、二人で事務所の周辺をウオーキング。今週は晴れ間が多かったので、数回ウオーキングをすることができた。事務所へ戻って作業継続。

時間を有効に使うためには、自宅にいるよりも事務所の方が能率が上がる。それは。仕事をしたまま帰宅してもよいからだ。次の日にはその続きをやればよいのだ。5時過ぎに帰宅した。

通勤しているような気分だった。これからも特別に用事のない日には事務所でやりたいことをやろうと思う。とにかく、積み重なるものをやろうと家内と決めた。

一ヶ月経ったら、三ヶ月経ったら、半年経ったら、その分何かができ上がっているという様な日々を送りたい。

(日記 午前中は、幼稚園での発表のために、教材を作った。その後、弁当を持って事務所で作業。途中でウオーキング。5時に帰宅。午後7時半から、2月定例役員会。今年度の反省と新年度へ向けての課題などを話し合った。)

 
 

作業は事務所で

31 1月

部屋でいろんなことをしようと思うと
自分の部屋でいろんなことをしようと思うと、その準備や後始末に時間がかかってしまう。ハワイアンギターでも弾こうと思うと、楽器をセットし、アンプを出さなければならないし、エフェクターも接続しなければならない。

数学をやろうと思うと、同様にいろんな参考資料を出さなければならない。やることが多いと、出したり片付けたりと時間のロスが多い。家内も同様だ。作業場の机の上は、いつも必要なものを出しておけた方がよい。

 

これから使いやすい事務所にしようと決めた。自分の趣味の手芸に没頭する家内。

これから使いやすい事務所にしようと決めた。自分の趣味の手芸に没頭する家内。

楽器を弾こうとしても、同様だ。キーボードを出したり、ギターを出したり、アンプを出したり、……。これではおっくうになってしまって、やる気がしなくなってしまう。

家内と相談して、今日から以前のように事務所で作業をしようと決めた。春になれば外に家庭菜園があるので事務所周辺ですることがいっぱいある。通勤するつもりで気分を新たにいろんな事を楽しみながらやってみたい。

(日記 午前中は、もっぱら、数学。ノンストップで4時間、パソコンのディスプレイを見ていた。目が疲れた。今日も天気がよいので、午後は事務所に車を止めて市内をウオーキング。路地を歩くと新しい発見があり、いろんな人と出会う。その後、事務所で作業。家内は隣の机で手芸。充実した時間を持てた。)

 
 

もの探し

14 1月

時間の浪費
最近もの探しに多くの時間を割いているように思う。今日も、事務所で捜し物を始めた。2時間以上探していると、これまで存在さえ忘れていたものがいくつか見つかった。

しかし、肝心の目的のものは見つからなかった。これだけ探したのだから、もしかしたら自宅にあるのかも知れないと思い始めた。だんだん事務所にあるだろうという自信が揺らいできた。

自宅へ帰ってから探してみたが見つからない。見つけられないと次へ進めないものもある。今後は、「使ったら元の場所へ戻す」を今まで以上に徹底しなければならない。

毎回のことながら、そう思う。貴重な時間をもの探しに費やすことは避けなければならない。しかし、これまでは、使った後は、次のことで精一杯で後片付けにマッド気が回らなかった。しかし、やはり急がば回れだ。

(日記 午前中、数学の資料整理。我ながら、かなりいろんな教材を作り、それらを今まで残してきたと感心する。これらを活かさない手はない。ところが、残念ながら、3.5インチのフロッピーに記録した教材もかなりある。今の私のパソコンではこれらは読み込めない。そこで、私のパソコンドクター?のY君に尋ねると、フロッピーの読み込み装置を持っているという。ありがたいことだ。パソコンのメディアは古くなっても、数学は全く古くはなっていない。何とか読み取りたい、編集し直して教材作りをしたい。午後は、ウオーキングの後、事務所の整理とモノ探し。 )

 
 

健康維持はウオーキングから

07 1月

雪のない正月
いろんな健康番組を見ていると、必ず出てくるのがウオーキングの効用だ。そうは思っていてもなかなか実行できない。

家内が昨日から、盛んに進めるので目を休めるためにも、今日も歩くことにした。途中まで車で行き、そこから、春のような気持ちのよい空の下を話をしながら、歩いた。

南大橋の上で雪の山々をバックにパチリ。

南大橋の上で雪の山々をバックにパチリ。

勝山南大橋を渡り、遅羽公民館の横を通り、三室小学校を越えて右折し、帰ってきた。七千歩以上あった。これからも外を歩ける日は外を、雨や雪の場合にはプールの中を歩きたい。

なんとか週に三回ぐらいは健康のために、道路を歩くかプールを歩きたい。三日坊主にならないよう気をつけたい。パソコンから離れて目を休めるためにも良いことだと思う。

(日記 朝からずっと『かたせ瓦版』作り。途中で、ウオーキング。帰宅してからも作業を継続。夜は、『八重の桜』を見る。まだ終わりまで見ることができない。新しいドラマが始まったというのに。)

 
 

平成26年スタート

01 1月

何事も前向きに
午前0時になると同時に、自宅の仏壇、神棚にお参りし、家内、長男、次女、小三の孫と村の神社へ初詣に行く。その後、村の道場へ。ここで、参拝者が今年初めての読経。

この後、子どもたちと別れて家内と二人で市内の神明神社へ行く。例年のようにお参りの後、破魔矢を購入。帰宅して床に入る。

午前9時近くに起床。午前11時に村の曹洞宗の寺へ参拝。その後、村の有志がM県議の所へ年始の挨拶に出向く。

青年会議所の理事長となった県議の長男と話をする。いつかゆっくり話をしようということになった。役所勤めの時代から青年会議所のメンバーとは何かと話すことが多かった。

前を向いていれば、いつでもどこでも話し相手はいるもんだと思う。これからも、いろんな人と話し合いたいものだ。

(日記 午前中、村の神社、道場(浄土真宗)、勝山市の神明神社、村にある仏母寺(曹洞宗)へ初詣。その後、M県議宅へ年始の挨拶。帰宅して、孫の書き初めに付き合う。今日は清書せずに、水書道で運筆の練習のみ。孫と歌の練習。静かに正月がスタート。今日は、3人の子どもとその家族や孫達全員が集まって総勢12人の賑やかな正月となった。)

 
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