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Archive for the ‘未分類’ Category

親爺バンド合宿練習会兼新年会in勝山

28 1月

第二の人生に音楽を
 午後2時より私の事務所に徐々に大学系音楽部のOB達が集まってきた。とkに、遠方の愛知県組が早かった。昨年バンドを組んだもの、昨年暮れから知り合いになった者、全くの初顔合わせなど様々であった。

 今日の目的は、本当は新年会であった。この連中とは、昨年暮れに静岡で行われたOB会の後、打ち上げ会を行い、その後は忘年会も行った。そして今日だ。

 バンドという性格上、いろんなパートがいて、それぞれが支え合っているのだ。まだまだ発展途上のバンドだ。多くのメンバーは何十年と楽器から離れ、昨年にわかに楽器を再開したのだ。

 かくいう私もその一人だ。若い頃はできたはずなのに、身体が思うように動かない。楽器によっては、何とか譜面を見ていられる者と暗譜していなければ手元が狂ってしまってうまく演奏できない楽器がある。

 私にとっては、ハワイアンギターはメロディーを完全に覚えなければ弾けない楽器だ。やっと覚えたと思っても、しばらくすると忘れてしまう。この繰り返しで約1ヶ月が過ぎた。

 おまけに、忙しいのをいいことに、本気で練習していないからなおさらだ。それでも、音楽で繋がるメンバーだけに、昔、同時期に部活動を行っていたわけではないが、私にとっては良き仲間だ。

 昨年のメンバーがそろったところで新しいメンバーも含めて、練習を開始。昨年の演奏会で発表した「ワークソング」と「朝日のごとくさわやかに」を何度も繰り返して演奏した。

 昨年暮れに、ハードオフで7800円のトランペットをん買い、1ヶ月あまりで音を出すことに成功したメンバーもいる。その熱い心を見習わなくっちゃ。

そして、6時半より近くの居酒屋で新年会。さらに新しいメンバーが加わり、楽しい語らい。近況を話し合い、音楽について語り、政治について熱弁をふ るい、……と飲みかつ食べながら楽しい時間を過ごした。

 午後10時過ぎに、宿泊先の「越前大仏・研修道場」へ移動。そこでも、懇親会2部。それぞれが時間を見て入浴。床についたのは午前様になった。かくして合宿の初日は過ぎた。

(日記 午前中、事務所前の除雪作業。川からと水中ポンプを使って駐車場に水を流した。午後2時より福井大学軽音楽部の合宿新年会。練習も兼ねて初日は終わった。とても楽しい会だった。)

私の事務所に集まった大学軽音楽OBのみなさん。嬉しいことにみんな気持ちは熱かった。 

練習時間に劣らず長かった懇親会。ますますヒートアップ。

 
 

一日一億円

27 1月

国会は言った言わないの応酬
  未曾有の大震災、そして、山積する政治課題。与野党一致で事に当たれないのか。国会を一日開くと1億円かかるとのことだ。

  その1億円が有効に使われているのならいざ知らず、マニフェストで言った、言わないで相当な時間を費やしている。政策そっちのけで政局に明け暮れる与野党。その間をぬってか、大阪維新の会や石原新党が動き出している。

  与野党の議員は気が気ではない。一つ間違えばただの人になるからだ。今の政党にしがみついていた方がよいのか、それとも離党して新たな党を作るのか、大阪維新の会の波に乗るのか、政界再編は避けられそうにない。

  いずれにしても、今や、政治家に対する不満や政治家不信は頂点に達している。 いったいこの国はどうなっているのかという重大ミスが明らかになった。

  震災関係の15の会議のうち、10の会議で議事録が作成されていなかったというのだ。重要な会議の議事録が作成されていないことについて、原子力保安員は「忙しかったからだ」と言い訳している。

  1000年に一度という未曾有の大震災に対して、後世のために何が何でも記録を残さなければならない。国の最高の会議が議事録を作らないというのは関係者の怠慢と言うよりも情報隠蔽と疑われても仕方がないだろう。

  次回の衆議院選挙は、おそらく今までとは全く異なる様相を呈することになるだろう。◎◎チルドレンの前途も危うい。中でも、初当選した1年生議員は日本の国の現状を憂い、政治家としてどう行動するかを考える心の余裕は全くなさそうだ。 自分の選挙のことで頭がいっぱいであろう。

  政治家というのは、生活感のない素人の集まりに見えて仕方がない。シャドウキャビネットを作り、いつでも自分の問題として対応できるよう普段から備えておいてほしいものだ。

いつでも出動できるように除雪機は軽トラの上で待機。

(日記 今日は、終日除雪作業。午前中、先ず1階の屋根の雪下ろし、続いて大屋根に上がり雪下ろし、そして、再び1階の屋根の雪下ろし。その後、除雪機で落ちた雪の一部を始末する。昼食後、ほとんど休まず、軽トラに除雪機を乗せて事務所へ運び、駐車場を確保するために除雪作業。明日、軽音楽OB会の合宿新年会があり、バンド練習もするからだ。他からの圧雪が駐車場に積まれていたために、かなり時間がかかった。終わったのは午後5時少し前。一日中除雪作業を行っていたが、さほど苦にならなかった。どうせ、除雪作業をするならば、楽しくやらなければと思う。iPodで音楽を聴きながらの作業だった。午後7時半から横浜とスカイプ(パソコンを使ったテレビ通話)。5日前に生まれた孫が今日退院してきたのだ。早速テレビ電話で顔を見る。生まれたばかりだが可愛い。すこやかに育つことを願う。)

「こんにちは赤ちゃん!私がバアバよ」。生後五日目の五番目の孫。健やかに育ってほしい。

 
 

雪止めの効果

26 1月

再評価したい「雪止め」の役割
   朝、屋根を見上げると家の前側の雪が屋根に巻いている。屋根にとっては、具合の悪い状況だ。この状態を放っておくと、屋根の先端は雪の重みに耐えかねて折れてしまうからだ。昨年、我が家も家の後側の屋根の先端(垂木)が折れてしまった。

  そのために、春になって家の後ろ側の屋根瓦を外して、垂木を倍に増やしてもらった。その際、一列おきにあった屋根の先端の「雪止め」を倍に増やして全ての列につけてもらった。家の前側は、瓦を外さなかったので、垂木だけを差し込んでもらって倍にした。

  いずれも強度は倍になるとのことだった。家の前側と後側で異なるのは、屋根の先端の「瓦の雪止め」が細かく入っているかどうかだ。家の後ろ側の「雪止め」を倍にしたのは、屋根の修理のために瓦を外したので、ついでに雪下ろしをするときに滑らないようにというつもりだった。

  今朝、屋根を見ると、家の前側の屋根の雪が屋根の先端で巻いているのだ。後側は、雪が巻かずに落下しているのだ。家の前側の屋根は垂木に負荷をかけている。早速、市販の「雪を引っかける道具」で先端の雪を落とした。

  いつもは、家の後側の方が雪が巻くのだが、雪が下へ落ちている。この違いは、屋根の中央部分を見て分かった。家の前側は屋根の先端の「雪止め」が少ないので、屋根全体の雪が前方へ移動しているのだ。屋根の中央の雪の亀裂がそれを物語っている。

雪が巻いている家の前側と、雪が間数に落下している家の後側。その証拠は、屋根の雪の亀裂(青い矢印)にある。  雪下ろしの際、滑り落ちないようにと、雪止めを細かく入れた家の後側は、屋根全体の雪が滑り落ちないので、先端だけが、ちぎれて落下しているのだ。これは偶然だろうか。雪止めの効果だろうか。

  昨年、屋根の後側の先端が破損した時には、屋根の中央部分に大きな雪の亀裂が入っていたのを覚えている。全体の雪が移動して、屋根の先端の雪が巻いたのだ。屋根の雪が先端だけではなく、全体が滑り落ちるので雪が巻くのではなかろうか。

  そう思って、今日、昨年屋根全体の雪が大きく動いて瓦も破損し、雨漏りがしたというYさん宅の屋根を見てみた。屋根全体を修繕したためか、屋根の先端の雪が巻くことなく落下していた。

  「雪止め」は、文字通り、屋根全体の雪が滑ることを防ぐためのものだ。雪の降り具合などに合わせて、「雪止め」の数を考えなければならないのではなかろうか。美観だけで、適当な枚数入れておけばよいものではない。一般に雪止めを屋根の上段、中段、下段に一つおきに入っている場合が多い。

  雪の状況によって、「雪止め」の数を考えなければならないというのが、私の結論だ。昨年は、あまりにも多くの家の屋根が破損していたが、それらの屋根も「雪止め」の数である程度防ぐことが出来たのではなかろうか。

(日記 午前中、除雪機で家の周辺の雪を始末し、屋根の先端の雪を、市販の道具で地上から引っかけて落とした。この道具は予想以上に効果がある。午後は、新しい紙芝居を作るために自作童話を脚本化する作業を始めた。紙芝居化したいものがたくさんある。村の歴史なども紙芝居にして子ども達に見せたいとも思う。前から思っていることだが、『じいちゃんの子ども時代』をシリーズ化して、遊びや生活や米作りを紙芝居にすると面白いだろうなと思う。)

 
 

雪、雪、雪・・・

25 1月

雪の負の面ばかり強調するマスコミ
ここ数日、雪に関するニュースが多い。その多くは、雪によるマイナス面が強調されている。東京では、わずか数センチで大騒ぎだ。よくぞあのつるつるの路面を普通タイヤ野車が走るなあと感心してしまう。

底の平らの靴を履いているため、滑って転んで怪我をする人が続出しているというニュースも多い。滑らない履けばいいものをと思ってしまう。

片瀬にも、除雪のために、ブルトーザーが早朝と昼の2回、やって来た。屋根の下から、一階の屋根の先端の雪を落とした。その後、午前と午後の2回、除雪機を動かした。

確かに、雪はマイナス面が多い。この調子では明日は屋根の雪下ろしをしなければならないかもしれない。簡単な作業ではない。

家の玄関前。庭木も雪だるま状態。雪囲いを外す春が待ち遠しい。

雪は、降り出したら止まらない。雪が降らない土地へ移りたいと願う人は少なくない。かくして、雪国の過疎化は年々進んでいく。冬は、確かに過酷な屋根の雪下ろしが待っている。

しかし、雪下ろしは、多い年は3度ぐらいにはなるけれども、平年は2回ぐらいだ。昔は、どの家も家族が多かったために、かなりの雪が降っても、家族総出で屋根に登って雪下ろしをしたものだ。

かつては、さほど苦になる作業ではなかったが、近年は若い者が都会へ出てしまったために、残された高齢者にはきつい作業となっている。我が家もそのような状況にある。

雪国では、毎日雪下ろしをしているわけではない。かつては、雪国独特の文化があり、豊かな食生活ががあったのだ。冬に備えて種々の漬け物や加工食品を作り、家族がそれらを味わったのだ。

今日は、旅の番組で、そんな文化の一端に触れる番組があった。雪国も捨てたものではないなあと思わせる番組だった。また、雪や氷を生かしたイベントも紹介されていた。

かつては、村の人達は、春の農作業に備えて、冬は藁仕事をしたのだ。米俵を編んだり、縄を作ったり、農作業や日常生活に使う藁製品などを1カ所に集まって作っていたのだ。

親爺達が、藁仕事の場所で、時々花札などをして楽しんだりしていたのを私は知っている。冬もそれなりに充実した生活があったのだ。

あるとき、会合で特に雪の多い地区に住む人達の嘆きを聞いたことがある。私は、「雪のマイナス面ばかりに目を向けていると、悲しくなります。雪があるからできることを考えてみませんか。」と提案した。

今、その地区では、雪を使った独特のイベントを行っている。「沖縄では、逆立ちしたって雪を降らせることはできません。せっかくある雪を活かすことを考えることも必要ではないでしょうか」とも話したことを覚えている。

雪があるから、春が待ち遠しいのだ。特に、雪国の者には春は格別のものだ。左義長囃子が聞こえる頃になると、「春だなあ」と思える。私にとっては、冬は創作活動の季節だと思っている。物事、マイナス面ばかりに目を向けないで、プラス面を考えてみることも必要ではなかろうか。

(日記 早朝から、ブルの音が聞こえる。雪が降ったんだなあと思う。午前と午後、今年買った除雪機を動かした。屋根の端の雪を下から落とした。ジャズの編曲作業。今週末の親爺バンドの合宿までにはCDにしておきたい。家内の話では横浜は晴れているのだという。一人暮らしで気をつけなければならないことは栄養の偏らない食事だと思っている。特に、野菜不足にならないように気をつけている。それにしても、一人暮らしは不経済だ。風呂にしても食事にしても、煖房などにしても。)

 
 

音楽の楽しさ・・・アドリブ

24 1月

既成の曲の中で創作する面白さ
週末に親爺バンドの合宿新年会がある。福井市、坂井市、大野市、そして白山市、名古屋市などから大学の軽音楽同好会のOBが勝山へやって来る。

その風貌は、どこから見ても私を含めて皆「おじいさん」だ。それが、昔とは衰えた技術でラッパを吹き、ギターを弾き、ドラムを叩くのだ。老いとたたかいながら、忘却とたたかいながら。

爺ちゃん達は、土曜の午後私の事務所のスタジオで練習をした後、居酒屋で新年会をやるのだ。ここでは昔と同じように飲める者はどれだけでも飲む。

そして、越前大仏合宿所で泊まりながら親睦を深めるのだ。翌日の日曜日も午前中は練習。名古屋へ帰る者は雪の中を大変だろう。

OBの中には、昨年秋に新たに楽器を購入した者もいて、皆音楽に目覚めたように取り組んでいる。私もその一人だが。そこで、今日はその日のために、ジャズの編曲を行った。

編曲というと少しオーバーだが、吹奏楽のジャズの楽譜を数人の小編成バンドで演奏できるようにするためだ。メンバー不足をどうしたら、カバーできるかが問題だ。

ところで、ジャズの楽しみは何かというと、アンサンブルとアドリブではないかと思う。曲のテーマとなるメロディーはみんなで演奏し、その後は各自が即興演奏(アドリブ)を行い、再びテーマに戻るのが基本だ。

全ての音楽には、先ずメロディがある。そのメロディーをより美しく響かせるために和音を付けて曲を盛り上げる。メロディーは和音という川の上を流れているのだ。

アドリブは、この川の上でテーマとは異なるメロディーを即興的に演奏するのだ。と言っても、我々素人は即興では和音の上で演奏できないので、あらかじ作っておくのだが。

というのも伴奏陣はメロディーと同じ和音で伴奏をするので、伴奏に合わないメロデーを演奏すると不協和音になってしまうからだ。和音の流れ(川の流れ)の中を流れに乗って自由に船を操るようなものだ。

ところが、船が河から外れとしまったら座礁してしまう。アドリブの面白さは、楽譜で決められた通りに演奏する部分と自由に演奏する部分があるので楽しい。

映画や芝居で脚本にない台詞をしゃべってしまうときも、「アドリブ」と言うが、その場の勢いで自然に出たセリフはアドリブであっても、脚本より優れている場合もあるのではないか。

人生に於いても、決められた路線の中ではあっても、時には自分の思いを込めて脇へそれてみるのもありではないか。それが、また元の路線を歩む力になるだろうから。

(日記 午前中、ジャスの編曲作業。機能までとは全く異なる作業だ。考えながらやっているので時間はかかるがそれでも楽しかった。午後、夕食の買い出しに。何を買おうか結構迷った。それでも、籠いっぱいに食材を買った。その後、100万ボルトでプリンターのインキを7本買った。紙芝居の用紙は、A3ノビなのでインキを沢山使う。その後、市立図書館へ本を借りに出向いた。白山の歴史、歴史雑誌、絵本、紙芝居にする本、植物図鑑などを借りた。その後、事務所へ寄り、図書館の職員と平泉寺の歴史などについて雑談と情報交換。楽しい時間を持つことができた。人と話すことは楽しい。今は、一人暮らしなのでよけいそう思う。いつの日にか、図書館でも紙芝居を演じてみたいものだ。帰宅してからも、編曲作業を継続。そのご、夕食の準備、食事、後始末。結構時間がかかった。)

 
 

5人目の孫誕生

23 1月

すこやかに育て孫達
夜中の3時頃、横浜から電話が入った。長男の嫁が出産のため夜中に病院へ行ったのだという。そして、再び電話がかかってきて無事女児が生まれたと言うことを知った。

早速、携帯で生まれたばかりの赤ちゃんが母親の胸の上にいる写真が送られてきた。家内は、3時過ぎに起きてしまって横浜へ行く準備をしている。息子は仕事、その嫁は入院しているので、孫達の面倒を見るためだ。

それにしても、無事孫が誕生してよかった。出産は非常に危険の伴った一大事業だ。それだけに、無事生まれることをずっと祈っていたのだ。

子どもは、生まれた直後はあまり手がかからないだろうが、大きくなるにつれて、手当たり次第にものを口に入れたり(本人は何であるかを試しているつもりだろうが)、這い回ったりして気が抜けない。

そのうちに幼稚園や小学校へ行くことになる。小学校のうちはまだよいが、中学生になると多少学業の方も気になってくる。高校へ入ったら進学のことがさらに気になる。

大学へ入学したら、卒業時の就職が気になる。就職が決まれば学費の負担はなくなるが、今度は結婚が気になってくる。そのうちに、孫の誕生だ。親としては、このあたりまでなかなか安心できない。

子どもが親になった時初めて、「子どもが親から独立した」という気になる。我々夫婦は、子育ての終盤戦に来ているが、子ども達は子育てが今始まったばかりだ。

しかし、子育て真っ最中は苦しいことも多く、無我夢中だったが、楽しい時期でもあった。子ども達のおかげでいろんな経験をすることができたし、いろんな所へ行くこともできた。

家内などは、子ども達の追っかけもした。それもまた、大きな楽しみだった。子どもがつまずけば一緒に心配し、子どもが成果を上げれば一緒に喜ぶことができた。

自分の人生で、仕事と子育てを同時並行してやることは、大変ではあったが、充実していた時期でもあったのだ。娘が嫁に行くときに「長い間ありがとうございました」と挨拶するが、「お礼を言いたいのは親の方だ」とも思う。

何はともあれ、それぞれの孫達が元気で育つことを祈りたい。私としては、孫達にとって関わりたい存在(ふるさと)でありたいと思う。

(日記 午前3時頃横浜から「出産のために入院した」と電話がかかってきた。そして、まもなく、無事生まれたと携帯があり、母子の写真も送られてきた。家内は、もう寝ていられないと横浜へ行く準備を始めた。私も、目が冴えてしばらくは眠れなかった。朝、家内を駅へ送り、家内の荷物を横浜へ発送した。今日から当分の間、私は一人暮らし。三食、自分で考えなければならない。午前11時過ぎに北部中学校へ行き選択音楽『和太鼓』の授業。今日は、左義長囃子の練習をした。帰宅して、紙芝居のタイトルページと終わりのページを作成し、印刷した。完全にできあがった。後は、家内と練習するつもりだったが、急に一人になってしまった。家内が帰ってから、練習するしかない。昼はよいが、夜はなんとなく寂しい。家内の留守中に大雪になったら大変だと思う。)

 
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NHKスペシャル“リーダー……”

22 1月

望まれるリーダーの出現
  昨日、NHKスペシャルで『日本でリーダーを生み出す決定打は何か』をやっていた。スタジオで各階各層の人達が討論する番組だ。

  私は、例によってビデオに録り全てを見た。とても興味深かった。私もいろんなリーダーを見てきた。時には、リーダーに仕えもしてきた。

  そんな中で、私が達した結論は、「リーダーとは、組織に自分の能力以上の成果を上げさせること」だろうか。キャパシティーの小さいリーダーは自分が全てをやろうとして、チームはせいぜいリーダーの能力以下の力しか発揮できない場合が多い。

  せっかく何十人、何百人、何千人の組織の上に立つならば、それらの頭脳を活用しない手はないと思うが、実際にはそうはなっていない。官僚を使いこなせない大臣に似ている。

  それともう一つは、日本の社会に反省点がある。それは、減点主義になっている点だ。ミスさえしなければ、昇進していく仕組みだ。テレビでも元官僚が話していたが、よほどのミスさえしなければ、誰でもある程度までは昇進していくのだ。

  従って、これまでは(右肩上がりの時代には)、新しいことにチャレンジする必要がなかったのだ。しかし、混沌とした今の時代はそうはいかない。

  社会も変わるべきだが、学校教育も変わらなければならない。ただ暗記してテストの点数をよくするだけでは、リーダーになれないばかりでなく、今の時代を生きていく力も養われない。

  子どもの頃から、自分の頭で考え、自分の言葉で語る訓練をしておかなければならない。昨日の討論では、教育に対する注文も出ていた。

  そんな中で、“フォロワーシップ”も大切さを語っていた。同感である。(follow=後に続く。フォロワー=follower=後に続く人=部下)

・・・・・  “フォロワーシップ”とは ・・・・・
  フォロワーとは、リーダーを補佐する人のことで部下やチームメンバーをさす。フォロワーシップとは、集団の目的達成に向けてフォロワーがリーダーを補助していく機能のことをいう。 フォロワーには、指示に従って成果を上げるだけでなく、自発的に意見を述べたりリーダーの誤りを修正することも期待される。そのためには、フォロワー自身の実力だけでなく、集団の目的に対する達成意欲や、リーダーとの信頼関係が必要となる。(インターネットより)

 私の考えでは、減点主義の世界やキャパシティー(人間的な幅の広さ)の小さいリーダーの下では、部下はフォロ-ワーシップを発揮できない。

  部下が前向きの意見を述べようにもそれを聞く耳の持たなかったり、理解できないリーダーの下では、部下は、前向きの姿勢で事に当たることができない。また、ミスをした場合には厳しく責められる組織ではそこに属する者は前向きの考えを持つことができない。

   日本の前途や国民の利益よりも、自分の出世や自分の党の利益しか考えられない先輩議員の下では、新人議員は自分を生かすことできない。 “フォロワーシップ”を発揮できないのだ。

  かくして、至る所で閉塞感を持った人間が増えていく。ミスをする事から次の成功に繋がる貴重な体験が得られるということを理解すべきだし、そのような教育を進めることが必要だ。

  失敗を表彰する会社の例が報告されていたが、この会社では、誰もが失敗を恐れずあらゆる事にチャレンジしているため大きな成果を上げているとのことだった。

  人を生かせる者こそ、良きフォロワーを得て、自分が生かされ、次のリーダを育てることができるのだということを肝に銘じておきたい。

力尽きてぐったりするタヌキのタン吉とキツネのコン子。

(日記 ようやく自作紙芝居の絵を描き終えた。今日は、終日、最終調整と印刷作業を行った。いよいよ来週は練習してこの紙芝居をどこかの児童館で実演してみたい。そしていつの日にか、東北のどこかの子ども達の前で演じたいという夢を持っている。今日まで、毎日最低1枚は絵を描いてきたので、23枚全部描き終えることができた。この調子で、これからも自作童話を紙芝居にしたい。“毎日パワー”のおかげだ。)

 
 

「ふるさと」とは

21 1月

童話サークル「かっちゃま児童文学会」
  午後3時より、図書館の視聴覚室で「かっちゃま児童文学会」の例会が開催された。会員の一人 Iさんが作品を持ってきた。

  タイトルは『ふるさとちゅうもんは』だった。作品を読んだ後、それぞれが感想を言い合った。「ふるさと」の定義だが、私は次の三つがそろっていることだと思っている。

・地域に家族以外に自分が関わった人がいる
・地域に自分が関わった場所がある
・地域に自分が関わった行事がある

  上記の三つは、私達の年代では当たり前でなかっただろうか。しかし、今の子ども達の動向を見ているとも「自宅と学校または習い事の場所」を行き来している場合がほとんどだ。

  従って、私は今の子ども達は“我が家あってふるさとなし”の状況に陥っていると思っている。私達自身が地域の子ども達の「ふるさと」の一部にならなければならないと思っている。

  私以外の会員は、皆女性であり、県外から嫁いできた人もいる。勝山の人達の閉鎖性を嘆く声が少なくなかった。子ども達は元気に挨拶できるのに、大人の中には、挨拶ができなかったり、人と出会うのを嫌っているような人が少なくないとのことだった。

  私も、時々そんな人を見かける。私はどちらかと言えば、誰とでも話せるタイプの人間だと思っている。そして、人と仲良くなるための第一歩は「挨拶だ」と思っている。

  「子ども達にふるさとを」は私の新年度の課題であり、仕事でもある。地域の人に私の願いが届くかどうかはわからないが、自分の気持ちを発信し続けたい。

(日記 創作童話の紙芝居の絵を完成させた。後は、絵と脚本の最終調整をして、印刷し、読み合わせをすればよいのだ。毎日作業を継続すればいつかは完成するものだ。午後3時より「かっちゃま児童文学会」の例会。作品の批評会を行った。私は、新作を書いていないので雑誌「家の光」の入選作をコピーして持って行き、みんなで鑑賞した。午後5時から「親子太鼓」の練習。本番まで一ヶ月を切った。はたして人前でうまくいくだろうか。多少心配ではある。)

 
 

五つのカバン

20 1月

「モノ探し」に明け暮れないために
  私は,人生のかなりの時間を「モノ探し」や「整理整頓」に明け暮れている。自分の容量を超えた多くの事に首を突っ込んでいるからだ。

  そのいくつかは頼まれて始めたものだ。今、私が定期的に関わっているものは、「オカリナ」、「親爺(じいちゃん)バンド」、「盆踊り普及(指導)」、「春駒太鼓(青年部)」、「親子太鼓」、「和太鼓(北部中学校)」だ。

  不定期なものを含めればもっと多くなる。地区の郷土芸能や夫婦で始めたバンドの楽譜、紙芝居・手遊び歌などの楽譜、「童話関係の資料(かっちゃま児童文学会)」などもある。

  童話を除いて、いずれも誰かに指導するものだ。これらを定期的に指導するには、楽譜、練習用CD、振り付け表、市販の曲集(楽譜とCD)、そして、楽器などが必要だ。時には衣装なども必要になる。

  これらを練習の度に一つのカバンに入れ手運ぶとしたら、毎日、入れたり出したりしなければならない。そこで,これまでは、「オカリナ」と「親爺バンド」と「盆踊り」は決まったカバンに入れ、残りは一つのカバンや紙袋やファイルでやりくりしていた。

  そのため、「あれはどこか」、「これはどこに片付ければよいのか」と迷うことも多く、モノ探しにかなりの時間を要していた。これらの準備物の他に、本番では、法被などにユニフォームも必要になる。

  そこで、今日、さらに二つのカバンを買うことにした。2種類の和太鼓のためのカバンに使うつもりだ。また、それぞれのカバンにはCDも入れているのでCDケースも買った。

  月曜日は、このカバン、水曜日はこのカバン、……、土曜日はこのカバン、というように持ち歩けばよいのだ。これが今の私には最も良い方法だと思っている。しかし、まだカバンは不足している。

(日記 午前中、紙芝居の最後の絵を描いた。午後4時近くまで頑張ったが完成しなかった。目も霞むほど疲れたので、気分転換に外出。大野でカバンお買い、「あっ宝んど」へ出かけ、風呂に入る。外食した後、買いものをして帰宅。)

 
 

マリオネット

19 1月

糸の多すぎるマリオネット
   マリオネットは、日本では糸を使う操(あやつ)り人形のことだ。人形や動物の何カ所かに糸をつけてまるで生きているかのごとく操作するのだ。名人の技はとても素晴らしい。また、人形は、現実の人間では出来ないような技を繰り出したり、ユーモラスな動きをするのだ。

   見ている者は、人形の動きに引きつけられてしまう。演者は、この人形に一定の数の糸を付けて、それらが絡み合わないように操作するのだ。もしもこの人形に必要以上の数の糸が付いていたら、糸が絡み合って人形は思うようには動かないだろう。

   今の政界を見ていると、糸の多すぎるマリオネットのようだ。野田内閣は身動き出来ないように見える。演者は、「増税」という演目を演じようとしているが、人形に付いている糸が多すぎて、それらが絡まり合い、身動きできないように見える。

  「増税だ」という糸もあれば、「公務員改革が先だ」という意見もある。「国会議員の定数を減らせ」という意見に対しては、納得できる政党もあれば納得できない政党もあり、簡単に決まりそうもない。

   「原発」という演目にも悪戦苦闘している。人形を前へ動かそうとする糸(企業や電力会社、一部の議員)もあれば、「安全が確認できるまで進むな」という糸もある。与党の糸もあるが、与党の中には逆向きの糸もある。野党の糸は、常に与党の逆の動きをしようとする糸になっている。

   「安全だ」という糸(専門家)もあれば、「危険だ」という糸(専門家)もある。「運転できる期間は40年だ」という者もあれば「安全が確保されればさらに20年運転できる」といったかと思うと、細野大臣は、今日改めて「40年だ」という。

   何かを進めようとするとき、それによって「利益がもたらされる者」と「不利益を被る者」ができる。TPPもその一つだ。国会議員の中には、自分は進めたいと思ってもいても、自分の支持者が反対している場合には簡単に動けない。多方面のたくさんの糸に縛られて身動きできない状態になっている政治家は少なくない。

  いいか悪いかは別として、橋下大阪市長は、これらのマリオネットの糸を断ち切ることを宣言している。独裁とか独断とか言われるが、果たして糸  の数の少なくなった同氏はどのような改革を行う事が出来るのか、見物である。

 一方、野田内閣は、たくさんの糸が絡まって身動きが出来ない状況にある。やがて、なりふりかまわず糸を断ち切って突進するのだろうか。日本では新内閣が発足すると、いきなり足の引っ張り合いが始まる。かくして、総理の任期は1年前後となり、世界各国から信用を失っている。そして、ひんしゅくを買っている。

  立派な人間が政治家になっても、この糸のために、おかしな動きをするようになり、最後には政治不信を招くもとになっている。日本には、こうした利害関係の対立する糸を断ち切って区民のために働くリーダーは出ないのだろうか。

紙芝居の最終場面。

(日記 終日、紙居のための絵を描く。ようやく、残り1枚となった。明日は描き終えることができるだろう。完成したら「紙芝居」にして児童館か幼稚園屋小学校で演じてみたい。また、絵本にして孫達に贈りたい。)