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Archive for the ‘未分類’ Category

原発再稼働・・・結論ありきか?

07 4月

何を優先するのか
   原発再稼働問題が、連日テレビや新聞で報道されている。関西電力・大飯原発3号機と4号機の再稼働に向けて、政府は3回目の閣僚会合を開き、新たな安全基準を決めたという。

  枝野経産大臣は、「原発再稼働については、4人の閣僚が3回にわたり、安全性について徹底的に議論した。」という。しかし、信用を失った政治家の言うことを国民あるいは県民がどれだけ信ずるだろうか。

  素人目にも、「初めに再稼働ありき」と思ってしまう。政府は、関西電力に対して安全基準の実施計画、いわゆる工程表の提出を指示したという。来週中にも提出される工程表を受け、4閣僚による会合で再稼働の可否を判断するというのだ。

 果たして、4閣僚で安全性を審査し、再稼働の可否を科学的に決められるのだろうか。専門家でさえも判断できない放射能の危険性や原発の安全性を判断できるのだろうか。

 テレビなどで原発立地地区の人や近隣の人、近県の人達の意見は、それぞれ大きく異なる。それは、何を優先するかが違うからだ。原発立地地区の人達は、先ず経済的な問題を第一に考えて早期に再稼働すべきだという。

  安全性を優先させる人達は、拙速だという。安全性を確保するための計画書を出すことと、安全性を確保するためにハード面などの整備を終えることとは別だ。「(今後)安全対策を施す」と「(すでに)安全策を講じた」では大きな違いがある。

  私個人は、安易に再稼働しない方がよいと思う。一日も早く、日本にあったエネルギーに対する考え方を明らかにし、新エネルギーを生み出す研究をすべきだと思う。その間、私達は、ある程度は不足に対して我慢しなければならないと思う。

  メタンハイドレードが日本を救うエネルギーになると言われているが、国の総力を挙げて研究できないのか。それとも、原発ムラの者がブレーキをかけているのか。金や人材を投入して一日も早くこの難局を乗り切って欲しい。

  それまでは我々も多少は我慢すべきであろう。しかし、真夜中でも最もエネルギーを使う国は日本ではなかろうか。宇宙飛行士の話したことを新聞で読んだことがあるが、真夜中の日本列島は煌々と輝いていたという。エネルギーは、まだまだ節約できるように思う。

  西川一誠知事は昨年4月から国に対して安全基準を示すよう求めた。一貫して「福島第1原発事故の知見を踏まえた暫定的な安全基準の策定」の必要性を訴え続けたのだ。

 ようやく、新たな暫定基準が示された。地元への一定の配慮を示した形だが、原発稼働ゼロを回避するためのつじつま合わせに終われば、国民の一層の不信を招くことになる。

  これで安全かどうかを誰も判断することができない。そもそも原発は完結した技術ではないように思う。便宜上エネルギーを使ってはいるが、トータル的にはまだ発展途上のエネルギーであるように思えてならない。

 「トイレのないマンション」と言われる所以である。信頼感を失った者の言動は誰も信じない。今、政治家や学者など専門家の信頼感が失われている。こんな中での、増税を急ぐ総理も与党も野党も国民のや厳しい審判を受けることになるだろう。

  それにしても、若い人達は、今の状況をどのように感じているのだろうか。江戸時代の末期に似てはしないだろうか。それとも、大戦前後の状況か。何にしても閉塞感の漂う時代であることには間違いない。

(日記 午前中、映像編集。一進一退だが、わずかに進んでいるように思う。はっきりしていることはあれこれやってみることだ。午後も、作業を継続。目標の8割まで来ただろうか。午後4時より、『親子太鼓教室』。みんな結構うまくなった。保育園児もとうとう小学校へ入学した。小学校1、2年生は私にとっては孫のような年齢だ。私を見つけると遠くから手を振ってくれる子もいる。太鼓も確実に上達している。1、2年後が楽しみだ。)

 
 

適度な負荷をかけること

06 4月

体力増強から体力維持へ
  退職してから2年が過ぎた。まだ、生活のリズムは確立していないが、退職直後よりは、ある程度の規則性ができたと思っている。いつでもできると思うと、簡単にはできないことも分かった。

  時間がないときには必死でやったが、時間があると朝の始動から少しずつ遅れ気味になる。そんなとき、急にリズムが変わると、前の日から落ち着かない。今日は、久々の交通安全の街頭指導の日だ。

 午前7時にはニューホテル横の交差点に行かなければならない。いつもより、1時間ほど始動が早い。それでも時間前には、行くことができた。

  話は変わって、人生には適度な負荷がかからないと、鍛えられないと思う。ボディービル等で身体を鍛えるのも、身体に、普段以上の負荷をかけるために、身体の方がそれに対応して筋肉を増強するのだろう。

  マラソンの耕地トレーニングもよく似た理屈だろう。高地では心臓や肺にかなりの負荷がかかるだろう。しかし、そのことによってアスリート達は心肺機能を高めるのだ。負荷に耐えるように身体が、対応するのだ。

  ある程度の精神的な負荷は、精神力を鍛えるためにも役立つと思う。某会社の若社長のように、特別な苦労もなく金が手に入ると、苦労をする必要がない。歯を食いしばって頑張ることもなく育つと精神力も、忍耐力も、社会的な常識喪身につかない。

  ちやほやされて、一晩に何億者金を使い、それでも足りなければ関連会社から莫大な金を借りて、最後には行き詰まってしまたtのだ。人生には苦労という負荷をかけなければならないが、今時の親は、子どもからその苦労を除こう、除こうとしているように見える。

  別な言い方をすれば、苦労するチャンス、負荷をかけるチャンスを奪っているのだ。子どもの登下校に親が来るまで送迎するのも同じようなものだろう。逆に言えば、大人になった大事な局面で苦労を背負うことになる。

  さて、私の方だが、退職してから、自ら身体を鍛えたり、やった方がよいことから、逃れていたところがある。年よりはどんどん筋力が衰えるのだ。ここ2年は、農作業でしか筋力を鍛えていない。農閑期は全く筋力が鍛えられないことになる。せいぜいが雪下ろし程度だ。

  最近自分を甘やかせている。これでは、先々苦労することになる。そんなことを考えながら、プールの中を歩いていた。適度な負荷は心身を鍛えるのに大いに役立つと思う。鍛えるのは無理でも、体力維持には努めたい。明日から、また出直しだ。

Sちゃん、小学校入学おめでとう。じいちゃんばあちゃんとママと一緒に記念写真。太鼓も一緒に頑張ろうね。

(日記 午前7時よりニューホテルの交差点で交通安全の街頭指導。中学生は、かなり挨拶をしてくれた。小学生はまだまだだ。帰りに、Wさんの家へ寄り、和太鼓のDVDを借りた。和太鼓をしているお子さんが小学校の入学式だ。写真を撮ってあげた。帰宅してそのDVDの編集に取りかかった。なかなか難しい。ハイビジョンで撮影したビデオの編集作業をなんとかマスターしたいと思う。午後、突風でめくれたイチゴのマルチを直し、その後、久々に市営プールへ出かけ、歩いたり泳いだりした。帰宅後も、ビデオ編集作業。少し明かりが見えてきた。)

 
 

「できること」と「できないこと」

05 4月

以前に聞いたある講演から
  以前に教育会館である講演会が行われた。講師も演題も忘れたが、その講演の中の一部分だけはっきりと今も覚えている。それは次のようなものであった。

 年をとると「記憶力は悪くなる」、「視力は悪くなる」、「スタミナはなくなる」、「脚力は衰える」、「身体は硬くなる」、「内蔵も悪くなる」……と、衰えていくものが多い。講師の先生は高齢化したときのマイナス面をどんどん列挙した。

  それを聞いていて、当時は高齢化することは大変なことだとぼんやり考えていた。何もかもが衰え、意欲さえも減退するかもしれないのだ。どこかの年齢をピークに何もかも減っていくのか、衰えていくのか。

 そして、講師は続けた。「年をとると大概のものは衰える。しかし、年をとることによって伸びていくものがあります。」とここで言葉を切った。一瞬なんだろうと思った。「それは、知恵や経験です。」と続けた。

  時々、このことを思い出すと同時に、第3者に対してもこのことを話させていただくことがある。知恵や経験は衰えるのではなく、益々身についていくのだ。増えていくものだ。

 そう思うと、人生は楽しくなる。若い者には経験や知恵は少ない。まさに知恵は無限にあり年と共に増やしていけるのだ。最近作った私の造語は『知恵無限』である。知り合いの書道の先生に書いていただいた『知恵無限』の色紙は今も私の事務所に飾ってある。

 経験は、多少意識しないと積み重なるものではないかもしれない。毎日、テレビの前に居座り続けたり、ゲームにばかり熱中していては将来に生きる経験は積み重なってはいかないだろう。

 今日久しぶりに事務所で仕事をした。その合間にスタジオにあるドラムを叩いてみた。ドラムは両手両足を使うために、そのコントロールが難しい。若い頃は音楽に乗って楽しくドラムを叩き演奏会などにも出ていたが、今は思うようには手足が動かない。だからといって、練習しなければもっと悪くなる。

  運動だと思って、20分ほど叩いてみた。確実に20歳の頃とは運動神経が違う。素人のソフトボールでも私は3塁を守ることが多かった。バッターからはピッチャーと同じくらいの距離で守ることが多かった。素人レベルだが瞬間的に手が出たものだ。そうした反射神経は完全に衰えてしまった。

  王選手や長島選手でも、引退したのはそうした理由からだろう。なくす物あれば、得るものありだ。問題は、社会や家族、自分のためにそれまで得た経験や知恵を使うかどうかだ。ドラムを叩きながらこんなことを考えていた。

ドラムを叩いていた大学時代は、手足が動きにくいなんてことは考えてもみなかった。

(日記 午前中、先ず整骨院へ。ストレッチの必要性を感じた。身体は硬くなる一方だから。帰宅してから、映像編集を行った。といっても、自分が使っている映像編集ソフト『プレミアプロ』にDVDのデータを取り込んだが、思うように再生したり編集したりできないのだ。ここで行き詰まってしまった。午後は事務所で、作業を続けたが、うまくいかなかった。ハイビジョンレベルのDVDに書かれた映像の編集はできたりできなかったりする。自分で映したビデオなら編集できるのだが。ここで諦めたら、二度とできないだろう。)

 
 

マニュアルは欠かせない

04 4月

「忘れること」との闘い
  私は年の割にはいろんな事をやり過ぎていると自分で反省している。パソコンは大好きだが、パソコン一つとっても、あれこれやりたいことが多すぎて、頭がついていかない。この頃は、人の名前を忘れるように、しばらくやらないとできたこともできなくなる。

  正月以来、フォトショップで絵を描くことが多かった。今日久しぶりに映像編集をしようとしたが、なかなかうまくできない。久しぶりにやるとできると思ったことができなくなるのだ。今後は、自分のための「マニュアル」が必要になる。

  映像編集にはいろんな段階がある。元になる映像を、編集ソフトに呼び込まなければならないが、これが私には簡単ではない。元の映像が、DVDになっている場合や自分で撮ったビデオのハードディスクにある場合などいろんな場合があるのだ。

   今日も、自分で撮った映像をDVDに役までを復習してみた。市販のマニュアルを見ながら、どうにかこうにかDVDに焼くことができた。途中経過は、かなり偶然にできたところもある。確実にできるようにするには、自分で自分のマニュアルを作っておかなければならない。そう思って、マニュアル作りを始めた。

 私の年齢の前後が、パソコンなどをやり続けられるか、諦めるかの境目であるように思う。私は辛うじてIT機器に遅れまいとつかまっている状況だ。ここで諦めたら永久にパソコンから離れなければならないだろう。

  これからは、覚えたことを忘れながら、行きつ戻りつしていくのだろうか。音楽ソフトを使って歌を作り、フォトショップで絵を描き、プレミアで映像を編集する。どれかを諦めなければならないのだろうか。それとも、忘れないように、自分のための「マニュアル」を作って、必要最低限の技術を維持するこに努めなければならないのだろうか。

  今の私は、後者の方を選ぼうとしている。若いうちに、将来楽しめるように最低限のIT技術を身につけておいた方がよいかもしれない。少し難しくなったら、周囲の人に教えを請うことで今日までは最低限の技術を維持してきた。今日も、電話でY君に尋ね、Sさんには仕事の帰りに家へ寄ってもらった。

  こうした人達のお陰で今日まで来たが、時々一度習ったことを再び質問することがある。これでは相手に迷惑だ。何とか、今できることでも、マニュアルにしておかなければと思う今日この頃である。

太鼓の練習の後、フラダンスの練習をする太鼓のメンバー。今日は1曲の振り付けの4分の1の練習をした。

(日記 午前中、映像編集の練習。フラダンスの練習ビデオを作成。午後も作業を継続。夕方、仕事帰りのSさんに少し教えてもらった。午後7時半から、和太鼓の練習。出番は、今月の22日だ。メンバーは、その日に練習する曲を練習した。最後に、メンバーがフラダンスの練習。先生はいない。YouTube等を見ながらの練習だ。今年中には、生のハワイアンバンドと彼女たちのフラダンスをコラボしてみたい。これは一つの夢だ。今日はメンバーの一人、Sさんの誕生日だ。練習の後、メンバーが彼女のささやかな誕生パーティーをした。)

メンバーの一人、Sさんの誕生日。練習の後、メンバーで誕生日を祝う。

 
 

災害列島

03 4月

続発する災害
  最近は、年よりも災害が続くように思う。先ず地震が多い。あまりの多さに、テレビ速報の地震のニュースも見慣れてきたように思う。本当は大変なことなのに。そこへ、ゲリラ豪雨。台風または、台風並みの強風。

  そのたびに、どこかの地区で大きな災害が発生する。元々地球は生きているのだ。なんと言っても、回転する火の玉なのだ。そして、私達はその上に生きているのだ。地球の表面は今でも動いているのだ。

地球誕生の頃。火の玉の地球には生物は全くいなかった。

  地球の表面は、プレートという大きな岩板でおおわれている。そしてプレートは、たがいにぶつかりあったり、地球の中にもぐりこんだりして動いている。そして、地震を引き起こすことになる。いつどこでどの程度の大きさで地震が起こるかは簡単には予測できない。今回が想定外というように。

 プレート同士がぶつかり、動くのは、プレートのさらに下にあるどろどろに溶けたマントルの流れが関係しているようだ。どろどろに溶けたマントルの上でプレートが動いていることになる。ハワイも載っている太平洋プレートは1年間に10cmの速さで動いている。このままでは、いずれはハワイ諸島は日本海溝に沈み込んでしまうのだろうか。

 そして、地表でも、人間の営みが温暖化を招き、南極や北極の氷河が溶け始めている。それらの動きは、低地を水没させるだけではなく、気候の変動を招き、動植物の生態系にも大きな影響を与えようとしている。

  地球は生きている。生きているから何が起こるか分からないのだ。そうした事実を私達は忘れがちである。科学万能であるかのごとく、次から次へと新たなものを生み出し、それらが、地球の怒りを買い、災害となって私達を襲って来ているのではないのか。

水の惑星と言われる現在の地球。しかし、内部は火の玉、表面は動いている。いつでも地震を起こす可能性はあるのだ。

  自然と共生することを大前提とすべきだろう。あまりにも快適さ便利さばかりを求めず、精神的な豊かさに目を向けるべきではなかろうか。幸せは必ずしも物質的な豊かさから来るものではないのだから。

(日記 午前中、区長の資料を調べる。午後1時より、集会所で「子ども見守り隊」の会合。子どもの下校を見守ろうと申し合わせた。また、子ども達と挨拶から始めて一声かけようと言うことになった。どんな小さな事でも何か一言子ども達と話すことができたらと思う。)

 
 

また一つ勝山の灯が・・・

02 4月

最後の楽器店閉店に思う
  勝山から次々といろんな店が消えていく。先月をもって、サンプラザに隣接する楽器店が閉鎖した。昔は2店舗あった楽器店も、とうとうなくなってしまった。1楽器店が勝山からなくなったというよりも、このような傾向が今後も続く可能性があることの方がさみしい。

  今では、勝山ではパソコンも買えなくなってしまった。隣の大野市には二つの家電量販店があるのでさほど不便は感じないが、これからもいろんな店がどんどんなくなっていくだろう。昔は、いろんな専門店があり、まちはそれなりの賑わいを見せていた。

 私も、最近では、ネットによって買い物をするようになった。しかし、次々と専門店はなくなり、買い物の楽しみがなくなるだけではなく、勝山の経済の活性化にも悪影響を及ぼすようになってきたのはさみしい限りだ。少子高齢化と共に、人口が減り続ければこの傾向は続くだろう。

  そのうちに、保育園や学校も統廃合が進むだろう。勝山にあった公的あるいは民間の出先機関もどんどんなくなっている。大野市とのわずかの人口の差が、大きな影響を与えている。大野市、勝山市にあったもののほとんどは大野市に統合されてしまった。

 この傾向もまた今後続いていくだろう。問題はここからだ。無いものをうらやむ前に、「あるものを楽しむ」という生き方、「なければ作る」という精神で頑張っていきたいと思う。

  「知恵無限」である。勝山らしい生き方、心豊かな生き方を目指し、人と人の結びつき(絆)があるまちをつくれないだろうか。誰かから指示されるのではなく、地域自ら美しいまち・住みよいまちをつくることができないのだろうか。

大相撲巡業がやって来た頃の勝山神明神社。横綱吉葉山の土俵入り。この頃は活気があった。

  住んでよかったと言えるまちをつくることができないのだろうか。そうしたまちを作る第一歩は、ハードではなくソフトから始めることができるように思う。金をかける前に、知恵を働かせ、心温まるまちをつくることから始められないだろうか。

  今こそ、ブータンの「国民総幸福度(GNH:Gross National Happiness)」について勉強してみる必要があるのではなかろうか。GNHとは、物質的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさも尺度に入れた「幸福度」を表すものだ。

  ブータン前国王が国民総生産(GNP) に代わる概念として提唱しものであり、先日来日した現国王も、GNHの増大を国の開発政策の理念として打ち出しているとのことだ。まだまだ勝山にも可能性があると私は確信している。

(日記 午前中、区長としての義務的な手続きなどを行った。午後は、大屋根と下屋の雪止めの瓦に引っかかっている杉葉を取り除いた。年々高いところが苦手になってきた。その後、整骨院で治療を受けた。午後4時過ぎから役所の方と意見交換を行った。久々に夫婦二人きりの生活に戻った。)

 
 

それって“当たり前”?

01 4月

活字に対する弱さ
  私たちは、新聞や様々な書籍など活字になった情報に対しては、それが真実であるかの如く受け取りやすい。しかし、新聞を二紙以上購読してみると、必ずしもそうでないことがよく分かる。

  A紙では重大であると捉えている問題でも、B紙では取り上げもしなかったり、小さな記事で済ませている場合が多い。新聞社の立場で記事の取り上げ方が全く違うからである。

  市教委勤務時代は、強烈なセールスマンのせいで、常に2紙以上の新聞をとらざるをえなかった(半分は気の毒に思って購読したが)。私は、活字が大好きだ。そこで、2紙以上を読み比べて見ると、ニュースの扱いに大きな差があることがよく分かった。

  1紙だと、新聞に書いてあることが事実であるかのような錯覚に陥る。一般には、読者は皆活字に弱いのだ。活字によっていつの間にか洗脳されてしまう危険がある。読んだ後、自分の頭で考えなければならない。

  行政の政策を一つとっても当事者として考えるのか、傍観者として考えるのかによってずいぶん異なる。どこから見ても非の打ち所のない施策などありはしないだろう。傍観者はただただ批判さえしていればよいのだから気楽なものである。

 やはり、一定の年齢になったら、浮き草のように立場をはっきりさせずに批判ばかりしていないで、自分の立場をはっきりさせて論評してほしいものである。そうでなければ人の信頼は得られないだろう。
 
    いつも野党の「立ち位置」が気になる。ただ、反対のための反対をしている場合が少なくないように思う。これって当たり前だろうか。自分の立ち位置をはっきりさせ、反対なら対案を示して議論を深めてもらいたい。他人を非難することは簡単だ。当事者意識を持ってもらいたい。

  映像についてもそうである。“百聞は一見に如かず”ということわざもあるように、私たちは映像には全く弱い。しかし、映像といえども全体の一部を切り取っているに過ぎず、よくよくその裏側や見えない部分を考えないと、判断を誤ることになる。

  少人数しか集まらない集会でも、全体を映さなければ、たくさん集まっているような錯覚を起こさせることは簡単である。マスコミがよく使う手だ。何万の大軍が合戦しているシーンも百人余りで十分表現できるように。

  マスコミは、表面的な取材しか行っていない場合が多い。「専門家」の意見も、怪しい。以前は、専門家というとその言動をそれなりに信用していたが、近年、特に原発事故以後は、専門家とは「何もせんもん(者)」のことで、オウムのように誰かのメッセージを述べていると考えたくもなる。

 視聴率を上げるためになりふり構わず興味半分に報道するマスコミの姿勢もこれでよいのだろうか?表現の自由のためと言ってしまえば、誰もこれを止められそうにない。見る者が悪いと言ってしまえばそれまでである。そのうちに、これが当たり前だと思ってしまうことになるだろう。

 今こそ、「当たり前」を疑問に思う力を子どもたちを育てなければならないのではなかろうか。そうでなければ、世の中は知らないうちに、とんでもない方向へ行ってしまうことになるだろう。TPPもよく情報を開示して、国民的な議論を行い、結論を導いてほしい。

  政治家に任せることを当たり前と思い、近視眼的に人を選ぶことを当たり前に思い、今の世の中の理不尽さを当たり前と思い、マスコミの報道を真実だと当たり前に思い、専門家の言動を真実だと当たり前に思うのは、そろそろやめて自分の頭で考え、「それって当たり前?」と疑ってみてはどうだろうか。

同窓会ということで写真を探してみた。あれから40数年。夏の林間学校で一本松へ。堰堤で泳いだときの記念写真。

(日記 午前中、平泉寺小中学校校歌の伴奏カラオケのCD作りを行った。今年度中に60歳になる平泉寺中学校卒業生の『還暦記念同窓会』が行われ、そこで校歌を歌うためだ。当時の平泉寺中学校には、音楽教師がいなくて、大学で軽音楽同好会に属していた私が音楽担当を命じられてのだ。今年還暦を迎える連中のbん音楽の授業を私が受け持っていたのだ。バイエルのバの字もできない私が、ピアノを弾いて音楽をん教えていたのだ。彼らは、もう一曲、40数年前に私が作った『明日になれば』も歌うというので、それもCDにした。午後になって完成したので、幹事のO君に電話をかけて取りに来てもらった。私の部屋でO君と雑談をした。とても楽しかった。午前10時過ぎに、息子の家族が3人の子どもを連れて横浜へ帰って行った。息子は、先週家族を連れて車で帰省し、翌日には仕事のために孫達を勝山に残して横浜へ帰って行った。そして、昨日新幹線で帰ってきて、今日はもう家族を乗せて車で横浜へ帰るのだ。孫達は、1週間我が家で過ごした。少しずつ、大人になっていくようだ。)

 
 

東京電力文学

31 3月

競争相手のいない企業のお上的体質
   東京電力は、お上的体質が抜け切れないようだ。大口契約者は、契約期間内ならば値上げを拒否できることになっているそうだが、それを隠して(そう取られても仕方がない)あいまいな形で値上げ通知を出したためにそれがばれてしまった。

  そのため、値上げを拒否して契約しなかったら「電気を止めるぞ」と言い始めた。選択権のない者に対する横暴な言い方だ。値上げをする前にすべきことがたくさんあるのに、それらを棚に上げておいて、「値上げは権利だ」という。

  都合の悪いことは曖昧にし、都合のよいことははっきり言う。このような手法を「東京電力文学」と東京都の猪瀬副知事は言う。なすべきことをやらないで曖昧にし、「増税」には政治生命をかけるという今の内閣も、よく似たものだ。

 増税に踏み切る前に、自ら身を切る改革をなすべきだが、ほとんどできないでいる。いまの政府もまた「東京電力文学」に染まっているように思われる。

  議員定数削減も簡単にはできそうもない。それぞれの政党の思惑があるからだ。あちらを立て、こちらを立てているうちに、国家がひっくり返りそうだというのに、何も実行できないでいる。しわ寄せは国民に向かうことになる。

  最大野党の自民党もまた衆議院の解散を迫るが、その時期を図りかねている。それは、下手に解散したら「大阪維新の会」の猛攻を受けそうだからである。国民よりも党の利益、自分の選挙を優先するからだろう。

  そろそろこの「東京電力文学」も国民からそっぽを、国民の鉄槌が下されることになるのではないか。国民の利益を優先させる真の政治家、真の政党は登場しないのだろうか。

  今の政治の仕組みでは、簡単に世の中は変わりそうにない。どの党が政権をとっても「官僚の手のひらで踊る」ことになりそうだ。政治主導というのは簡単だが、官僚を使いこなせるリーダーは今の日本では生まれそうにない。

  政治屋ばかりで政治家がいないからだ。時代は「真のリーダー」を求めている。

 「出でよ!平成の坂本龍馬!!」

猪野瀬区長会のメンバーと公民館職員。前列は任期を終えた区長(左側二人)と新区長(右側二人)。中央は区長会長。

(日記 午前中、区の合同会議の案内配りで、地区内の役員、各種団体長の家を回る。午後4時より「親子和太鼓教室」。新曲がかなりできるようになった。午後5時半より公民館に集まって、『猪野瀬区長会の歓送迎会』のために料理屋へ行く。最初に、会議があり、私は猪野瀬区長会の副会長に任命された。その後、懇親会。新しい仲間ができつつある。猪野瀬地区のために少しでも何かができたらと思う。 )

 
 

自分と国家の青春期

30 3月

人は時代と共に生きる
  終戦(昭和20年)直後に青少年だった者にとっては、自分の青春の時期と国家の青春の時期が同じ時期であったように思う。閉塞感の漂う今の時期が青春期の若者とは大きな違いだ。

  家庭には今なら当たり前の電話もなければ、テレビも冷蔵庫も洗濯機も自動車もない。あるのは、自転車とラジオぐらいだった。食べ物も粗末だった。そんな時代を私たちはそれが当たり前だと思って過ごしてきた。

  戦後の復興が進むに連れて、テレビや電話、冷蔵庫、自動車などが各家庭に入ってきた。勝山でも二つの映画館でいろんな作品が上映されていた。しかし、テレビの普及で廃れてしまい、勝山でも大野でも映画館は完全に消えてしまった。

  そんな中で、大型店が各地に進出し、市内の専門店はどんどんなくなっていった。商店街はどんどん歯抜けになってしまった。山間地の集落は、後継者が都会へ出てしまい、過疎化してしまった。

  そして、「限界集落」というありがたくない言葉までできてしまった。私たちが年をとるにつれて日本も閉塞感が漂うようになってきた。少なくとも、私たちの青春時代は日本の青春期と重なり、どことなく希望に燃えていたように思う。

  今の時代はどうであろうか。消費税増税に「不退転の決意」で臨むと宣言している総理。そうしなければこの国が破綻するというのだ。緊急手術でも施さなければ不治の病に侵されて再起不能に陥りそうである。

 若者たちは、それまで「胴上げ」型で高齢者を支えていたが、「騎馬戦」型になり、まもなく「肩車」型になるという。年金は破綻するということだ。これでは将来に期待が持てないだろう。

 国家の老衰期に、自分の青春期が重なった今の若者たちは気の毒である。持続可能な社会を目指して、政治化もすべての国民も知恵を出し合う時期ではなかろうか。ある意味では、私たちの過ごした時期は、幸せな時期だったのかもしれない。

恐竜博物館の動く恐竜の前で「はい!チーズ」。

(日記 午前中、区長としての文書作り。昼過ぎに、孫たちと恐竜博物館へ行く。地球上に、恐竜が、われわれ人類の先輩として生きていたことが不思議だ。次々と地球上の生命体は変わっていくのだろうか。人類の未来はどうか。午後8時から孫たちと越前大仏の門前町でダンスを教えているN君の教室を見学に行く。ダンスを踊る若い子達は楽しそうだった。)

 
 

豊かで明るいふるさとを目指して

29 3月

我が家で新旧委員会開催
  午後7時より、私の家で「片瀬区新旧委員(役員)会」が行われた。新旧の区長の挨拶の後、委員の役割分担を行った。そして、ここから一息入れて食事を始め、委員会を進めた。

 私が区長として、皆さんに伝えたかったことは、次の4つだ。

 ・「住みよい片瀬をつくる」ために、区民はそれぞれの立場で、自分のできることからはじめる。
   区長や役員のためではなく、片瀬区民のために、誰もが自分のできることから始める。

  ・区の役員会と各種団体は連携を密にし、区の発展のために、それぞれの活動のよりいっそうの活性化を図る。
   各種団体は、主体的に活動することによって住みよいまちづくりに貢献する。

  ・次世代育成は、区民に課せられた喫緊の課題である。諸事業の遂行に当たっては、常にこのことを念頭に置く。
   少子高齢化の進むわが地区にあっては、区の存亡が問題になる。年配者は、次世代の活動の場を保障する。年配者        は 出過ぎない。支援者、指導者として次世代の育成に尽力する。

 
 

食事をとりながら新旧役員による情報交換(我が家にて)

 ・対外的、あるいは区の行事にはその趣旨を理解し、積極的に参加する。

   どのような狙いでこの行事があるのか、それらを十分理解し、参加するよう努める。

  区民の皆さんには、ケネディーの演説ではないが、「区が何をしてくれるかを期待するのではなく、区のために何ができるかを考えて行動してほしい。」と思う。

  まずは、意識を変えることから始めたいと思う。区民の皆さんが「させられている」から「したくなる」へと気持ちを変えることができれば思う。しかし、これは簡単ではない。私の最大の目標だ。

  食べ、飲み、話し、聞きながら、10時半過ぎまで充実した時間を持つことができた。しかし、今年はかなりの時間を区長として、割かなければならないだろう。

給仕に活躍してくれた息子の嫁と孫。

(日記 午前中、部屋の整理と今晩の新旧役員会の資料作り。午後7時より我が家で「新旧役員会」開催。今日は顔合わせの意味もあって、途中から食事を交えて会を進めた。息子の嫁が給仕をしてくれたので大いに助かった。孫の応援もありがたかった。区長の仕事が始まった。今年一年は大変そうだ。)