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Archive for the ‘未分類’ Category

講師の先生を迎えて童話作り

16 6月

『かっちゃま児童文学会』の例会
   5年ほど続いた市民大学の『童話講座』が閉講になるのを機会に、有志によって『かっちゃま児童文学会』だ誕生した。私もそのメンバーの一人だ。「事務局はやるので代表になって下さい」とメンバーのAさんやTさんに頼まれて引き受けることにした。

  普段は、会員だけで作品を読み合い、互いに感想を述べ合っているが、今日はずっと市民大学の童話講座の講師を務めて下さった児童文学者の藤井先生をお迎えして事前に送らせていただいた作品についてご指導をいただいた。

  いつもそうだが、会員の作品について批評してくださるのを聞いていると、納得することが多い。そのため、自分の作品作りの参考になることが多い。童話を書くのは簡単ではないが、何をテーマにするか、そして、主人公は、時代設定はといろいろ考えることは楽しい。

 今日批評していただいた作品を、それぞれが書き直して、『童話作品集』にまとめるつもりでいる。こうした作業も楽しいものだ。このサークルのお陰で毎年少しずつ作品を書きためることができる。

講師をお招きして市立図書館で行われた『かっちゃま児童文学会』の例会。会員の作品を指導していただいた。

 私は、ずっと市民大学講座を受講していたので、サークルを作った今まで、10話以上童話を作った。今、これらを紙芝居化する作業を進めている。自作の童話だけに、好きなように脚色できるし、好きなように絵が描けるので気楽だ。

  今年は、せめて一度ぐらいコンクールに応募できないかと考えている。問題は「着想」だ。何をテーマにするかが問題だ。テーマが決まれば書くことは苦にならない。今月中に、アイディアを固めておきたい。

  そのうちに、自分の作品集も作ってみたいと思う。それらを孫達が読んでくれたらと思う。これを今年中に作ってみたいと思うし、絵本にもしてみたいと思う。このサークルのお陰で夢が膨らむ。その上仲間もできるので、ありがたい。

(日記 午前中、パソコンで編曲作業。途中でパソコンが言うことを聞かなくなってしまった。残念無念。午後3時から、先生をお迎えして『かっちゃま児童文学会』の例会。会員の作品を題材に、いろいろ教えていただいた。毎回のことだが、童話を書く上で参考

市民大学講座から生まれた創作童話『ナマズのテツ』。すでに紙芝居化した。

になることが多かった。午後7時半より、南小学校の『地区懇談会』が集会所で行われ、子供会育成会の保護者が参加した。学校側からは校長、担当教諭、そしてPTAの副会長が参加した。私は、地元区長として参加した。子どもの安全安心をテーマに 様々な角度から話し合った。)

 
 

日本唯一の生姜神社『波自加彌(はじかみ)神社』に参拝

15 6月

芋と生姜と旨い米
  かつて私達の地区では多くの者が「里芋」と「しょうが」を作っていた。「片瀬」と言えば「里芋とショウガ」と言えるほどの特産物だったと思う。昔、勝山市でNHKののど自慢があったとき、勝山市の特産として我が片瀬の「里芋とショウガ」が全国に紹介されことを覚えている。

波自加彌神社に参拝した片瀬の4人。いろいろ勉強になった。

  しかし、最近は、里芋は大野市の上庄地区にお株を奪われ、ショウガはあまり作られなくなってしまった。かつての栄光を知っている者としてはさみしい限りである。

  しかし、村の一部の者は、今でも里芋やショウガにこだわり少量ではあるが生産を続けている。私も、昨年から、自分としては多めに里芋と生姜を栽培し始めた。ショウガは県内にはそんなにライバルがいないが、栽培には大きな壁がある。

  種ショウガが高価であることだ。それならば自前で種ショウガを保存できないかということだが、温度管理が難しいためにこれまでは不可能であった。この壁さえ突破できれば確実に特産になると思っている。本気で種ショウガの生産に取り組む価値はあると思う。

  最近は、「芋と生姜と旨い米」が我が村の“キャッチフレーズ”である。ショウガは、特に健康によいと思っている。低体温になりがちな現代人には最高の食材である。何とか、壁を乗り越えて我が村の特産にしたいものだ。

左:すり下ろしたショウガを熱湯の中に入れて生姜湯を作る。右:生姜湯を笹竹につけてお祓い。

  さて、今日、6月15日は、日本で唯一のショウガ(=はじかみ)の神社である金沢市の波自加彌(はじかみ)神社の大祭のある。このことを村の神社の神主さんから聞きつけた前区長のTさんが、「一度参拝に行こう」と誘ってくれた。

 そこで、今日は、前区長のTさん、「農事組合法人かたせ」の理事長のNさん、農家組合長のYさん、そして現区長の私が、午前9時に車で金沢へ向かった。途中で、休憩したりしながら、午後2時から大祭が始まる「 波自加彌(はじかみ)神社」へ到着した。

  神社は、150段の石の階段を登った頂上にあった。かなり多くの人が参拝していた。拝殿の中も、拝殿前の椅子席も満席だった。私達は、椅子席の横に敷かれたブルーシートの上に座って参拝した。

  この神社には、高知県始め全国の生姜産地、菓子メーカー、漬け物メーカーなどから生姜や生姜を使った製品が供えられていた。ショウガの漬け物、ショウガの入った菓子、ショウガプリン、ショウガの入ったご飯、ショウガフレーク、ショウガ入りパン、ショウ

拝殿内での神事。

ガ蜂蜜などショウガを使った製品がたくさんあることを知った。

  神事では、すり下ろした生姜を熱湯に入れて姜湯湯を作り、それを笹竹につけて辺りを清めたりするなど、独特の神事が行われた。その後の「なおらい」では、御神酒の代わりに「かわらけ」に生姜湯を入れて参拝者に配られた。

  全国唯一のショウガ神社という事で、存在感があり、多くの参拝者を集めているのだった。「全国でただ一つ」というものを作れたら存在感を増すということ、ショウガだけでも経済的にいろんな発展があるということを私達4人は実感することができた。

(日記 午前9時に自宅を出て、1300年の伝統がある金沢市の波自加彌(はじかみ)神社の大祭に出かけた。

拝殿の前で神事を見守る参拝者。

いろんな貴重な体験をする事ができた。行き帰りの車の中でまちづくり、特産物作りなどいろんな話しをすることができた。午後5時前に帰宅。今後の特産物作りやまちづくりの参考になった。)

私達は拝殿前のブルーシートの上で参拝。

供えられたショウガ関係の製品。

高知県南国市から献上された新ショウガ。

 

神事の後の「直来(なおらい)」で御神酒代わりにショウガ湯をいただく。

 
 

ド素人の予測

14 6月

国民を置き去りにすることだけはやめてほしい
   原発事故いらい、私達は政界や官僚に対しても電力会社に対しても、専門家に対しても、不信感を持つようになった。今の政界の動きを見ていると、政治にド素人の私ではあるがいやな予感がする。

    それは、次期の衆院選では民主党は大幅に議席を失うことが予想される。だからといって、その分自民党が議席を増やすとも限らない。最近の世論調査では、民主党も自民党も支持率は1割前後で、「支持政党なし」の有権者がなんと7割もいるからだ。

 特に、与党内はまとまっていないため、総理が政治生命をかける増税に関しては野党の自民党や公明党の力を借りなければならない。そこで、今回は与野党が協力して選挙に悪影響を及ぼす増税だけを決めてから解散・総選挙に持ち込もうとしているのではないかと勘ぐりたくなる。

 過去、消費税増税を掲げて選挙をした場合には、議席を大幅に落としているからだ。だからといって、今、選挙に突入した場合には、与野党とも大幅に議席を減らしかねない。それは、支持政党なしの7割がどう動くか分からないからだ。

 与野党とも、「大阪維新の会」や「石原新党」の動きが気になるところだろう。結局、今政界を賑わしているのは、持続可能な国家を目指して議論しているというよりも、それぞれが生き残りをかけて争っているように見える。

  今のままでは、政界再編を行わないと既存勢力は生き残れないかもしれない。自民党も、解散を叫んではいるが、慌てて選挙に突入できない事情があるようだ。今後、政界では何が起こるかわからならい。かつて、宿敵の自民党と社会党が連立を組んだこともあるくらいだら、一寸先は闇と言うことになる。

 今のまま選挙が行われたら、困る政治家が与党にも野党にも少なくないだろう。だからといって、増税だけを先に決められると、政治家や官僚はパイが大きくなって喜ぶかもしれないが、国民は大いに困惑する。ド素人の私が考える最悪のシナリオにならないことを願う。

    政治家が身を切る努力をして初めて国民の信頼が得られるのだが、今はそうなりそうにもない。北欧では、国民はとてつもない高額な税金を納めているが、それは政治に対する信頼があるからだと思う。

  私の考える最悪のシナリオにならないことを望む。閉塞感の伴う困難な時代には、国民全てが少しずつ苦しみを分かち合わなければならない。そして、誰もがある程度の安心感を持って生活できる持続可能な国を目指して政治家や官僚の皆さんに頑張ってもらいたい。

道場で市内のお寺のMさんの説教を聞かせていただいた。ユーモアがあり、わかりやすかった。)

(日記 午前10時より、鹿谷公民館で『銭太鼓』の指導。足の不自由な人が多いが、フラダンスの基本練習によって椅子に座って足を動かしたり、手を動かしたりした。今日は村の道場で『永代経』賀あり、家内はお参りに出かけた。午後は、私がお参り。心静かに、仏教に接するのもいいことだ。市内のお寺さんの説教があったが、ユーモアがあり、わかりやすかった。午後7時半からは、家内と二人でお参りした。私達は不完全な人間である。時々、こうしてお参りし自分を見つめ直すのはよいことだと思う。)

 
 

楽しい童話作り

13 6月

創作は生きがい
 今週末に童話サークル『かっちゃま児童文学会』の例会だ。このサークルは、市民大学の『童話講座』の受講生で結成したサークルだ。普段は、会員同士で作品の読み合わせをやり、互い感想を述べ合っている。

 しかし、今回は児童文学者の藤井則行先生が来られて作品について批評してくださるのだ。そのためにあらかじめ先生に作品を提出しておいて、それについていろいろ指導していただくことになっている。

 しかし、私はまだ作品を提出していないのである。今日、あわてて、作品の仕上げを行った。明日は、何が何でも、先生に作品をFAXでお送りしなければならない。

 私は、文章を書くのが大好きだ。しかし、作品となると簡単ではない。今回は、「津波」を題材にした作品を書いた。東日本大震災が発生してから1年間はこの題材については作品を書くことを控えていた。

 今日、ようやく1つの作品としてまとめることができた。しかし、まだまだ推敲できていない。先生に厳しく添削していただきたいと思っている。
 
 自分では、うまく書けたのか、全くだめなのかがさっぱり分からない。私が童話を作るとどうしても長くなってしまう。あれも言わなければこれも言わなければと思うからだ。

 したがって、字数の制限のある場合にはいつも四苦八苦する。書きたかったものを削るというのは苦しい作業だ。先生にばっさり削られると少しがっかりもする。しかし、そうでもしないと短くするのにとても苦労する。

 それでも、自分で勝手にストーリーを考えてそれを文章にするのは楽しい作業だ。しかし、私は、歌や絵や文章などいろんなことに手を出し過ぎて的が絞れないでいる。

 家内から、いつも言われる。的を絞ったらと。そう言われて何を削るかとなるとなかなか決断できない。みんなをひっくるめて「創作活動」ということで自分を納得させ四苦八苦している。

新しいフラダンスの練習。これまでとは違ってかなりリズミカルなダンスだ。

(日記 朝、ウオーキングをしようと思って村の中を歩いていたら、一人暮らしの方と出会った。そこで、しばらく立ち話をした。楽しい時間だった。午前中は、童話創作。午後は、図書館へ行き、「親鸞聖人」関係の本を何冊か借りた。創作紙芝居『親鸞聖人物語』を作るためだ。午後7時半から和太鼓の練習日のため事務所へ。新たなフラダンスの練習。手に竹製の楽器を持って踊るのだ。今日は紙筒で練習した。和太鼓やっている人間にはぴったりのフラダンスだった。)

 
 

田舎劇団誕生か

12 6月

「さわらび会」は踊りの実験の場
  猪野瀬「さわらび会(食生活改善推進員)」は、私にとっては、郷土芸能や余興を実験する場だ。家内も所属しているこの「さわらび会」は、奉仕的に食生活改善の推進の取り組んでいる。

「達者でナ」の練習をする猪野瀬「さわらび会」のみなさん。手塩にかけて育てた馬が博労の仲介で町の人に買われていく寸劇。馬の演技も見もの。

  また、婦人会組織のなくなった今、貴重な女性組織としても機能している。先々週の日曜日に行われた「大師山自然観察会」では、参加者に対して、山頂で「豚汁」を作ってもてなしている。

 一方、6月24日(日)に行われる猪野瀬地区の敬老会では、余興を披露することになっている。私の考えだが、郷土芸能は余興になるが、余興は郷土芸能になるとは限らないと思っている。

 私は、越中八尾の「おわら踊り」のような優雅な踊りを作りたいと予てから考えていた。そして、数年前、「さわらび会」が新年の余興として何かを発表しなければならないと家内から聞いたので、チャンスとばかりに自分の創作した「勝山よいとこ」を彼女たちに発表してもらうようお願いした。

  この歌は、制作に当たって実際に八尾まで出かけて研究し、創作したものだ。これを、食生活改善推進員の「さわらび会」の皆さんに初めて踊ってもらおうとしたのだ。しかも、この踊りは見せる(魅せる)要素の強い踊りとして振り付けしたので、覚えるのも一苦労だったようだ。

  しかし、実際に新年会の余興として発表すると大好評だったようだ。衣装は、越中八尾の小原踊りを手本としたが踊りと歌はオリジナルのものだ。その後、勝山市内では、郷土芸能としていろんなグループがあちこちで踊って下さっている。ありがたいことだ。

猪野瀬「さわらび会」のみなさんのお陰で勝山に広がり始めた新民謡『勝山よいとこ』。

  先週も、勝山市の退職公務員連盟の皆さんが福井まで行ってこの踊りを踊って下さったそうだ。そして、参加した方が「大好評だった」と電話で教えて下さった。

  このグループが、今度は、敬老会で三橋美智也の「達者でナ」の歌をバックに寸劇を披露することになった。というよりも、家内が推薦したのだ。十年余り前に、市内で何度も披露し人気を得ているネタだ。これも福井市まで出かけて披露している楽しい余興だ。

 市内で敬老会に参加する皆さんは77歳以上なので誰もが馬で田んぼを耕したことを知っているので、たぶん懐かしがって下さると思う。私も、子ども時代、馬の餌(ごと)を作るのが割り当て仕事だった。

 今日は第一回目の練習日。猪野瀬公民館で先ず立ち稽古。その後、私と家内が作った馬を使っての練習。「さわらび会」の会員達は、「面白いのう」と口々に言うほど楽しそうだった。やる者が楽しくなければ見ている者も楽しくないだろう。

  踊りや劇は、年配者の健康維持には、食生活改善と共に大いに役立つと私は思う。そんなわけで、私は素人ながら踊りの普及に努めている。民謡、フラダンス、リズムダンス、……何でもいいのだ。「さわらび会」の皆さんと共に、今後も活動したい。

(日記 午前9時より「さわらび会」の余興の指導。昼前後は、区長としての雑務。午後2時から家庭菜園で、様々な作業。すくすく育つ「きゅうり」、「おくら」、「ゴーヤ」、「トウモロコシ」、「カボチャ」、「えんどう」、「じゃがいも」、「各種の豆類」……。家庭菜園万歳。)

 
 

「結」の心

11 6月

集団作業は楽し
  数日前に、「里芋の草取りと小ずいき切り(余分な茎を切って一本立ちにする)に出てもらえんか」と「農事組合法人かたせ」の理事長のN三から電話がかかってきた。月曜日に作業ができる者と言えば、我々「退職組」と60歳から70歳ぐらいまでの母ちゃん(ばあちゃん)達だ。

里芋の草取り。かなり生えていたが、仲間の力によって短時間で終わった。。

  午前7時に法人の里芋畑に集合。里芋を植えたマルチの穴からかなり大きな草が顔を出しているのだ。各馬一斉にゲートインではないが、一列に並んで作業をするのだ。

  その間、手は忙しいが頭は暇だ。世間話や野菜作りについてわいわい言いながらの作業だ。集団で作業をすることはとても楽しい。普段滅多に話をしたことのない人とも話すことができる。

  昔も、共同作業はあった。「結」と書き、私の村では“い”といったが、他地区では“ゆい”と言っている場合が多かった。一人で田んぼの中へ入っての作業は、退屈で能率も上がらないし、楽しくもない。

  そこで、お互いが日数を決めて共同で作業をするのだ。早朝から作業をするので途中でお腹がすく。そんなとき、その日、作業が行われる家からは、黄な粉のおにぎりや漬け物や蕗の煮物などが出たのだ。それらを畦に腰をかけて雑談をしながら食べるのはとても美味しい。

  私達が子供の頃大人達はこうして共同で作業を行っていたのだ。私達子どもも、除草機を回したりするときなどに、この「結」を行ったものだ。友達と一緒に作業をすることで、単調な作業も飽きずにやることができた。

作業を終えて菓子を食べながらの楽しい語らい。普段話さない人との語らいに感謝。

  今日の里芋の草取りなども、同じような雰囲気だ。作業をしている人達の年齢も私の前後なので、皆「結」の経験者だ。作業を終えた後、お菓子を食べながらしばし雑談を楽しんだ。

  今の若い人達はこうした経験がないだろう。集団で作業をすることの楽しさを味わったこともないだろう。今は、会社組織にして集団でこうして共同作業をしているがこうした手段作業も長くは続かないだろう。

  近い将来は、この法人の維持さえ危ぶまれる。誰かに「丸投げ」する時期が近い。この法人ができるまでは、村の何人かはそのような状況であった。なんとしても、この法人を維持しなければならない。

  「疲れる作業は大勢で短時間でやる」というのが、法人の理事長の考え方だ。今日も、作業は午前7時から2時間で終わった。腰が痛くなる前に作業は終わった。田植えや稲刈りは一日中作業があるが、それ以外の作業は大勢で短時間でやることが多い。

  身体に無理がかかっては長続きしないからだ。だから、私も安心して作業に出ることができる。なんとしてでも、この「農事組合法人かたせ」を維持していかなければならないと思う。

買ったトマト苗の脇芽をポットに入れて、新たな苗を作る。花が咲くまで大きめのポットで家内が育てる。

(日記 午前7時より二時間、「農事組合法人かたせ」の里芋の草取りと小ずいき切り。その後、帰宅して木曜日発行の「かたせ瓦版」作り。第2週はA4の裏表版、第4週はA3の裏表版(A4で4ページ)を発行することにしている。今日はA4版なので簡単にできた。毎回、何か一つは家族で話し合うことのできる話題や写真を掲載したいと思っている。家内はトマト、キュウリ、オクラ、アマ売り、黒瓜の苗作り。)

 
 

地域を守る

10 6月

前例改善
  我が村にも少子高齢化の波が押し寄せている。我が家だけを考えても10年前と居間とではずいぶん状況が違う。10年後はもっと違っているだろう。その通り、10年後には、一人暮らしになったり、空き家になったりする家が増えていることだろう。

  今、家庭に子ども達がいるかといって10年後もそうなっているとは限らない。それならば、何をどうすべきだろうか。考えることはたくさんあると思う。

  今日は、村の山検分があった。8月5日の山道作りの下見のために、各班の班長が自分の割り当ての区域の山の状況を調べるために出かけるのだ。二手に分かれて一つは「奥山コース」、一つは「後山コース」の検分に出かけた。

登山道をふさぐ倒木。チェンソーを使わなければ処理できない。

  午前7時軽トラックで大師山の八合目辺りにある大谷峠に到着。8月には大谷峠からは3班が入って作業をすることになっている。今日は歩いて三ツ頭まで山道の状況を調べながら五人で歩いた。

  所々にある地名を表す標柱野ほとんどがクマにかじられている。檜で作ってあるのだが、クマが好むニオイがすると班長の一人が話していた。ほとんど休まず、三頭山まで歩いたが、上り下りがあり、約1時間半かかった。

  山道の所々には松やブナの大木が倒れていた。8月には草刈り機とノコギリだけでなくチェンソーも持っていかなければ作業ができないと思われた。高齢者には、こうした道具を担いで歩くと作業現場へ行くまでには2時間ぐらいかかるのではなかろうか。

  高齢化した我が地区では、こうした作業を続けるのは困難になっている。山道を整備する意味がほとんどなくなっているのだ。私達の子供の頃は、夏休みなどは、一日に一回は薪を担いでこうした山道を通ったのだ。生活の山だったのだ。

  しかし、今はイベントの時に通ったり、町の人達がレクレーションとして、登ったりする山になっているのだ。いろいろ山の歴史を調べてみると、昔は永代使用権があって村の人達が薪や牛馬の飼料としての草を刈ったり、田んぼに肥料として草を刈ったりしていたのだ。

  しかし、今日、私達が下見をした奥山の道は、村が昭和36年に永代使用権を放棄して村の山ではなくなり、市有林になっていたのだ。それにもかかわらず、昔やっていたからと無理をしながら、山道作りをやっていたのだ。

山検分の終点である三頭山山頂。ここまで麓から車を使っても2時間。歩くだけでも疲れてしまう。

  村の山に接した山道は、使う使わないにかかわらず、これからも守っていかなければならないと思う。しかし、そうでない部分は持ち主の市にやってもらいたいと思う。市の関係者に強くお願いしたが、「今年は無理だ」と言う。「来年は予算をとって市でできるよう努力したい」との返事だった。

  私達は、背後にある大師山を地元の山、市民の山として登山道を整備し、頂上の整備を行っていきたいと考えている。他のことも含めて、自分たちの地域のことをもっとよく知り、今の時代に合った取り組みをしなければならないと思う。

  山検分の後、食事を共にしながら、あれこれ村を取り巻く問題について話し合った。「住教育」についても話題にした。村の人達には、これからも村についてのあれこれを「かたせ瓦版」で伝えていきたい。

  勝山市の建築士会が片瀬のまちづくりを応援して下さるという。何を応援してもらうかは私達が考えなければならない。区民が何もしなくて応援してもらっても意味がない。応援はあくまでも応援で、私達自身が何をどうしたいのかをはっきりさせなければならない。

 地域をよくする第一歩は、村に関心を持ってもらうことだと思う。また、高齢者の知恵の活用についても話し合った。子供会関係者は、子ども達は非常に忙しいという。習い事やスポーツ活動があるからだ。これらのマッチングは簡単ではない。

  そういう意味では、地道な「花のあるまちづくり」から一歩一歩進めていきたい。これを楽しみながらまちづくりにつなげていきたいと思う。山検分の反省会でいろんな意見が出た。楽しかった。

  昨年の通りでは、少子高齢化が進む私達の村の発展はない。前例踏襲では面倒くさいことは省略する一方になってしまう。みんなゆとりを失っているように思われる。心を込めてまちづくりに取り組みたい。本当の楽しさを知ってもらいたい。

午前6時からの自衛消防隊の事前訓練。本番の訓練は来週だ。

(日記 午前6時より昨日に続いて自衛消防隊と消火栓班の訓練。その後、午前7時より山検分のため、役員が大師山周辺の山道作りの下見に出かける。午前7時半頃から午前11時頃までほとんど歩きっぱなしだった。午前11時半より居酒屋で反省会。いろんな話題について雑談することができた。早朝からかなり疲れたが運動にはなったと思う。夕方、次女が東京から帰省した。月に一度の顔合わせだ。)

 
 

防災意識の高揚

09 6月

日頃の心構えが肝心
   誰も、自分の家で災害が発生するとは思っていないようだが、いつ何時、どこでなにが起こるかは分からない。自然災害が起きたとき、テレビなどで災害が起こった地区の住民のインタビューを聞いていると、「生まれた初めてこのような災害に遭いました」となる。

  災害が起こるのは想定外であった場合が多い。これでは被害を最小にすることはできない。もしかしたら、災害が起こるかもしれないと思って普段から備えた方が良いと思う。私も若い頃はそんなに気にしなかった。

  例えば、真夜中に地震や火災が発生した場合、どう対処したらよいだろう。火災の場合、初期の段階で気がつくためには、やはり火災報知器が有効だろう。

 最近の火災では、逃げ遅れてしまって子ども達やお年寄りが犠牲になることが多い。本当に痛ましい。ちょっとした大人の気配りで命を救うことができるとなると、やはり真剣に考えておかなければならない。被害を最小限に留めるようにするためには、普段から、実際の場合を考えて備えなければならない。

  例えば、火災を一刻も早く知るには、火災報知器が有効だと思うが、どこにどれだけつけておいたらよいのだろうか。二階で寝ている人が気がつくためには、1個や2個では足りないだろう。火元となりやすい台所、それから、階段、そして、寝室だろうか。一家に数個は必要だと思う。

村の消防署員にポンプの操作方法を聞く片瀬夫人消防隊員。

  また、火災や地震、地滑りなど災害にもいろいろ種類はあるだろうが、こうした場合、停電になる可能性が高い。緊急のために、常備灯がいくつかは必要だろう。一家に一個懐中電灯があればよいというものではない。

 寝室なら枕元に必要だろうし、階段や居間などにも必要だろう。そうなると複数の常備灯を置かなければならない。実際に真夜中に災害が起こった場合には、明かりがなかったら避難するにも苦労するだろうし、それが命取りになる場合もあろう。

  こう考えると、火災報知器も、常備灯も数個はほしくなる。緊急時にはぱっと手に持って避難するためにはどこへ置いておけばよいか普段から考えておかなければならない。寝室ならば、見えなくても手探りで探せるところに置くのがベストだと思う。(我が家はいずれも4個以上は備えてある。)

  来週の自衛消防隊の訓練や今年組織した自主防災組織でこうしたことを訴えたい。訓練のための訓練、形式的な準備ではかけがえのない命は救えない。今朝の婦人消防隊の訓練を見ていてこんなことを考えていた。

越前大仏で行われた稚児行列。

(日記 午前5時半頃起床。午前6時からの「婦人消防隊」の訓練を見に行く。指導は、村にいる消防署勤務のKさん。五人一組でそれぞれが自分の役割を決めての訓練だった。午前9時頃越前大仏の25周年記念の法要に地元区長として参加。あいにくの雨だったが、稚児行列も有り、賑わっていた。午後4時から『親子太鼓教室』。ようやく4曲目をマスターすることができた。夏にはどこかの祭りに出してあげたいと思う。特に、保護者の方は汗びっしょりだった。まさに“太鼓ビックス”だった。私も汗びっしょりになった。いい運動だ。)

今日の越前大仏。ここでも新しい出会いがあった。

 

親子太鼓教室。ようやく4曲目ができるようになった。孫のような子ども達と子どものような保護者と一緒の練習は若返る。

 
 

千年を繋ぐ宮大工の知恵

08 6月

目から鱗
  我が地区は、県の指定により「住教育」について二年間考えることになっている。県下17市町の全てが何らかの研究をすることになっているが、勝山では我が地区がこの指定を受けることにした。というよりも、勧められたと言った方が正しいかもしれない。

水車型のプランターを見ながら三人で話し合い。いろんな話題が飛び出してとても楽しい時間を持つことができた。

  「住教育」と言うと少しオーバーな気がする。「住」を頭に置いて暮らしやすさ、豊かさ、生きがいなどを考えるといった方が正しいかもしれない。私としてはこの研究を通して、「地域に誇りを持ってもらいたい」と思う。子ども達には、片瀬を「ふるさと」と思ってもらえればと思っている。

  午後3時頃、県の土木部建築住宅課のSさんと市内の建築士会のIさんが私の事務所へやって来た。三人で、今度の事業の取り組みについて話した。最初に、小学校で行う住教育「宮大工による本物体験講座」に話が及んだ。

  6月13日に鯖江市の豊小学校で行う本物講座のテキストを見せてもらった。このテキストのイラストは全てSさんが手描きで描いたという。少しでも子ども達に興味を持ってもらおうという気持ちで手描きしたのだという。その心意気に脱帽。

  テキストには、薬師寺三重塔とスカイツリーの比較がなされていた。超近代的なスカイツリーの地震対策に、薬師寺三重塔の心柱の原理が使われているのだという。コンピューターも重機もなかった時代に耐震性の高い建物を建て1,000年余りも倒壊せずに持ちこたえていたのだ。

Iさん達が作ったという水車型のプランター。三段に花を植えることができる。

  そういえば、これまで大きな地震が何度もあったが、五重塔や三重塔が倒壊したという話を聞いたことがない。すごいことではないか。1,000年以上も前の宮大工の知恵がスカイツリーに使われているとは。

  Sさんが持参した資料を読んでいて、五重塔や三重の塔を、5階建ての塔とか三階建ての塔と言わない理由が分かった。それは、独立した一階建ての塔が重箱のように五重や三重に重なっているからだという。そして、それらの真ん中に心柱が通っているのだ。

  各階はそれぞれが独立していて互いにつながってはいないし、心柱ともつながっていないというのだ。そのため、地震に対しては、揺れを吸収し、倒壊しないというのだ。素晴らしい知恵ではないか。

  昔の宮大工のこうした知恵はどうして培われたのだろうか。おそらく、長年の経験から割り出されたものだと思う。コンピューターによってシミュレーションすることもなく、しかも、木造建築で耐震性の高い建物を建築し続けた宮大工の知恵を、なんとしてでも後世に残さなければならないと思う。

  本物体験講座で小学生がどのように感じるのだろうか。秋には南小学校でもこの講座は開催されることになっている。是非とも、私も宮大工の技をこの目で見たいと思う。

  いろんな話が合ったが、先ず入り口としては、竹のプランターと木のプランター作りから始めてみたいと思った。子どもから高齢者までがこの運動に参加してもらえればと思う。建築士会の支援も得られそうなので、村の人も前向きで取り組んでもらいたいと思う。

今日我が家の前庭に建てた竹のプランター。余った竹を使ったので底のないものもある。

(日記 午前中、少し童話を書く。その後、竹のプランター作り。竹が余っていたので、いろんな長さのプランターを6本作った。底のない竹でも作った。底のない竹のプランターは直接地面に押し込んだ。その後、精米。午後3時から県の土木部建築住宅課のSさん、勝山市の建築士会のIさんと、片瀬で行う「住教育(私は住を念頭に置いた暮らしやすさだと理解している)」について意見交換をした。楽しい時間だった。我が村でなにをどうすべきか、ゆっくり考えてみたい。)

お隣さんの竹のプランター。

 
 

新曲発表

07 6月

想いをどう伝えるか
  私は、全くの素人ながら歌作りを趣味としている。自分一人で作詞・作曲をする場合は、「何を伝えたいか」という想いを重視している。これまでいくつかの歌を作ったが、ふるさとへの想い、家族への想い、少しオーバーだが国へ想い等をテーマにしている。

子育て支援センターで新曲『カン・カン・カンガルー』を発表。家内が歌い私がギターで伴奏した。

 数ヶ月前に、子育て支援センターの職員から歌作りを依頼された。子育て支援センターの存在を知らしめるには歌は役立つかもしれない。しばらくして、詞が送られてきた。完全に歌になっているもの(替え歌)や箇条書きにした保護者からの数枚のペーパーなど様々である。

  それぞれに保護者の想いがメモされていた。歌を作る場合、誰の視点で詞を作るかだ。今回は、この支援センターを利用する幼児(0~3歳)の視点でつくることにした。

  難しい言葉はほとんど使えない。簡単すぎて歌にならないのではとの心配もあった。しかし、その歌を発表する日は今日と決まっていたので、とにかく歌にしてみた。

  私は、歌作りに関してこの頃思うことがある。地域の歌や施設の歌を作る場合には、作詞はなるべく地域の人や施設の人に考えてもらいたいと思っている。そうしなければ歌に対する愛着心が湧かず、歌い継がれることはないからだ。

保護者にも新曲を一緒に歌ってもらった。

  必ずしも、字数を合わせて詞を作る必要はない。最も重要なことは、歌に込めたい想いだ。想いがあれば、多少曲が貧弱でも言いたいことは伝わるものだと思っている。そういう意味では、恋愛、恋、別れ、港などを歌った演歌は難しい。人間同士の愛ならば作れるだろうが。

  東日本大震災以降、私は、多くの人達を勇気づける歌ができないかと考えている。しかし、これは簡単ではない。被災された方々の想いを歌にすること、そして、多くの方々に勇気を与えることは今の私の力量でできるだろうかと思う。

  もう一つは、今の政治に対する怒りだ。国内外の指導者は国民を置き去りにしているように思う。そこで、関係者に対して直接的ではなく、間接的に訴えることができないか途考えている。

 例えば、『帰ってきた酔っ払い』のように、宇宙人の声を「速回しの甲高い声」で表現し、宇宙人に語らせるという手法だ。人は、第3者の目で見つめられると気がつくことが多い。

 遠くから見ると、“水の惑星”と言われるだけに、ブルーでとてもきれいだ。宇宙人は、きれいな星を見つけたと喜ぶが、近づくにつれて、地上では、地球人が私利私欲に走り、争いばかり。さらに近づくと、ゴミや廃棄物が散乱し、水も汚れている。「こんな星は住むところではない」と言って逃げ出すというストーリーだ。

  暇にまかせて、こんな事を考えていた。困難ではあるが、「おわら風の盆」をテーマに演歌も作ろうとしている。苦手な恋愛の分野だ。メロディーは数ヶ月前に完成している。ここで自分は本当は何を言いたいのか、定まっていないので、歌詞葉1番しかできていない。それにしても、歌作りは楽しい。

上左:私の畑の里芋。 上右:ようやく芽を出した片瀬特産のショウガ。 下左:タマネギの試し掘りをする家内。 下右:試し掘りしたニンニク。

(日記 午前中、子育て支援センターで、歌作りを依頼されたセンターの歌『カン・カン・カンガルー』を家内と一緒に発表。帰宅して、里芋の畝の草取り。その後、タマネギとニンニクの試し掘り。帰宅して昼食。家内と二人で山へ蕗採りにでかけた。下山してから、家庭菜園へモーターで川から水を上げた。午後7時から猪野瀬公民館で行われた自衛消防隊の防災訓練の会議に出席。引き続いて、区長会に出席。議題の中心は、敬老会についてだった。朝から、かなり変化に富んだ一日だった。)

  

左:蕗採りの合間の山での休憩。空気が旨い。 右:収穫した蕗を洗い“キャラブキ”を作る準備をする家内。